はてなキーワード: スピリチュアルとは
テレビが急成長って言ってると実は成長が鈍化してる ←中国のこと。
Twitterで一切ツイートしたりリツイートしなくてもお気に入りにするだけで相手に伝わる
Onliveでゲームをしてるとその様子を誰にでも見せることが出来るし誰のプレイでも見ることが出来る
K-POPの楽曲や振り付けを提供しているのは日本人 DAISHI DANCE
朝鮮半島南部と日本はイギリスと北アイルランドのように一つの国だったのかもしれない 「韓国南部の前方後円墳は倭人の墓か?」「ハングルと日本語の文法規則の一致」
個人的メモ
韓国人で日本人を嫌ってるのは日本で2chしてるようなネット原住民
自民党 統一教会 韓国の伝統の儒教を置き換えようとしている統一教会?
マヤ暦はアナログ放送が終わった日に終わった けれども新しい暦がもう始まってる
在日韓国人で日本国籍を取得出来る若いひとは日本国籍にする人が多い
1週間位記憶が曖昧になってようやくはっきりすると周りの仲が良かった人間が俺のことを嫌っていた このせいで人間不信になって大学を中退して2年以上引きこもってる やっと分かった 押さえ込んでいた自分の中の暴力性を最近見ている 自分では全くコントロール出来ない 閉じこもってる部屋の外で物音がするだけで「俺を殺そうとしてるのか?そうなのか?なんでぼくのこときらいなの なんで なんで なんでぼくのこと嫌いなの なんでなんでなんでなんで」
白目をむき出しにして相手の首に噛み付く 血が出る位歯を立てる 精神病院に無理やり入れられて両手両足をベッドに固定されて 殺される クスリを鎮静剤 殺される 殺される 叫ぶ 家の前を通りかかった 殺す 殺す なんでなんでおとおさんとおかあさんはぼくをおいていくの なにもしてないのに なんで ずっとくるまのなかにおいていくのなんで ころされる ネットに充満する狂気 キチガイ ガチキチ マジキチ 変態 狂気 狂気 月に住む
人より判断するのが遅い 学校で色々な調査を書くときにいつも一番遅い 真面目?違う 障害者?
キリスト教の次のスピリチュアル 幸福の科学 スピリチュアル 人間の体 炭素からケイ素
現金は価値が無くなる アメリカではそうなってる マクドナルドくらいにしか現金は使えない 「クレジット」 $の価値は下がり続けて無くなる 地域通貨 クレジット
ごめんなさい許してください
化粧板某スレより
江原堂
読み方は「コウゲンドウ」なのはわかってるんだけど、どうしても「エハラドウ」と読んでしまう。
そして同時にあのスピリチュアルやら前世やらオーラやらの江原さんが浮かんで
「江原堂のファンデーションを使うと先祖の守護霊が守ってくれます。
と、江原さんがやたらライトに照らされながらどや顔でこういう文句を並べて、信者に買わせる図を想像してしまう。
そのせいでとても胡散臭く感じてしまう。江原堂は悪くないのに。
必死に江原さんを追っ払ったら、今度は芸人のエハラマサヒロが出てきて
「え?wwまだ江原堂使ってないんだwww
ふふっwあぁいやごめんねなんかwww
でも使ったほうがいいよw」
みたいなことを言う図が浮かんで、ちょっとイラっとする。
そして絶対使うもんかと思う。
江原堂のファンの方ごめんなさい。
夜中に爆笑
そのうちヒーリング。
段々修行が深まってくるとやっぱり自分も癒し手側として鍛錬を積むようになる。
親戚の独身女性が元外資のバリバリのキャリアウーマンなんだけど今ではヒーラーやってる。
あの手のものは大抵アメリカ人が教祖なので(反動としての精神主義の先進国だから)
その人はキャリアウーマン時代の行動力と英語力で通訳や渉外をして
ある流派の高名なヒーラーの日本で第一の高弟のようになっている。
ただやっぱりこういうのはどうしても新興宗教やカルトが隣接するので
ぶっとんだ高額の料金を求められたり
反社会的な教義や気風があったり
個人の生活まで踏み込むような制約があったり
個人崇拝の気があったり
ということがあれば、その集団を見抜いて即撤退する賢明さが必要になる。
感じ取ったらそっちを優先すること。
自分も高齢独女で精神が安定している人を何人か知ってるが、全員オタク趣味持ちだな。(作り手側で精力的に活動していたり割とディープ)
まず最初に確認しておきたいのは、瞑想というのは些細なことから誤解を生みやすいものゆえ、日常や世間でおおっぴらに扱われるべきではなくて、
個人でやりたい人が勝手にやるものだということだ。だから、コスメショップにおいてひっそり評価されるべき文化の単語である
「クリシュナムルティ」という単語が発せられたこと自体、非常に気まずいものだったことは言うまでもない。
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申し遅れたが俺は特別瞑想と深い関わりのない20代男性であり、ひょんなことから珍しくもコスメショップと関係を持ったのだが、
そこの30代独身美容販売員とオフビジネスで話している時に「クリシュナムルティ」という単語が出て椅子から転げそうなほど驚いた次第である。
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まず女性が瞑想に興味があること自体がなかなか無い。セレブ主婦、有閑マダムが暇にかまけてやったりする可能性はあることはある。
ヨガ教室なんかでね。まあ可能性は非常に低いけど。それからスピリチュアルに傾倒した女性が興味を示すことも無いとは言えない。
まあまず無いけど。他にスイーツな女性が雑誌の「キレイになる」特集記事見てやる可能性もゼロとは言えないがゼロに近い。
あとは宗教をやっていたら瞑想らしきものをさせられることはあるかもしれない。人口的にこれが一番多いのかも知れない。
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さらに30代という年齢層も絶妙と言わざるをえない。20代以下は論外として、まさか30代という若さでそういうややこしい世界に
もつれこむなんて。事情はよく分からないが、よっぽど災難続きの波瀾万丈の人生で計り知れない苦労をしたんだろうと思ったり
せざるをえない。しかもその人は30代前半っぽい。39歳とかの人生の後半戦に差し掛かった人間なら分からなくもないけど。
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瞑想というと30代独身美容販売員なんかがやるものじゃなくて、人生の折り返し地点を過ぎた男性が自分を見つめ直すために行われる
のが通例だろう。そうでもなければ、触れてはいけないもののように扱われるか、あるいは親しい相手の場合は「ええっなんでえ?」と
瞑想をやっている動機・目的を厳しく問い詰められることは必定である。
かくいう俺も20代なのでそういうふうに問い詰められたことは二度三度じゃなかったし、もう完全に宗教か何かの怪しいことをやっている
と思われている次第である。いや俺は瞑想はお試しでしかやってなくて単に知識として興味あるだけなんだけどと弁解しても無駄である。
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誤解しないで貰いたいのは俺も瞑想に多少興味はあるが、瞑想というのは流行になったりブームになったりしないものだから、
「瞑想という文化」らしい文化が無く、だから人々がどう瞑想と関わっているのかは普通分からないものである。宗教団体にでも入らない限りは。
俺もそうだった。分かっているつもりで分かっていないらしい。それを今回のことで激しく実感した。
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思うに、大々的には取りあげられないけど人々の間で根付いている文化というものもあるのかもしれない。
人口的には数千人に一人とか数万人に一人という物凄く少ないものかもしれないけど、目に見えない全国のネットワークのような
ものが存在しているのかもしれない。そういう人達は交流や情報源に相当苦労しているのかもしれない。
wait
やばいくらい最大限に
卵の黄身って美味しいよね
君にプレゼントするよ。
ぴくみんだってはじけちゃう。
君の歌い方に心がとろけちゃうのさ。
さぁ弾けて飛び出そう!元気を出して歩き出そう!
夢に向かって大きな一歩を踏み出そう。
ライクライクにキッスユー。
歴史的瞬間を君は見る。
メリークリ◯◯ス!
このままじゃまた規制されちまうぜぇええええええええええ
その前に俺は匿名ダイアリーでタイピングだぜぇええええええええええええええ
最高な気分が俺を包み込むんだぜぇえええええええええええ
さぁ、扉を開け!我が道をいけ!
素晴らしい神。(゚∀゚)神のヨカーン
びっくりするほどユートピア率がハンパじゃねぇ俺の記事!
努力して努力して努力して、し続ければ未来へ踏み出せると信じてる。
M-1終了wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
俺はk-1のほうが好きだぜ。
どうしようもない、こうしようもないな。
未来永劫に届きはしないあの月もあの星も
絶望と出会えたら手をつなごう。
(^ω^)ペロペロ菌。
闇に消えてった商売、いつの日か俺が実現させてみせる。
理解することが必要ならば、いくらだって理解してみせる。
神よ、俺に手助けを。
神が!神が見ちゃってるぜぇえええええええええええ
日本語が分かるか?神よ。
逆光シティで走り始めるぜ。おーらい、おーらい。It is all right.
私は現在、心療内科通院中です。通い始めてからだいたい3年くらいかかってなんとか上向いてきました。
通院するようになってから、うつ病に関する新書や文庫など、手に入りやすい本を何冊か読みました。
そのうち、個人的にいい内容だなと思ったものを挙げます。
素人の感想なので、異論反論多々あると思いますが、何かのお役に立てれば幸いです。
マンガ。続編の『その後のツレがうつになりまして。』ともに文庫化(幻冬舎文庫)されています。
「休養」環境を整備するために家族にはある程度病気を理解してもらった方がよいと思います。
発病したての頃、家族がうつ病についてよくわかっていないようだったので、家族向けに買いました。
最近文庫になった『こんなツレでゴメンナサイ。』は(単行本は文藝春秋。文庫は文春文庫)、ツレさんの立場から、内面を詳しく書いています。
こちらを読んで共感したのは、自責感や体のつらさ、治りかけの時に「性格が悪くなる」というあたりです。
うつ病、心の病気には未知の部分があります。たとえば、薬は存在するのですが、「なぜ効くのかわかっていない」らしいです。
だから私はできるだけ新しく、また上手に整理された内容の本を求めていました。
この本は(おそらく現時点で)最新の見解を載せています。医師によりいろいろな立場があるので、一概に「最高」とはおすすめしませんが、
発病原因(内因性・心因性)と症状(精神症状が強いか身体症状が強いか、また重傷度)から治療方針を考えている実例が参考になります。
薬についても整理されていてわかりやすいとおもいます。また、「偽うつ」などと断じられやすい「新型(非定型)うつ病」も
治療と本人の精神的な成長で改善するであろうという見解も、ただ「困った若者」として排除する立場よりは理性的だと思いました。
友人知人にならば、最初に読む1冊として勧めるだろうと思います。
薬に対する反応性がいまいちで、何種類も薬を変えてきているので気になって読みました。
抗うつ薬は「中程度までの」患者にはあまり効果がないという研究があるようです(インターネットで検索してみてください)。
また、製薬会社のSSRIのPRの時期とうつ病患者数が増加した時期が一致する点は、気になってしまうところです。
ですが、医者や薬を悪者にしようとしているかのような煽りタイトルはちょっと誤解を招くように思います。
この本は「薬だけでは」治らない、と主張しているように思います。「患者化」つまり、患者であることにあぐらをかき、
周りの手助けをあたりまえと思う思考を戒めています。
治ろうという意志がなくては治らない、という思いを深めた1冊でした。
私は来春から就職しますが、まだ寛解していない病気とつきあっていくのには不安があります。
この本は「産業医」の立場から、働きながら病気を治す、病気を治して働く、
そもそも仕事のストレスが高じて病気にならないようにするには、ということを書いた本です。
社会人の方には、病気であろうとなかろうと、使われる立場でも使う立場でも、読んで欲しいと思いました。
「管理職へのアドバイス」という部分が、患者でない人向けです。
薬に対する反応がイマイチのため、医師に「認知行動療法」をしてみることを勧められました。その良書がこれとのことです。
分厚い翻訳書で高いです。それと、後半の難しい部分は読むのが辛いです。
一応読みましたが、アメリカーンな感じ(前向きに生きてればハッピー、信仰は持ってるよね当然)がするので、なんとなく馴染めませんでした。
認知行動療法は、医師に出される宿題をやって、採点(みたいなことを)してもらって、自分の考えのクセを自覚していくもののようですが、
そんな手間をかけられるほど時間のある医師が日本にはたぶんほとんどいません。臨床心理士も数が少ないと思います。
自力でこの本のワークシートをやってもいいのでしょうが、まるで『絶対内定』みたいな分厚さなので断念しました。
『いやな気分よさようなら』に挫折して、レイアウト優先で(とっつきやすさで)これを求めました。
ほんとうに自分でできる構成になっていると感じます。
ワークシートは1枚ずつしか印刷されていないので、コピーをとらなければいけませんが、見やすくわかりやすく、
どのシートをどういう順番にやればいいのか絞り込まれているのでよいと思います。
私は残念ながら本書を買った後に下向きの波が来てしまい、ワークシートは書かずに読むだけでした。
上記に挙げた以外にも、トンデモだなあと思う本や、スピリチュアルが入っている本、
わかりやすさを求めるあまり表面的な内容になっている本、内容が古くあまり役に立たない本など、
10冊以上は読んでいると思います。中でも、私が腑に落ちた本を挙げました。
いま、改善しつつあるのは医師や薬のおかげばかりでなく、これらの情報に接して考え方が変わったからだと思います。
自分ばかりがなぜという思い、どうして長引くのかという不安は、知識を得ることによってある程度軽減されます。
また、私が「治ることに前向きになった」と感じたのは、卒業年限となり、苦しいながらも就職活動をやり終えた頃からでした。
就職活動で、他人に伝わる言葉で表現せねばならなかったこと(今までは自分の気持ちを、ニュアンス優先の自分語彙で表していました)、
仕事をするという目標ができたことが前向きに作用したのだと思います。
私はあきらめずに進みます。
同病の皆様、そのご家族の皆様、患者の方と同じ会社で働く皆様。
発病自体は過ぎたこととして、これからを歩んで参りましょう。
おれ自身、独身で生きていきそうな気配が濃厚なので
それでも実体験として言いたい。
社会に出るまでは「結婚に憧れる女」みたいなのは古いバカな女だと思ってた。
子供の価値観なんてつまり接する教育やメディアがそうだったってだけだが。
「独身で生きてる女」みたいなのはちょっとかっこいい。主婦なんかより深みがある。そう思ってた。
でも学生時代のバイトを始め、社会人になって仕事をするに従って、
俺が好きなタイプのおばちゃん、仲良くなるおばちゃん、素敵なおばちゃん、挨拶するのが嬉しいおばちゃん、
全部既婚者だってことに気が付いた。
逆にあからさまにやばい、職場の爆弾岩みたいになってる女性は独身。必ずそうだった。
滅茶苦茶カリカリして、すぐ攻撃的な笑顔でキレ出す、みんなに怖がられてる女性。同じタイプはすぐわかる。
なんでそうなるのかは俺は女じゃないし、まだそういう年齢にもなってないから推測も差し挟まない。
だけどとにかく実体験としてそういうサンプルが多すぎた。
突っ込まれ易くなるとしても敢えて、ほとんど100パーセントだと言いたい。
好きなタイプの人を敢えておばちゃんといったけど
別にダサいとか老け込んでるって意味じゃない。おしゃれで素敵なおばちゃんも一杯居た。
でもつまり、彼女達は結婚して子供産んだりして一旦おばちゃんを受け入れている。
「そういう性格だから結婚できなかっただけ」みたいな説もあるしそれは独身者の俺にも刺さるけど
なーんか見た感じ、ある年齢以上の独身生活が人格を蝕んでる気がするんだよね。逆ではなく。
明確な根拠ないけどさ。
ある程度以上の年齢で独身でも心の平穏を失ってない女性は居たんだけど、
そういう人の共通点はスピリチュアル。
これはもうみんなそう。
だから俺はスピリチュアルを馬鹿にしないし世の中に大事な物だと思ってる。
実際に人を救ってんだから。
酷い搾取しない限りスピリチュアルの商売してる人達っていいことしてるよ。
おじに2人・おばに1人独身が居て、みんな結構かっこいい人生やってると思ってるけど、おばはかなりスピリチュアル。
つまり何言いたいかっていうと
俺の独身人生にも不幸や寂しさやヒネクレ中年の未来が待ってる可能性はかなり高いけど
女性の場合はそれ以上にほぼ100パーセントで爆弾岩みたいな人間になるみたいだから
今んとこ女性はなるべく結婚したほうがいいんじゃね?っていうこと。
姉がこのあいだ結婚して本当にホッとした。
余計なお世話だけどさー。
俺もあったよー
かなり大きな会社なんだけど、一時倒産しかけて銀行が入った歴史があり、
「自己退職出戻り」「リストラ→系列人材会社からの派遣」が結構居た。
無能ゆえに切られたタイプ。
たちの悪い中学生よりなお悪いぐらいでさ。
仕事おせーしできねーし、教えてもらう時の態度も異常に悪い。
なんかこっちの間違いだと思って自信満々に突っかかってくることもしょっちゅうで
聞いてた全員で「は?何言ってんの?」みたいな空気になると無言で帰っていく。
でもしばらくすると、また同じようなことして同じように無駄な時間を食わせる。
剣呑な空気を漂わせながら「ちょっとこいよ!」とかいうの。でもジジイが間違ってるだけ。
ほぼ新入社員なときに別部署のこういうジジイに当てられてデータやり取りしなきゃならなくなってさ。
3年も付き合ったよそのジジイと。
おせーし何のデータ出せばいいかわかってねーし自分の落ち度は全スルーだし逆ギレするし。
還暦間際でヒラ用の椅子に座ってて、世代的には同期や下の人間にヘラヘラペコペコしてる。
その惨めさの分、若い社員に滅茶苦茶態度が悪い。
古くて大きな会社にはこの手の老人や中年が結構居て本当に怖いよ。
別に迷惑かけられなくても見てるだけでぴりぴりするし薄寒い。
年齢のせいじゃないけどね、同じ年齢でも出来る人は人間性も頭の回転も物凄かった。
嫌いだった。不思議に夢を叶えてくれたなんて笑止。
【神】の話を聞くときはいつも嫌悪感があって、
ムズムズしてきて、嫌な感じで、身の置き方が分からなくなるからだった。
なぜだろうか?
大人は子供に【嘘】をつくのは良くないと教える。古今東西に残る教訓話はその為のものだ。
自分が嘘ついたらこっぴどく叱られる
そ
れ
な
の
に
世間は【神という嘘を黙認してる】から嫌悪してた。
【大人は神の存在を許してる=みんなそろって嘘をついてるから】神が嫌いだった。
「なぜ助けてくれるの?」「助けてくれるっていう保証は?」「その存在を誰が証明できるの?」
【あまりに不確か過ぎで胡散臭い、信用に足らない】ところも嫌いだった。
神様は人々を幸せにし救ってくれるらしいが、そしたら人生に不自由・貧困・不幸は存在しないのだから
神様なんかいるわけない。【子供にさえ論理立てて否定できる、そんな程度なのが神】で、
【こうして矛盾してるのに存在を許されて、あまつさえ信じられてる】ことに憤った。
【幽霊】も【天国・地獄】も同じだ。非科学的なのにどうして誰もその存在を否定しないのか不思議だった。
両者に共通するのは人間の死。生きている我々にはスピリチュアルな事柄であるために、
【存在しない】と断言出来ない、ということに気付いたのはある程度成長してからだった。
そして【神】も【幽霊】も【天国】も【地獄】も、あってほしかったりなかったり、
人間の浅はかな望みによってご都合主義で存在する最たるものなのだと気がついたのは近頃のことだ。
大人になった今、【幽霊】は『明らかに【嘘】だとしてもその存在を否定したくない』というのが本音だ。
ただ【神】は否定したい。存在を肯定してしまうと、この明らかな職務怠慢を追求する必要が生じるからだ。
最後に神やらご都合主義やら森見登美彦風になってしまったが、結局言いたいのは「小さい頃神様が嫌いだった」ということである。
僕は十年来の抗うつ剤服用者で、根本的に治さねばと思ってカウンセリングをうけたことが3度あるのだが、3度とも惨憺たる結果だった。
1回目は受診していた医者に進められたカウンセラーだったのだが、僕が小賢しかったせいなのか、物分りよくスムーズに治る患者を演じてしまったせいで、何も解決しないままカウンセリングが終結した。
2回目はなんかスピリチュアルなところだったらしくて、自律訓練の指導をされて(小学生の頃から自律訓練は本からマスターしていたので、この指導は全く意味がなかった)「額が涼しい」の状態に入ったところで「トラウマを思い出しましょう」「あなたのそばには誰がいますか?」「この世は魂が磨かれる場所です」などの謎な言葉をかけられるという妙な体験をしただけだった。あんなもんに通うくらいなら、坐禅組んだ後に坊さんの話でも聞いていたほうがまだましだった。
3回目は「カウンセリングは科学だ!」を標榜するカウンセラーだったのだが、到底僕にはそれが科学とは思えなかった。十数回セッションをやったのだが、僕の話したことに妙な解釈を付けて、挙句「あなたは別のカウンセラーを探した方がいい」と放り投げられた。
僕の結論は「少なくとも対話的カウンセリングは民間療法の域を全く出ない」というものだった。これから先どんなに辛くなることがあっても、カウンセリングに頼ることだけは無いだろう。壮大な時間と金の無駄遣いだと思う。
ただ、僕は心理療法のすべてを否定しているわけではない。認知療法などは正しく学んで使えば(メンタルの問題を抱えている人のみならず様々な人にとって)良いツールになっていると思う。