2023-07-16

宮崎駿鳥山明世代の「地に足をつけた現実感ファンタジーさえも描ける人」はこのまま消えていくんだろうな

世界の捉え方がフンワリしたまま絵を描く人が増えているように思う。

裸婦デッサンをやって止まった人間は描けるようになっても、走っている人間の絵を描かせると途端に線が漫画的に歪んでしまタイプ人達

たとえば走る車を描く時に、タイヤの接地と摩擦がどうなっているのかを考慮できず、エンジンで生まれエネルギーがどうやって最終的に車を走らせているのか、今どの部分にどんな慣性が働いているのかを理解しきれないまま、テレビゲーム的なパラメーターの配置で描いてしまう人が増えているんじゃないだろうか。

ゲーム物理演算あくまで「こうやってエネルギーが流れているようにすると現実っぽく見える」でしかなく、それは現実とは若干の違いがある。

現実を見てデッサンを繰り返した人と、知識を積み上げて現実を知った気になっている人とでは描くものが違う。

たとえばコリオリの力過大評価して北半球南半球で水が排水溝に吸い込まれる回転方向が変わると勘違いしてしまうようなことが、現実と向き合い続けずに頭でっかちになった人間には起こりうる。

そういった積み重ねが少しずつ絵のリアリティを増減させていく。

昔のアニメーター漫画家はそれが出来た。

現実再現として絵を描き、そこから発展させてさも本物らしく空想を広げたものだ。

漫画を真似て漫画を描き、アニメを真似てアニメを作ってばかりいる今の創作者はそれが出来なくなってきている。

そしてそのことに気づく機会さえも失われつつあるのだ。

悲しいね

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