とはいえ人間内在化したクソをいまさら一朝一夕でどうにかはできないので
親友を汚物扱いするクソ大人におもねらない高潔な人間となるよう期待するぐらいしかあるまい
長期的にはさっさと縁を切るか見切って見放して見殺したい大人としてカウントされるかもしれないがムチュコたんの精神的自立の前では些細なことだ
え?やらないの?後悔するよ? 大丈夫?
数日のお泊まりだ。
Aくんとは学校外のちょっとしたイベントで知り合った仲間。息子は彼とは大の仲良し。普段はDiscordを繋ぎっぱなしにして、ずっと一緒にゲームをしているようだ。
Aくんのおかげで、いつもとても楽しそうな息子。
うらやましいくらい。
歳は息子がほんの少し上だけど、その友達(Aくん)は、本当に礼儀正しいし、優しいし、いい子なのだ。
まあ、こんな時期だし感染予防の観点からすると友達の家に泊まりにくることの是非はあるだろうけど、それは本題じゃない。
問題は、私がAくんのことを心からは歓迎していないだめだ。私はヒトデナシだから。
Aくんが来ると、家中の至る所に皮膚片が落ちる。
しかし、白いクッションには血がつく。
ソファーにも、あとがつく。
それが身震いするほど嫌なのだ。
クッションは変えた。
Aくんはいい子だ。間違いない。
アトピーは辛いだろう。
いつもお世話になっているし、心から暖かく迎え入れたい。
しかし、私はヒトデナシだ。
部屋に落ちる落屑に目が向くだろうことを想像するだけで、今から目線が泳ぐ。
きっと、作り笑いでまた来てね、というだろう。
でも、Aくんが帰ったら、すぐに掃除を始めようと決意している。
息子にだって、こんなことは言えない。
そして、こんな嘘は、きっと彼と息子に伝わってしまうのではないかと思っている。
怖い。
ごめんなさい、ごめんなさい。
本当にごめんなさい。
私がヒトデナシだから、悪いんだ。
気が楽になる考え方を教えていただきたい。
それか、うんこ扱いしてくれ。
みつけてくれないの?(o´・ω・`o)
ぼきもそうおもいます
手書き、そしてミスが許されない文化による時間的損失は累計でいかほどになるのかと
3枚書き損じて自身のアホさ加減を知るとともに、そこまで手書きが大事なら、もうこっちの経歴データやるからそっちで手書きで作っとけよ、なんて思った
背理法で考えてみよう
尚、フェミニズム批判への反論は↓のブコメの人気コメントより抽出する(従ってこれらの反論は全て実在するものであり、多くの場合支持されるものである)
https://anond.hatelabo.jp/20200808160355
https://anond.hatelabo.jp/20200722170240
①その誤りを指摘する人が居た場合:
①ー1:その指摘はランサーズにより委託された文章であると反論する
→指摘の論理的な正誤に関係無く、ランサーズによる委託であれば誤りである、従ってフェミニズムは無謬である
→根拠は無くともフェミニズムに論理的な疑義を提示するものは反フェミである
→指摘の論理的な正誤に関係無く、反フェミの主張は誤りである、従ってフェミニズムは無謬である
①ー3:反フェミも誤っており、またフェミニスト達より暴力的だと主張する
→反フェミが誤っているならば、フェミニズムは誤っていないという事である、従ってフェミニズムは無謬である
①ー4:論理的に誤っているのはフェミニストの一部であると主張する
→あくまで誤っているのは一部のフェミニストだけであり、また研究者や活動家はそうした誤りを指摘する責任は無い、従ってフェミニズムは無謬である
→代表者でなければフェミニズムの論理的な誤りを指摘する事は出来ない、従ってフェミニズムは無謬である
②その誤りを指摘する人が居ない場合:
→誤りを指摘するものが居ないという事は誤りは存在しない、従ってフェミニズムは無謬である
⇒すべての可能性について、「フェミニズムは無謬である」を導く事が出来た。これは前提(フェミニズムに論理的な誤りがたった1つでもあったとする)と矛盾する
さて、この様にしてフェミニズムに論理的な誤りが無い事を証明できた
もっとも、論理的な思考能力がある人なら分かると思うが、上記は正確には「フェミニズムの論理的な誤りを認める事は不可能である」の方が正しい
そしてこうした論理的に無敵である、論理的な誤りを指摘する事が出来ない命題の身分は、論理的に考えられる人であれば当然理解出来るだろう
IT分野に詳しい人が多いはてなであればこう表現した方が分かり易いかも知れない
仮にフェミニズムに論理的な誤りがあったとして、それを見付ける事は出来ない
何故ならフェミニズムには①ー1~5の様な、バグの発見を妨げるコードが内蔵されているからである
これらのコードはバグを発見するテストを実行した際、「指摘はランサーズによる委託です」「指摘者は反フェミです」「反フェミも誤っています」といったダミーのエラーを出力し、バグを隠蔽する
当然ながら、こうしたバグ隠蔽コードは①ー1~5の他にも大量にある
例えば先日のananのSEX特集の件で、それらが環境型セクハラではないのか(同じ条件を満たす2つの事象の片方は環境型セクハラに認定し、片方は認定しないフェミニズムには論理的な誤りが有るのではないか)という疑義に対し
フェミニストの一部は「不快だと思う男性がananに対して声を挙げればいい」と応答した
これもまた、フェミニズム内部のバグを発見するテストを「ananへの抗議」へとすり替え、バグの発見を回避するコードである
「指摘者は自分は不快だと思っていないがフェミニズムを叩きたいが為にこうした疑義を出す」等のエラーを出し、フェミニズムの論理的な正誤は問題から外される
フェミニストによる他の応答も多くは、フェミニズムの論理的な誤りの検討に踏み込まない(あるいは、踏み込むのを防ぐ)ものだった
フェミニズム内部にはこうしたコードが大量に存在し、フェミニスト達はこうしたテクニックに非常に長けている