来る来るって何十年も前から確実に分かっていた少子化を防げなかった政治家と官僚は間違いなく無能なので、もうAIに政治やらせればいいと思うよ。
「殺しつくす」もレトリックなんて言い出したら、ネトウヨだって乱暴な表現はほとんどレトリックで実際、物理的に殺したヤツなんかほとんどいないだろう。いい加減、そういう擁護は無駄だと理解して欲しい。
なら入隊してアフリカに行く者が何人あるという話である。現状。
まったくの無意味。
夜戻ります。
お互い監視した方がよい。
両国9条とって歯止めをなくしたら
そらもう世界は混とんだと思う。
今、ドラマ、CM、バラエティ番組などあらゆるものにその手の「演出です」ってつくようになったけど、何か変わったと思っているんだろうか?
たとえば日米中露あたりの大国はだいたい北朝鮮に「勝てる」と思うんだけど、だからって積極的に「する理由を見つけようとしている」政治家は現れてませんよね
むしろ「勝てない」からこそ、「する理由がない」って話がそうやってスラスラ出てくると考えるべきであって
もし「勝てる」ならば、それこそ「する理由などいくらでも見つける」ってのが「政治家」の考えそうな話じゃんか。
「勝てるかどうか」って話に対して「する理由がない」という返事は、ちょっと違うんじゃないの。
まあ、もし「勝とう」とするなら現状相当厳しいだろな。
特に首根っこを押さえられてるアメリカに「勝とう」とするなら、まず事前準備の段階から始めて相当の計画・時間がないと無理ゲー。
少なくとも世界中でテロ組織やテロ国家を裏で操りつつ、表面上は一切それを悟らせないくらいの離れ業が最低でも必要だよな。下手に軍事行動の気配見せた段階で、在日米軍があっという間に首都占領してジ・エンド。敵国首都近郊に、戦力を明かさず一個兵団すでに展開済みの状態で開戦…って、そんなんで戦争成立させようもないでしょ。まあその条件抜きにしても、いま米軍相手に正面切って戦争したら、正直、宇宙人からオーバーテクノロジーな兵器借りても(まずその秘密を守りきれるかどうかから)「勝てる」イメージが沸かない。
それ以外の二国についても、物量、世論なんかの面で戦争継続自体が難しそうだねえ。仮に局地的に戦闘に勝ったところで「敵国に侵攻して占領」という戦いができなければ敵の撤退以上の意味はないわけで、そういうのを「勝利」と言えるのかな。まあ「負けない」ことは可能としても「勝つ」のは難しいでしょ。現代の戦争って、全滅戦でもやらない限りただドンパチで勝った負けたじゃ済まないってのは、えんえんとイラク戦から泥沼を続けてるアメリカ見ても分かるだろうけど、あれを日本が対中国、対韓国に対してできるのかっていうと……どう? やっぱり「勝ち」って光景が想像つかないなあ。
まあ、こうやってどこの国でも「相手に勝つ」ことのハードルがどんどん上がっていけば、それは望ましい方向なのかもな。そうなると結局戦争なんてアホな行為それ自体を禁止にしようぜってなって、なんのかんので条約ついでに世界政府樹立に向けて進み始めたりして、そして少なくとも「犯罪、テロ、内戦」はあっても「国権の発動たる戦争」はこの世からなくなっていくのかもしれないしね。
少し今のじぶんに酔っている。恥ずかしいが許してほしい。
こういうことを書きたくなる時がたまにあるんだ。たまにだから、いいじゃないか。仕事じゃなしに。
昨日の夜まで、生理直前ということもあってか、この世に私の居場所が1ミリも無いような落ち込みようだった。
深夜2時半まで嫌いなやつのことをだだだだだーっと怒涛のタイピングで日記書いて増田に投稿しようとしてた。
でも「確認する」ボタンを押して内容を推敲していると、なんで私が嫌いなやつのことこんなに書かなきゃならないんだ、馬鹿らしい、と思えて、しかも事細かに書きすぎたから万が一にも身バレしたら面倒なことになるしと我に返ってブラウザを閉じ、シャットダウンした。そのあとはすぐに就寝できたと思う。
「たのしい」ということについて糸井重里らしい文章でやさしく綴られていた。
はっきり言って今内容を要約できるほど覚えちゃいない。でも、心は自然と落ち着いた。
そういえば、と、ふと過去にメモした今日のダーリンがあったと思い出して読み返した。
「自分に期待する」ということを、このごろ、ぼくは言うようになりました。いま、どれほど落ち込んでいても、周囲からまったく認められていないとしても、なにか大きなハンデのなかにいるとしても、「じぶんに期待する」ことができていれば、とてもよく生きていると言えるんじゃないか。そう思ったのです。
どんなに大ベテランのプロにだって「じぶんに期待できない」という状況は降りかかてくる、と糸井氏は続けます。
まじないのようでもいい、「なんとかなる」と言うこと。
そう括った。
私は特別彼に心酔しているファンというわけではない。たまに言っていることの意味がわからないこともあれば、歳を取ったな、なんてあの人は今のような目線で見ることもある。そのくらいの距離感だけど、今日のダーリンは好きで、たまーに密かにぐっときている。
糸井氏のすごいところはとにかく「ふつう」なら考えすぎ、と思うよなことをとことん考えて、自分が納得する答えがでるまで考え抜く姿勢だと思う。
以前増田か何かで、「本当のところ」というものにとらわれすぎると大変、みたいな言葉を目にしたけど、それも大切だろう。
自分の納得できる答えがみつかるまで考え抜くことは難しい作業だし、霧の中をさまようみたいな、時には帰り道もわからなくなることもあるだろう。
普段から答えを導き出せる「じぶんに期待する」ことができなければ、抜け出すことはできないだろう。
「本当のところ」わたしは何をしたいんだ、どう生きていきたいんだ、なにが「たのしい」んだ?
いまはまだ、「なんとかなる」と言い聞かせて「じぶんに期待」することしかできない。これは根拠のない楽観視かもしれない。
無職の私はできるだけ早く次の仕事を始めたいと思っているが、よくばりになり「本当のところ」を探し始めてしまっている。
そしていろんな情報に左右され始め、目的地すら忘れ始めているようだ。
まずは、じぶんにはなにができるか、そこから進めばいいだけ。
でも、そんな自分にしかできないことがあるなら、それでお金をもらえるならそれは立派なことだ。それだけのこと。
「たのしい」は人それぞれ。きっと進んでいくなかで見つかるはず。
まずは、すこし不安定なこの私にいつも期待できるじぶんでありたい。