Twitterやブログ、果ては実名であるFacebookで意見表明してる人が多くいるけど本当に理解できない。匿名じゃない場所で意見表明してる人ってリスク管理の意識低すぎだと思う。
今の世の中、一度きりの間違いや勘違い発言をするだけで死ぬまでそのことをネタに攻められ続ける。その人がその発言について訂正しようが謝罪しようが関係ない。敵対する人達は画像や魚拓を持ち出して延々とその点を指摘してくる。どんなにいいことを発言していても「でもあいつ昔こんな間違い発言してるから参考にならないよ」と言われたら終わりだ。北海道の男児行方不明事件みたいな二転三転するような事件が起こると、多くの人がポジション取りを間違える。その結果、間違った人達は真実側の人たちにマウンティングされ馬鹿にされ続ける。匿名の場所ならばいくらでも真実側に寝返って敗者をマウンティングできるのに。
算出された目標数値が達成できないとえらい苦悩して、
一人で悩んでるだけならいいんだけど、周りに指示するから、
部下はみんな振り回されちゃって、迷惑なんだ。
なんでその関数が間違っているか、立論自体がナンセンスだからなんだけど、
朝令暮改になっていて、
クソどうでもいい作業が優先されてる。
現場作業やらせないとわからないなと思って、手順を教えてるんだけど、
そう要求すれば、なんでも人が説明してくれると思ってるんだろう、横着者。
糞コンサルは、自分がこしらえた理屈に自縄自縛になってるせいで、
そいつをスーパーバイズする人間もいないから、部署全体が硬直化してる。
ほんと生産性下がる。
一方、小説を黙読で読みまくっていても普段の会話で語彙がするする出てくるっていうような体験はあんまない気がするんだよな。
一対一で対面で学習するのが一番いいんだろな
人間というのはいつの間にか年をとってしまい、それから段々当たり前だった日常が変化していく
「僕は将来おもちゃ屋の店員さんになる!」、「学校に行って友達と話すのが楽しいな!」
しかし、そんな日はもう来なくなるのだ
中学までは義務教育でその先は受験で選択する場所がもっと広くなる
そこで様々な人との出会いが待っていると思うが自分にはできなかった
高校は私立の方に親の威圧もあり渋々入ることになったが、もう当時の記憶などあまり覚えていない
まるで空白の3年間のような感じであった
その理由としては母方の両親や親戚が東日本大震災で亡くなったことと祖父の死が同時期に起こった事である
家族の悲しい表情を眺めていてもその人達が帰って来ることはない
「その時に立派な職に就いていなければならない」、「当たり前のようにただ学校だけ行っていいのだろうか」とそんなことだけが脳裏に浮かんでくるばかりだった
自分の能力なさに情けないと感じるが、それ以上に日本はどうして基礎教育だけを重視してその他のことは教えないのか未だに考えている。
最近中学の同窓会の誘いがあったので行ってみたところ、やはり皆何かしらの成功者になっていた
ある人は大学のサークル活動に熱心になりながら頑張っていたり、プロの野球団体の入団テストにいけるまでの力を身につけた人まで様々であった
劣等感に浸りたかった訳ではないが、やはり人間の人生というのは出会った数の分だけ成長できるのかもしれない
その時危機感を感じてはいたが、自分は他人に自慢するための職を選ぶべきか、それとも本当に夢として追っていた職に就くべきかを迫られたような気持ちであった
こんな所に書き留めても何の解決にはならないと思うが、自分としては年齢は20代でも精神的には16、17歳程度に成長したと思っている
基本的な教養を十分に身につかず学校を出てしまった自分に責任はあるが、同時につまらないと感じるようになってしまったのは、これまでの日常が消えてしまったからと考えている
全く聞かないし、元々女は中身重視だろ(笑)
その話よくきくわ。年取ると中身重視になるんだよな。男も女も。若いうちは腐っても顔体なのにね