きのう久しぶりにスーパーの半額寿司買えたからホクホクして食ったらくっそまずかった
一番マシだったのが卵ってどういうことやねん
これまではもうちょっとマシな味がしてたと思ったんだが
半額でも損した気になったわ
半額で買ったっていうのがスパイスになってたとしてもこれまでの中で一番まずい半額寿司やったぞ
回転寿司行きたい
貧乏、不細工、不健康というハンディをせおっていない人に多い。
容姿、健康、金(やや金)がすべて揃っている人間が、自分にもハンディがあります、と言いたい時に頭の悪さをあげる。単なる努力不足っての。(2度言うけど)
34歳男
いろいろ人生経験が少ない気がする。
きっかけは、人生でまだ一度もラピュタを通してみたことがないことに気づいたから。
ふぐ料理屋
2万円を超えるコース料理
バレエ鑑賞
貧しい。どうしようもなく窮状極まっているせいで、露悪的な自分を吐露する体の一種の文学作品であるように読める。
そうでないのだとしたら、これは男性的な競争・張り合い思考に凝り固まってしまった故に物語の楽しみ方を見失ってしまった実に可哀想な話だ。
研究職の人は金を貰えるポジションに就くまでに熾烈な競争をくぐり抜けて「こいつには賭けてみる価値がありそう」ってことを証明してきたからなあ。テニュア取っても研究費の多くは自力で取ってこないとならないし。
まあ、業種によっては自分の給料もまままならないからそれに比べれば…ってのはあるかもしれんが、下手に給料もらっちゃうとそのぶん縛られるだろう。
これだけ繰り返し放送されているからこそアマチュアでも蓄積してきた無駄な知識を披露できるいい機会なのかも。
あと林原めぐみさんが出てたって話に対する反応とか見るとまだまだ新しいファンも増えているのだなあ、みたいな。初めて見る子もいるんだから「バルスまであと何秒」みたいなネタバレは控えたほうがいいのでは、という意見は目からうろこでした。
はてなスターがなかった頃、ブクマではネガティブなコメントが吹き荒れていた(まあ今もだが)。
「ここが間違ってる!」「それは誤りだ!」という指摘はしやすくても、
「良い記事でした!」なんてわざわざ言ったりはしない。
そこで開発されたのがはてなスターだった。
「良い記事だがコメントをするほどではない」という気持ち…それを掬い上げるシステム。
多くのユーザーがスターに価値を見出し、スターを重要なものとして扱っている。
あまつさえ「スターをたくさん付けられると気持ちが込もっていないように感じる」などと言う人も出てきている。
「良い記事だがスターを付けるほどではない」と思わせたら失敗なのだ。
連打だってしてくれていい。
友人は悪いやつではないのだが、ちょっと欠ける
予定はなくはないが調整できるだろうとOK返事をする
土日になってやっと連絡してくる、予定なんだけど、と
空けておけというなら、なぜ日時を先に連絡してこないのか
こっちの予定はがら空きでいつでも対応できると思ってるのか
その前にもこちらから何度か連絡したのに返事はなく
悪いやつではないのだが、何か足りない
中国地方や中部地方における方言で「えらい」という言葉に「キツイ」「疲れた」という意味があるところがある。
この方言を使う地方においては、本来の「偉い」という意味にも「キツイことに耐えて頑張っている」というニュアンスが加わっている人が結構いる。
そのおばあちゃんがどうかはしらんけど。
それは、レビューは商品の普遍的な価値を評価するものだからでは。
不具合対応というのはレアケースであって、それでもって出回っている全商品の価値が毀損され☆1程度になってしまうわけではない。それに、ショップの対応はショップに対してレビューするべきという考えもあるので。この場合はショップというかメーカーかもしれないが、いずれにしろメーカーサポートの評価と商品自体の評価を強く関連付けたレビューはノイズだと感じる人が多いのだろう。だから、「自分はハズレを引いたから低評価」の類は、レビューを読む人にとって誠実ではない。ネットではそういうネガティブなレアケースばかり目立ちがちで、実際の所が分かりにくいという苛立ちもある。その辺りも考慮すると、「自分はハズレ品を引いてしまったけど、おそらく貴方が入手するのは正常品なので、その場合の評価はこう」というのが閲覧者にとって役に立つ。大体怒りのレビューは短文だったり短所しか書いていなくて参考にならないのだ。もちろん、他のレビューから推察してハズレ率があまりに高いようなら、それを評価に加えた方が誠実だろうが。
結論として、商品に期待している人ほど、そういう冷静な分別がつきにくくなり、主観的な印象、感情、正義感によって強いバイアスがかかる。