俺は逆。
中身がない=追うべきストーリーがない
=一話も見逃しちゃいけないというプレッシャーがないわけで、
安心して観れるのが良い。
確立はあがるけれども、社員数が少なくて上がかなりつまっていて平均年齢が以上に高い組織だったら、いつまでも小間使いな扱いを受ける世代でもある。
うわぁ、「自分が何者かであるかは、他人の物差しによってでなく自分の意思で決めろ」と言いたくなるが
よく読んだら何処かの転載だった。
追記:引用URL無しにどこか他人の日記を転載するとか無いわー
志望している職種によって違うけど。
仕事をしたい、という気持ちがあるのは分かった。どんな仕事をなぜしたい、と言うのが分からない。
その職種をぜひやりたい、という気持ちが、学生の浅はかな誤解でもいいから出ていないような人って
言われたことを言われたままにこなすだけの人になりそうだよね、選考者は思います。
やりたいことと今やれることを客観的に自分の言葉で語れる人は好まれます。その言葉が結果的に感情表現になる。
お茶くみOL的職種の採用ならそういうのお互い茶番だと思ってるから、ぶっちゃけほとんどどうでもいいんだけど。
たぶんあなたが受けている職種はお茶くみ的な職種ではないんでしょう。
なので、御社への気持ち、ではなくて、その職種をしたいという気持ち、を話してみては。
その職種の中でこれこれこういう理由で御社が第1志望、という。
【新卒の方へ】Googleでメールを書くスピードを2倍にする方法 | ossam.jp.
一つ一つ覚えて投稿するのは大変なのでユーザーからの投稿が可能な辞書にした。
https://spreadsheets.google.com/spreadsheet/viewform?formkey=dFliZWFrVzhGanZ4cTBMb0FpbHJMRUE6MQ
お二人の記事に感謝。
(某所でたまたま見かけた日記を翻訳したものです。支障があったら消します)
こんにちは、みなさん。
ここを利用してしばらく経つけれど、私がどういう人なのか、言ってなかったので、生い立ちについて書きます。
まず最初に言っておきたいのは、私が日系アメリカ人ということです。でも、そう言えるのかどうか。というのも、私はアメリカで生まれたわけじゃなくて、国籍は日本だからです。私の姉と私は岡山で生まれました。そしてそのあと、東京に移って、6歳までそこにいました。
私の両親はしばしばアメリカに旅行したこともあって、私たち姉妹はアメリカンスクールに入れられました。そして私が6歳の時に、私たち家族はアメリカに永住するために移り、それ以後は私はアメリカの学校で教育を受けました。今はアメリカの大学に通っています。
どうして両親が私に日本語を教えなかったか、きっと疑問に思われるでしょう。両親はもちろんそうしようとしました。でも、身につかなかったのです。私たちが住んだ州には日本人はほとんどいませんでした。学校では私たち姉妹だけが日本人でした。私の友達にはアメリカ人以外には中国人や韓国人がいました。でも、私と同年齢くらいの日本人といえば、姉しかいなかったのです。
私たち以外には日本人はいなかったので、私たちは次第に日本語を話さなくなりました。私たちが内気だったこともあって、アメリカ人の友達に日本語で話しかけたりするようなこともありませんでした。それで、私は英語は話せますが、日本語は話せないのです。
私が住んでいるこの州は素晴らしいところだと思いますが、州内の大学に進んだ後、私はひどく孤独になりました。高校生までは私は誰とでも友達になりましたから、自分が学校でただひとりの日本人だということを意識しませんでした。でも、大学では学生たちは彼らの集団ごとに固まる傾向があります。中国人の友達は中国人ですし、アメリカ人の友達はアメリカ人です。もちろん例外はありますが、ごくわづかです。
私の大学には百人もの中国からの交換留学生がいます。韓国から来ている人たちもいます。彼らは素晴らしい人たちですが、私は当然ながら日本人の学生も来ていることを期待しました。でも一人もいませんでした。
私には親切な中国人の友達がいますが、私がいたとしても、彼らはつい中国語で話してしまうのです。何を言っているのか分からないので、私は泣きたくなってしまいます。時々、むしろまったくひとりきりの方がどれだけ楽かと思ってしまいます。
ハワイやカリフォルニアだったら、日本人も日系人もたくさんいるので、そういう孤独は感じないのでしょうが、私の住んでいる州ではそういうわけにはいきません。家族がここにいるのでこの州が好きです。日本であろうが、アメリカであろうが、家族がいる場所が私の故郷です。結局、自分を何と呼ぶべきなのか、私にもわからないのです。
日本語をネイティヴのように話せないとしても、私は日本人でしょうか。
私自身まったくわかりません。
私は自分が Japanese であることを誇りに思っています。でも、日本語を話せないこと、知らないことが無数にあることをとても恥ずかしく思っています。
それでもお前は酒飲みながら「イカちゃんかわいい」とか言ってるんだろ?
僕は前の氷河期に修士でどうにか就職できたんですが、経験上、就職氷河期に組織に入った世代はお得だと思います。
元々人数少ないから大組織の中でも目立つし、その世代から誰か選ぶとなると、資質・才覚さえあれば選ばれる確率がものすごくあがる訳です。
ただユルキャラがきゃーきゃー言ってるアニメって、三十路入ったあたりからしんどくなった。
昨日の面接で言われたこと。
「君はもし仮に私の彼女になったとしても、謎が多いままでいそうだよね。つまり、好きでも付き合えないような感じ」
いわんとすることは、よくわかる。自分が自分の生々しい"御社への気持ち"を話していないのが原因である。
なにを言ってもだめなのである。"御社の○○という仕事に特に興味があり、私の○○という力を利用して御社に貢献したい"なんていう感じで話してしまい、それは結果的に周りくどく、しかも薄っぺらく発言になってしまう。
私はただ、御社で仕事したいという感覚になったのである。面接をしてくださるあなたの印象がとてもいいと感じるからである。ただ単にそういう理由。理論的な理由があるわけではなく、感覚的なものなのである。
その感覚的なものを言葉にする手段を持ち合わせてなくって、伝えられないだけなのである。
具体的な業務内容に関してのことを発言したところで、実際に仕事をしたことのない学生身分が具体的な話を出来るはずもないと思ってしまう。仕事をし始めてから御社の業務範囲の中で自分の特性にあったものを探していきキャリアを積みたい、というのはいささか甘い考えではあると思うが、そうしたいのである。例えば、○社と△社の営業という仕事における仕事の差を説明しろなんていわれたって、取引する相手が違うことや勤務形態が違うとか、営業手法が違うとかそういうだれでも思いつくようなことしかおもつかないし、そんなことを発言しても全く意味がないと思ってしまう。学生が学生目線で考えた業務内容についての発言をしたとき、面接官はどんな気持ちを抱くのだろうか。そこで、学生の想像と実際の仕事像がうまく合った人を採用するということなのだろうか。
ということは、最初から仕事内容なんてやってみないとわからないという私の就活に対する姿勢は、無回答と同じような状態なのか。
感情的なものが大半を占めており、感情を言葉にのせることが下手な私は、当たり障りのないようなことしか発言できない。思ってもないことをたくみに話す学生も周りにいなくはないが、私にはそういうマインドコントロール力や知識は残念なことに備わってないし、彼らとは仕事に求めるものが違うと思うので実行しようとも思えない。
ただ、単に仕事がしたい感覚なのである。仕事をする場の雰囲気がいいと学生視点で想像するし、私自身のやりたい仕事であると実際に仕事をやったこともない学生が想像して感覚的に思うのである。
もちろん今後の生活を考えている面もあるが、世の中に対する認識が甘い私は現在のところ、金銭的にはとりあえず3職食べられるだけ貰えればいいなんていうスタンスである。
天職に就きたい。。。
P.S.ふと思ったが、質問項目の中身なんてどうでもいいのかな。話し方や仕草など、それこそ面接担当者も感覚的に選別しているのかな。。。
苦しく難しい状況になると投げちまってそれを他人に預ける
自分で決めないそうやって流され流され生きてきた
甘えを捨てろ
信じるべきは自分の力!
負けを受け入れることが敗者の誇り
躊躇っている場合じゃない。人見知りしている場合じゃない。この世のものは何もかもいつか失われていくのに、周りの誰かとの今このときの有り難い出会いを育てていけないなんて。
頭では分かっている。実際のシーンでは体がこわばるけど。
頭をよぎることはまだあって、例えばそんな切羽詰ったような気持ちでは空回りしてしまうんじゃないかとか、相手が生きていくことや人間関係をどう捉えているかはわからないこととか、そんなことだ。ぐるぐる考えながら、またいつもと同じ一日を過ごすことになってしまう。何かを進めたいよ。深めたいよ。
自民党の中川秀直元幹事長は27日、内外ニュース東京懇談会で菅直人首相の東日本大震災や原発事故への対応を批判し、「非常時の首相にふさわしくない。民主党が後継を作れないなら大政奉還するのが憲政の常道だ。(自民党の)谷垣禎一総裁が首相、仙谷由人官房副長官が副総理で、期間限定1年間の内閣なら自民、公明両党はまとまる」と語った。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110427/stt11042723000005-n1.htm
さて、リフレ派の反応が見物である。リフレ理解者として持ち上げてきた中川元幹事長が、反リフレ巨魁の一としてdisってきた仙谷副長官の下に入ってもいい、と爆弾発言したのである。
リフレ派が誠実なら、
のいずれかしか選択の余地はないんだけど、それぞれ不都合だ。1.は当面楽だけど、今後ずっと敵対していく覚悟ができるはずない。2.は、とりわけ復興国債引受の議論で、すぐに妄想であることがばれる。3.だと、1年間は国債引受の議論を封印しなければならないけど(だって、引受反対の仙谷を担ぐことを「許容」するんだから)、そんな自制を課すなんて想像できない。
さて、どういう反応かな。
物事の一面だけ取り出して大騒ぎする男の人って^^;なら大好きな話のわかる男のケツ穴でもなめてろ。
「あの人は権力に闘いを挑んだから、権力の手先の検察に潰されたんだ」
などと真顔で言う反権力信者がたくさん湧いてくるのは何故なんだろうか。
逮捕前は信用してなかったが、逮捕されたから信用できる、という位の勢い。
そういう信者を利用して、「俺が逮捕されたのは権力の陰謀だ」という犯罪者もいる。
いや、犯罪者が「陰謀だ」というのをまともに信じてしまうから信者になるのか?
空気?くっっっっだらねぇ。
グダグダ長文書いてるが、
僕たち私たちのグループごっこに付き合ってくれない人がいて悔しい!
というのしか読めない。
こだまでしょうか?を知ってるよね??