はてなキーワード: 地元志向とは
ヤマンバ、イベサー、ガングロ…ギャル・ギャル男はどこに消えたのか?
http://ddnavi.com/news/221113/a/
去年の記事だけど、わりとまともに書かれてる。
読モらの活躍などによって一般層にまで渋谷のギャル文化が流行したこと、そしてギャルファッションが産業化したことによって間口が広がり、先鋭的な部分や不良性が薄まり、ギャルファッションは普通の人のものになりました。ギャル文化はエッジィなものではなくなってしまったのです。
カラコンやつけまみたいなギャル固有の文化もいつの間にか、清楚系ビッチの中に溶け込んでいるしね。
従来の渋谷のギャルの正当な後継者には「ネオギャル」という存在があります。彼女たちはヤンキーのように地元志向ではなく、性格はアグレッシブ、経済的に余裕のある家庭出身の人が多いですね。そして文化や経済のグローバル化を非常に意識していて、ファッション面では髪の毛がプラチナのように明るく、肌は色白です。代表的なのはモデルの植野有砂さんや、串戸ユリアさんなどです。
また水商売系のギャルの一部も「ネオギャル」に含まれます。彼女たちの中には、そこで得た資金をもとに海外留学を目指す子もいますし、従来からいたような自分の店や会社を経営したいと思っている野心家の子たちもいます。彼女たちも渋谷ギャルたちの後継者といえるでしょう。
大学も院まで出てこの会社に就職したが,「院まで出てここか…」と言われること一度や二度ならず。
野球好きで地元志向の人間が多い,所謂マイルドヤンキー的人間が多い人間関係に辟易。
耐えられないと思い抜けだそうと数年間も四苦八苦してきたがうまくいかず。
とは言え,自分自身も大して頭が良い訳ではない。
むしろ知識が使えない仕事は苦手な部類。身の丈に合った就職先であるとは思われる。
また,大学もランク的には大したこと無いが,見た目の学歴だけは悪くないので,人事上優遇されている感はあり,
このまま何事も無ければ,順調に出世し,安穏とした人生を終える見込みはある。
もし,この悩みを他人から打ち明けられたら,このままここにいることを勧めると思う。
しかし一方で,冒頭の理由や,院まで出たつまらないプライドによって,自分はここにいて良いのかという,不安感や焦燥感に苛まれる日々だ。
少なくとも自分は勉強を頑張ってきた時期はあったし,そのために我慢もしてきた。
だから報われなくてはいけない,というのは幼稚な考えだというのは理解しているが,感情の根底にある自尊心や,人間関係のミスマッチが
どうしてもそれを納得させてくれない。これが自分の今までの人生の答えということを受け入れることが出来ない。
でも,もうそれを数年やってきて,若い時間を無駄に費やしていることに疑問を感じてきた。
どうすればいいのか…最近身を固める友人も少なくない。
いっそ受け入れてしまえと思えないのが苦しい。
マイルドヤンキーとは
博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダーの原田曜平により、著書『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』にて提唱した造語。
上京志向がなく、地元で強固な人間関係と生活基盤を構築し、地元から出たがらない若者たちのこと
特徴
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%de%a5%a4%a5%eb%a5%c9%a5%e4%a5%f3%a5%ad%a1%bc
2)高学歴/高年収(少なくともMARCH以上、年齢×15万円以上の年収)
3)現状に満足しておらず、キャリアアップを目指している
7)奥さんは働かせない、家に入れる
8)酒やタバコは嫌いだし、ブランドものにこだわるヤツはダサいとおもっている
9)子供は年をとってから1人、2人育てられれば良いなと思っている
「レイシストは言い過ぎ」というか、地元志向には排他性(よそもの嫌い)が伴うので、地元志向の人こそレイシストに近いと思います。
いくらなんでも自分のことが見えてなさすぎでしょう。
地元から大学進学と共に都会に出た人間だけど、地元志向の人に対して違和感を感じていた点は、所得でも知的レベルでもなく、たった一つ。
ソーシャルグラフとインタレストグラフを一致させようとすることだけだ。
言いかえると、たまたま近所に住んでいるから仲良くなった子や、たまたま同じクラスになったから仲良くなった子、
たまたま同僚だから話すようになった人に、積極的過ぎる「趣味の布教」を行う点。あるいは布教に応じなかった人を拒絶する点。
私は、近所に住んでいる人とは地域の話をすればいいし、クラスの子とは学校の課題やイベントの話をすればいいし、
同僚とは仕事の話をすればいいし、趣味の話をしたければ趣味のコミュニティに所属すればいいと思うのだけど、
地元志向の人は、"イツメン(いつものメンバー)"と全ての話題を共有したがる傾向にある。
だから地域・学校・職場などの枠組みにたまたま結び付けられただけの人に、趣味の一致まで求めてしまうんだよね。
趣味の押し付けはヤンキーに限らず、オタクもやっていた。地元オタクの友達関係も"イツメン"的だよね。
趣味の種類が、車やバイクの改造なのか、同人誌を描くことなのかっていう違いだけで、押しつけがましさは一緒。
これが嫌なんだよ。自分と興味関心の方向が何もかも一緒な人間を求めている感じが気持ち悪いって感じる。
子どもは、他人と自分の違いに対して傷つき感を覚えるらしいけど、成長に従って違いを受け止められるようになるという。
地元的、"イツメン"的な人たちは、いつまでも違いを受け止められない「子供」の部分が、
外見が太ろうがシワシワになろうがハゲようが、一生むき出しになっているようで、
それが美化されて称賛されている様子がなんだか露悪的なものに感じて、引いてしまうんだよ。
そして都市部でも実は地元民同士行われてる。このひとが地元に戻れば当然そうなるだろうし、でなければ地元でも浮いているんだろう。おいらが同じ人種だからよくわかる。
東京で生まれ育って、固定化された人間関係に満足してきた東京都民とは分かりあえないだろうし、
地方Aから地方Bに移住した人となら、もしかしたら分かりあえるかもしれない。そういう感覚です。
「自分と興味関心の方向が何もかも一緒な人間を求めている感じ」がとにかく嫌なんですよ。
お互いにその甘えを押し付け合って、依存し合って、監視しあって、縛りあっているんです。
グループ内で数多くの不文律が出来ていて、破ると「非常識だ」。
グループ内では同じものを好きになって同じものを嫌いにならなければならず、期待にこたえないと「裏切った」。
そして「非常識だ」「裏切った」と言われないで済むように振る舞えることが「コミュ力」だと勘違いしている。
これが嫌なんです。表面的に期待にこたえて何とかしのぐことはできますが、永久にこれを続けるのは耐え難いです。
彼らはそれが幼稚な依存関係であることに気付いてすら居ない。依存関係のことを「絆」と言い換えて美化している。
そして依存関係を自分と同じように美化しない人を批判して、仲間内の依存関係を強める道具として活用するんです。
よく出来たシステムだと思います。しかし私は短期的には耐えられますが、長期的にこれに耐えるのは負荷が高すぎて無理です。
いつも同じこと出来る仲間がいることが悪いことなのか? 都会でそういうものから開放されたのに、わざわざこんなの書くのは何でかな。少しでも羨ましいという気持ちがなかったといえるのかな。
都会に出てもなかなか解放されないんですよ。都会に居る人が皆そうではないという訳ではないので。
都会に暮らし、社会的地位や経済力を持っていても、「自分と興味関心の方向が何もかも一緒な人間」を求めている人は居ます。
羨ましいとは思えません。"イツメン"の内部では、イジメとは行かないレベルの醜悪な「イジリ」が蔓延していることも知っています。
(彼らはイジる側に居る時は「冗談」「ネタ」と言い張って、イジリを止めようとする人を「ノリが悪い」と批判します。
そして自分がイジられる側になると「酷いイジメを受けた」と言い張るか、自分より弱い対象を探してストレス解消のサンドバッグにします)
そしてLINEグループから外される恐怖、陰口を言われているかもしれないストレスと常に隣り合わせであることも知っていますから。
特に親しい友達が居ることが悪いことだとは思わないんですよ。私にも居ますし。
ただ、違いを受け入れられない幼稚さが気持ち悪いんですよ。
オレはこれまで一人で生きてきたし、これからも一人で生きていける強い(成熟した?)人間だ、と言いたいらしい。この強さの幻想は都市空間と若さがもたらす限定的なものなので、あまり過信しないようにね。
そんなこと一言も言ってないです。
ぼくはレイシストです。まで読んだ
書いてません…。
まるで監視社会かのような濃密なコミュニケーションネットワークだと、趣味部分への干渉も同じようになされるケースは結構多そうだよなぁ。無意識だったり善意だったりする場合もありそうだし。
だからこそ、その善意に対して不快感をあらわすと叩かれるわけですけど。
ただ「善意でコーティングされた押しつけがましさに対してストレスを感じる」こと自体は、
「おまえどこ中だよ」「イツメン最高」系の人でも経験あるはずなんですよね。
「自分の趣味を押し付けたいから、押し付けられることも受け入れなきゃいけない」という取引に縛られてるだけな気がする。
で、この「押し付けたい」が幼稚であり甘えだと言いたいわけです。
オキシトシンは中枢神経で働く神経伝達物質でもあり、母子の絆や、信頼や愛情といった感情、グループ認識などの社会的行動にも複雑に関わっている。
オキシトシンは、自分の嫌いな人が何かに成功した場合には嫉妬をかきたて、嫌いな人に自分が勝った場合には得意な気持ちにさせる、というものがある。
私が嫌悪しているものって「オキシトシン過剰」の一言で説明できるものかもしれませんね。
より厳密に言うと「オキシトシンの負の側面に目をつぶってオキシトシンを礼賛するスタンス」。
とりあえず私が作ったわけではないことだけは主張しておきたいです…。
http://j-lyric.net/artist/a00839f/l027f2d.html
地元じゃない人が多い大学でも企業でも同僚に趣味や共感を求めまくる人は一定数いたから地元かどうかだけじゃなさそう。ただ、人生で会う人間の数が少ないまま大人になることで一つしか人間関係が想像できないのかも
地元志向と「知人と自分の同一化を求める人間」はイコールではないのに、私の中で強固にイメージが結び付けられているのは、
地元志向で生まれつき与えられた人間関係に籠る人ほど「人生で会う人間の数が少ないまま大人になる」傾向にあるからかなと思いました。
でも確かに偏見でしたね。調べれば確実に強力な相関があると思いますが、イコールのように言ってしまったのは偏見でした。
内容自体は趣味押し付けてくる奴うぜーの域を出ないのだが、それを地元志向とか関連性よくわからん呼び名でタイトルにしちゃったのが残念な増田。まぁさすがにレイシストは言い過ぎだろとは思うので同情しとく。
「レイシストは言い過ぎ」というか、地元志向には排他性(よそもの嫌い)が伴うので、地元志向の人こそレイシストに近いと思います。
「地元愛」と「隣の県の人間が嫌い」が表裏一体だったりします。
うざい奴が決まって持ち合わせている幼稚さは故郷を離れてヨソモノとしての振る舞いが必要な環境にいれば改善されたのではないかと思わせられるって話でしょ?めっちゃわかる。
はい…。そういう話です…。