はてなキーワード: 集団とは
それらをすべて除外できると考えれば、増田等の「アンチ東京」の声のデカさって、逆に惨めだな。
世の中の3割にシンプルに相手されてないだけなのに、ネットっていう大声上げた奴が目立つだけの空間で圧倒的多数気取って騒いでる。
もちろん、7割の地方民を代表してるわけでもない。ほとんどからは無視されている。
で、変なやつが少ない。安定した収入が無いと生活を維持できないから。
そして東京に限らないが、職業差別をして徹底的に成金を排除する文化が維持されていて
きちんと上流階級の作法、仕草を身に着けていないと仲間に入れない。
成金を排除する理由は、家と地域コミュニティのことを考えているから。
その親兄弟、子どもがまともじゃない可能性が高いから目先の利益に飛びつかないし慎重に判断する。
団地も多いけど、身なり、歩き方、顔つき、話し方、そういう雰囲気でで人間を判断する能力が高いから
まずもってそういう危ない人間に近づかない。
結局、そういう出稼ぎの半グレ集団が標的にするのは同じく出稼ぎの田舎者。
東京を舞台に、田舎者同士で騙し合っているだけ。ショバ代は東京がいただく。
〇〇ちゃんと遊んじゃいけません!ということに忌避感を感じる人もいると思うし、俺も言われたことはないが
結局、言われなくたって聡い子は危ない子どもと付き合わないから、言っていることは正しい。
ストロー現象を防ぐため地方も地方同士で縄張り争いしているのを見るが、
結局は産業だ。人がいて安心して暮らせて文化的なのであれば人は集まるし、戻って来る。
その指摘が刺さった。目からウロコが落ちたわ。
いままで、イジメが悪いというのは社会の共通認識だと思ってた。
多くの元児童は、あなたはイジメ加害者だ、と非難を受けた経験もない。
だから大人になっても自分からイジメをするし、被害者に共感したりもない。
後でイジメに加担してたと気づいて「悪いことをしたな…」と反省することも無い。
ではモラルとは何か。
自分たちがモラルに従うのは、別に集団の同調圧力を受けたからではない。
イジメられたくないからでも、イジメに使いたいからでも無い、イジメ感覚自体が鈍いのだ。
ましてや誰かに迷惑をかけないためとかじゃない。単に流れに乗りたいだけ。
「草津町に来て謝るべきでは」虚偽認定された性交渉証言に苦しんだ黒岩信忠町長の怒り㊤
https://www.sankei.com/article/20240430-IRGZ5336PRCMFLQGJCIBE6IEPU/
性暴力って、グルーミングなどもあって自分が被害を受けていると認識するのも簡単じゃない。
自分が被害を受けたと認識できたとしても加害者を即座に告発するのは様々に障害がある。
ようやく告発する気になったときには証拠が消失している場合もある。即座に告発する場合でも証拠が入手できるとは限らない。被害の証明が難しいのが性暴力だ。
そんな状況で勇気を振り絞って告発を行った被害者に対して「本当にそんなことあったの?」と聞くことは二次加害。
そういうことを考え合わせると、事実であろうとなかろうと、セクハラ・性暴力の告発があった時点で、事実確認もせず100%「被害者」の言い分を受け入れて、「加害者」を糾弾するフェミニスト集団はどうしても必要だと考えるしかない。
その機能は残しておいて、「被害者」の告発が虚偽だと発覚した時点で「加害者」とされた人の尊厳をいかに回復できるか、そのことを研究していくことが今後必要とされるだろう。
でも政治集団が単一主張のみで集まったり、催し物をやったり、そのイベント盛り上げにアートが使われることを制限すべきかというと、すべきでないしそもそもできないとも思うわ。
偏ったイベントが行われること自体ではなく、イベントがある種の権力のようなものを纏っていることが、問題になるんではないかな。
民主主義の本質って、良くも悪くも有権者の意向が影響しやすいことだと思う。
偏差値の正規分布曲線の観点から見ると、全人口(全有権者)の半分は偏差値50以下ということになる。
なので民主主義社会とは、偏差値50以下の集団の意思が、国家・地方自治体の意思決定の方向性に影響を及ぼすことなのだ。
偏差値50以上の半数集団と、偏差値50以下の半数集団のせめぎあいということである。
なので民主主義社会では有権者同士がしばしば「エリートのおごり」だの「衆愚政治」だの「パフォーマンスに騙される情弱」だの「顔の良し悪しで投票する愚か者」だの批判が起こる。
こういうことを書くと、だったら独裁政権にするべきか。
あるいは大正時代の日本のように高額納税者の男性のみが普通選挙権を持っていた時代に戻すべきかという反論をもらう。
それについては「どちらもメリット・デメリットがある」としか言いようがない。
北朝鮮のような独裁国家は当然却下だし、選挙で容姿のいい候補者に人気が集中してそういうのが当選したりするのも、何だかなと思う。
例えばさ、災害で皆苦しい思いをしてる所に「女子だけ特別!」なんてやりに行くのとか
正直嫌がらせもいいとこだよねって思う
老若男女困っている所に「女性救済!」「中高生の女性にだけ特別な支援を!」とか
まああっちも多数の支持を得ようとも思って無いんだろうけど
とは言え現地だと(普通の仕事等でもそうだが)基本的に3K、キツく汚く危険な仕事の大半は男性がやらされている
単純な力仕事から、行方不明者の捜索…という名の、ご遺体の捜索作業の殆どは男性の職員なりボランティアが割り当てられる
男性でも、肉体以上にメンタルがやられる、とても苦痛な作業だが、誰かがやらざるを得ない仕事
そういった「誰か」は、男性がジェンダーバイアスにより半強制的に役割を課せられている現状がある
こういった現実と、『男女平等』の教育及び思想が行き届いた現代社会において
「女性だけ特別に救済を!」とやっている主張や集団を見せつけられて
「女ばっかり!」って全く思わない方が難しいだろう
人間は一匹だと、狩猟採集も農耕も非効率になるので、どうしたって集団で行動したほうがお得。
そして集団には秩序が必要で、最も簡単な秩序は上下関係を決めることだから。
それはもう、本能レベルでそうなるように遺伝子にプログラミングされてる。
そういう遺伝子を持ってない人は子孫を残せず滅んだ。
どうだろ
俺がいた高校ではそういうスポーツ系コミュ強は必ずしもトップ層じゃなかったな
新設の進学校で校庭も狭くて全体的に運動部が不遇だったのが関係してる気がしてる
その後美大に入ったけど
甲斐真知は平成3年に田之上貴裕(算数)教諭の児童だったときに、南方小学校の中庭に集団で座り込んでいたときにパンツを履いておらず、陰部が露出していたのであるが
甲斐真知は、その後に、西階中学校で、坂本春美と同じクラスに入ったので、顔にあざがある女子生徒だったが、特段に可愛いと思ったわけでもなく、田之上貴裕のときに、パンツを
履いていない状態で座り込んでいたため、陰部が見える状態にあったということしか覚えていない。その辺の世代でどうしても何らかの性的興奮というか性的興味を抱いたとすれば、
サッカー部の、中村慎治(ガチBLショタ)、延岡西高校に入ってからであると、前田千香、東京大学でも、文科3類、理科一類のごく一部に美少女はいたが、いずれも現在発見しようと思っても
ほとんど困難であるし、その種の話題も消え失せたといった状況であるという他ない。高千穂小学校だと、清崎葉子とか、甲斐沙織とか、当時であると犯罪的な刺激臭の魅力のある児童生徒も
いたが、現在では検索のしようがないし、40歳の世代ではその種の話題は完全に消え失せていると言っても過言ではない。但し、平成13年の延岡西高校が、昭和53年以来の延岡市内の
底辺高校における、美少女ばかりの高等学校を実現したのは奇跡で、うちの母親が昭和53年に入っていた商業高校の美少女率が抜群である。しかし、その世代はもはや年齢64歳に近く、そ