なんかまたやり始めたらしいのだけど。
2/3に開催なのに、一ヶ月前になっても詳細は出ず、参加費も未定のまま。やっと2000円(何に使うの?)と出てきたと思ったら、開催一週間前になって急に「懇親会があります。費用は未定」って。
こんないい加減なことで大丈夫なのか? 中で編集合戦でもやってんのか?
二年前くらいにもやっていたはずだけど、ぷっつりやめちゃったみたいだし。
昔は自分も体調悪くてもサビ残上等の奴隷働きをしていたが、すっかり嫌になった。
仲の良い友人が一人いる。真面目なヤツだ。
今日も「38度の熱が出た」とメールが来たので、「インフルエンザかもしれない、明日病院へ行け。仕事は休め」と返した。
だが友人は全く休むつもりは無いようだ。
経験上この部分で押し問答しても無駄で、雰囲気が悪くなるばかりなので、それ以上はこちらも言っていない。
しかし、どうしても本当は休んでほしい。
現に友人は、休日出勤して辛いという旨のメールを時折寄越す。心底辛そうである。
話を聞く限り、友人が休めば確かに会社は困るだろうが、いきなり潰れるような中小企業ではない。
友人も、そういう重要な立場なので、いきなりクビになるような状況ではない。
だったら!
なぜ!
休まない!
だが「道」を貫いているという達成感のようなものは、友人からは感じられない。
ただ辛いばかりの「道」だ。
そんなもの、見切りをつけろよ。捨てちまえよ。
パソコンはゲーム機の代替で、ファミコンがなかったからパソコンをいじってた。
親戚のおじさんがくれたMSXとROMカセット一つをくれたので、それで遊んだ。
なぜか、BASICに興味を持った。
MSX-BASICはひらがなが打てて、青い画面に白いひらがなが綺麗だったというそれだけの理由だった。
時が経ち、漢字もそこそこ読めるようになった小2の頃(読書が好きな子供で、小学生が習うような漢字は小2でだいたい読めたと思う)、付属の解説書を読むようになった。
実際、それはまあ面白いもので、数の加減乗除、数字や文字の表示、ループやIFといった簡単な命令について読み進めていくとブロック崩しのプログラムが出来上がったりしたのだ。
実は小学校2年生の自分は、かろうじてアルファベットが読めた。
母が「楽しいABC」という新聞広告の教材を買ったせいである。
会話編と単語編があり、母は会話編が子供向けかと思ったらしいが、自分は単語編、というかアルファベットにしか興味を持たなかった。
読み方には興味がなく、純粋に形として覚えた。
ひらがなカタカナのように、それを覚えれば音を表せるというわけでもないのに。
が、MSXに命令するときには、アルファベットという記号を使えばいいということを理解した。
まあさておき、BASICの命令が英語としての認識はなかった。
。
MとNを記号としての区別はできたが、それぞれどっちをエムと読み、でどっちがエヌと読むかはわからなかった。
IFはIという文字とFの連なったもので、その塊で意味をなしていることは知っていたが、"イフ"と読むことは知らなかった。
ブロック崩しを改造して、シューティングゲームのように自機から玉を打てるようにしたあたりで、のめり込み、「ポケットバンク トランプゲーム集」からテープレコーダーに保存して(その機種はフロッピーディスクがなかった)
プログラムに興味なんかなかった。
そうこうしてるうちに、弟がごねてファミコンが我が家にやってきた。
MSXなんか忘れて熱中した。
夢のフロッピーディスク搭載機。
ディスクステーションとMSXファンの付録ディスクにはゲームが10本以上つめこまれていて、ゲームに飢えていた僕ら兄弟にはたまらなかった。
BASICのときと同様、やはり英単語を知らぬままDOSの使い方をおぼえた。
というか、ただの接触不良だった。
っていっても、たまに起動してたけど。
同時期、PC9801がきたが、ろくに触らなかった。
いまでもエクセルをろくに使えないので、当時どのくらい使えてたかは謎だけど。
ファミコンソフトを買うお金がなかったから(実際、弟が駄々をこねればソフトなんていくらでも手に入っていたのだが、駄々のこね方を真似ることが出来なかった。いまでも出来ない)、ベーマガのプログラムをPC9801に打ち込んだりしたものの、なんだかN88BASICは面白くなかった。
弟はMSX2のときもBASICに興味がなかったので、誰にもそういう話はできなかった。
turboRが欲しくて仕方なかった。
値段は張るけど、自分でプログラムを入力すれば今後ソフト代はいらない!という狂った考えだった。
しかしスーパーファミコンがやってきて、弟に「~っていうソフトがすげー面白いらしいぞ!」っと吹き込み、弟を通じて親にソフトを買ってもらうという方法を覚え、夢にまで見たゲーム三昧生活。
その頃はMSX2のフロッピーディスクドライブの調子が悪くなり(たぶんベルトが伸びたんだと思う)
エロに目覚めてPC98のエロゲをしたり、インターネットでエロ画像を漁りたいためにWindows95をいじったりしたが、やっぱりプレステのほうが面白く、そんなにはまらなかった。
大学生、社会人になると、エクセル、ワード、パワーポイントを覚えていった。
今でもパソコンに興味がもてない。
Officeとメールとブラウザがあれば他にソフトはいらない。
おわり。
「琴浦さん」。ニコニコ動画で相当な再生数を誇り、各種サイトでも良作と評される、今季注目のアニメ作品である。
主人公琴浦春香は他人の心が読める女の子であるために、周りから蔑まれ、憎まれてきた。その結果、彼女は心を閉ざし、「離れていくくらいなら最初から一人のほうがマシ」
と孤独を愛するようになってしまう。そんな状況に一石を投じたのが真鍋義久。底抜けに明るく、エロスなことばかり考えているが、正義感が強く、琴浦もそんな真鍋に惹かれていく…
三話までの内容はまぁここらへんである。(最後に酷いボディブローがあったわけがだが)
かつて、というか2004年あたりから始まったいわゆるアニメブーム。エヴァの残滓を受け継ぎながら、涼宮ハルヒに始まるアニメの流行。
涼宮ハルヒという作品の主人公、キョンは典型的な脱力系主人公。何事にもめんどくさいスタンス、しゃべり方は早口で小難しい言葉を使う。
そんな主人公が周りのぶっとんんだ人間たちに巻き込まれつつ、物語が進行していく。ハルヒとはそんな物語だ。
ではなぜ脱力系が選ばれたのだろうか。それは主人公に対する自己投影のしやすさにあるだろう。
物語の主人公というのは、その物語の一人称を指す。言い換えれば、物語の映写機はは主人公を通じて回される。
そこで読者視聴者は、主人公の目を通じて物語に入り込む。ということは、主人公に自己を同化させることで、物語の一因となるのである。
その時重視されるのが、自己をいかに自然に同化させることができるかという点だ。
現実で考えてみればわかりやすい。例えば、我々が他人に対して「共感」を覚えるにはどのようなことが必要だろうか。
共感とは一般的に、他人の感情を動かした出来事と近い出来事を自分のかつて体験してきた出来事の中から探しだし、それと照らし合わせることで行われる。
つまり、似たような体験を自分に追体験することで、その他者と似たような感情になることで、共感を起こすのである。
ということは、自分の中にまったく存在しない経験をした他者に対しては、共感はしにくいということになる。
祖父の死を悲しむ友人に対しては、自己の中にある「何かしらの死」という体験を思い出すことで共感を起こすことができる。
しかしながら、とても小さな子供を思い出してほしい。彼らは「死」の体験がない。「何者かの死」に似た体験を自己の中から引きだすことができない。
だから、彼らは「死」を具体的にどのようなものかとらえることができない。
そのため、子供は「死」に対する共感を起こすことができないのである。
つまり、脱力系の主人公が選ばれるのは、一番適切なのがアニメユーザーに「脱力系」の人間が多いからであるといえる。
アニメユーザーたちがより容易に物語に入り込むのに適切なのが、脱力系の主人公なのである。
しかしながら、そのような脱力系の主人公に対して、アニメユーザーの飽きが見られるのは事実だ。
それの飽きに対して、一種の清涼剤のような役割を果たし大成功を収めたのが、まさにこの「琴浦さん」なのである。
真鍋はいわゆる脱力系主人公のように物事に適当に取り組む様は見せない。
自分の性欲に忠実に動くし、自分が間違っていると思ったことに対してははっきりと間違っていると言う。
確かに、「共感」という観点に立てば、真鍋のような存在はアニメユーザーとはなじまないのかもしれない。
しかし、脱力系の主人公があふれかえりすぎしまった今、真鍋のような存在は非常に新しいものとしてアニメユーザーに受け入れられた。
「人に好かれたい」っていうのと「人に嫌われたくない」のは、似ているようで大きく異なるね、っていう話を友人とした。
「人に嫌われたくない」って思ってる人は、周囲の顔色をうかがって、相手に擦り寄っていってしまう。受動的な印象。
対して「人に好かれたい」って思ってる人は、自分を売り込んでいってる印象がある。
私も友人も、人に「嫌われたくないタイプ」の人間なので、「好かれたいタイプ」の人よりも背負わなくていいフラストレーションを抱えてしまっている気がする。早いうちに切り替えることができたらいいね、って言いながらふたりで無言でうなずいていた。
詳細はこちら→http://www.softbankhawks.co.jp/news/detail/9329.html
吉田類トークショー【9日12:00~、16:00~】との事なので、9日誰か一緒に美味い酒飲んで美味いもの食べて、吉田類のトークショー聞きに行きませんかー?
はじめて見たパソコンは親が持っていたPC-9800シリーズの何かだった。
ただそれはスーファミやプレステと同列のゲームをするための箱でしかなかった。
でも高学年になり、現在よく見かけるようなノートPCが我が家に来てインターネットが使えるようになると、パソコンはゲーム機とは違うものになった。
電話線を使っていたため、限られた時間しか使えなかったものの、パソコンを使う時間は一番の楽しみの時間だった。
とはいってもほとんどの時間はインターネットをしてるだけで、他の機能は見向きもしなかった。
ゲーム攻略サイトを中心に、たまに親の目を盗んでエロサイトをみていた。
あの頃は動画なんてなくて、あっても見るのに時間がかかりすぎるので、グラビアとかアイコラとかを見るのがほとんどだった。
小学生の頃は何をしても成績優秀と言われていた自分は、背伸びをする気もあったがそれよりも純粋にこの箱の仕組みを知りたいと思ったのだ。
父親は「Windows入門」「Word入門」「Excel入門」のような本を渡してくれた。
本の中身を見た。内容はわかった。つまらなかった。
その時は何かわからないけどこれは違うと思った。何かはわからなかったけど。
中学になると部活で忙しくなった。パソコンはインターネットをするための道具となった。
おしまい。
2. ソーゾー君
>国債を200兆円発行を明言していたからこれで景気条項をクリアできる算段だったんだろうな。
これを民主党や小沢党がやろうとすると「子供達に借金を残すのか!」と
「高濃度放射性物質のガラス化や貯蔵施設の土地購入や施設建設費やそれ等の費用や維持費が払えません・・福一放射濃除去費用も払えません・・
それ払うと株主に利益配当や従業員・幹部役員の高給・ボーナス・退職金・企業年金が払えません・・
貴方達の税金使ってよかですか?御子息を原発作業員として働かしてもよかですか?
「OKww」by自民党=野党=行政府=司法=マスコミ=電力会社=経団連一同
↑売ったのに?売った事がバレて野党落ちしたのにまたやるの?
全て売り渡す気なんだな・・
「自民党=司法=行政府=マスコミ=工作員=銀行家」の手口part2
http://blog.livedoor.jp/z400kai/archives/20984751.html
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1353851390/
素人とセックスするって言うのはコミュ力の高いイケメンでもそれなりのコストを要する。
イケメンでもなんでもない自分としては想像しただけで気が滅入る。
イケメンの更に数倍努力しなければいけないことはわかってるのに
イケメン並の努力ですら「大変なんだろうな…」と思ってしまう。
ちゃんと最低限の情報収集してればソープランドが提供するサービスの質は馬鹿にならない。
というかソープ嬢ってすごくきちんと仕事してるなあ偉いなあといつも感じる。
「ファッションから話術から精神からフルチューンしたうえで1000回ナンパしろ!」
確かにこれ全部やれば彼女一人ぐらい出来るかも、という意味でなら説得力を感じるけど
道で1000回ナンパする奇人だらけにならずに済んでるのだと思う。
不満を持ったり馬鹿にしたりしていることもあると思う。
凄く汚い格好でアイドルのおっかけをやってる男は居直りすぎだと思うが
小奇麗程度の格好で努力をせずにたまにソープに行く自分が見下せる話でもない。
どうしてあんなにリソースを割けるのだろうか。
余計なお世話だな。
短大、専門なんかもけっこういる?
就職するのもいたりするのかな?
自分の高校の底辺がどういう進路に進んでるのか良く調べておいた方がいいよ
高校に行っていないんでしょ、おじさん
http://anond.hatelabo.jp/20130120121044 発達障害と認定されても何も変わらなかったを書いた
発達障害持ちのにきび跡、肌荒れ酷い、不細工、腎臓疾患持ち、身長170cmどまりの超低スペック高校1年生です。
病院でもらったステラトラという薬を毎日飲んでいますが何か変わった気はしません。
前回の増田で「世の中の発達障害の定義が広がりすぎているだけだから気にしなさんな」というアドバイスを何件かいただきました。
小さい頃から箸の持ち方がおかしい、文字が汚い、自称進学校で成績は底辺、ノートを取るのが苦手、小学校の通知表のお片づけの欄は6年間ずっと△だった、靴ひもが今でもなかなか結べない、通学鞄がプリント、文房具でぐしゃぐしゃ、自分一人で勉強できない
自分の気持ちの中に単なる無能なバカより発達障害の方がまだマシという気持ちがあるのかもしれない。
発達障害だとしても何も変わらないはずなのに
取り敢えず老婆心ながら言っておいてやるけど、他人の名前をわざと間違えて嫌味を言う人間には、誰も耳なんて傾けてくれないよ。