はてなキーワード: 言語野とは
小さい時から、説明のつかないことは言わない。泣きわめいたりしない。という特質があった。
自分のstatusとしてすべて言語で説明してたらしいし、家族もそれを無意識に、私に求めていた(ちょっと事情があって)
結果。3歳でノイローゼになり、1年、家族からも完全隔離されて、ひとりで過ごした。
感情や思考がロックアップした結果、食がとれなくなり、眠らなくなり、内臓器官的にも自己消化まで起きたりしていた。
全身で、生きるのを拒否、この世から自分を消し去ろうと、身体のシステムが全力で突っ走っていった。
無感覚の生活に閉じ込め、自爆しようとする全細胞が沈静化するのを待つしかなかった。
その後も自分では解らないこと・説明できないことは、その場の文脈から推測して「説明」していた。
「説明」は状況に矛盾しないため、受け入れられやすかったが、実感には裏付けされてなかった。
そうして、自分の感情・感覚と言語野が、どんどん乖離して行き、自分で自分が信じられなくなる。
理由なく湧き上がる感情、そういったものを発現させることができないまま、進む。
演奏してる時間だけは、何かが一致している、と感じることが出来た。
こうしてさらに、社会性のない人格になっていくが、音楽で出会った人が、それに気づいて、深みにいる私を取り出した。
「お前は、お前の思っていることを、何一つ話していない」
以降15年以上をかけて、社会へ適応する訓練を続けて今に至る。
それがなかったら、とっくに、社会からログアウトしてただろうなーと思う。
賢い娘さんが、2歳をこえたあたりで、苦しんでいる。
ご両親も大変かしこいため…賢さの陰に、こんな可能性があるのを知らないな、と思う。
自分のあまりに個人的な事のため、これを「説明」として話すことが私にはまだ出来ない。
落第騎士を文句言うためだけに見て毎回実況して実況まとめまで作って増田でレビューまで書いてた無職で躁うつ病の某はてなアイドルについての話。
落第騎士アンチが実況の構えを見せた!— 救空【スクエア】 (@sikaku615) 2015, 11月 1
一輝君にある最弱設定は最初から魔力とかに関する部分だけなのに、拡大解釈して何もかも最弱じゃないと気がすまない人だ……。— 救空【スクエア】 (@sikaku615) 2015, 11月 1
マジでこいつ何言ってるのか分からんな。アンチこじらせると脳の言語野損傷するのかな。— 救空【スクエア】 (@sikaku615) 2015, 11月 1
見て「つまらない」って言ってるだけなら個人の感想なのに、説明されていることすら忘れて勘違い垂れ流すからただの馬鹿なんだな、ってなるじゃんね。— 救空【スクエア】 (@sikaku615) 2015, 11月 1
そもそも現実世界でも人によっては可能だし、実践はともかく思いつくだけなら誰だってできるようなことを、架空の世界の登場人物が実行してるだけなのに「超人」とか言っちゃうあたり、もう「無理」だよね。どう頑張っても。— 救空【スクエア】 (@sikaku615) 2015, 11月 1
小学生ぐらいの主人公が身の回りの小さな事件を解決するだけの話でも、この人にとっては超天才たちの繰り広げる俺TSUEEEEE推理劇ってことになりそう。— 救空【スクエア】 (@sikaku615) 2015, 11月 1
幼稚園児が自分の名前をひらがなで書いたら「ひらがな習うのは小学生だろ! 幼稚園児が自分の名前を書けるなんておかしい!」とか言っちゃいそう。許容域が狭すぎて現実より不自然。— 救空【スクエア】 (@sikaku615) 2015, 11月 1
やっぱり「知らないということを知る」ってのは大事だよね。現実世界の全てを掌握してる人間なんておそらくいないように、人間の知識や経験はいくら頑張ろうと限られていて、フィクションを見るに当たってはそれ以上に自分はその世界に関して「無知」だって知らないと。— 救空【スクエア】 (@sikaku615) 2015, 11月 1
現実世界からの類推もある程度有効ではあるだろうけど、その類推から外れたときに、すぐにおかしいと喚きたてるんじゃなく、周辺情報を拾うことぐらいはしないと。— 救空【スクエア】 (@sikaku615) 2015, 11月 1
わざわざ叩くためだけにアニメ見続けるよりはさっさと撤退した方がマシだと思うけど、「×話で切った」自慢が自慢として成立すると信じられる感覚は理解できない。— いのり@JC2 (@srpglove) 2015, 11月 1
書きたいことも書けることも、とうに尽きたように思う。
それでも何かを言いたいとは思う。何かを言わねば前に進めないと思う。
誰の身にもならぬ、脳みそを通り抜けていくような根拠のない戯言しか言えない。自分ではそう思っている。
しかし気が向けば何か書きたくなる。ふと「アウトプットせにゃあな」と突き動かされるときがある。
真っ白なルーズリーフやレポート用紙に、作っては放置してきたネット上のブログに、こういう擬似匿名メモ帳に、
書いて何が起きるか分からない。何も起こらないことのほうが多い。
それでもこうしてローマ字入力し文章を書いているのはきっと、何かが起きるかもしれないという「可能性」があるからなのだ。
現状を変えたいが、体を動かし時間と覚悟を尽くして動く勇気がないゆえに、
頭と手だけを動かし、実際にいてくれるかも分からない読み手に向かって、届くか怪しい文章を書いている。
何かが変わるかもしれない可能性を生みつつ、申し訳程度の向上心があることを確認するために、自分はキーを叩いているのだ。
読み手にとって意味があるかは分からない。読み流して、次の日にはまた別の記憶で無意識に押しやってしまうくらいに、無意味である場合のほうが多いだろう。
それでもこの文章に何かを感じ、何かを見出し、何かを言ってくれる人がいる可能性があるのもまた確かだ。
読んでくれる人にはお礼を言わなくてはなと改めて思う。
女性の脳には言語野が2つあって、インプットとアウトプットを同時に出来たり(だから、同時通訳者は女性が多い)、同時に2つの会話を処理出来たりする。だから、テレビと電話は両立できることなので心配いらないよ。
この間、電話中に話がこじれて、私が怒ろうとしたとたんに彼氏が「おれ、鬼平犯科帳見ていい?」と言い出したときはブチキレたけど、よくよく聞いてみたら私を怒らせていることに気がついてなかったみたい。その時点まではテレビはBGMで流していただけなんだけど、面白くなりそうなんで集中したいと言っただけなんだってさ。そんなこと電話のこちら側ではわからないから、こちらの気配が読めない人は電話しながらテレビ見ちゃダメだと思う。