はてなキーワード: 大宅壮一とは
ミーハーとは、1927年(昭和2年)に公開された松竹映画『稚児の剣法』でデビューした林長二郎(後の長谷川一夫)のファンのために作られた言葉である。松竹は林のデビューに当たり、当時で二万円という巨費を投入してこの美貌の俳優を売り出した。林はたちまち若い女性の間で大人気となり、彼女らが好きな「みつまめ」と「はやし長二郎大好き人間」を揶揄してできたキャッチフレーズが「ミーハー」だった。
90年前から人間の性質は変わらないし進化しないのだと知って落胆よりも逆に安堵感を覚える。
これだからミーハーはと怒るよりもこの人間の性質を活かして商売した方がストレスで寿命が縮まないのも分かる。
一億総白痴化(いちおくそうはくちか)とは、社会評論家の大宅壮一が生み出した流行語である。「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまう」という意味合いの言葉である。
70年前の単語のこちらも合わせて。
映画「シャーロックホームズ」で左上に表示されるテロップに苦情殺到 #ntv #シャーロックホームズ - NAVER まとめ
↑の件について思う所がるので書きます。
個人的には、こんなテロップが出る映画放送は嫌なので観ません。
でも、高齢化が進む中で、広く開かれたメディアが、知的な能力が減退したお年寄りにも観てもらえるように作られるのは、不可避だと思います。これは反知性主義とはちょっと違う。いわば「福祉化」です。
行間を読むことや解釈をすることといった「知的な楽しみ」がなければ文化は成立しません。が、その一方で、知的な能力によって文化から排除されてしまう人が存在することや、ましてそういった層が増えていってしまうことは好ましいとは言えないでしょう。
かつて大宅壮一はテレビの登場で「一億総白痴化」なんて言って、これは典型的なニューメディア悪玉論ですが、今後「一千万認知症時代」がやってくるのは、間違いありません。大きなメディアは、より分かりやすくせざるを得ないでしう。
かつてインテリ貴族だけが独占していた「文化」なるものは、社会の変化とともに大衆化し、これから先は高齢化・福祉化していくのでしょう。私たちが望むと望まざるとに拘わらず、川は流れます。
もちろん、高齢化で、社会の構成員全部の知的な能力が減退するわけではなく、若者や、元気なお年寄りだってこの先もいっぱいいるはず。
大事なのは、選択肢が存在し多様性が確保されているということです。
ただ「選択」ということを考えると、無料で広く流れるメディアはやはり福祉化して、能力的な問題で選択肢が制限されがちな「録画もデータ放送もよく分からない認知症気味の独り暮らし」に向けた工夫をするのは妥当かもしれません。
地上波のようなメディアが、映画を(著作権者が許可する限りにおいて)分かりやすい編集で放送する一方、BSやDVDでオリジナルのものを「選べる」なら、まあいいんじゃないかと私は思います。
それに「『ちゃんとした作品』を楽しむためにはお金が必要」というのは決して間違いとは思えません。
また、この多様性の中で、作り手(著作権者)が「この作品は、分からない人には分からなくていい」として、福祉化を拒否するのも、もちろんあり。それはそれで作り手の「選択」ですね。
懸念があるとすれば、地上波のような無料のメディアがお年寄り基準で福祉化していく一方で、経済的にひっ迫している若者が有料のメディアからも疎外される傾向が出てきてしまうことかな、と。ただこれは、メディアじゃなくて政治の問題でしょう。
日本では憲法でも最低限度の「文化的な」生活が保障されているわけで、老若男女問わず、適切に文化に触れことができる状況を用意する責任が国にはあると思うんですけどねー。