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2011-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20110320133158

理屈バカの俺がまったくの初心者がとっつきやすい本を紹介するぞ。

調理に入る前に気分を高める本

フランス料理の学び方―特質歴史 (中公文庫) 辻 静雄

歴史からフランス料理考察している。

現存する料理の原型から考察することで、個々の調理工程化学的な本質が見えてくる。

たとえばシチューカレーの"ルー"とはどういう必要性で、どういう技術革新によって、どういう世界で生まれどう発展したのか、という感じの書き方。

右手包丁左手醤油 (文春文庫PLUS) 小山 裕久

これは文化論的なエッセイ日本人にとって、という視点が強い。

日本料理神髄 (河出文庫)小山 裕久

右手包丁ほとんど読み物だが、これはずいぶんと理屈っぽい。

大使閣下の料理人 (モーニングKC)西村 ミツル, かわすみ ひろし

漫画。とにかく気分が高まるから読んどくといい。

技術

家庭科の実習書あたり。

食品成分表をあわせて読むこと。

応用編

・割合で覚える和の基本 村田 吉弘

今日の料理で連載していた人気コーナーを本にしたもの。

割合で味付けを決めてしまからかなり乱暴だが、味見しなくともそこそこ美味しい味付けになる。

・大好きな炒めもの ウー ウェン

中華はとりあえず味覇(ウェイパー)という調味料さえあればなんとかなるんだが、それを使わないならこの本。

中国食文化に関しても触れていて◎

2011-01-10

http://anond.hatelabo.jp/20110109234620

そういう人たちの互助会?みたいのがあるらしいよ。

「わが家の母はビョーキです」というお母さんが統合失調症マンガ家エッセイマンガに書いてあった。

1巻と2巻通して読んだけどかなり壮絶。でも最後の方で色々病気との付き合い方がわかってくる。

そのとき出てくるのがその互助会みたいなやつ。

やっぱりアドバイス聞けたり理解者がいるってだけでストレス全然違うみたい

統合失調症って防衛反応の過剰な発露だから免疫の過剰な発露がアレルギーたいなもん)、不安とかストレスが大敵なんだよね。その互助会みたいのがあると思うだけでその辺がだいぶ軽くなるみたい

2010-11-09

結婚メリット

結婚メリットが全くわからん

二人とも子供は欲しくなくて、ただ老後を一緒に生きて行きたいと

いう理由で結婚することになったんだが、あとは同居人がただ一人

増えるだけという印象しかない。

金もないので、車も持てない、借家も駅チカは無理。

おそらく婚約者正社員で働かないので、俺の少ない稼ぎが生活費

ほぼ回る。俺が自由に使えるお金は微々たるものだろう。

ここまで我慢して返ってくるリターンってそんなに大きいのだろうか?

打算的かもしれないが、結婚してよかったというエッセイのほとんどが女目線で

男目線のエッセイも見てみたいものだ。

2010-10-16

はてな匿名ダイアリー

たかがコピペ相手にそこまで憤慨している増田が怖すぎる。 思い込みが激しすぎるというか、独善的というか。 リアルでこんな人と関わりあいたくねえええええ. Permalink | トラックバック(0) | 23:34 はてなブックマーク このエントリーブックマーク ...

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2010年10月14日 ... 株価チャートソフトなら「トレンド」「転換点」がひと目でわかる増田足。デイトレードの基本テクニックやノウハウ日経平均(225先物)など株価に関する情報もご提供しております。

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2010年10月14日 ... ますだおかだ増田ブログますだおかだ増田ブログです。漫才師 ますだおかだ増田 公式ブログ.

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2010-08-21

http://anond.hatelabo.jp/20100821170042

どうもこのバカは耳に痛い話は聞き流しそうな感じがあるから

ググれって言ってもググらないかもしれない

「緊急外来」でググって上位に来たものから貼っておくね

病院の緊急外来の説明文や医師エッセイが多い

緊急外来では、急性心筋梗塞やくも膜下出血、ドクターカーと共に挿管され搬入される重症な急性心不全など

生命の危機的状況にある患者様に対し、医師看護師検査技師、救急隊が協力し合い、チーム医療を行っています。

外来受診者数は、年間約5,800人、1日平均16人、多いときでは1日20~30人の救急患者を受け入れています。

どう?

「肌がピリピリ痛い!」っていうあなたがこの中に入って16個しかない席を奪うのって正しいかなあ?

救急外来では、重症度を優先して診療を行っています。

重症患者様を治療中の場合入院中の患者様の緊急治療中の場合などには、診察までの待ち時間が長くなることがあります。

夜間・休日は、緊急的な検査のみ行っています。

応急処置のため原則として1日分(翌平日まで)の薬しか出ません

どう?

実際あなたが緊急外来に行ってもあなた自身、ニーズにあった診療は受けられないよね

当院は、第三次救急医療施設として救急医療に積極的な姿勢で取り組んでおります。

他の大学病院の中にあっても救急の来院患者が極めて多く、毎日、大田区はもとより区外、

近県からも救急車等で患者さまが搬送されてきております。

どう?

本気でこんなとこに入っていくつもりだったの?

命に関わる修羅場に混ざって、「帯状疱疹が痛いんでチュ」って?

まーすっごい厚顔無恥DQNなら出来るだろうけどね、実際居るらしいし

救急外来DQN患者

http://sagisou.sakura.ne.jp/~sakuchin/kazumi/02/79.html

どう?

実際「緊急外来」でググってトップに来るのは医者が書いたこのページだよ

あなたみたいなアホが必要ないのに押しかけて迷惑をかけてる話

2010-08-18

お気に入りにしてた人が喧嘩を始めた

その人はいろいろマニアックネタを拾うので、お気に入りにしていると面白かった。

ほどなく向こうからもお気に入り登録が来た。

その人はお気に入りお気に入られよりだいぶ多く、相互を作法とする人かもしれなかった。

その後、その人の特に面白いブックマークには感謝をこめた星を送ったりするようになった。


ところでその人には文才があまりない。

ダイアリーも結構熱心にやっておられて

エッセイレビューセルクマで流れてくるんだけれど

ちょっと文体過剰と言うか芸風過剰が目に付く感じで

内容や文章力いまいち

つくブックマークも一桁から10前後が多い。


その人のブックマークコメントが不穏な感じになってきたのは数ヶ月前からで、

たまに「人の書いたものに好き勝手いうクズども…」みたいなコメントを見かけるようになった。

あまりブクマコメントを書かない人なので、生々しい感情が伝わってきて「おや」と思っていたが、

最近になって、そのような発言の原因らしき物を知った。


私がたまたま見落としていたその人のダイアリーのとあるレビューで、

その人としては珍しく100を越えるブックマークを得て、しかも賛否両論だったのだ。

ホッテントリに大量につくような「バカ」クズ」的な激しい非難はほぼ無い。

単純に、賛成と反対。褒めてる人もちゃんといた。


しかしその人はこの反響に強いショックを受けて、一種心を病んだらしい。


というのも、

よほど変な記事でなければ10前後ブックマークでは無言か同意のコメントしか付かない。

ブクマが3桁に入った辺りから反論や否定のコメントが様々付き始めて世界が変わる。

その人は剛毅というか無頼な感じのする文体や口調に反して

かなりナイーブな人なのだと言うことに私は今頃気が付いた。


私もダイアリー匿名ダイアリーホッテントリを出したことが十数回はあり

賛同コメントだけでなく、反論、批判、間違いの指摘、バカ呼ばわり、人間やめろ、

性的コンプレックスプロファイル有村さんの強引な自分語りと、あらゆるDisコメントも付いた。

と言ってそんな挑発的なエントリなどは書いていない。それでもこのようなものだった。

元々ネット中毒のケがある私はこれも反響のうちとして楽しんだ。

ご批判も罵倒レスポンスのうち。無反応が一番辛い。

中には本当に鋭いミスの指摘、的中プロファイルなんかがあり、これもギクリとしながら楽しんだ。

私より高い頻度でホッテントリを量産するような人達は皆もう

Disコメントから何かのフィードバックや自省を得ることはあっても

感情的意味では眉も動かさないだろう。


ただこれは本当に正しいのか。

ネットで文を発表する人全員にこのスタンスや厚い面の皮を求めるべきなのか。

私自身、過去この問いかけに「批判が怖けりゃ何も書くな」なんて言ったことがある。

が、顔も知らないとはいえ、自分が好意を持っていた人が傷つき、

現在進行形で狂を発しているのを見て、今更図々しいが、疑問を持ち始めた。



その人は今も喧嘩ブクマコメントの量が減らず

「敵」と見なした相手に手広く敵意のコメントidコールを撒き散らしている。

パッと見ギョッとするような好戦的な人物に見えるだろうが

怒りと興奮ばかりが見えるその人の口汚さは拙く、あまりネットで口で戦ったことが無さそうで、

私にはむしろ傷心の深さとしか見えない。

2010-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20100811204717

流行は作られるか、どこからか発生する物。

流行らせたい物を「これから流行るのはコレ」「通はこういう物に手を出している」とか記事を書いて流行らせる。

もしくは、有名人ブログエッセイなどで取り上げられる。ファンなどがそれを追って買ってみる。

それって、「情報強者」を気取ってるネット民の行動様式そのままだよね。特にApple製品スマートフォン信者

http://anond.hatelabo.jp/20100811203230

流行は作られるか、どこからか発生する物。

  • 流行らせたい物を「これから流行るのはコレ」「通はこういう物に手を出している」とか記事を書いて流行らせる。
  • もしくは、有名人ブログエッセイなどで取り上げられる。ファンなどがそれを追って買ってみる。

って感じで流行が出来たらあとはバラエティ番組ワイドショーの特集なんかで「売れてます!」って言われて加速して・・・って感じじゃないの?

日本人は、売れ筋とかランキングとかに流されやすいみたいですし。


そのヘアブラシも、どこかの有名人が使ってるとか言ってたんじゃないですかね?

一昔前の「みのもんたがいいって言ってた」と同じような感じがします。

2010-07-29

妊婦馬鹿

妊娠関連の書籍やグッズのレビューを見てみるといい

思考力を放棄したお花畑ばっかりだ

鋭い感性で鳴らした作家妊娠出産エッセイでは途端に劣化

女が馬鹿だとは思わないが妊娠中の女は馬鹿だとしか思えない

2010-07-07

東大の入学手続きの日、教養学部教員エッセイ集を購入した。載っていたエッセイの内容はほとんど忘れてしまったが、その中で妙に心に残っていた言葉がある。多分柴田元幸先生エッセイだったと思うのだが

東大生」という自意識からはできるだけ早く脱却することをお勧めする。

多分こんな感じの言葉だった。それから一年東大生という自意識からも、教養学部の巨大さの中での孤独感からも抜け出せなかった僕は徐々に鬱々としていった。本郷にはなんとか進学できたものの、その直後に休学。十数年経った今でも鬱々とした気分は付いて回っている。

今でも時々考えることがあるが、あれは必要な回り道だったのだろうか。自分の生活を律することもできず、学校にもなかなか行けなかった僕は、学生時代をほとんど棒に振ってしまったようなものだった。特に教養学部前期課程という、その気になればなんぼでも学ぶことができたはずの一年半を棒に振ってしまったのは今でも悔しい。可能なら今からでも入り直して駒場で学びたい気分だ。

そのかわり、高校の頃にはほとんど見ないようにしてきた自分内面と向き合う時間は得ることができた。(とは言っても一人悶々と発散する先のない遅すぎる反抗期に苦しんでいるだけだったのだけれど。)高校時代はほとんど「文系」の本などは読まなかった僕が、心理学の本をきっかけとして哲学や禅の本などに挑戦することもできた。(未だに自分内面との折り合いはついていないが。)本郷では、学校に行けなかったが単位は必要だったので、教科書を死ぬ思いで読破した。ひょっとしたらこれが初めて本当に自分勉強をした経験だったのかもしれない。(未だに文章を勝手読みしてはしょうもない勘違いをしたりするが。)

何が言いたいのか自分でもよく分からなくなってきた。なんでこんな話を書きたくなったのかもよく分からない。

2010-07-01

この国に希望はない。

妻が子どもに興味を持ち出している。結婚二年目。

子育て関連のエッセイ本とかニヤニヤしながら読んでる。

僕の服の袖をくいくい引っ張って、子連れを指差すことが何度か。

付き合っている時からいつかはとは思っていたけど、そろそろなのだろうか。

僕も彼女との子どもが欲しい。じゃあ、作ればいいじゃないか。それがそう簡単な話しにはならない。

今は共働きだからそれなりに余裕ある生活(といっても海外旅行とかはできない)ができているけど、

妻が仕事をやめ、収入が減って生活費が増えるとなると、途端にもう無理だ。

きちんと計算はしていないけど、病院代や服代、新しい家具やその他諸々。

周りの助けを借りたってどうにもできない額になる。いや、できないことはない。

でも、育てるなら私立のきちんとした学校に行かせたいし、塾だって考えている。

視野を広げるために最大限の情操教育をしてあげたい。

そうしなきゃ、強い大学には入れないし、強い企業にも入れない。

結果的に子どもが不幸になってしまう。それは嫌だ。

高校無償化への批判があると知ったときに心底ぞっとした。

お金がない子ども学校に行けないとどうなるか。

学校に行けずにきちんとした学力をつけられないとどうなるか。

その子ども犯罪に手を染めるかもしれない。

そうすると犯罪率が上昇し、社会不安定になる。

その子どもが更なる不幸な子どもを量産し、不安が広がっていく。

不安が広がっていくと我が子は私立に入れようと階層化が進んでいく。

階層化が進むと教育にかかる費用もぐんぐん上がっていく。

まともな人間はその額に躊躇し、子どもが産めなくなる。

少子化がどんどん進み、不幸な子どもたちだらけになる。

不幸な子どもたちだらけになると、将来の科学産業を支える人間がいなくなる。

そして優秀な人材はいなくなり国は滅びる。

みんなDQNや不良は一人でも少なくなって欲しいと思うはずだ。

その唯一のチャンスが学校教育なのに、想像力のない言葉によって機会が失われていく。

結婚して子どもを作って家族になる。それって当たり前のことだ。

当たり前のことをするのに、何でまず初めにこんなことについて考えなきゃいけないんだろう?

2010-05-25

http://anond.hatelabo.jp/20100525163011

どういう視点っと言われると、説明しにくいなー。

もっと混乱するかもしれんが、議論の前提の問題があるのかな。

あっちこっちで議論めいたものは見るけど、

よくあるパターンとして、前提条件を追加しながら自分に有利?な展開に持っていこうとするというのがある。

「A>Bだよね?」

という話が合ったとして、それは確かにA>Bなんだけどここに条件を加える。

現実はBにはCが追加されることが多いから、A<B(+C)だよ」

これは新たにCという条件が加わり不等号が見た目で逆になった。

この追加の条件次第で結論がガラっと変わる。んで、だから俺は正しかろうと見せる。

581君の主張は、

ラノベ+ラノベ=2の得

ラノベ+小説=2.5の得

という所。

ここに585が新たに前提条件を加えて、ついでに曲解した。

ラノベ+空いた時間(ここ曲解だと思う) VS ラノベ+小説

空いた時間vs小説は、前者が何か決まってもいないし比べにくいので判断できない。

よって581は偽である。

っと〆た訳。

ここに例えば俺が、納得させやすそうな条件を追加して突っ込むとしたら・・・。

前提として、同じ量の文章を読むと仮定する(ラノベのが短いのかな?w)。

585君の要素も追加する。

一方で、「人生時間が有限である」については、

小説1冊と人生時間はえらい開きがあるので無視する。

すると。。。

ラノベ+空いた時間+ラノベ VS ラノベ+空いた時間+小説

になる。

ここで、バラエティに富んだほうがいいであろうという、

一般的な確からしい理屈を持ってくることが許されるなら、

後者の方が良い。

 ・・・こんな感じでどうでしょう

てか、ラノベって面白いの?見たことないや。

小説や紀行とかエッセイはたまにみるけど。

面白いものがあるなら見てみたいな。

2010-05-23

大人になって読み返したらスゴかった 「英文標準問題精講」

「英文標準問題精講」(原仙作 著)。第5訂版。初版はなんと戦前の1933年。今も本屋大学受験コーナーに行けば売られている、参考書古典中の古典である

 10年くらい前だろうか。大学受験する時に買ってはみたのだけれど、さっぱりわからんと放り投げたこの参考書を、なぜだか分からないがふと思い出し、本棚の奥からひっぱり出してふむふむと読み進めてみたら面白くて止まらなくなってしまった。今では、寝る前に2、3本の例文を読むことが最近の日課になってしまってすらいる。

 アマゾンでの散々な評価[amazon:英文標準問題精講]で見れるように,この本は確かに受験参考書としては使えない。より解説が豊富で効率的に要点を学べる本が山ほど出ており、純粋受験生の実用性でのみ評価した場合、もう役目を終えていると言っていいかもしれない。

 しかしそれでも本書の魅力自体は色あせていない。「英文標準問題精講」が持つ最大の魅力は、その全例文が近現代史に名を残した偉人たちの言葉で綴られていることにある。例えばこんな具合に。

 Contemporary events differ from history in that we do not know the results they will produce. Looking back, we can assess the significances of past occurrences and trace the consequences they have brought in their train.But while history runs its course, it is not history to us.(隷属の道より)

 改めて読み直した時、私は経済学者フリードリヒ・フォン・ハイエクによるこんな論考が受験参考書の「例文」して、ごく当たり前のように取り上げられていたことに、まず何より驚愕した。なんていうハイレベル自己満足をするのだろう!そりゃあ今時の高校生が読んでもわからないはずだと思った。とは言え、ハイエクの他にもラッセルアインシュタインスタインベックなど一級の知性がしたためた文章が載っており、英文エッセイ集としての魅力は廃れるどころかむしろもっと再評価がなされるべきではないか

 本書の内容は多岐にわたり、しか普遍的なものだ。幼少時代についた嘘についての体験談から、「知識は人間幸せにするのか」「芸術や詩歌の意義」といった哲学的なテーマまで。かつての知識人達がいったいどのように感じ、考えてきたか、その一端を垣間見ることができてとても興味深い。

 私の場合、読んでいて特にハッとしたエッセイが、ヘンリー・ミラーの一文だ。

 What makes a book live? How often this question arises! The answer, in my opinion, is simple. A book lives through the passionate recommendation of one reader to another.Nothing can throttle this basic impulse in the human being.

 すぐ忘れ去られる本がある一方で、何十年と長く読みつがれる本があるが、その違いは何か。長生きする本は、その当時最も売れた本でもないし、一方で最も正しいことを書いた本でもない。それはただ、その本に気をとめ、大きな声で推薦する声が途切れなかったから長く、生き続けてきたのである成熟された、いい考え方だと思う。

 私もヘンリー・ミラーに習って推薦してみたい。これは大人のための英語学習書だ、と。せっかちな受験生が読むような中身の薄い例文ではなく、じっくりと反芻できる重みのある文章を読む。そんなクール英文学習ができる本なんてちょっと見当たらない。ビジネス書とTOEICについ目移りするサラリーマンにこそ、今、「英文標準問題精講」が求められていると思う。

http://twitter.com/zaway/status/14500420105

2010-04-14

開くことと閉じること

 ここしばらくのところ、開かれた人間と閉じられた人間、ということを考えてきた。

それを考えるに至った理由は、高校時代には良いことだと思ってきた好奇心が、

大学に入って、なんだか悪いことのように思えてきたからだ。僕自身、周りの影響を受けて遠慮するようになってきたのだ。

それが大人になることなのかもしれない。だけど全く楽しくなかったし、読んできた無数の本の内容が

全て否定されるような気がした。それに否定してくる人たちはみんな退屈だったんだ。

 これは悲しいことだった。そしてそれに共感する人間もいた。

退屈は悪いことだ。新しいものを生み出すことをしない。

退屈の空気に慣れると、変化を嫌がるようになる。

だけど変化を否定した組織共同体は、死んでいるんだ。変わるとしても、腐敗するだけなんだ。

 僕の周りでは、どうやって変えるかについて議論をする奴はいなかった。

開かれた人間は閉じた人間には興味がなくて、自分たちでやっていけばいい、と言うんだ。

そうなのかもしれない。変わりたくないって言ってるやつを無理に変えることはない。

でも、変わりたいけど変わり方がわからないやつに対して、何ができるかを考えることには意味がある。

それともう一つ。この文章をここまで読んでいるだけでも、完全に閉じてはいないことを分かってほしい。

 僕の周囲を見渡してみると、好奇心を肯定する人間と、否定する人間、そういう基準で人間を二つに分けられることに気付いた。

ここで書かれている「好奇心」は、質問を歓迎するか、ということで言い変えてみてもいい。

 好奇心を肯定する人間は吸収し続けている。これを開いている人間と呼ぶことにしよう。

好奇心を否定する人間は、ルール学習した後は、それを変えることを好まない。

これを、閉じている人間と呼ぶことにしよう。

一般的に学校先生は殆ど閉じている。学校という組織が開くことを否定するものだからだ。

彼らは、質問はありませんか、と言う。

だけど、僕らの疑問に興味を持ってはくれないんだ。

予習が足りないとか、授業をちゃんと聞けとか、そんなことを言うんだ。

 開かれた人間は大体が、閉じられちゃったら仕方ないよね、と考えている。

諦めてしまっているんだ。ただ開かれている人間を見つけたら、一気に仲良くなる。

例えば、筒井康隆や、阿佐田哲也の交友関係みたいに。

で、僕が考えるのは、なんとか人間をこじ開けることができないかということだ。

 それを小説でやろうと考えていたんだが、小説を動かすエンジンになる「思想」

が明確化されていないのに小説の結論を出すのは難しい。

だからエッセイを使ってみることにしたんだ。

エッセイというのは、ポール・グレアムが「エッセイの時代」

http://blog.livedoor.jp/simoom634/archives/50189369.html

というエッセイで言及していたことだ。

つまり、頭の中で考えるんじゃなくて、文章にして考えてみるんだ。

 グレアムの流儀に従ってみることにしよう。

エッセイは質問から始まる。

閉じた人ってどんな人?開かれた人ってどんな人?って具合に。

で、僕にはあらかじめ考えがあったわけじゃないんだ。どこにたどり着くかもわかってないんだ。

 ここで2つ目の質問を出そう。これは大事なテーマだ。

「閉じた人はどうやったら、開いた人になれるの?」

これは最初に書いた定義に従えば、どうすれば好奇心を取り戻せるかってことだ。

それは閉じた組織にいるときには難しいことだ。閉じた組織は疑問を持つことを否定するんだ。

じゃあどうする?反抗するのがいいのか?従って、だけど頭では違うことを考えているのがいいのか?

 

 これはどちらも間違っている。

 反抗したところで、閉じた思考の持ち主は、とりわけあなたの上司は、閉じることに関してはあなたよりも一枚上手だ。

なにしろ彼はあなたよりも長い間、どうやったら疑問を抑えられるかを学んできたのだから。

 

 もし従ったならば、あなたの思考は多かれ少なかれ、それに適応してしまう。

思考を麻痺させるプロセスに抗い続けるのは難しい。

 開かれた人間はコースアウトするんだ。面白そうなところに向かおうとするんだ。

そして自分ルールを見つけて、楽しく生きるために必要な原則を見つけるんだ。

開くために必要な手段は、素朴な疑問を持って、それを潰さないようにすることだ。

それと、楽しんで生きることができる例をもっと沢山知ることだ。仕事は義務で、趣味に生きるっていうのではなくてね。

 開かれている人の集まる場所を考えてみよう。一人になることだって、麻痺させないためには悪くないんだけど、

それは寂しいし、慣れないだろう。

だから開かれた人のいる場所を考えてみることにしよう。

彼らは大体が一人でいるか、小さな組織にいる。

もしくは、大きな組織の中でも、独立性の高い小さな組織にいる。

大きな組織と開かれた人は相性が良くないんだ。

彼らが彼ら自身のルールに従うから。。

 子供の頃はみんな開いている。みんな素朴な疑問や、旺盛な好奇心を持っている。

それが「正しい」ものかは別にしてね。

 それが大人になるにつれて、規律とか、常識とか、空気とかを理解するようになっていく。

親や学校社会教育で、そういうものに従うのが正しいものだと思うようになっていく。

閉じた人間はこう答える。でもこれは伝統だから。歴史には理由があるんだよ。

もっと閉じた人間はこう答える。これはルールだから。ちゃんと守らないと。

それはトートロジー(Q女とは?A人間のうち男でない方みたいな説明のこと)じゃない?って疑問には、沈黙を持って答える。

 開かれた人間には確信がある。それは自分で考えたものだ。

閉じた人間には確信がある。それは何度も教えられたものだ。

どちらでもない人間は迷う。おかしいなあ、と思う。

それを開いてやろう、とぼくは思うわけだ。

音楽小説映画エッセイや美しい学問は、人を開く役に立つ。

必要なのは、相互に矛盾するような性質のものを両方受容することだ。

たとえば、自然主義小説と、ファンタジー

パンクロックと、クラシック

古典力学と、量子力学

こんな具合に。

 

 だけど、どちらでもない人間は、少ししか空いてないわけだ。

だから一度に沢山の物を入れることはできない。

それに強烈なメッセージには拒否反応を示すかもしれない。

始めは、変わってしまうのは怖いことだから。

「教え」が入り込んでくるのは、自分自分でなくなるような気がするからだ。

だけど、「考え」だって、「教え」の総和にすぎないわけだ。

素敵な大人達が厳選したものではあるけどね。

 それに対抗するには、沢山の教えを学んで、シャッフルすることだ。

沢山の教えの中には、閉じたものも、開いたものもある。

だけど歴史に残るものには、開いた人の作るものが圧倒的に多い。

彼らが何かを変えてきたからだ。

だからそういうものを受け入れることによって、開いた人になることができる。

 だけど、閉じた大人たちだって、本を読めとは言うんだ。

どの本を読めとは言わないけどね。

それは彼らがどの本が良いかを理解できないからだ。

そういう訓練を(つまり沢山の本を読むことだ)してこなかったからだ。

 別に本に限らないんだ。音楽でも、映画でも、漫画でもいいんだけど。

とにかく自分の中に規制を設けないことだ。読みもしないのに、聞きもしないのに批判をしないことだ。

そしてとりあえずちょっとずつ試してみることだ。

何か気に入ったものがあれば、その作者の他の作品や、その作者が好きだったものや、薦めているものや、

amazonで薦められているものを調べたりしてみることだ。

一つ注意点。昔の小説は、昔の作品は、長い前置きがあるんだ。

忙しい現代人の為には作られていないんだ。

それを耐えるためには、読みやすい文章のものを選ぶこと。そしてそういう事実を理解することだ。

 だけどそうやって開いたところで、社会押し付けはしつこく続く。

これに対抗する方法は、戦うことじゃない。さっさと逃げることなんだ。

 素晴らしい場所を見つけるんだ。技術や知識を磨きながらね。

なんなら素晴らしい場所を作ったっていい。

素晴らしい場所を作るっていうのは、尊敬できる友人と起業するってことだ。

 そうすれば素晴らしい人生を送れるはずだ。少なくとも閉じた人間よりは、沢山のことを見ることができるし、

沢山の感情を感じることができるんだ。

2010-03-23

http://anond.hatelabo.jp/20100322234412

ありがとう。どうも知識が古かったようだ。

さすがに僕もくっきり右脳左脳が別れているとは思っておらず(ので、左脳優位といっている)、渾然一体とした活動のなかに傾向として見てとれるものがあるのだろうと思ってたぐらいなんだけどね。そして、その解釈言語野が左脳にあるひとに限っていえば間違いではないはず(↓のページでも肯定されている)。言語野が右脳にあるひとが思ったよりおおかったってこと?

とは言え、「言語野に頼りすぎなんじゃないの?」って表現市民権を得るにはまだちょっと早いかな? 何て言うのがいいのかね。

軽く以下のページを見たけど、慣用表現でいうところの「右脳的なもの」は、言語野でない何か、と解釈するのがよいのかな? 何か知ってたら教えてね。

http://www.brain-studymeeting.com/dif/lr/

もうひとりなんか湧いてるけど、まぁいいや(笑)

ちなみに前の書き込みのsubjectは吉松隆エッセイより(多分)

2010-03-08

再掲:森毅の火傷にざまぁみろと思う

http://anond.hatelabo.jp/20100307133147

匿名なのだから記事が残っていようが本人には何の痛痒もないはずだ。

匿名なのに記事を消すなど不合理だと思う。

よって再掲させてもらう。

---------

昨年の今頃、森毅という京都大学名誉教授事故に遭った。

料理中にコンロの火が服に燃え移り、腕に火傷の重傷を負ったという。

ざまぁみろ、と思った。気分がすっとした。

このときの感情は、さすがに倫理にもとると感じて封印していた。

だが一年たって、正しい感情の発露だったと思い返した。

ために、ここで打ち明けてみようと思う。

今から20年ほど前、高校生だった私は森毅エッセイをむさぼるように読んでいた。

進学校に通っていたが、地頭はそれほどよくなかったし、学校の雰囲気や、教育熱心な母の重圧に少々参っていた。

そんなときに、森が著書の中で

「ええかげんでいいんや。大学では勉強なんてしなくていい。エリート勝手に育つもんだ」

と主張していたのに、救われた気がした。

それまでは頑張ろう。そして、大学では遊ぼう。

そう考えて頑張った結果、大学では、早慶クラスの、名の通った大学に入った。

大学では、遊びほうけていた。

とはいっても、それまで遊んだことのない人間の遊びなんてたかが知れている。

授業をさぼり漫画喫茶で一日を過ごし、友達とくっちゃべって一日が過ぎていた。

遊ぶ、というより、勉強をしない、といった方がいいかもしれない。

大学卒業してから20年、そのことを非常に後悔している。

地頭の悪い奴こそ、勉強しつづけなければならない。

高校までの受験勉強で学んだ知識が、実生活で生きる訳ではない。

若い頃に「勉強して、知識を記憶にたたき込み、それを応用する」という習慣をつけるために、受験勉強というものはあるのだ。

だから、高校まで勉強をつづけた後、大学ではそれ以上に勉強することが必要となる。

本当に自分がやりたいことを模索して、選択して、一心不乱に勉強する……それが大切な時期なのだ。

頭が悪い奴ほど、勉強の習慣を崩してはならないのである。

ただですら、怠惰に流れがちなのだから。

私は、貴重な4年間を、彼の思想の影響を受けたせいで無駄にした。

彼の言葉福音だと思っていたが、なんのことはない、怠惰人間に、「それでいいんだよ」と甘い言葉をかけていただけなのだ。

悪魔言葉だった。

彼に影響を受けた私は、勉強の習慣を失い、未だにダメサラリーマンをつづけ、うだつがあがっていない。

どのような人間師匠とするかが、いかに大切なことだと、今になってわかる。

彼の言っていることは、元々地頭のいいエリート向けの言葉であって、それ以外の9割の頭の悪い人間にとっては、地獄への一里塚だった。

彼にとってみれば、受験教育のために潰されそうになっている1割の人間を救うために、書いたのだろうし、彼の本を読んで影響を受けた1割はそれで救われたかもしれない。

だが、9割は社会から脱落していったのではなかろうか。

まさに、

地獄への道は、善意で敷き詰められている」

私が彼を知った少し前から、彼の著作はブームになっていたので、影響を受けた高校生も多いだろう。

そのほとんどは、進学校に通う、受験生活に疲れた少年だったように思う。

そのほとんどは、その後の人生に失敗をしているように感じる。

森の吐いたメッセージは、そういうメッセージなのだから。

社会では、失敗者の言葉が掬われる機会は少ない。

だから、失敗者の声は届かない。

だから、彼はこれまで称揚されてきたのだろう。

テレビで数年前まで、コメンテーターとしてよく出ていた。

見かける度に、反吐が出た。

その森が、火傷を負ったときいて、胸がすぅっとした。

日本では、知識人無責任な放言が許される雰囲気がある。

だが、青少年怠惰を吹き込んだ森のような人物は、罰をうけるべきだ。

重傷の火傷は、天罰だったにちがいない。

2010-02-24

プログラミング常識」著者コメント(DQN向け翻訳)

世の中には、どうしても「賢い人」と「あまり賢くない人達」人たちがいて、「あまり賢くない人達」は「賢い人」の足を引っ張るモノです。

「あまり賢くない人達」が自らの愚かさゆえ、人生を無為に過ごすのはある意味しかたがないことだと思いますが、問題なのはこれから賢くあろうとする未来ある若者達が、このような「あまり賢くない人達」に惑わされ、不幸に見舞われることであります。

日向さんはこのような未来ある若者のために、わざわざ時間を割いて素晴らしいエッセイを書きおこしてくれました。

http://www5.ocn.ne.jp/~seablue/res/ckp.html

けれども日向さんの文章は、あまりのレベル差故か、極力平易に書こうとはしているものの、それでも文章が高度すぎて、対象である「あまり賢くない人達」には今一歩言わんとしていることが伝わらないのでは、と感じました。

そこで私は、日向さんの文章の意味を極力損ねないまま、このエッセイを対象である「あまり賢くない人達」向けの言葉翻訳することを試みました。

もちろん、訳者が至らないために、間違いや勘違い、あるいは校正の際の見落としなども あるかと思います。そのようなことがないように努力はいたしますが、 お気づきの点があれば冷静にご指摘いただければ幸いです。




この書籍については、さまざまなご意見がさまざまなところに書き込まれているようです。

まったく話題にもならないたくさんの本があり、また批評もされない多数の著者たちがいるなかで、 拙著または著者に関心を持っていただいたことにまずお礼を申し上げます。

いやぁ、人気者はつらいね。いつだって妬まれる。

本書については、書籍のはじめに「本書では、初歩のプログラミング学習を終えて、 プログラマが実践的なプログラミングに臨む時に知っておかなければならない重要な事項をわかりやすく解説します。」 と明示してあるように、プログラミング初心者を対象にしています。

具体的には、はじめてのプログラミング言語勉強したか、これから何か言語を学ぼうとしている人、 ふたつめの言語を選ぼうとしているひと、あるいは、 「どうしてデータ型などというものがあるのだろう?」とか、「オブジェクトって、いったい何?」という 素朴な疑問を抱いている人を対象とした書籍です。

また、筆者の「常識」を読者に押しつけようとするものではなく、プログラミング常識とは何かという ことについて考えるヒントにする本です(このことは書籍の中でも重ねて説明しています)。

この本は エキスパート俺様が、初心者のために書いた本だ。初心者向けって所が重要な。ついでに世の中常識のないやつが多いから、プログラミングだけじゃなく常識まで教えてやる、そういう本でもあるな。そうそう、断っておくが俺がこの本で言っていることは「世の中の常識」な。だから、異論挟むヤツはそのまま「常識」のないやつってことになる。ここも重要だ。

プログラミングに限らず、対象によって説明の仕方、取り上げる範囲、そして「何が正しいか」は異なります。 身近な学校教育という場を考えてみても、小学生には「人はみな平等です」と教えます。 しかし、それは理想であって、実際に差別は存在し、したがって、教えている対象を考慮しなければ、 小学校で教えていることは嘘ばかりである、ということになります。 実際、大学生ならば、「実際には人は平等ではない」という前提にたって、社会問題などを考える必要があることは 誰にも異論のないことでしょう。

同様に、プログラミングでも、初歩のプログラミング学習を終えた人と、 より高度なプログラミングをマスターした人を対象にするときでは、解説の範囲も表現もすべて異なります。

ところで、みんな平等というけどさ、愚民がいるのが現実なのよ。愚民がいるなら愚民向けに方便をつかわなくちゃいけない。大人ならわかるな。

本書について、文章の真意を理解しないで書き込みをされていることも多々あるようです。 たとえば、「プログラミング言語はどれがよいか?」というトピックの主眼は、本文で 「多人数を運ぶならバス、荷物をたくさん運ぶならトラック、少人数でドライブするなら小型セダンと、 目的に応じて最も良い自動車の種類が違う」と例をあげて説明していますが、プログラミング言語においても 用途やプログラマ経験あるいは環境等々によって適する言語は異なり、 特定の具体的な条件を示したうえでなければ「プログラミング言語はどれがよいか?」という質問自体がナンセンスである、 というのがこのトピックの主眼です。

したがって、それに関連する説明は、それぞれのプログラミング言語がおおよそどのように異なるかわかればよい という立場で書いており、具体的な解説についてはたとえば環境(近くにすぐに質問できる先輩がいる、 特定の言語学習環境が際立って整っている、特定の種類の言語をすぐに使う必要がある、など)に よって異なるという前提で書かれています。

また、このトピックは、これから最初のプログラミング言語を選ぼうとしているか、 ふたつ目のプログラミング言語を選ぼうとしているような初心者で、 車にバスから軽自動車までいろいろな種類があるように、プログラミング言語にもまた さまざまな用途の言語があるということを認識していない読者を想定して解説しているものです。 すでに複数のプログラミング言語をマスターしている読者を対象としたときには、 自ずと表現記述するレベルや範囲も変わってきます。

で、だ。俺の書いた本にケチつけるガキ共がいるんだけどさ、ヤツラ何? 技術的なことを書くと低能なヤツラじゃ理解できないから、車の話に喩えてやる。(略)つまりヤツラは、車にもいろいろ車種ってものがあることすら、わかんないバカってことだ。

そのほか、本書について間違いであるかのように指摘されているところの多くも、本書の意図を理解できれば、 指摘したことが逆に誤っていることに気づくでしょう。 (もちろん、筆者が至らないために、間違いや勘違い、あるいは校正の際の見落としなども あるかと思います。そのようなことがないように努力はいたしますが、 お気づきの点があれば冷静にご指摘いただければ幸いです。)

また、本書の批判の多くは、本書が初心者プログラマ向けに書かれていることをまったく無視した、 きわめて無責任意見が多く、そのような書き込みが何の批判もなく行われていることは残念でなりません。 良識のある人たちは、想定読者レベルを無視した無責任意見は無価値であると考え 頭から相手にしていないのでしょうが、初心者はそのような判断ができないので惑わされる可能性があるからです。

ようするに、愚民向けの本を読んでも「方便」を「方便」だって読み取れないバカ?ww 指摘(笑)を通して 自分馬鹿さ加減を世界に発信しているってことに気づかないって超ウケるじゃん? この内容は間違ってます(キリッ みたいな?wwww ま、少しでも知性があれば、恥ずかしくてで出来ねえことだよな。

わかっているヤツは わざわざ DQN の相手をしたりせず鼻で笑うだけだ。しかしお前らひよっこは、こういう低レベルな扇動に惑わされるかもしれないな。気をつけろよ。

書籍批評ということについて、ひとつ例を示して筆者の考えを明らかにしましょう。

B.W.カーニハン/D.M.リッチーが書いた「プログラミング言語C」という本があります。現在は第2版となり訂正版として出されていますが、 日本語翻訳初版から現在まで、プログラミング言語の本として名著のひとつとみなされてきました。

実際、私もC言語についてまだほとんど何も知らない日本語初版が出たときにこの本を一読して、 「Hello, world」の出力のしかたから始まり、徐々に高度な内容に導いてゆく書き方に自然となじんで、 まるで読み物を読むように一気に読了し、同時に、C言語とはどういうもので、何ができて、何ができないのかを理解しました。 日本語初版は間違いも多く、記述の仕方もプログラミング言語書籍としては最良とはいえないものでしたが、 C言語についてまだほとんど何も知らない私にとって、まさに「プログラミング言語C」はとても良い本でした。 また、プログラミング言語仕様という概念が今ほど確立していなかった当時、C言語コンパイラを実装する(開発する) ようなレベルの人にも、「プログラミング言語C」はバイブルといってよいほど重要な本でした。

ところで、今、誰かが「プログラミング言語C」と同じようなスタイルC++Javaの本を きわめて丁寧に間違いもほとんどなく書きあげて私に献本してくれて私個人の率直な意見を求められたら、 それを読んできっと「冗長で退屈である」と答えるでしょう。 なぜなら、私はC++Javaについて講義(授業や講演)をする程度にすでに知っているから、 「プログラミング言語C」のような書き方の本を改めて最初から読むのは苦痛にさえなりかねないからです。

しかし、その本について公開するレビューを書いてくれと頼まれたら、 「これからC++(またはJava)を学習する人にとってはとても良い本である」と推奨するでしょう。 なぜなら、まだ何も知らない人が、まるで読み物を読むように一気に読んでその言語を理解できれば、 それはとても素晴らしいことだからです。

読む人のレベル、その本の主眼とすることとその表現のしかた、本が出版されたときの状況などによって本の価値というものは異なり、 それが本というものです。

ヤツラにも解るように具体例を示すけれどさ、ストラウストラップ?ってヤツの 「プログラミング言語 C++」って本、冗長で退屈でダセェよな。内容のレベル低すぎるしさ。けど、どうしてもオレにレビューしてくれっていわれたら、まぁ「俺には必要ないけど良い本だぜ」って紹介してやるよ。だってバカどもにはちょうど良いじゃん。バカ向けの本はバカ向けってことを考慮して評価する。それが大人ってもんだ。

インターネットが普及して誰でも自由に発言できるようになったのは良いことですが 一部のお暇をもてあましている方々が、拙著に限らず、 さまざまな著作や著者に対して誹謗中傷に近い書き込みを匿名で行っているのが見受けられます。 このような状態が続けば、 誤解を受けることを承知の上で初心者向けにあえてやさしく解説するような著者は書く気をなくし、 どのようにでも解釈できる(あるいはすでに理解している人しか理解できないような)難解な 文章を書く一部のいわゆる権威だけが著者として残る結果となり、 出版文化書店を含む出版界はますます疲弊し、いずれ現在のように多種多様書籍出版できなくります。

インターネットが出来てから、そんな大人の対応も出来ないウゼえガキが増えたよな。マジ ウゼェ。ったく、「間違っている」「正しくない」とか、ウゼェウゼェウゼェ!偉大なるオレ様のやる気が無くなったらどうしてくれるのか。これでオレが本を書かなくなったら人類の損失になるって事実、わかんねぇのかコイツらは。ほんっとカスだな。

どうか、初心者の方々は無責任な批判や的外れレビューなどに惑わされずに、 まずは本を読んでみて(買わずに図書館で借りてでもかまいません)、自分自身で判断してくださるようお願いいたします。

まぁ、カスのことはほっといて、お前らは黙って俺の本を買っておけ(貧乏だったら図書館でもいいぜ。自治体に買わせろ)。普通に考えれば有象無象匿名ブロガーより、本まで出してるエリートのオレの本の方が信頼できるってのは、ひよっこのお前らにだってわかるだろ。つべこべ言わず買えば幸せになれるってモンさ。

さて、無責任な批判や的外れレビューを書き続けている人には、次のように申し上げておきます。

批判する人間にもし本当に能力があるのであれば、匿名無責任な批判をする前に、 C++Javaアセンブリ言語JavaScriptのようなスクリプト言語XMLXAMLのような記述言語を 含めて、5種類上の言語で実際に動作するプログラムを作成してそのソースコードを広く一般に公開し、 他人の批判を受けてみてから、 自分完璧な本を書いて出版社に持ち込んで出版してみてください。

そうすれば、著作、あるいは出版というものがどういうものか、少しはわかるでしょう。

あー、それと、バカどもに言っておく。オレ様は C++Javaアセンブリ言語JavaScriptのようなスクリプト言語XMLXAML のよな記述言語 を含めた5種類以上の言語精通した超絶スーパーエンジニアだ。ハッカーと言ってもいい。しかもコードを公開して完璧な本まで書いている、マジ パねぇ男だ。 マチュアーしてるんだよ。おめぇらなんて足元におよばねぇ。身の程を知れ。(関数型言語マイナでどうでもいいから勉強しなくてもいいぜ。あ、でもオレの Scala の本は買えよな。)

もし、自らは何も創造しないで、単に無責任な批判や的外れレビューを続けるなら、 そういう人は、いずれ何年かのちに(そのときまでボケずに、人間社会というものを学んで人間として少しは成長したとしたら) 自分がしてきたことが無意味であり、そのようなことだけに時間を費やした自分自身の人生そのものが 無価値であったことに必ず気づくはずです。しかし、その時になって謝罪していただく必要はまったくありません。

まー、オレ様は心が広いからバカがバカであることは責めないでやる。人間生まれついてのものはどうしようもねぇ。俺はどうしようもないことは責めない主義だ。でも、お前らが無価値ゴミクズであるってことだけは理解しとけよな。ゴミゴミなりの人生がまってるさ。身の程を知って生きればオレは哀れみくらいはかけてやるぜ?

なお、著者はあらゆる書き込みに対していちいち反論することはできません。 また、一部の低俗掲示板のようなものを読んだり書き込んだりするのは 時間無駄なので、私に限らずほとんどの著者は、そのようなものに書き込むことはもちろん、 目を通すこともありませんのであしからず

最後に言っておく。お前ら如きがオレ様に意見するなんて間違っている。なぜならオレ様はいつだって正しいからだ。そして、間違った意見などに反論を書くなんて無駄時間はオレ様にはない。お前らはせいぜい便所で落書きに勤しむんだな。あばよ。

要点のまとめ

長い文章が読めない方のために、要点のまとめを作りました。

  • 本を書く人間エリートで、それを批判するネットイナゴ愚民
  • 愚民的外れなことを言っても、自分が恥をかいていると気がつけないから厄介だ
  • 誤解するな、俺の技術力はパねぇ。そこん所くれぐれも勘違いするな
  • 間違えているように見えるところはワザとだ。もしくは指摘自体が間違えてる
  • とにかく俺の本を買え

補足

日向さんは、本当に素晴らしい技術力をお持ちで、その著書リストをご覧になれば皆様もその高い技術力をご納得いただけるかと思います。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url?_encoding=UTF8&search-type=ss&index=books-jp&field-author=%E6%97%A5%E5%90%91%20%E4%BF%8A%E4%BA%8C

これだけの内容の濃い本を、こんなにも沢山発行していらっしゃるので、日向さんが新たに本を書い時、気がつけば参考文献リソース 一覧が 過去の自著ばかりになった――というエピソードだけでも、日向さんの凄さの一端が伝わるかと思います。

ですので皆様も

のような「匿名の愚か者」の世迷い言に惑わされないように、ご注意願います。解っている人から見れば、日向さんの著書は総じて評価が高い という事実は、「記名の賢者」であるdankogai氏のレビュー

をご覧になっていただければ、一目瞭然かと思います。(dankogai氏は同レビュー中で日向さんを「真に初心者向けに本を書ける希有の存在」と評しています)

なお、訳者はあらゆる書き込みに対していちいち反論することはできません。 また、一部の低俗掲示板のような増田を読んだり書き込んだりするのは 時間無駄なので、私に限らずほとんどの著者は、そのようなものに書き込むことはもちろん、 目を通すこともありませんのであしからず

2010-02-20

なにをやっても長続きしない奴が4か月でTOEIC700を出す方法

 ふきだまってるみなさん、こんにちは

 今日は、あなたのために英語勉強法を考えました。

 尽きないモチベーションと、あふれるガッツがあるひとは、「中学生レベル英語力の奴が4ヶ月でTOEICBクラス」を出す方法」を読んでください。

 根性はちょっとたりないけど、コツコツやれるひとは、「大学のときTOEIC390点だった社会人が1年でTOEICBクラス」を出す方法 」を読んでください。

 

 読んだけどだめだった、というだめなあなた。

 これはあなたのために書かれています。

 http://anond.hatelabo.jp/20100219230508社会人のための本気の英語学習法」?ああ、ムリムリ。というあなたです。

 前提

 TOEIC700っていうのは、しかるべき方法で4カ月がんばれば、とれなきゃおかしいスコアです。そのために身につけるものとしては、1)最低限の文法、2)語彙、3)リスニング能力の三つです。まあ、だめなあなたであればこのへんは百も承知でしょうね。

 *文法

 文法を勉強する目的は、TOEICレベル、つまり、かなりやさしい文章や会話を理解する土台をつくる、というものです。英米文学や英文雑誌完璧に読みこなす、というのが目的ではありません。また、英文法の勉強は、かなりつまんないので(あなたならご存知の通り)、飽きる前に終わる、ぐらいのボリュームの本を選ぶ必要があります。

 これにもっとも適した本は、「TOEIC TEST 英文法完全攻略」(石井 辰哉)です。これは分厚いですが中身はすかすかです。これを1週間で終わらせます。終わらせるコツは、1)わからない単語は覚えようとしない、2)和文英訳問題は無視する、3)なんかいまいち納得いかない、ってとこも無視して進む、という三つです。とにかく、最優先事項は「1週間で終わらせる」ということを肝に銘じてください。

 *語彙、リスニング

 そう、おっしゃる通り、ボキャビルも文法に負けず劣らずつまんないです。これを乗り越えるための教材は、「TOEIC TEST 速効英単語2400」です。DUO?あなたには無理です。つづかないでしょ。この本は、6つのセンテンスからなるショートエッセイ50からなる本で、単語が1700入ってます。つまりセンテンスは300。DUOは540ですから、DUOを投げ出すあなたでもコンプリート可能です。また、CDがついてるので、リスニングを一緒に学べます。一日1、2セクションを、週に5日(休みを週二日入れる)、5~10週で終わらせます。こなせなかった分を休日に取り戻す。具体的なやり方としては、1)単語を覚える、2)文章を理解する、3)英文を聞いて聞き取れ、内容も理解できたらクリア。まあ、理想は5週以内でおわらせることですが、あなたのことですから2カ月はかかるでしょう。でも、いいんです。それくらいかかっても、とにかく終わらす、ってことが何より大事ですから。

 *語彙、リスニング

 速効英単語は、DUOよりちょろいぶん、内容も不十分です。単語レベルにも非常にばらつきがあります。ですから次にもう一冊やる必要がある。ここで、DUO. 3.0+復習用CDをやるんです。すでに一冊やってますから(あなたのことですからうろ覚え単語もたっくさんあるでしょうが、それでいいんです)、ここでDUOをやるとかなり楽です。これを1日1セクション、週に5日、9週かけてやれば、あなたはもうTOEIC700レベルですよ。おめでとう。

 *TOEIC対策

 英語学習目的が、「英語を学びたい」のか、「TOEICスコアがほしい」のかは人それぞれです。スコアがほしいかたは、対策をすると当然成果はあがるでしょう。対策をするんであればDUOがおわったこの時期です。まあ、あなたはこの時点で4カ月はたってますけど・・。受験後にスコアが返ってきて、モチベーションが上がってる時期にやって、またすぐ受験するのもいいかもしれませんね。具体的にはリスニングリーディングボックスで形式になれる。そんだけ。

 ≪継続のためのいくつかの方法≫

 とはいえ、あなたのことです。これだけ負担のかからないやり方でも、途中で投げ出してしまう可能性はたっぷり残ってます。ですから、モチベーション維持のための方法を、いくつか用意しなければいけません。

 1)本を買う。本を買うとテンションがあがってしばらくやる気になります。まあ、2週間はもつでしょう。だから、本は必ず1冊づつ買いましょう。手元にすでにある、って人は(あなたのことですからたくさんありそうですが)、歯をくいしばって売り飛ばしてください。ちなみに、買った本が終わるまでは次を買ってはいけません。

 2)TOEICを申し込む。飽きたな、ってとこで、TOEICを申し込みます。ですから、TOEIC受験日にあらかじめあわせて勉強スタートする必要があります。具体的には、テスト3.5か月前に本を買ってスタート、飽きたところでTOEIC申し込み、ってことです。

 3)家族恋人、友人といっしょにやる。これはきわめて有効ですが、あなたのまわりには駄目な人がふきだまってるかもしれません。友達がひとりもいない、ってこともありえます。でも、できればだれかと一緒にやることをおすすめします。

 4)学習記録をノートにつける、ブログをやる。などなど。あとは自分で考えてください。

 最後に

 学習者にとっての英語なんてものはただのツールで、TOEICにいたってはしょせんモノサシにすぎません。ただ、何をやっても長続きしないあなたが、それなりにがんばって一つの結果をだすことができれば、その経験をもとに、つまり「継続のためのノウハウ」をつかって、これから何かを成し遂げることができるかもしれません。そう、人生がかわるかもしれない、そんなふうに思っています。

 検討をお祈りします。

2010-02-17

そういえば谷村志穂なんてエッセイストいたなぁ~

はてブで鬼頭先生人口論が話題になってるのを読んだけど、

http://b.hatena.ne.jp/entry/business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100215/212778/

その中でこんなくだりが

実は、日本少子化を目指していた

非婚、晩婚、負け犬の遠吠え…、古い道徳観に失政が重なった

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100215/212778/

 バブル景気最中1990年作家谷村志穂さんが「結婚しないかもしれない症候群」というエッセイを発表して、女性から圧倒的な支持を得ました。結婚するか否かは個人の自由ですが、急速に非婚化と晩婚化が進んだ面が否めません。

そういえば谷村志穂なんてエッセイストいたなぁ~

その後どうしてるのか、ちょっと調べてみた。

ということで、「結婚しないかもしれない」といいつつ、不倫して、その後めちゃくちゃ年下の男結婚して、高齢出産してることがわかって、なんだかなぁと思った。。

なんでバブル世代って、こんななの・・・(´-ω-`)

2010-01-12

http://anond.hatelabo.jp/20100112040256

正しい日本語で書かれたエッセイなり小説なりを色々と読んで、文体を真似て日記を書き続けてみると、

身につくはづかないよね

という変な日本語を書くことは避けられるようになるはず。

日本語にしろ英語にしろ、教師となる正しい例を真似することで身につけることができる。

という考えで勉強しています。

2010-01-06

ON THE ROAD 青山繁晴の道すがらエッセイ

ttp://blog.goo.ne.jp/shiaoyama_july/e/59b4602e2f782e9263ede6071f651a7e

自由民主党が、創価学会の力なども借りながら、半世紀を超えて実質的な一党支配を続け、その垢が、たとえば既得権益というかたちで溜まりに溜まり、それを超克する道の第一歩としての政権交代であるはずです。

 ところが現職総理の脱税という世界にも例を見ない犯罪あるいは犯罪の疑いが露見しながら、その脱税総理が「国民の圧倒的多数が辞めなさいと言わない以上はこのままでいい」という趣旨を平然と記者会見で述べて職に留まり、世界に恥を晒し、その総理を公然と顎で使う与党幹事長は、沖縄を含む日本の島々や海を実質的に手中にする動きを着々と進める独裁国家国家主席に、およそ140人の与党議員を拝謁させ、寸秒の握手をありがたく押し頂く姿を世界に晒すという朝貢外交をなし、その帰途には、「在日外国人地方参政権プレゼントする」とすでに約束している韓国大統領を訪ねて、その会談内容を国民に一切、明かさないという二元外交、独断外交をなしている。

 その幹事長はまた、あろうことか、その立法府与党議員たちに「法律は作るな。選挙区を回ってろ」と立法府の機能を壊す指示を公然となし、議員たちはそれも唯々諾々として聞き、特にお気に入り女性議員だけが特例として立法を許される。

 そして幹事長は、自民党全盛期の派閥ボスそっくりに自邸で新年会なるものを催して、副総理をはじめとする閣僚も、国会議員も、テレビ局の現職記者報道番組プロデューサーをはじめとするジャーナリストも、大集合し、正座して幹事長お話を拝聴し、一斉に大拍手を送り、お酌をさせていただき、立法を禁じられた議員が反論を述べるでもなく、国民に発信するジャーナリストが疑問を直にぶつけるでもなく、赤い顔で、屋敷を出てくる。

 その幹事長も、現職総理と同じく、カネをめぐる深刻な疑惑に包まれている。

 昨年夏の総選挙で、日本が良くなることを願って民主党投票した有権者が望んだ「新しい政治」が、これなのでしょうか。

2009-12-25

http://anond.hatelabo.jp/20091225014818

留学してたけど初めて知った。

エッセイ書くときはcan'tとかはつかっちゃいけないから can not使ってた。

でも直されたことないからどっちでもいいんじゃないかな?

neitherをニーザー、ナイザーどっちで発音しても正解みたいな。

2009-11-19

326って今何してんのかね

とふと思った。「あの人は今」じゃないけど。適当に調べたけど、一応本は出し続けているらしい。サイトもある。現在は、おばぁちゃんネタで食いつないでいるのか?よく知らないけど。

当時、話題にはなってたけど買う気は起こらなかった。図書館でふと「君の絵はだめだね」っていうタイトルを見かけて手に取った覚えはある。内容はもう覚えていない。エッセイだったか、ポエム付きイラスト集だったかも覚えていない。

久しぶりにあの絵を見て、ああ、と思った。なんというか、ちょっとこう、うら寂しいというか。

実際はどうなんだろうね。食うに困らない程度には仕事はあるのかとか。漫画とかだと、そこまでうら寂しい感はないってのが個人的感想326っていうアレだから余計にそう思うのか。ああ、そうだ。書いていて思い出した事がある。一時期、326の絵をどっかで見かけたことがあった。頭身の少ないイラストイメージだったのに、その時は頭身が多い少しリアルメのイラストだった気がする。暗中模索してたんか。

イラストレーターの栄枯盛衰というか。326の場合は、イラストライター」だからちょっと違うのか。どうでもいいが。

ラノベエロゲ関係でも似たようなのあるんかなと記憶を掘り返したけどあんま思い浮かばなかった。どうなんかね。

2009-11-14

面白い随筆の書き方 (または感情論をいかに方法論的に書くか)


 自分の書いたやつを読み返してみながらブクマが二桁行った記事の特徴をかんがえてみました。
 僕は最近人間関係のことと趣味のことしか書いてないのでそっちの話に限定してしまうんですが、
 とりあえず感情のベクトルが上でも下でも『簡単には突っ込まれない』内容だと結構ブクマがついた気がします。
 もちろんある程度論理展開がなきゃ面白くないんで、必然的に長文化してしまいますが。

 論理展開の話ですが、単純な意見文を書くとき一番手っ取り早い構造は『普通は』『でも本当は』『だからこうしよう』の三点セットだと思います。
 (なんか小学校の作文指導みたいな話になっちゃってすみません…)

 Aという話題がある。
 これに対し“普通は”みんな_____だと考えている。
 “でも本当は”_____だし、_____だといえる。
 だからみんな_____“すべき”だ。


 これの空白埋めれば、とりあえずは筋の通った内容が書けると思いますw
 あとはこれらを言う順番を適当に組み変えたり流れが明確に見えないぐらい文章ぼやかしたりすれば(これは慣れかも)、それなりにまっとうなエッセイが仕上がりそうな気がします。
 ぶっちゃけ今の僕はここまで意識して書いてないですけどw

 実際、エッセイ的な文章の場合、その面白さは筆者の文体か筆者の視点の二つに集約されるはずです。
 (もっともこれは論説・小説でも同じだけど、エッセイでは特にこの二つが突出する、というかそれ以外を突き詰めるといずれは論説か小説なっちゃうので><
 要するにテーマか書き方か、どっちで読む人のこころをひっかけるかって話になるのでしょう。可能なら両方追い求めるのが一番ですが。

 書き方についてはちょっと何をどうするとか言いづらいので、とりあえず『せっかく投稿欄に“確認する”ボタン付いてんだから推敲しちゃおうぜ』と伝えてみます。
 誰であれ、書き上げたらとにかく一度読み返してみると、自分の頭の中にある文章と書かれたそれとが微妙にちがってることはあるはずです。
 そのとき、例えば後半の文章の要求にしたがって前半に布石をちりばめるですとか、いくつか推敲の可能性は見つかることでしょう。
 特に、初見で読んだ時の感触はちょっとした言葉使いで左右されますから…………って、いけないいけない。ライター養成講座やってどうするww

 あと第一段落で何らかのひっかかるキーワードとかどぎついこととか言っちゃうといいかもしれませんねー。
 僕の場合、文章を読むかどうかの基準として最初の方の文章をさらっと読み飛ばした時の“感触”をタイトルと同じぐらい重要視しています。
 だから既存の価値観を否定するような文句を一段落とかに仕込むとけっこう読んでもらえるかもしれません。
 もっとも、こういう仕掛けがうまく機能するのは文章の構成がしっかりしてる時に限るので、これはスパイスぐらいに考えればいいですけどw
 (ていうかそんなうまくいく例のがめずらしいよね……(´・ω・`)

 ついでに小ネタをもうひとつ書いてみると、僕ははてなで何か書くとき(増田はてダも)は必ず<p>タグを除去して自力で<br>をふっています。
 これは『段落勝手に奪い取られ、意味のまとまりが分かりづらくなる』という問題を回避するためです(増田なんかちょう顕著。うっぜえーーー!><;)。
 見た目的にもいい感じになるので、ちょっと試してみるといいかもですー。

 ……と。
 これ以上話していくとマニアックかつ個人的すぎて誰にも応用きかない、
 それどころか努力したところで気づいてももらえないような文章作法の話に突入するので自粛します…w

 最後に。
 僕が一番ブクマをいただけた記事は、学生生活での体験談をつづったものでした。
 自分たちより上の世代では理解しがたいテクノロジー面での不都合とかについて実感を込めて書いたものです。
 (つーか200も行くとか思いもしなかったぜ……。)
 それを考えると、見知らぬ誰かの気持ちをくすぐるのに大事なのは『自分の血肉となっている体験をネタにする』ってことなのかもしれませんね。
 って、うわー!! 今まで書いた話の意味がうすれちゃった!!><


 参考:増田ブクマをもらうためには
  http://anond.hatelabo.jp/20091114000324

2009-11-09

http://anond.hatelabo.jp/20091109222605

俺個人が勝手に感じている事なので違うかもしれないけれど、

福満は妻に対して以前のような情熱はすでに持っていないと思う。

「家族」なっちゃったんだね。

今の福満にかわいこちゃんを描かせるためには妄想浮気をしてもらうしかない。

なので、ほのぼのエッセイ漫画路線でこのまま行けばいいよと個人的には思ってる。

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