2010-07-07

東大の入学手続きの日、教養学部教員エッセイ集を購入した。載っていたエッセイの内容はほとんど忘れてしまったが、その中で妙に心に残っていた言葉がある。多分柴田元幸先生エッセイだったと思うのだが

東大生」という自意識からはできるだけ早く脱却することをお勧めする。

多分こんな感じの言葉だった。それから一年東大生という自意識からも、教養学部の巨大さの中での孤独感からも抜け出せなかった僕は徐々に鬱々としていった。本郷にはなんとか進学できたものの、その直後に休学。十数年経った今でも鬱々とした気分は付いて回っている。

今でも時々考えることがあるが、あれは必要な回り道だったのだろうか。自分の生活を律することもできず、学校にもなかなか行けなかった僕は、学生時代をほとんど棒に振ってしまったようなものだった。特に教養学部前期課程という、その気になればなんぼでも学ぶことができたはずの一年半を棒に振ってしまったのは今でも悔しい。可能なら今からでも入り直して駒場で学びたい気分だ。

そのかわり、高校の頃にはほとんど見ないようにしてきた自分内面と向き合う時間は得ることができた。(とは言っても一人悶々と発散する先のない遅すぎる反抗期に苦しんでいるだけだったのだけれど。)高校時代はほとんど「文系」の本などは読まなかった僕が、心理学の本をきっかけとして哲学や禅の本などに挑戦することもできた。(未だに自分内面との折り合いはついていないが。)本郷では、学校に行けなかったが単位は必要だったので、教科書を死ぬ思いで読破した。ひょっとしたらこれが初めて本当に自分勉強をした経験だったのかもしれない。(未だに文章を勝手読みしてはしょうもない勘違いをしたりするが。)

何が言いたいのか自分でもよく分からなくなってきた。なんでこんな話を書きたくなったのかもよく分からない。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん