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はてなキーワード: 護送船団方式とは

2015-03-04

anond:20150303174009

そうだな。

 

努力の空回りばっかり目につくし報われないように見えるな。

護送船団方式小泉がやめた、

ふるさと納税にせよNISAにせよ相続税にせよ、

知ってる人・すでに持ってる人が優遇される方向に社会進化した。

個人がFXに手を出してスイスフランショックで破産連続とか目を覆うばかりだな。

 

デジタルディバイド世代間格差、なんていっていいのかわからないけど、

安定した人間てのはそもそもサイトにいてくだらん情報をあさる必要もないんだ。

宝くじをあてたやつから先に透明人間になるんだろうな。

2014-04-26

http://anond.hatelabo.jp/20140426211309

前者は、究極的には小さな政府だろ。立派な政治だよ。

規制撤廃市場原理に任せていくか

護送船団方式で守っていくか?

 

という2つの話で、日本護送船団方式を選ぶけど、独自方式すぎて競争に負けるか、出足が遅すぎて競争に負けるかの2者択一

必ずしも市場原理に任せることがいいことではないけど、 

護送船団方式を取ることで、護送されてる人はいいけど、

護送されているひとが本来戦いたかった人を国の力を使ってフルボッコにして市場開拓されない。

っていう状況はおかしかろと。国主導の談合かと。

2013-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20130709194631

玉虫色を優しいというか、酷いというかだな。

作品を作っている身からすると、玉虫色は酷いだろ。

 

護送船団方式、といえば、聞こえはいいが。護送されてない人たちは、頭が高い控えおろう状態でもあるしなぁ。

 

ま、確かに、どこもかしこも、足の引っ張り合い、手柄の奪い合い、実際に作業している人間は表に出てる奴とは別のやつ。

くわばら、くわばら。

2013-01-15

http://anond.hatelabo.jp/20130115173311

開発力がなくなった理由であって、ドリルのような開発力があって資本力があった所は伸びている。という事だとおもう。

SAMUSNGに関してはSAMUSNG以外がひどくていま大問題だろ。あれを国が真似したらSAMUSNG以外が貧困化するということで、国策ではないだろ。

 

まり部品業に関しては伸びてきたが、パッケージ業については伸びて来なかった。パッケージ業が伸びなかった理由が、『行き過ぎた』護送船団方式

実際に、護送船団方式じゃなかった、部品業はある海外売上が程度伸びてるだろ。

 

SAMSUNGが正しいと仮定するなら、護送船団方式をやるとその企業は伸びるが、競争力がなくなって、他に貧困が広がってデフレ化する。という事が起きるわけで。

いま起きてるんじゃね?

 

だって護送船団方式って 政治力が強い企業守られて、政治力が強い人が出世して、そら研究開発が低下するんじゃね? で、他の小さな企業市場資本力で奪って、市場を衰退させるんじゃね?

護送船団方式が悪 とまではいわないけど、 行き過ぎていた。って事だと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20130115170959

いわゆる護送船団方式じゃないけど、横並びで、売り場抑えたものが勝ちで、独自の発想を売り場を抑える手法で封じ込めてきた分野が、独自性がなくなって、海外に負けているだけに見えるんだけど?

それ国内の小売とかなら理解できるけど、輸出産業で売り場を抑えたり封じ込めたりって実質不可能じゃね?相手は海外市場だぜ?

部品の取引で圧力みたいな話はわかるけど、君は部品の分野では日本は今でもリードしてるって書いてるし。

そもそも現代自動車サムソン電子だってあれ韓国の大財閥護送船団なわけで。

http://anond.hatelabo.jp/20130115165815

言える範囲でということなら、フジテレビか?何かに出ていた。

ドリル vs 金属 なんて正にそれなんじゃないか

世界シェアNo1 だろ。

いまだ、日本部品業はかなり売れてると思うが。Apple製品だって日本製部品は数多く採用されてるんじゃないか

パッケージ分野が弱いだけで、部品業はまだまだ、日本だろ。

 

普通に製品の単純な魅力だけで、売ってると思うけど、そういうのじゃダメなのか?

他にも、日本ゴルフクラブラバーだっけ?ラバー部分だけでガンガンうってるってテレビで言ってたけど?

 

流行ってるものの真似じゃなくて、十年二十年、独自に研究してきた分野は普通に売れてるんじゃないか海外に。

いわゆる護送船団方式じゃないけど、横並びで、売り場抑えたものが勝ちで、独自の発想を売り場を抑える手法で封じ込めてきた分野が、独自性がなくなって、海外に負けているだけに見えるんだけど?

 

話は違うけど、食品とか消耗品とか、スーパー向けも一時期ひどかっただろ。小さいメーカーでいい物があっても、スーパーに置かせない。という方式で倒産に追い込んで封じ込めてきたろ。

家電もそう。

2011-10-12

働かないアリからニートを擁護する愚論

http://blog.livedoor.jp/honkinohonyomi/archives/52529848.html

余力のある社会は強い//『働かないアリに意義がある』長谷川英祐 « 本気の本読み―グループ書評・本のまとめブログ


http://news.nicovideo.jp/watch/nw127033

http://nikkan-spa.jp/72646

http://nikkan-spa.jp/72665

ブラック企業の“大手”社員が激白「すでに社畜化してますね」 | 日刊SPA!


最近良く聞かれるようになった「働きアリの中にも怠けた蟻がいて、それは集団のためになっている。これは人間における労働者ニートの関係と同じだ。だから働かない人がいることは悪いことではない」という主張。これはまこと見るべきものを見ない唾棄すべき愚論である


単純に言えば、アリ社会


それにひきかえ日本人は、


端的に言えば一番最後こそが両者を分かつもっとも重要ファクターなのだが、こういった還元主義的発想は共通項ばかりを論って差異に無頓着である

ましてや仮にこの言説が一定以上の信頼性を持ち得たとしても、この手の大局的主張は個を幸せにすることはない。幸せになるためには物質的、精神的な満足こそが大事なのであり、それは様々な方法こそあれ、多くは労働によって達成されるのだ。

資産家の御曹司で余生も安泰だという若年層にとっては、それでもいいだろうが、多くはそうではない。そしてこの主張はそうでない「溜めも役割もない」人々に向けているのだから、どのみち的はずれである


ちなみに、「アリとキリギリス」などを引き合いに出して現代の「労働者ニート」問題に置き換える言説はこれより以前から見られたが、これはそれ以上に愚論である。そもそもキリギリスはまともに働こうが最初の冬には死ぬのだからニートキリギリスに当てはめるという事自体が残念な考えである。もちろん、この話が成立した時代においては仕方がない事情もあろうが、21世紀にもなってこのような話をしたり顔で振りかざしていては恥知らずしかいいようがない。


われら人類ニートの問題はこれら以上に複雑なのだから、このようなバカでも知った気になれるような矮小化に振り回されてはいけない。

2009-11-07

http://anond.hatelabo.jp/20091031180325

規制の強さも並程度だったはずで戦後日本官僚主導で成長したってのは怪しい。

護送船団方式とまでいわれた金融行政とか、農政とかかなり規制が強くないか?

許認可権や行政指導による事実上の強制で、かなり官僚主導の要素は強かったんじゃ。

政治55年体制に対して、経済では40年(1940年)体制ともいわれてたりするし。

2009-10-20

中国製乾電池の液漏れ

漏れが発生するのは、容器と蓋の隙間からというのが常識なのだが、外国製の乾電池が増えてくるにつれて、とんでもない場所から液漏れする電池というのが増えてきている。

深絞りで作られている容器に穴が開いたり、プラスの電極の頂点部分に穴が開いてという形態の液漏れである。

これらは、材質、プレス型、プレス速度のいずれかに問題がある場合に発生する。このうち、プレス型を作る技術が低くて発生するトラブルの場合、ロットが丸ごと不良品になるので、わかり易い。素材が不均質である場合も、ロットのかなりの範囲が同時に不良品になるので、比較的わかり易い。難しいのが、プレススピードを適性値以上に上げて製造している場合に、屈曲部の逃げが足りずに、結果的に中心部分ほど薄くなってしまうという不正プレスが発生する場合である。

プレスの速度を上げると、単位時間あたりの生産量が増加する。機械を増やすには設備投資が必要だし、プレス型も用意しなければならない。機械の稼働時間を延ばして、それでも需要を賄えない、あるいは、生産コストを削減しようとすると、機械の動作速度を引き上げるという事になる。

しかし、プレス型は、使用する素材の品質や厚さ、仕上がり精度や強度といった要素まで考慮して作られており、その中でも、プレス機の運転速度は、プレスの瞬間に素材にかかる力を考慮して決定されており、運転速度を守らずに生産すれば、見た目は問題無いが、実用上は問題ばかりの不良品が量産されることになる。

機械ノウハウを買い、原料を入れてボタンを押せば生産できるという手法では、生産効率を引き上げるには、どこかで無理をすることになる。

農村戸籍の二級市民をただ働き同然で使って労働コストを切り詰めるとか、公害対策を止めてコストを切り詰めるといった事をしているうちは、まだ良かったのだが、素材の質や生産方法で勝手に合理化をはじめると、不良品率が上昇していく事になる。

今回液漏れをおこしたのはマンガン電池であったので機材にはほとんど影響が無くて済んだが、電解液に腐食性のあるアルカリ電池やリチウムイオン電池であったら、基盤まで腐食されていたであろう。

日本メーカーですら海外生産している状態では、信頼できる乾電池を見つけるのが大変という事になってきている。乾電池のような基本的な製品は、利幅が小さいが、顧客の身近にある分だけ、ブランドイメージに関わる。

劣悪品が市場に存在するからこそ、高信頼品の価値が出てくるのだが、企業の活動が護送船団方式になっていたり、特許権新規参入事実上不可能な状態になっていたりすると、高信頼品ばかりになって利益幅が減少し、ブランドイメージにおいても、価値が無くなってしまうという結果を招く。利益を確保する為に競争規制したら、利益の源泉である差別化が不可能になってしまって停滞をおこすというのは、制度設計が間違っていたという事であろう。

2009-10-14

http://anond.hatelabo.jp/20091013225607

日本世界で唯一成功した社会主義国家、と言われていたのは、

国民皆保険とかの所得の再分配的な面ではなくて、

主に計画経済というか、

護送船団方式企業事実上国策保護されていたことのほうをさしているらしい。

自分も誤解していた一人だけど。

2009-10-13

政府借金は全部国民の預貯金不動産資産になるのだから、赤字国債バンバン出すべきである?

国債が全部国内で消化されている事から、このような発想が出てくるのであろう。国債外国外人投資家に買われている国家の場合を考慮できない視野の狭い田舎者マクロ経済を語るばかりか、統治しようという時に、理解できない物を理解した振りをする為に、間違った主張をしているのだが、それを、誰も教えられないという点が、権力者に物を教えることの難しさと言える。

表題の主張にしても、では、国民が預貯金を消費し、不動産資産を換金した場合、そのお金はどこから出てくるのかという問題を出せば、たいていの人は自力で答えにたどり着ける筈である。答えにたどり着けないならば、政治経済に関わるのはやめて、手に職をつけて身体を動かして稼ぐ仕事につくべきである。

お金はどこで作られているのかという問題がある。

造幣局で作られている紙幣貨幣の総量は、市中に流通している量のおおよそ5%以下でしかない。残りの95%は、信用供給によって発生したお金である。

市中銀行中央銀行法定準備金を積む。この法定準備の9倍のお金を、貸し出しして良いという事になっている。預貯金として集めたお金の9割を貸し出しに回し、1割を法定準備にするというのではなく、10割を法定準備に出す。というのも、お金の大部分は、金融機関の口座の間を転々とし、現金として引き出される額はその一部でしかない。したがって、現金として動いているお金よりも、数値情報のままで動いているお金の方がはるかに多くなる。この、数値として動いているお金の総量が、預貯金額(現金資産)の9倍の融資残高となっているのである。

つまり、預かったお金の9割を融資に出して、金利を稼ぎ、その利子から利息を支払うという状態ではなく、預かったお金を全額無利子の法定準備に積み、法定準備の9倍のお金を書類上の融資に出して金利を稼ぐという状態になっているわけで、貸し出しと預け入れの利差は、ばかばかしいほどに広がっている。

問題は、この9倍の融資予算を元利をきっちり返してくれる人や法人に貸さなければならないという点にある。規制と許認可で企業活動を縛り上げて間接金融による護送船団方式をやっていた時代や、地価の右肩上がりがあった時代には、この仕組みはうまく動いていた。

配当性向が0%に限りなく近く、しかも懲罰的累進課税によって、企業内部留保が十分に溜まって金融機関のお世話にならなくて良くなると、間接金融による護送船団方式はうまくいかなくなった。そこで、融資の先がマイホームへと向かうようになったのだが、今度は、地価の高騰からローンの期間が長くなり、労働者はローンを返す為に会社にしがみつかなければならなくなり、労使関係に歪みが出てきてしまった。過労死問題が出た後で、その反動雇用の流動化が出てきたが、企業側の主張だけが通って低賃金派遣労働ばかりになってしまった。

賃金水準の低下は、預貯金の減少を招き、法定準備を取り崩さなければならなくなる。法定準備を1割削ると、法定準備の9倍のお金融資に出しているのだから、削った法定準備の10倍の金額を貸し剥がさなければならなくなる。賃金水準の低下から購買力の減少が発生するだけならまだしも、バランスシート健全性を維持する為に貸し渋り貸し剥がしをしなければならなくなり、デフレ不景気が同時に発生してしまったのであった。

貯金額が減れば、必然的に融資予算も減少していくのだが、そうなると、内部留保が十分にある企業は良いが、それらの蓄積が無かったり薄かったりする中小企業は、資金ショートを起こしやすくなり、サラ金商工ローンといった、筋の悪い金を利用しなければならなくなる。

所得の減少から購買力の低下になり、さらに、資金繰りの悪化とつながり、日本産業構造だけでなく、社会構造も、かなりがたがたになってきている。

この状態は、国債を出してバラ撒きをやっても決して改善しない。自民党をぶっ壊すという小泉政権に対する300議席の支持も、その後の自民党の迷走に対する反発から、民主党へ投じられた300議席超の支持も、つまるところ、経済の行き詰まりに対する、国民からの請託である。しかし、民主党政権は、自民党の一番悪い時期の政権よりも酷いという事が徐々に明らかになってきている。

社会がまともであれば、母子加算や子供手当てといった政治的給付は必要ない。そんな制度が無ければやっていけないということは、社会が不健全であるという事に他ならない。

おそらく、健全社会という概念が存在していないのであろう。

行政司法政治がでしゃばらない社会健全社会である。貧困が無いとか、犯罪が無いとか、援助交際が無いといった状態が健全社会なのではない。それらは個人の問題であり、社会の問題ではない。それらが発生する原因を無くせないのが社会の問題である。汚職は個人の腐敗であり、汚職を摘発して関係した政治家を断罪できないのが社会の腐敗であるというのが、元ネタだったような気がするが、個別の問題に拘り、全体を見ないというのは、全体を見れないという能力の欠落をごまかす手段として利用される事が多い。

無能である事が判明したならば、速やかに席を空けるというのが、社会人として、世間に晒されている人としての、矜持ではないだろうか。

http://www11.ocn.ne.jp/~ques/diary/diary.html [2009.10.13]

2008-08-17

トリ-ナチ-経営学論争への個人的疑問総まとめ 続き

字数制限で文章ぶった切られたので。

http://anond.hatelabo.jp/20080817193348

●論点7

むしろ平時に「かわいそう」の論理を追求する方が、長期的には「かわいそう」な人を増やすのではないか。

共産主義崩壊なんて大袈裟な話は必要なくて、たとえば近代医療誕生によって駆逐された呪術医療の扱いとか、

ラッダイト運動の時点で生産性が止まっていたらとか、新興産業や技術革新誕生した時に「かわいそう」だからと

既存の業者を温存していたら、介護産業志望者にとってその助力を必要とする要介護者は、その年齢・状態に達する

までもなく死亡し、社会問題・産業となるほどの数までは至らなかったんじゃなかろーか。要するに最初からお役ご免。

幼少時はもちろん青年壮年期でさえ生きるのがとても困難な、「かわいそう」な人々の時代で止まっていたかも知れない。

そもそも「かわいそう」に感じる主体は誰なのか、「かわいそう」な相手は本当に「かわいそう」なのかを

考えてもいいはず。企業自身は例とされた百貨店を含め、いずれも利潤を上げる事を目的に活動している。

その意味では競合企業を「かわいそう」な目に遭わせる事を辞さないわけで、あくまで対等な競争の結果

「かわいそう」な状況に陥ったまで。そして企業自身の経営学上の実践としては、潔く市場から退出するか、

経営努力によって「かわいそう」でなくなる(≒相手を「かわいそう」にする)事を目指すかのいずれかとなる。

要するに、「かわいそう」に感じる主体(=個人)の思惑とは別に企業は活動している。百貨店なんて典型的な寡占業種。

では「かわいそう」に感じた主体が、どうしてもその感情の処理をしたい場合はどうか。すぐ思いつくのは「かわいそう」な

企業顧客となる事だけれど、売れ残るような商品を自腹切って買うのは何となく馬鹿らしいし、仲間集めをしても実質蟷螂の斧。

よって可能であれば行政の働きに期待する事も選択肢として浮上する。けどこの場合、長期的には「かわいそう」な人を

社会全体でもっと増やしてしまう。理屈としては既出だけどもう少し、かつての銀行護送船団方式を例にしてみる。

護送船団方式は最も弱い金融機関が維持可能なように、金利サービスなどを行政が細かく規制する事で達成されてきた。

実はそれは同時に最も競争力のある金融機関=強者が、競争を免れ仕事ぶりに比して高い超過利潤を得る事も可能にした。

で、その超過利潤って、結局サービスの受益者である預金者や融資先の企業家計の負担の事なんだよね。

この場合「かわいそう」の論理は「かわいそう」を他に転嫁しているだけで、弱者でも何でもない連中に援助の手をさしのべただけ。

そして社会全体のリソースの量は(経営革新・合理化が停滞する分)そうでなかった場合よりも下がる。

やがては再分配として割くべき財源も底を突くかもしれない。

他に農林水産業も同様。実際フリーターでもした方がもっと楽に儲かるかも知れないのに、規制を掛け、補助金を注ぎ、

非常に高率な関税を掛ける事で無理矢理維持している。特に穀類なんかはそう。結果、消費者レベルでは非常に高額な

(国際的な食料価格高騰でもまだ輸入した方が安い、しかもそれらは補助金で安くした価格)負担を強いられて、

エンゲル係数の高い層は「かわいそう」な状態に追い込まれている。こうした政策は消費者はもちろん、生産者個人に

とっても長期的には為にならない結果をもたらしている。食糧安保の為と言う人もいるが、異論もあるしここでは議論しない。

また敢えて「大袈裟な話」をすれば、クメール・ルージュが君臨したカンボジアがその代表例と言えるよね。

ブルジョワインテリエンジニアなど高い金融・物的・人的資本を誇る階層を「搾取」の根源として「排除」または転向させ、

近代的な制度や設備を次々に廃棄、他国との交易や援助も拒否し、ほぼ全人民が農民という「理想社会」を建設した。

そこでは全員が平等に生産性が低いから、勝ち負けや格差があるという意味での「かわいそう」な人間はほぼ消失

しかし結果的には、凄まじい生産性の低下によって餓死者が続出し、またそれを少しでも埋め合わせる為に強制的かつ過重な

労働が営まれ、それが更なる犠牲者増加を招いた。政治粛清の10倍以上、百万単位人間が誤った経済観の犠牲者となっている。

無知ヴェールからも到底正当化出来ない、地獄のような社会であった事は間違いない。最近じゃジンバブエも似たようなもん?

シンプルに考えると「かわいそう」の論理は、利益追求が本業でいくらでも換えの利く企業等の事業者ではなく、

本来個人に対して適用すべき話のはず。経済上の競争では敗者は消え去るわけではなく、労働力という資源としてきちんと

再利用できるように、その生活や就業機会をある程度保障・支援する必要がある。しかし(完全な)人権享有主体ではなく、

もちろん資源そのものでもなく、効率本位の存在ながらその意義を否定された衰退産業・企業は、資源の浪費を生み、

社会が利用可能なリソースを減らすという観点から、長期的には退場して、その所有・利用する資源市場に開放するのが好ましい。

有限な資源は、それをより有効に扱えると考えられる勝ち組企業に集中させるべし。

大雑把に言えば個人さえ救済出来れば何の問題もない。個人への再分配こそ行政の目指すべき使命で、企業にはあくまで競争

以上から「かわいそう」の論理経営学講義において差し挟む事は論外として、それを(たとえば経済学上の実験として)

企業間の競争に適用し、行政の使命としてその論理を貫徹させる事は、社会全体はもちろん当人らにも長期的には好ましくないと言える。

あとノロウイルスなんかが蔓延した場合に「かわいそう」だから隔離は止め、なんて事になったらかなり悲惨になりそうだしね。

実際、発生当初何が何だかわからないまま被害が拡大しちゃった所が沢山あったようだけど、それがもっと酷くなる。

そもそも要介護認定という制度がある以上、あるいは医師や他のコメディカルではなく介護労働者ケアさせている時点で、

介護産業自体が大前提として「トリアージ」的論理を含んだ物と言える。専門家がいれば必ずノロの被害が抑えられたって

事もないんだろうけど、その辺の出来る事、出来ない事の区別は重要だと思う。医師ですら時にそうなるんだから、

燃え尽き」ない為には、全能感をなるべく遠ざけておく方がいいかも知れない。

●論点8?

・・・で、倫理を批判応酬の基準に置いている以上、論争当事者人間性について何か書いてもいいんだけど、

そういうのは本人の認識より第三者の素の反応の方が重要だと思うんで、不要な面倒を呼び込む恐れもあってパス

他にも何か書きたい論点があるような気はするけど、面倒なので止め。

2008-08-10

http://anond.hatelabo.jp/20080810180212

ま、完全に必死モードだというのはよく分かった。

>別にちょろっと引用するくらい手間じゃないでしょ、引用してみてよ。あるんならさw

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6

経済学(けいざいがく)とは、この世において有限な資源から、いかに価値生産し分配していくかを研究する学問のことである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E5%96%B6%E5%AD%A6

経営学は、いかにすれば企業(およびそのほかの組織体)がその業績や効率性を向上させることが出来るかを明らかにしようとする

>不老長寿でも病気はするんじゃねえ? 以降

しないよ。免疫力も無限だから。さらに自己免疫反応の可能性も無限に低い=ゼロ

加工も輸送も瞬時。生存コストゼロだから給料を払う必要がない。何ならロボットでもいいしね。

無限というのは文字通りあらゆる物が無限なわけ。この仮定のもの凄さはよく分かってもらえたかな?

>そういう主張が経済学教科書にある例を挙げてくれ。

主張というより実証の問題だね。そこは過去レスにいくらでも例があるから調べてみてね。

>当たり前の話だけど、トリアージなんてしなくてすむならしないほうが絶対いいわけだが。災害事故対策や、十分な救急リソースの準備が間に合ってれば、やらずにすむわけで。

分かってないな、この世は全部トリアージ的な物なの。誰もが常に何かの選択肢を切り捨てて(or無視して)何かを選択している。

個人個人の選好に応じてね。それを最もクリアに例示できるのがトリアージというだけ。リソース無限の仮定の馬鹿らしさと

場違いさは繰り返さないよ。資源が欠乏しているという前提から考える事が必要。

>で、君の考える利益の計算には、「百貨店がかわいそうだからなんとか残しましょう」というものは入ってないということだな。

いや、誰それの考えじゃなくて個々の企業の頭には利益の最大化しかないっていう、単なる現実だよ。

「かわいそう」の論理では、長期的に誰もが「かわいそう」になるという例は誰もがいくらでも思いつくから省きたいな。

まあ多少脱線して、行政の介入でみんなを生かせばどうなるかという例を考えてもいいよ。

たとえばかつての銀行護送船団方式。これは最も弱い金融機関が維持可能なように、金利サービスなどを

行政が細かく規制する事で達成されてきた。そしてこれは同時に最も競争力のある金融機関=強者が凄まじい

超過利潤を得る事を可能にしたが、その超過利潤は結局サービスの受益者である預金者や融資先の企業の負担だったんだね。

「かわいそう」の論理は「かわいそう」を他に転嫁しているだけだし、実は弱者でも何でもない連中

援助の手をさしのべているだけかも知れない。そして社会全体のリソースの量はそうでなかった場合よりも下がる。

百貨店を潰さないことを前提に考える経営学はありうるの? ありえないの?

逆だって。「百貨店を潰す論理トリアージ」が経営学にとって許されないとそちらが論証する必要があるの。

何度も言うけど、有限な資源の下では、それを最も効率的に運用出来る人間資源を集めるのが、

短期的には勿論長期的にも結局は社会の為になる。こと企業間の競争であればね。

>すっげえブーメラン

なんないなんない。こちらは(あそこまでは)見苦しい行動なんかしてないし非難する事が目的じゃないから。

本当に「あたまがわるい」人なのかな?率直な感想でいいんだよ。手近な身内に見せてもおk。

そうかあ、相手が半日仕事したり飯くったりしてたら君に反論できなかったことになるのかあ。

週末なんだからその辺の条件はもっと緩いよね。何より壊れたレコード状態の人が現にいるわけだし。

2007-06-20

例の懲戒請求

http://anond.hatelabo.jp/20070620014455

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2007061901000505.html

詳細な事実関係を確認できない第三者が懲戒請求を乱発しているっていうのもヘンな話だけど、その懲戒請求に対して「被告が弁護を受ける権利を否定する言動に抗議し、直ちに中止を求める!」とか「基本的人権を守る弁護士への攻撃だ!」とか、いろいろとヘンな緊急アピールを発しているというニュースを見たとき、「弁護士って法律を知らない一般人(ド素人)から、自分たちの世界のことに口を突っ込まれるのがイヤなんろうな??」と感じた。

ナベツネ風に書けば「たかが一般国民が俺たちの世界に顔突っ込んでくるな、この無知で無礼な愚民どもが!」かな?

わかるわかる、この弁護士たちの気持ち! 俺も専門家の端くれとして、一般人(=ド素人)から自分の仕事業界について口を出されるのって、正直ウザいし、そもそも一般人の無責任かつ短絡的な発言ってほぼ全て論点がズレズレだし。

でも、たとえ言いがかりに近い内容でも、批判めいたことを指摘されている最中に公然と口や行動に出してしまうようでは専門家として失格だと思う。

専門家側がムキになって反論すれば、火に油を注ぐだけだし、ただ叩いてみたいだけの素人の思う壺だし。

なぜ一般人から専門家である自分が批判されているのかを冷静に分析できないと、専門家である自分を信じて仕事を任せてくれている一般人からの期待を裏切る(=そして仕事も信用も失う)ことになるし、自分の専門家としての成長もそこでストップしちゃうと思う。

専門家が怖いのは、他の専門家から自分の仕事内容をチェックされること。お互い専門家なので、仕事の成果を見れば相手の能力がスグに判っちゃう。

この専門家同士のチェックが正常に働いていれば良いんだけど、概して専門家はお互い同じ苦楽を共にしている仲間として、他の専門家の行為に対して批判することに躊躇を感じてしまうもの。もちろん躊躇を感じたとしても、客のために客観的な現状分析と解決策を提示するのが専門家としての使命だし、それができなきゃ客を取ってこれないないんだけど。

でも各種規制に守られた護送船団方式業界だと、業界自体がギルド化しちゃって、客を奪いたいという意識よりも、外部の批判から団結して自分たちの世界を守りたいという意識が勝っちゃうのかな?

そんな不遜な態度で一般人と接していると、その業界常識は一般人の常識からどんどん遊離し、最後には一般人からの共感性や支持を失って捨てられちゃう。

なんか独裁者共産主義の末路を連想しちゃったけど、始まったときは素晴らしい理想を抱いており、また彼らは市井愚民よりはるかに優秀だし力を持っていたとしても、あまりにも遊離すると支持を失って足元から体制が崩れちゃう、と。

ちなみにこういった勢力が権力を維持する手段は恫喝と監視と弾圧。なんか某緊急アピールと、それを支持するBlog群を連想しちゃった。

弁護士弁護士会って外部からの干渉からその崇高な理想と使命を守るため、国や外部機関から監督されることなく自律的に活動することが保障されているけど、「絶対的権力は腐敗する」との言葉どおり、外部機関からの厳しい監査に晒されることのない弁護士業界は、お互いの傷の舐めあいのために自浄機能が働かず、腐敗が進みやすいのかな、と思った

2007-01-30

ちゃんとしたものが作れない理由を考えようよ

http://anond.hatelabo.jp/20070130012931

今回のあるある番組は、下請けの下請けが作っていたという。

これは俺の想像でしかないのだが、だいたい、こういう類のもので、

組織の階層構造が多段になっている場合は、

「ちゃんとしたものを作るために」プロセスが決まっている。

だから、今回も、実験を始めたりするまえに、

番組の構成としてはxxで、yyのような実験をしてzzの結果を出します。

aaさんにインタビューした結果をこのタイミングで挿入します」

というような企画書あるいは設計書が事前に関西テレビ担当者との間でレビューされていたはずだ。

おそらく、ここでは捏造は考えてなかった。うまくいくはずだったんだろう。

いや、この時点でうまくいかないと下請け側の担当者は思っていたかもしれない。

しかし衝撃的な実験結果を出すとか、決定的なインタビューを入れるという内容を企画書に盛り込まないと、

受注が成功しなかったのかもしれない。

そして、これが受注できなかったら会社がつぶれる、みたいな瀬戸際だったりすると

どうしても楽観的な計画を立ててしまう。

で、まあとにかく、途中でうまくいかないことがわかってきた。

測定するのに適切な実験をやっていなかったことが判明したとか、

そもそもそういう測定はできないんだとか、

インタビューした結果がショボかったとか、

番組制作を請け負った会社としては、「やります」といった手前やりきらないと会社の信用を落とすことになるし、

とはいっても少ない予算で受注しちまってるんで製作を2重化してリスク回避なんてのもできないし、

これがちょっと前みたいに企業軍団というか護送船団方式っぽい感じの企業間の付き合いになってたなら、

「すみません今回はミスで番組しょぼくなっちゃうんですが」「しょーがねえなあ次はがんばれよ」

みたいな感じで済ますこともできたかもしれないが、昨今の流動化の激しい世の中では、

「すみません今回はミスで番組しょぼくなっちゃうんですが」「レビューのときはできるっていってたんじゃないかお前のところでなんとかカバーできないのか。ダメだったら仕方がないけど次からはちょっと発注するの考え直すわ」

みたいな感じになる可能性も高いだろう。

そうなったら下請け側責任者にとっては成果主義が行き届いているせいで今期の評価が最悪レベルに転落する。

会社の業績もすげーさがってしまう。

それはなんとしても避けたい。そうすると下請け側責任者は現場担当者

「なんとかしろ」「なんとかしないと皆のクビが飛ぶぞ」「なんとかなるまで帰るな」

というように脅すようになる。そうなったら

「どうせクビが飛ぶんなら、もういっそのこと捏造でもいいか…」という思考にいきつくまでにそう長くはかからない。

いや、さすがに最初のうちは

「でも捏造なんて人としてやってはいけないことだ」と思っている。ところが徹夜を3日くらい続けるとおかしくなってきて

「この地獄から抜け出せるなら捏造するくらい…」という感覚になってくる。

年始に放送されたあの番組年末進行でクタクタになったスタッフがやっちゃった結果なのかもしれない。

さてこの俺の妄想シナリオではちゃんとしたものが出来なかった理由としては

「下請け構造」「系列の流動化」「それに伴うコミュニケーション不足」「成果主義」あたりが挙がるわけだが

こんな妄想ではなく、事実がどうだったかというのはぜひ解明されて欲しい。

叩くだけでは真の原因は排除されないと思う。

2006-12-08

日本人

仲間意識が強いのではなく、相互監視するのが好きなだけ。

その事は『社会的ジレンマ―「環境破壊」から「いじめ」まで』という書籍の中でも明らかになっているが、ある実験を通してわかった事は日本人アメリカ人などより個人主義的であるが「他人の目」を気にする、所謂相互監視的であるのだそうだ。

なので社会主義なんかは物凄く上手く機能すると思うよ。終身雇用銀行なんかの護送船団方式を見てると日本って社会主義国家だよなあと思うけどね。

http://anond.hatelabo.jp/20061207194931

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