「焦燥感」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 焦燥感とは

2010-05-15

36歳無職。既婚。共働き

会社を辞めて早3ヶ月。家でごろごろしている。

Amazonで買ったはいいが「暇になったら」と積まれた本もDVDも消化していない。

休みが取れなくて」とぼやいてい海外旅行にも行っていない。

月給100万円で手取り70万円だった。

深夜コンビニの帰りに(あー、300万円もらえるはずだったのに)と考えたら、

猛烈に焦ってきた。

でもこの焦燥感も寝て起きたらなくなってるんだろうな。

2010-03-17

彼は同じクラスに友人がいない。現在大学三年生である。

常に一緒にいるような友人はクラス内におらず、高校から一緒に進学してきている馴染みの者しか、友人と言えるようなものがいない。そしてその馴染みの友人と言うのが全て別のクラスに在籍している。つまり一緒に授業を受けるクラスメイトがいないし、どうでもいい話ができるようなクラスメイトもいないということだ。かろうじて知り合い程度の、たまに瑣末な情報交換ができる程度の「知人」が数人いるばかりである。

彼はクラスの中で孤立している。留年した過年度生かと思われるほどの浮き具合である。いや、それならばまだ諦めがついていたことだろう。同世代のクラスメイトがいないのであればまぁ、しょうがないよな、と達観できたであろう。彼は他の大多数のクラスメイトと同時期に入学し、大多数がそうであるように現在二十歳である。残念ながら。

なぜ彼に友人がいないのか。それはおそらく、友達になろうという気概を彼が他者に対して積極的に向けなかったからであろう。無理に友人を作ることはない、今は他にやるべきことがある、それを終えてからでも遅くはないだろう。という考えが1・2年時の彼にはあった。彼が言う「やるべきこと」というのは、アニメを見る・バイトをする・本を読むなどなどの他者から見れば友達を作れないことへの言い訳めいた事柄ばかりである。この時点はまだ友達ができるか分かっていない状態だから、友達が作れない『かもしれない』という恐れから「友達は作れないんじゃなく作らないのだ」と言い訳するために作った事柄に見える、と言ったほうがよいだろう。

では実際はそうではなかったのかというと、彼にも確かなことが分かっていない。

大学入学前から彼の心には不穏な何かがあった。入学直前の休みの間、彼は形容しにくい焦燥感に駆られていた。ちょうどそのころ進学に伴い好きな女の子と離れ離れになってしまうし、告白はしたが遅すぎたというやや落ち着かない状況でもあったから、心がぶれてもいただろう。新天地である大学へ前向きに進んでいくような心を持てていなかった可能性はある。なおかつ彼はどういう理由で大学へ行くのか、大学の向こう側にどういうビジョンを持つのか、自分なりに答えを定めていなかった。周りの人々や情報に身を任せ、自立ならぬ他立でもって過ごしてきた彼に、志や譲れない何か、まして断言できる事柄なんて、頭の中にも腹の底にも無かったのである。

それでありながら彼はたまたま大学に受かってしまった。高校もなんとなくで受かっている。そこで高校もしくは大学に落ちていたら何か変わっていたかもしれない。流されるままの自分を見直す時期に恵まれていたかもしれない。言っても仕方のないことを言うのはそろそろやめておこう。流れに身を任せるだけの生き方を選んできた彼の自業自得だ。

そうして彼は流されるままに大学へ進んでいかざるを得なかった。自らの足をどこへ向け歩ませればよいのか、どうにもはっきりしない。今の僕の中にあるもやもやがそれである。

彼が求めているものはなんなのだろう。希望を見出せる未来だろうか?それとも一緒に歩んでいける友だろうか?それは彼には判らなかった。だからこうして文章を書いている。分かっていただけているだろうが、「彼」とはここまで文を書いてきた僕である。主語を僕とか私とかにするとどうにも正直に書けない。一応ここまで書いてきたことは、自分の中では極めて客観的なものだと感じられる。僕はこうして自らを「自分の中の他者」の視点から書くことで自分をしっかり見つめ直そうと考えた。ゆえに書いた。

2010-03-14

日護会の街宣のきっかけは俺かもしれない

日護会が、東京都青少年健全育成条例改正問題について動くらしい。

Twitterで批判的な話がたくさん出て、大騒ぎになっている。

◆緊急街宣

東京都による『青少年健全育成条例改正案』に断固反対!

今や大衆娯楽を超え、芸術文学の域にまで昇華した

日本マンガ文化破壊を許さないぞ!

人権カルトによる過剰な規制化を阻止すべく、

秋葉原オタク達よ、立ち上がれ!

http://seaside-office.at.webry.info/201003/article_6.html

俺は、この件に関して心当たりがあった。

増田だから告白する。日護会メールを送って取り上げるよう頼んだのが俺だ。

もしかしたら俺以外に複数いるかもしれないが、俺は間違いなく送った。

俺は何人かの都議会議員手紙を送ったし、出版労連雑誌協会に電凸した。

日本ペンクラブ日本漫画家協会アニメーター組合にも凸した。

中核系か革マル系かは分からないけど、左翼市民運動家にも動いてほしいとメル凸した。

で、メル凸した団体の一つに日護会がいたわけ。

俺が最初日護会メールを送った時は、藤本由香里氏が動く前だったからな、

誰も取り上げないことに対する焦燥感があって、日護会に動いてほしいと思ったわけ。

で、黒田大輔会長から是非取り上げたいと返事があったわけ。

土屋敬之氏の事務所に問い合わせようとしたと話した。

土屋氏はガチガチ右翼だからな。日護会がうまく説得すれば、

もしかしたら反対に回ってくれる可能性があるんじゃないかと思ってた。

で、返事に対する返事を書いたけど、他に取り上げるべきことがある

子ども手当とか、朝鮮学校の無償化なんかが、ウヨが食いつきそうなネタ

から取り上げないと思ってた矢先に街宣活動をやると聞いた。

おお、遂にやるか!!と俺は思ったわけ。

だけど、Twitterの反応を見て驚いた。批判的な意見ばっかりなわけ。

ウヨが日護会を持ち上げる意見もほとんどなかった。

ああ、やっちまった…と俺は思った。

けど、後の祭り。もう連中を止めることはできない。

例えるなら他の馬がムチで叩いてもちっとも動かなかった中、

ムチで叩いて手ごたえがいい馬がいたけど、その馬が暴れ馬だったというわけ。

俺は所詮「無能な働き者」だったのか!?

都議会議員に数通しか送ってないから怠け者だろ!?とさえ思うのだが。

2010-03-12

とりあえず、やっちゃったものはしかたないから

貞操どうこう自体はなんとも思ってないよ。

居場所がない焦燥感を抱えている人は多いと思う。

2010-02-25

  

上を見れば敗北感。

横を見れば劣等感

下を見れば優越感。

前を見れば絶望感。

後を見れば焦燥感

目を閉じれば孤独感。

2010-02-24

こうして偽善くさい発言を繰り返してるうちに

自分はどんどん世界中エロから置き去りにされている。

その焦燥感。やるせなさ。

明日は世界中人間が一人で寝ますように(呪い)。

2010-02-10

もしかして鬱かもしれない

最近ぼんやりと「もしかして私、鬱なのかもしれない」と思うようになってきた。

それと同時に「いや、鬱の人は自分のこと鬱だとは思わないらしいから私はまだ大丈夫」ても思う。

ゆっくりゆっくり自分自身が壊れていくような感覚

もうダメかもしれない、と、いやまだ大丈夫、の間を気持ちが行ったり来たりする。



もともと会社勤めの正社員で、フルタイムで働きながら水商売ホステスを掛け持ちして、ついでに風俗嬢もやってた。

働き続けた理由は色々とあるけれど、一種の強迫観念じみたものがあったことは否めない。

特に風俗嬢経験したのは強迫観念じみた焦燥感に突き動かされた部分が大きい。

とにかく働かなければと思っていた。風俗嬢をやらなければいけないと思っていた。

一昨年の秋ぐらいから働き始めて、昨年末まで正社員ホステス風俗嬢をかけもちしていた。



年末風俗嬢を辞めた。

生々しい話で申し訳ないが、お客様フェラチオした後に帰宅して夕食を食べることができなくなった。

三十分前までペニスを頬張っていた口で食べ物を咀嚼し飲み込むことができなくなった。

洗い流しても落ちないローションの匂いとかお客様キスされた後に残るかすかな体臭に耐えられなくなった。

急におとずれた拒否反応に、自分でもびっくりした。

風俗一本を本業として生活している嬢の皆さんがすごいと思った。

自分がそこに辿り着けないことに、自分の弱さを見るような思いを抱えながら、結局店を辞めた。




風俗嬢を辞めた分、ホステスを頑張るようになった。

わかりやすく指名が増えた。

店で人が足りないと言われれば出勤し、担当しているお客様から○日に店に行きたいのだけれどと言われれば休みをとっていた日でも出勤し、そうこうするうちに正社員ホステス両方の休みなく週6日フル出勤したりもした。

働いている間はなんとかなる。

店に出勤し、同僚の女の子と他愛ない話をかわし、アルコールを飲みながら馴染みのお客様と話をしている間はなんとかなる。

そのかわり、店から帰宅してから、正社員仕事だけでホステスを休んでいる夜に、何の予定もない日曜日に、ひどい憂鬱間と脱力感にさいなまれるようになった。

会社に行くためのブラウスストッキングと下着を洗濯し、バイトお客様に外でお会いするときのための洋服の手入れをする、ぐらいが精一杯になってしまっている。


もともとメンタル面が弱い自覚はある。

自覚はあったのだが、症状がひどくなった。

息ができなくなる。動悸がして、手足が冷たくなって力が抜け、やがて体全体から力が抜けてしまう。

時々あった症状がほぼ毎朝のように襲ってくるようになった。

毎朝目覚めると毛布の中で丸くなる。

力が抜けて冷えきった手足を丸めて息苦しさに耐えながら、もう今日は休んでしまおうかと何度も思う。

そうなるともう何もかもが怖い。人に会うのが怖い。仕事でとんでもないミスをしそうで怖い。昨日も顔をあわせた同僚や先輩の前で、今日自分はちゃんと話せるだろうかと思う。

思いながら、会社に行けばなんとかなるのだからと思い直し、ずるずると布団から這い出して会社に行く支度をする。

毎日毎日、朝がまるで地獄のようだ。

夜になると苦しさは少し薄れる。

そのかわり眠れなくなる。眠りがひどく浅い。もう寝なきゃ明日も仕事なんだからと思いながらむりやり目を閉じ、このまま気が狂ってしまったらどうしようというわけのわからない不安感にさいなまれながら眠りにつく。


自分はもしかして鬱なのかもしれない、と思う。

あるいはこのまま鬱になってしまうのかもしれない、と思う。

まだ仕事ができているんだから大丈夫、とも思う。

明日には本当の本当におかしくなってしまっているかもしれない、とも思う。



もしかして、もしかしたら鬱なのかもしれない。

でもそんなこと誰にも言えないし相談しようもない。

どうしようもないからこの場を借りて自分不安感を吐き出させてもらって、明日も普通に起きて会社に行ってバイトに行く。

働き続けることでなんとなく「私はまだ大丈夫、鬱じゃない」と証明できそうな気がする。

証明することに意味なんかないのかもしれないけれど、それでも働き続けずにはいられないのだ。

どんなに息ができなくなっても、毛布の中で泣く夜と朝が続いても、私にはこれしかない。

2010-02-09

買ったはいいが、手をつけていない本やゲームなどが蓄積されていくと、義務感を抱くようになる

「読まないといけない、プレイしないといけない」

積み重ねられたそれらを見ていると、焦燥にも似た感情がわきあがってくる

「ならとっととやればいいじゃん?」と自分でも思うが、なぜか手をつけられず、

そのくせ新しく発売される本やゲームを次々と購入し、積んでいってしまうという有様である

買うまでは期待していたし、面白そうだなぁとは思っているのだが、いざ購入すると途端にやる気がしぼんでしまうのである

この頃になると、もはや楽しむという気持ちはほとんど残っていない

焦燥感じみたい義務感から、「本を読む、ゲームプレイする」という気持ちが、「山を崩す」という表現になっているのだ

これでは楽しめるものも、何も楽しめないではないか?

単なる作業ではないか・・・

現実から逃れるためのツールが、現実と同じくらいに辛いものになってしまうという、悲しい現象である

「いいじゃん楽しみがたくさんあって。いずれやるし。むしろ絶版とかになって手にはいらなくなるよりは、

今のうちに確保しておいたんだよ」という具合に気持ちを新たにすることが出来れば、解決の道はひらけるのだが

2009-12-14

家族の愛。

今日ほど両親や兄妹のありがたみを感じた日はない。

その思いを自戒のために書いておく。

今日は色々あった。

いや、今日まで色々あった。

私は、地方から出てきた就職活動中の4回生(しかし、諸事情で3浪の子と一緒)

他人に迷惑をかけることが苦手で、極力自分の力で頑張ってきた。

一応内定は貰っているけれど、そこに行く気はあまりしない。

だから、今まで頑張って就活していた。

夢があったということもある。

けれど、あまり上手くいかず

長引いた分、卒論にも影響が出ていた。

うちの学部では卒論提出が卒業必須条件な為、また就活についてももう残り少ないことがプレッシャーとなり

危機感と焦燥感だけが自分の心の中に積もっていった。

その状況が辛いと思っていたけれど、

「周りの人も頑張っているんだ」

自分で解決しなければ、これから一人でやっていけない」

と思い、誰にも相談せず、行動していた。

けれど、左目がずっと霞んだり、急に吐き気がしたりと

最近あまりにもしんどいので、大学の心理カウンセラーのところに相談に行ったら

「一度、病院の方へ行って診断を受けてください」と言われた。

で、行ったら医者

「週一で病院に来てください。大丈夫ですよ、経過を見て判断しましょう。」

って言われて

「もしかして、鬱なの俺??」って思ってしまった。

多分、違うと思うけど。

でも、ふと今までの短い人生を振り返ってしまった。

元々、大学へは教員になることと自己を変えるいいキッカケだと思い入学を決意した。

その時、両親からの援助は期待できるものではなかったが、それでもいろいろと面倒見てくれた。

進学の為にお金を貯め、その傍らで勉強をして学費一部免除で入学した。

その後も、生活費を稼ぎながら、教員になる為に勉強してきた。

だけど、採用試験には落ちた。

就活も、行きたい企業には落ち続けた。

一昨日も最後だと思って受けた企業に、2次で落ちた。(3次で終了)

何と不甲斐ない。何と親不孝な自分だろうか。自分は必要のない存在なのかと考えていた。

疲労困憊の中、今日バイトに行くためバイクを走らせていたら

事故をした。

自分はほぼ無傷だったが、滑っていったバイク店舗の大きなガラスを一面割ってしまった。

どうしようと思うあまり、体が震え、言葉が出てこない。

何とか、話をし終わり「弁償」という事になった。

それで、一応バイトを休んで帰ってきた。

暗い部屋の中で、ずっとどうしようかと考えていた。

お金はない。」

「行動する気力が湧かない。」

「もう、考えるのがしんどい。」

「いろいろありすぎて疲れた。」

そんなことばかり考えて、追い詰められた。

このままではどうしようもないと、迷惑をかけたくなかったが親に電話した。

弁償のことと今の自分の状況を説明したら、怒れられた。

「もうしんどい、疲れた。ごめんね。」

とだけ言い残して切った。

その後、何回も電話があったが取る気がしなかった。

でも、あまりにもかかってくるので、電話に出たら

オカン泣いてた。

その時、いろいろな感情がこみ上げてきて

10年ぶりくらいに嗚咽を出して泣いた。

「不甲斐ない息子でごめんな、今回も迷惑かけてごめんな。」

「甘いかもしれんけど、もう、しんどいんよ」

って言ってたら、オカンが

「何を言いよんで、全然そんなこと言わんでええ。迷惑かけられるのが親なんやから。」

「別に教師になれんでもいい。あんたが頑張ってきてたのは良く知ってる。だから、今回のことは心配なんかせずこっちに任せられや。」

親父は

「お前は俺の子なんやから、そんなもんに負けるわけがない。何の心配もせず、前向きに生きろ。今回も気にするな。」

「変なことだけは絶対に考えるなよ。大事な息子なんやから、絶対にするなよ。一度、帰って来い。大丈夫だから。」

月並み言葉かもしれんけど、それ聞いてまた泣いた。

疎遠になってる姉ちゃんも妹も心配してくれた。

家族の絆とか、両親の愛とかちょっと小バカにしてたけど

今日ほど、両親や兄妹の絆を感じた日は無い。

ありがとう、親父、オカン。

そして、姉ちゃんに妹。

自分はこの家族でよかったよ。

ホントにありがとう。

心配だからって、明後日来てくれるらしい。

それまでに元気になっておくよ。

それで、これから恩返しするよ、絶対。

ホントにホントに、ありがとう。

2009-12-08

ライバルを蹴落とすための勉強に励み、 医学部入学後ひきこもり

中学生のころから、親や教師、同世代の人間とは、偏差値単位媒介とした感情のない利害関係しか結んできませんでした。偏差値を上げ、実力試験模試などで高順位をたたき出すことによってのみ、親に自分の存在が認められると感じていました。教師や同世代の人間に対しても同様に感じており、高校生になり大学受験意識してくるようになると、学校に行っても勉強以外のことで話すことはほとんどありませんでした。次第に昼間食堂で彼らと一緒に昼を食べることが鬱陶しくなってきて、その時間図書館で寝ていました。放課後も急かされるように家に帰り、夜の塾に備えていました。勉強で誰かに頼ったり、お互いに励まし合ったりしたことはありませんでした。

その一方で、他人との争いを前提とし、ライバルを蹴落とすための能力を鍛練するしかない日々に脅えきっていました。一度負けたらもう駄目だというような精神的な圧迫を、絶えず胸に抱いていました。誰にも自分の本音を語ることができず、親や教師などの大人が求めていることをロボットのように忠実に行ってきました。学校に通いひたすら暗記を繰り返し、偏差値を上げていくことを感情を殺しこなしてきました。

やがて医学部合格しました。将来医師になって人を救いたいという夢があったわけではなく、偏差値が高い大学しか志望することができなかったのが実状でした。親や教師から直接偏差値が高い大学に入るようにと迫られたことはないのですが、当時は彼らが存在するだけで強いプレッシャーになり、東大京大、国公立医学部しか志望してはいけないと迫られていると感じていました。

受験戦争が終わり大学に入ると、偏差値というこれまで自分の存在を示す唯一の手段が失われてしまいました。大学の授業以外の時間は、特に同世代の人間と遊ぶといったことはなく、塾のチューター家庭教師バイトをしたり、運動をすることが好きだったので、ジムに通い筋トレ水泳などをして体を鍛えていました。勉強に対する意欲はなく、単位を取るだけのための底の浅い学習で、試験が終わると頭から抜け落ちて役には立たない代物でした。

この世界のなかで、自分にとってお互いに心情を理解し合えるような人間はおらず、社会に出て苦しいことが起きても、誰にも相談できず、全てたった一人で乗り越えていかなくてはならないという現実に気付き、強い危機感が絶えずおそってくるようになりました。このような自分の状態では、必ずどこかで心が破綻してしまうという確信があり、どうにかして心を開いて接することができる人間と巡り合いたいと切実に求めていましたが、それはかないませんでした。大学も4年生になり後2年で卒業して、医師として非常に責任の重い社会生活をこれからずっとたった1人で送っていかなくてはならないことを考えると、心が沈む一方でした。私は大学を休学しました。

2000年以降、ひきこもりの実態をマスコミを通して知るようになり、自分主体性のない生き方について改めて見直してみようと考えるようになりました。ひきこもりの実態を知るまでは、自分がどのような状況にいるのか自分自身が良くわかってはいなかったのですが、さまざまな情報に触れるようになり、自分自身の状況を客観的に見ることができるようになりました。やがて、これまでの反省から、今後何を信条として生きていくのかという問題に取り組んでいかなくてはならないと考えるようになってきました。

主体性をもって生きていくためには、これまでの親子関係を根本から改善していかなくてはなりませんでした。思春期以降、親との間に自分喜怒哀楽入り交じった感情を含んだ遣り取りが全くなく、ただ感情を取り繕い、迎合していただけだったというのが実状で、その実状を自分自身で認めたときには、これまでの人生は何だったのかと愕然としました。

私はもうこれ以上、こういった親との「上辺だけの良い関係」を維持していくことに意義を感じなくなり、親に対して自分の素直な感情をぶつけるようになりました。なかなかものごとが上手く進まない焦燥からくる苛立ちが強いときなどは、私は親を激しく責め、自分の虚勢からくる脅しを、絶えず親に与えていた面もあったのではないかと思います。「上辺だけの良い家族」の演じ合いを避けようとするため、感情剥き出しの「本音」のぶつけ合いだけの関係になってしまっていたというのが事実だと思います。親も私の「本音」に、率直に親自身の「本音」で対応していたと思うのですが、そういった関係からは前向きになれるものは生まれてはきませんでした。

当時は、親子だけで問題の解決に向けて模索することに息詰まっており、局面を打開するため、ある精神科医のもとに相談に行きました。それまでも、何かしなくてはという焦燥感から地元精神科医に診てもらうことはあったのですが、定期的に診察を受ける度に苛立ち、心の状態は悪くなる一方でした。しかし、その精神科医には好感を持つことができました。

その方は、13年前に不登校ひきこもりで苦しむ青少年たちのための高等学校を私財をなげうって作られた方です。何度か会ってお話しをしていると、自然と目に涙が溜まるようになってきました。これまでの精神科医との遣り取りのなかでこのようなことが起きたことはなく、医師に裸のままの自分の存在を温かく受けていれていただけることに感謝するという心の動きが、まだ自分の中にあったのかと驚きました。先生は、温かく私の言葉を聞いてくださり、先生御自身の体験談も話されました。表現することが難しいのですが、不登校ひきこもり問題に関して具体的な対策を模索してこられた方が発する雰囲気が私を温かく包み、心を解きほぐしていったのではないかと思います。今思い返してみて、正直に言って治療を受けたという実感はありません。自分の感じていることや考えていることを先生に向かってぶつけていき、それに対して先生が黙って肯いている、そんな感じでしょうか。「人間の心は決して理論理屈だけでは動かない」、この先生の御言葉が私の心に今でも響いています。

何回目かの診察のときに、先生は私の目の前で親を叱りました。私が学校に通っている期間、偏差値に翻弄され私と真正面から向き合わず、私の心が凍りつきロボットのようになっていることに気付かなかったことに対し、「あなたたちはこの子をどういうふうに育ててきたのか・・・深く反省しなさい」と言われたのです。その叱り方は、突き放して終わりというものではなく、温かみがあるものでした。先生言葉を聞き、肩を落としうなだれ、涙を流している親の姿を見て、私は改めてこの親と一から関係を作り直していきたいという、将来への希望が湧いてきました。これまで社会的に立派な仕事をしてきている親は、こういった形で面と向かって叱られるという行為を受けたことがなかったと思います。親が納得するだけのことをされている先生だからこそ、親は社会的体裁をかなぐり捨てて、反省という態度を子供の前で赤裸々に現したのだと考えています。

改めて親との関係を作り直して行くにはどうしたらいいか考え、親と山陰北海道などに一緒に温泉旅行をしたり、ひきこもりの会のフリースペースに通ったり、酪農実習(山地酪農)に参加したりしました。今考えてみると、どの経験自分の成長にとってかけがえのないものであったと理解できるのですが、取り組みを行っていた当時は、長期間続くことがなく、「失敗」したとしか思うことができなかったというのが正直な気持ちです。

こうした「失敗」した活動のなかから、大きな収穫もありました。それは、自分がこれまで経験してこなかったことに対する心の動きであり、それがやがて私自身の価値観発見につながり、そして自分と親の価値観の相違の気付きに発展していきました。私の家族の場合、親は人口100万人の街に暮らすことを好み、私は人口4000人の田舎に暮らすことを好みます。自然に対する捉え方においては、親はレクリエーションとしての自然を好み、私は朝から夕方までの労働基調にした自然を好みます。このように親子で大きな価値観の違いがある場合は、お互いにその価値観を尊重していくことは欠かせません。親は子供自分価値観押し付けるべきではなく、子供自分価値観に親を無理矢理引っ張り込むべきではないと考えています。

さらに、自分もまた社会価値観に囚われていることにも気付くようになってきました。周りからいくら「他人を気にせずゆっくりやっていけば良い」などと言われても、自分自身が「人は20代前半で社会に出ていくもの」という一般的な価値観から抜け出すことができず、心は解放されるどころか一層苦しくなっていったのです。

親も先生との出会い以降、急激に変わっていきました。先生の行っているひきこもりの会の運営やチャータースクール開設への模索などの取り組みに対し、積極的に精神的・経済的な支援を行うようになりました。距離的な問題があり、親も私もその現地で会のメンバーと共に活動することはできないのですが、それにも関わらず、親ができうる範囲でメンバー飲食店経営や、毎週行われているイベント活動を心から支援している姿は、私と先生だけでなく、親も私の抱える問題を共有していることの証となりました。そのうえで、私のありのままの存在を受け入れてくれるようになり、私が次々に挑戦することに対し、時間を割いて行動を共にする、あるいは必要な費用を黙って用意してくれるといった形で協力しながら、温かく見守ってくれるようになってきました。

現在は、「自然(山)のなかでのモノ作り(労働実習を含む)」活動を1年続けています。7年前に山を切り開き、モノ作りにも精通されておられる教職員の方のもとで、実践勉強をしています。

山に入って暮らすようになると、次第に自分でもわかるような変化が起こってきました。朝起きて夕方まで草刈りなど山で働き、夜に陶芸などのモノ作りをするという生活では、自分が行ったことが形としてしっかりと現れます。草刈りをすればその部分が綺麗になり、陶芸をすれば作品ができあがります。山が綺麗になれば心は充実し、陶芸作品が上手くできれば心は沸き立ちます。どれも単純な作業なのですが、単純だからこそ人の心に響くものがあるのではないかと考えています。テレビパソコンなどの情報機器エアコンなどの、暮らしを快適にする電化製品がない山の生活のなかで、四季折々の変化に直接肌に触れて自然を体で感じることで、町の生活では感じることができなかった「生きている」という実感を持つようにもなってきました。

私はこの「生きている」という実感を持つようになってから急速に心が解放されてきました。私の場合は、山のなかでのモノ作り活動に、「生きている」という実感を得るためのキーポイントが隠されていました。

私が心のひきこもりから抜け出せなかった理由として忘れることができないのは、自分自身に勇気がなかったということです。どこか心のなかに、「誰かが助けてくれる」といったものや「失敗するのが恐い」などというものがありました。今振り返ってみると、そういった思いが、自分が行動して新しい道を切り開いていくという選択をすることを拒み、ズルズルとひきこもりから抜け出せない期間を延ばしていっていたのではないかと思います。私自身が何もできなくても、親が「ただ生きているだけでよい」と無条件に認めてくれている、そしてそれを心から信じることができる真の親子関係が構築されるとき、もう何も恐れるものはないでしょう。その思いを胸に、これからは自分の考えに従い、活動していこうと思います。

また、今の私には大学に帰り、自分経験を活かし将来精神科医として働いていきたいという夢があります。お世話になっている精神科医や、山のなかでのモノ作りを教えてくださっている教職員の方の真摯な生き方に触れた経験から、肩書きや高度な知識だけに頼るのではなく、裸の人間として患者に接しながら、深い信頼関係を構築できるような医師になりたいと考えています。そして、それは並大抵の努力ではできないことだとも感じていますが、夢の実現に向けて、日々歩んでいきたいと思っています。

2009-11-16

やる夫うつ病になったようです」を読んで

http://yaruomatome.blog10.fc2.com/blog-entry-163.html

とりあえずいろいろと考えた。

―――自分環境語り開始―――

現在の経歴】市立小学校→(受験)→私立中学校→(エスカレーター)→私立高校→(退学)→単位制高校

その時のノリとかで小学四年生から受験勉強を開始

受験塾の入塾テストもなかなかいい成績を取って、結構順調だとおもってたんだが、この頃からサボりくせが付いてて勉強全然なかった。天狗になってたのかもしれない。

当然成績もみるみる落ちていき、それを理由に軽いイジメにあった。

つーか内容にもいまいちついて行くなってたので授業をサボったりしまくってた。

イジメを見かねてウチの両親が別の塾に転入させた。

そこの入塾テストも結構難しかったのだが、好成績で合格

しかしやっぱり復習予習宿題をサボりまくったのでこっちでも落ちぶれていった。

結局授業もサボりはじめ、こんどは別の個別指導塾に入る。

このときには完全にサボり癖が定着していて、授業をサボったりもしたが、なんとか第二志望の中学に入学した。

まあココでも持ち前のサボり癖を発揮して宿題ブッチとかを多発。

中一と中二の間あたりに学校の授業すらサボりはじめてメンタルクリニックへ。一年くらい自宅警備してた。

中三からは復学したが、サボり癖は治らず、友達と会う場所として無理矢理学校に行ってた。

補習サボったりは当然、たまには授業もサボってた。

そんな状態だったので高校は別の学校に行くのではないかとおもったが、中学時代の担任の温情によりなんとか高校に上がった。

高校生になっても全然変わらなかった。何一つ。高校になったら担任が替わり、方針も変わったので俺は切られた。高校二年からは単位学校でそこそこの生活をやっている最中

―――自分環境語り終了―――

ココまで書いて自分語りしたかっただけじゃないかと思ったけどそれは置いておく。

・「自分に決まり事を作る」

最初の方に語られた「自分に決まり事を作る」というのが、よく考えると小学生時代からずっと当てはまってる気がするのだ。

小学生のころ、ノリで始めた受験勉強だったのだが、この時「受験して必ず合格する」という決まりを作ってしまった気がする。

受験勉強はノリで続けるにはあまりにも辛く、それが宿題サボりとかにも繋がってたと思う。

しかし親の入れ込み具合や自分ルールによってとてもじゃないけど「受験勉強やめたい」などと言えず、そのままずるずると塾→サボりでやめる→個別指導と繋がってしまったのかもしれない。

そしてサボり癖が完成して、中学に入り、復学したが今度は「友人と一緒に居るために勉強する」という自分ルールが出来てきた。

「友人と一緒に居るために勉強する」ルールとサボり癖が悪い方向に相互作用し、自己嫌悪をふくらませて言った。

ちなみに単位制の今は「中学時代の友人と同じ大学に行くための受験勉強をする」というルールとサボり癖が相互作用している。

・「考えが浮かばない、理解できない、話が進まないなどの思考の鈍さ」

勉強に関する支障だ。

一応参考書を読んだりは出来る。しかし、思うように頭の中に入ってくれないのだ。

問題を解くとき、方程式をそのまま使う問題は解ける。しかし、方程式を応用するべき問題で思うように解法の考えが思い浮かばない。

テストでの解答記入の際、初歩的な漢字が分からなくなる。内心で(こんな簡単な漢字が分からないはずがない、思い出さないと)と思えば思うほど頭がぼんやりとしてきて訳分からなくなってくる。

この文章を書いている間も自分語りありのまま話すだけだったのでうまくいったが、今こうして自分の考えを書くとなると思うように形になってくれない。自分が感じた違和感感想、考えがなんだのかよくわからなくなる。そして思考放棄をはじめ、筆を休めてしまう。この文章はその繰り返しだ。

・「焦燥感

最近はこれも顕著になってきた。自分ルール受験勉強をこなす」をなかなか達成できない自分に苛立ち、焦りを感じている。

サボり癖だ。具体的な目標を持って、サボり癖解消ももうすぐだろう、と四月頃は考えていたが、11月になった今になってもまったくその気配を見せない。

だんだんサボり癖を解消しない、勉強しない自分に対して焦りを感じてきている。

自分が鬱かどうか、最近は頻繁にこれについて悩むことがある。

わざわざ考えをここに書いたのも第三者にそれを判別してもらいたい、と思ったからである。

自問自答を始めると、どうしても

自分鬱病ではないか」→「自覚できる内は甘え」→「そうやって自分を追い込もうとする思考が鬱」→「自覚出来る内は甘え」→(以下略

と思考がループを始めてしまう。これが今の思考能力限界なんだと思う。

誰か判別してください。

俺に精神クリニック行く勇気をください。

2009-11-02

http://anond.hatelabo.jp/20091102203304

いや、苦痛とか焦燥感子供に教えられる人。

孤独感があっても、人に優しくできる人。

専業主婦か働くのかは分からないけど、苦労した分なんかな。

子供目線とかからすればそういう感じ。

相手がしゃにむにになっているならほどほどの立ち位置を提示するようなのが良いパートナーだと思う。

なんだか、見当違いの方に投げられていて唖然とした。

2009-10-30

http://anond.hatelabo.jp/20091030005010

非モテは常に好きな人が別の人を見ている鬱で圧迫感を覚えるんじゃないかと思ってる。

アラフォーに似た焦燥感もつきまとう。将来性のなさから言いしれぬ不安も覚える。

よって処女厨にせよ、非モテにせよ、仮想敵をこしらえて攻撃してその場をしのぐんだと思う。

相手が悪い、リア充が悪い、社会が悪いと言っている間はほっとするんだよ。これがまた不思議と。

潜在的にこういう部分がぬぐい去れていないといざ関係ができてもぶっ壊すんだよな。バカだよ、俺も。

似たようなものに「俺、誰かから陰口言われてるんじゃねえの?」っていうのもある。

こうなると、おしまい。あとは破滅の街道まっしぐら

信頼関係が崩壊した時点で、再構築するのも尋常じゃなく死ねるんだよ。

処女厨にはそういう関係を作ろうにも最初から信頼・信用を失って攻撃的になってるんだろうから無理ねーよ……。

言い訳も書いたから俺はそろそろ逃げるよ。明日も来るかも知れないけど、バカでもやって必死に目を背けるよ。

痛みみたいなもんだから、緩和されない限り吠え続けるんだよ。吠えていると、痛みを感じないからさ。

2009-10-13

http://anond.hatelabo.jp/20091013020920

生活保護を申請するか、傷病手当をもらって不足分は親族に頼るとか、まずは経済的に生活を安定させるべし。

それから、いま抱いている焦燥感うつ病の症状の一つかもしれない。

2009-10-03

http://anond.hatelabo.jp/20091001131835

普通にそれに当てはまってると心当たりのある30代女性だけど。

20代くらいまではセックスもピンと来なくて、自分からどうこうするもんじゃないし、求められるから応じるものであって、生物としては避けられないものだからするもので、望まなくても来る初潮と同じ存在感というか、そんなものだった。

割と早く結婚したんだけどずっとそんな感じで、夫も淡白な方だからあんまりしなくて、性抜きだから逆にずっと新婚みたいな仲の良さもあって、仕事も忙しいし毎日こなすことに精一杯で、そんなんで何年経っても子供が出来なくて、それで30代中盤になったときに、切実に子供欲しい欲と自分の命がこのまま終わってしまうのかという感情と一緒に性欲が湧き上がってきたよ。寂しさと切実さが入り混じった焦燥感のある欲。ああこれが世に言われるあれなんだなあと思った。

みんながみんな当て嵌まりはしないけど、男性がそういう印象を持っても仕方ないくらいの割合で(2~3割とか?)こういう人はいるんじゃないの。いよいよ子供を生むリミットが近づくとか、自分が老いに向かっていると感じたときの切実感というのは大きいと思うよ。タイミングは違えど男性にもあると思う、こういう瞬間。

あと女性は男性ほど初期状態で性に対する欲求が無いので、経験を重ねてはじめて目覚めていく面があるので、年齢が上になるほど積極的な人が増えるのはある種当然の結果だと思うよ。引用先の結果とリンクしてなくて申し訳ないけど。

2009-08-20

2回目の休職に入りそうですが

前の時もそうだったけど、何この焦燥感

 

貯金が無いからこれからどうやって暮らしていくかという問題もあるけど、

そんなの含めて全部忘れてまったりすればいいのにね。せっかくの休みだし。

多分もう二度と復職しないだろうし、自殺するか転職するかするんだろうし。

なるようにしかならないんだから、ゆっくりすればいいのに。

 

ああアホだなオレは。

 

ああ。また田舎の両親が泣くんだろうなあ。

それが焦燥感の原因かなあ。

2009-08-17

脳内CPU100%

古い記事に長文トラバごめんなさい。失礼します。

http://anond.hatelabo.jp/20090628172950

ああ、ああ、いつもこうだった。

私はときどき、何の前触れも無く小さな反発をする。

といっても、ランドセルを玄関に脱ぎ捨てたまんま部屋に持ってかないとか、少しだけこぼした水を拭かないでそのまんまとかいった、たいていたわいもない内容。

しつけの失敗を目の当たりにして、うろたえる母。

「なんでこういうことするの?」と問われて、私は必死に考える。

なんとなく、したくなかっただけ。

ん?なんとなくじゃ理由になんないなぁ。

だっていつもはランドセルも水の始末も、何のためらいもなくできていることなのに。あれ。あれ。

私はなんでこういうことするの?

私の「不快」の原因フォルダはどこにあったのか、脳内で必死に探し回る。

今朝寝坊して怒られたことか、夕べ宿題の取り掛かりにぐずって説教されたことか、はたまた3日前に祖母についての愚痴を聞かされた時のストレスか。

思い当たるふしはある。けど、どれもこれも直接の理由というにはピンとこないし、強いて言うならもう全部だ。

全部?全部ってなんじゃそりゃ。なら違うか。もっと前だ。

1週間前、1ヶ月前、1年前、3年前、5年前・・・。

違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。

際限なく開かれるウィンドウ

「なんで」攻撃をやめない母。

処理能力の急激な低下。口がきけなくなる。

無言の抵抗にいらだつ母。

「黙ってたら何も伝わらないでしょ」

「説明しなさい、何言っても怒らないから」

このあたりから、「説明しなさい」という簡単な命令の処理すら即時に実行できない、自己の低スペックぶりをひどく反省しはじめる。

ああ、なんて私は「できない」んだろう。

寝坊するのも、宿題をすぐやっつけないのも、あのときのあれも、うん年前のそれも、すべて私が「できない」せい。

だから私は母を何度も怒らせる。何年経っても性懲りも無くこの人を不快にさせる。この人は何も悪くないのに。

ああ、ああ、なんて私はダメなんだろう。

脳内CPU100%。

ファンが回りだすように、こらえきれなくなった涙が畳に落ちる。

ばれたらやばい。ただじゃすまない。

なだれた頭に容赦なく降ってくる怒号の嵐。

「泣けばいいと思ってるんでしょ!」

「そうやってまた私を悪者にしようとして!卑怯よ!」

ああ。ばれたか。

悪者でも卑怯でもなんでもいい。

もう二度としませんから許してください。

なんだかからだがあつい。くるしい。ふらふらする。よこになりたい。

「めそめそ泣いてないでなんとか言ったらどうなの!」

そうだ、なにかいったらかいほうされるかな。なんでもいい。いわなきゃたおれる。はやく。

「おえんなあい」

だめだ

ことばにならない

たまががんがんする

おなかがいたい

いきがすえない

きこえない

たてない






ダブルバインドという言葉今日初めて知った。

そして、うちの親子関係が異常だったことも。

「うちにはおとうさんもいて、おかあさんもいて、きょうだいもいて、かぞくなかよし。みんなけんこう。せいかつにもこまっていない!」

小さなころから、なんて恵まれた境遇なんだろうと思っていたし、今でもそれを誇りに思っている。

元記事ブコメを読んで、言い尽くせないほど救われる思いがしたと同時に、会ったこともない赤の他人にひどく親を貶された気がして胸糞が悪かった。

私がこんなふうに思うのは、産んでくれた親への敬愛か、長年を共にした情か、はたまた生存本能か。

ちなみに父に叱られた覚えはない。

仕事人間でいつも帰りが遅かったので、もともとあまりなつくこともなかった。

時々悩みを話すと、あれこれ言葉を変えてアドバイスはしてくれるが、結局言いたいことは「毎日勉強をきちんとして規則正しい生活をしてたら悩みは消えるぞ!」の一点張り

これはこれで至極正論なのだが、毎回こうだとどうにも頼りにならない。

私が上記のごとくフリーズしている時は、たいてい家にいないか、ただ困った表情でビールを開けながら母の私に対する愚痴を聞いてるかのどっちか。父関せず。

幸いなことに、親元から遠く離れた場所で一人暮らしをしている。

経済的な自立はまだまだ先の話。

人間関係はそこそこうまくいっている。表面上は。実際のところ、いつもわけのわからない謎の焦燥感と闘っているけど。

さて、なにからはじめればいいんだろう。

2009-07-23

http://anond.hatelabo.jp/20090722011541

気のせいじゃないね 俺もそれを感じる

そのうちそうした連中の溜まりにたまった

鬱憤焦燥感、恨み、逆恨み、怒り、僻み、劣等感不安

そうしたドロッドロの感情ともいえないものが ドーン と爆発する時が日本にも来る。

たぶん、その時には、秋葉原のあの事件みたいな

突発的で利己的でどうしようもなく馬鹿馬鹿しい残虐な事件が日本の各地で見られるようになるだろう。

勝ち組やら、企業やら、政治家は、そういう”危険人物”を差別隔離、拒絶して遠ざけようとするだろうけど

彼らはそのバリケード破壊して入り込み自ら諸共 突発的な犯罪を行うだろうな

ま、そんなこと誰でもわかってる事だろう?

世界では珍しい事じゃない

日本は今まで生ぬるいオブラートで包んでいたけど

それも溶けて 勝ち負けとやらもハッキリしてきたんだからね。

下層階級の恨みはすごいぞ

他人の痛みを想像せず、めちゃくちゃやってきたツケが日本にもくる。

いいざまだなあ

2009-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20090722011541

その友人たちが置かれている立ち位置が、その友人たちをリアル犯罪者にしたてあげるのではないんだと思う。

 彼らを患わせているモノ、元凶は劣等感

独身であったり、被害妄想が強かったりするのは、それがもたらした結果。

 劣等感を心に抱き、負のオーラをまとっていたら、そりゃー、女は寄ってこない。つきあえるわけがない。

故に独身。それが、さらなる劣等感を生むのはご承知のとおり。

 そして、劣等感には視野を狭くさせる効用もあるため被害妄想肥大もすすむ。

底辺である自覚。30代であるという焦燥感は思考力をごっそり奪っていく。

 結果、肥大した被害妄想が当人の攻撃性を高め、思考力の低下によって倒すべき相手を見誤る。

こうして見えない敵に果敢に立ち向かい、挙げ句の果て、フレンドリ・ファイアしまくる人間ができあがっていく。

負のスパイラルで暗黒面に落ち、気が付けばリアル犯罪者

「強い劣等感」を弱めることができれば良いんだろうけど.....

2009-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20090705184715

精神的な追い詰められぶりも末期になると

本当の本当にベッドから起き上がることすらできなくなって

一日寝た態勢で過ごすことになるよ。

この辺個人差もありそうだけど、とりあえず自分経験では

「覚醒してるし思考もはっきりしてるんだけど

活動するための意欲が根こそぎ奪われている」といった感じだった。

当時は布団の中で焦燥感ばかりが募って物凄く辛かったなあ。

今思うと現実に立ち向かうよりもよっぽどしんどかったとすら。

2009-06-28

この吐き気がするくらいの焦り

ほんとにヤバイと思う。

この先、焦燥感や緊張感がどんどん膨れあがっていってしまうのか。

負け犬だ。このままじゃ。

負けたこと、挫折したことや寄り道したことは認めている。

でも、それでも卑屈にならずに生きていきたい。負けても負け犬にはなりたくない。

自分の亡霊に責め立てられている。

作品世界抱きしめたいのに!

社会人になって十数年。

学生の頃は物語が中心で、その他は、本当に「そのほか」でした。

今は現実の生活がいっぱいで、休みの日も考えるのは仕事のことで、こんな不況でもやることがいっぱいあってむしろやることはずっと増えていて、幸せなのだと思います。わたしが仕事をすればするほど、会社の人のためになっているのが実感できる、錯覚でもそう思えています。

でも、時折とても切なくなります。追憶ノスタルジーに生きていくのだと中学生高校生小学生の頃にわけのわからないままに確信して

やはり今日もその通りだと思っています。わたしは鶴田謙二が好きです。他にも好きなものはありますが、今は心にぴったりします。

でも、休日に本を開いてみても、あせりのきもちばかりが先にたって、彼の世界に浸りたいのに、なぜか、焦燥感ばかりです。

学生の頃はそれにくらべればとてもよかった。わたしの視線の先は、必ず何かの作品物語の色をもっていて、それが当たり前でした。

就職に当たって、それらをうっとうしくも思いました。実践的な思考や行動に障害が出ることが多かったので。

子供を生むことなく死ぬかもしれないわたしが、最後に見るのはリアル世界でしょうか物語世界でしょうか。幸せなら良いのでしょうか。中島梓さんのようにただ本人が幸せならそれでよいのでしょうか。死んだあとにわたしのことを不幸だと言う人が多かったとして、それを死んだ私は、寂しく思うことがあるのでしょうか。

2009-06-25

家族のためのうつ病サポートブック 気づく編 まとめ

「うつ」サインに気づくために

日常の生活の変化に気をつけてください

うつ病の症状で最も辛いのは、これまで普通に出来ていた日常生活が思うように出来ないことです。

一緒に生活している家族だからこと、患者さんの変化に気づけるのです

  • 毎朝、新聞を読んでいた夫が新聞を読まなくなった
  • 日曜日には必ず趣味をやっていたのに、やらなくなった
  • ちょっとした事でおこりっぽくなった
  • 些細なことを気にするようになった
  • 身だしなみに気を使わなくなった
  • 家事がはかどらないようで、家が散らかっている事が多くなった
  • ”眠れない”とよく言っている
  • 食欲のない日が続いている


身体の症状にういて確認してみてください

うつ病こころとからだの両方に症状があらわれます。

からだの症状が現れていないかを聞いてみると、自分の不調を自覚しやすかもしれません。

  1. 不眠
  2. 全身のだるさ(倦怠感)
  3. 頭痛、あたまが重い
  4. 微熱
  5. 首や肩のこり
  6. かすみ目、めまい
  7. 耳鳴り
  8. 胸の圧迫感
  9. 胃のもたれ、腹部の不快感
  10. からだのしびれ
  11. 動機、息切れ
  12. 下痢便秘
  13. 性機能の低下
  14. 性欲が落ちた
  15. 月経の不順

逆の症状があわられることもあります

眠れない、食欲がない、落ちんでいるという症状はうつ病でよくある症状ですが、

時に逆の症状があらわれることがあります。

  • 眠れない→睡眠の過剰が現れることがあります。
  • 食欲がない→食欲の亢進があらわれることがあります
  • 落ち込んでいる→不安や落ち着きの無さ(焦燥感)があらわれることがあります


大切なことは、「様子がおかしいな・・・?」と感じたらそのままにせず、本人に確認してみてください。

2009-05-07

ヒマな時間焦燥感

ヒマな時間をもてあましている。

なんというか、えらい、イライラする・・・というよりは・・・強い焦燥感を覚える。

言い方を変えると、そわそわしている。

 

春だからといえば、春なんだけど・・・

こういう時ってどうしたらいいんだろう。

何か良いアイデア希望

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