「イカないと出られない部屋」
コンビニにはカップヌードル用のお湯がポットで提供されてるし、それを知らない日本人はいないと思う。
なので、そのようなポットがなぜか置かれていないか、コンビニで買ったカップヌードルではなかったのでポットを使えなかったという前提で答える。
カップラーメンを作るときのお湯の温度、通常は沸騰したての100℃を想定してるだろう。
チキンレースのアウトラインが引かれたから、アウトラインギリギリを攻めてアートにするか「目的外なのでそもそも使わない」ってなるだけなので、俺はいいと思うよ。
ネットのバカども(増田にいる蛆虫も含めて)チキンレース!チキンレース!って言うけど、はみ出して死なないなら「権利者の抗議」で取り下げればいいわけで。
「権利者の正式な抗議を認知してから」がチキンレースなので。常識的な範囲(営業日としての意味合い)での公開停止や配信停止は「権利侵害の解消」になるから争点を失うわけ。
お気持ち争点は棄却されるか、されなかったとしても10万円以下だし、払わなくても「払え!(差し押さえ)」って命令を「権利者が裁判で行う」んだから損は無いよ。
厨二というかなんかカッコいい(小並感)が必要なら、エリック・ホッファー、かっくいい(小並感)
まったく学校へは行かず、複数の言語(ドイツ語・ラテン語ほか)・化学、物理学、鉱物学、数学、地理学・植物学など様々な学問を独学(図書館)で修めるだけの才能を持ちながら、
炭鉱夫・日雇い労働者・季節労働者として放浪して何十年と働いて、
40歳になってようやく留まるようになっても、沖仲仕(おきなかし。船と陸の荷物の積み込みとかする港湾労働者)やって、
肉体労働とは無縁で、ただ頭だけで何事も理解した気になる知識人に対して、ホッファーは一貫して辛辣な批判を投げかけてた
これが本物ハードボイルドよね。アキ・カウリスマキ監督の作品も割とこれ感じる、カッケー
世捨て人になることなく、他者との関わりのなかに生きながら、他者に干渉しようとはしないこと。誰かを貶めるのでも、誰かに認めてもらうのでもなく、自らの価値を自分自身によって証明すること。それこそが、ホッファーの考えた「真に生きる」ことであり、「すべてが可能であると感じる」ための唯一の生き方だったのかもしれない。
教えることのいかがわしさ:エリック・ホッファー、田中淳訳『波止場日記――労働と思索』(みすず書房、2014) - うろたどな
様々な学問をぽんぽこ修める高IQは別にあってもなくても別にどうでもいいけど、肉体労働とDIYをこなせる器用さと筋力と体格、これはあったらな・・・とは思うよ
まぁ、極端に不器用でゴブリンでクソオタもやしでも、自分に出来ることやればいいだけなんじゃがの
自分に出来もしないことやって、楽しむ時間なくなったら、何の意味も無いもの
ペロ、これは嘘松
セックスしないと出られない部屋
↓
手コキで射精させないと出られない部屋
↓
オナニーを見せあわないと出られない部屋
↓
男だけオナニーしないと出られない部屋
ダメだ
どうあってもアリな男の方が勝ってしまう
小学から高校の頃は、学年に一人はいるアスペとか池沼とか呼ばれる類の人間にやたら突っかかられたし、手をあげられたこともあった。
大学はともかく会社に勤めだしたら、単純作業を担当する障害者雇用の非正規は、私からの指示を一切聞かず、挨拶をしても全無視で、全部上司が管理している。たまに紙屑を投げつけて来る奴もいる。注意してもヘラヘラ笑うだけ。
生涯に渡って、障害者と良好な関係を持てたことがなく、彼らは常に私の敵であり、隙を見せれば加害してくるので、多分、彼らから見た私は彼ら以上の障害者なのだろうな。
猯🦡