わたしは小5のとき、嫌いな女の子がいた。そいつを排除するために、クラスを分断することを思いついた。
当時仲の良かった女の子を巻き込み、その子の悪口を言いまくってまずその子を孤立させ、さらにクラスを二つのグループに分けてそれぞれが対立するようにトップを対立させた。共通の敵がいればグループはまとまると知っていたので、トップ同士にそれぞれの悪口を言わせるように吹き込んだら簡単にグループ同士は敵対した。小学生女子はヒマなので、噂話と悪口は簡単に広まる。そして一度思いついた「あの子を排除する作戦」を執念深く実行する時間を持て余している。
結果的にグループ同士の仲は悪くなり、当初嫌いだった女子はどちらのグループにも入れずに孤立することとなった。
計算違いだったのは、排除しようともしていなかった地味な女子が意外と親の力を借りようとするいい子ちゃんであったため、親側にいろんなことが筒抜けになってしまい、その子の親→先生ルートで仲直りミッションが実行されてしまった。
わたしは諸悪の根源として吊し上げられ、各ポジションから説教された。
親も呼び出されたが、私の親はめんどくさい事が何よりも嫌いなため、学校に行く途中の道で、飲みに行く約束が入ってバックれられた。当時は信じられなかったがいまなら気持ちはわかる。
30代なった今思うが、自分の子供が自分のようなことをしていたら、自分の「嫌い」に人を巻き込むなと説教する。子供の嫌いという感情なんて、昨日明日でコロコロ変わるものであるし、そんな一時の感情で、相手の心に深い傷を負わせるなんてとんでもないことだ。
障害者が死んだ事件と健常者が死んだ事件じゃ扱いが違うのは当然だろ
熊澤英一郎の時だって殺された側が悪人扱いされたのは障害者だから
しかも植松は障害者を苦しみから解放しようとしたし、元事務次官は息子が世の中に迷惑をかけないよう責任を取っただけで、どちらも善意からの行動だったんだから悪いことじゃない
多分こういうことだろう
そもそも凡百のオタクくんたちはメクラであるとかそういうことは置いておいておくとしても、
そもそもアニメーター、というかアニメーターに限らず演出家でさえ基本的に傭兵のようなものでしかないのだから「愛情」を求めるのが間違ってる
アニメーターにとってアニメ作品なんて大体が自分の著作物でもなく、映像にしたらほんの十数秒分のしか関わらないことも多い、そんなドライな関係しかそこにはない
必要なのはアニメーションに対する姿勢だけで作品に対する愛情は必要とされるべきではないのだ
もしかしたら普通の「オタク」のように作品に愛着があったりこだわりがあったりするかもしれないが、それはおまけ、制作者側からのサービスに過ぎない
こういう「仕事に対しての愛情がないのか!」とか抜かす輩がもちろんオタクくんたちだけではないのは知っている
むしろ、日本社会に蔓延るゴキブリの中の一群がオタクの顔をして現れただけだろう
そんなのはクソ喰らえでしかなくて、結局は仕事と待遇との相関によってバランスが取られるべきでしかない
もちろん仕事に愛情を持って取り組んでいる人間も少なくないだろうが、それは経営者や消費者に対する労働者からの温情でしかなく、加点対象にこそすれ減点対象にすべきではないのだ
まぁどうせオタクくんは「でも作画崩壊してる!」と騒ぐのだろうが、それは冒頭で置いておいたメクラなオタクという話になるだけなので、そちらは相手にする必要もないだろう
増田と5chを併用してるんだけど、増田の方がやっぱりちょっと頭いいね、うん
5chは基本会話にならねえ
もっと小さい会社で同じようなことしてるけど、その半分ももらってないよ。
なんかの事情で転職せざるを得なくなったときに他でやってけるか心配。
井の中のかわずになりそうでこわい。