YouTubeで1度見たっきりなのだが、閲覧履歴から探しても、閲覧履歴が多すぎて見つからない。
YouTubeで見てたのは、そのゲームの色んなゲームオーバー(=死)を集めた動画。
主人公は女子高生なんだけど、その動画では色んな死に方をしてた。
以下、その記憶。(多少間違ってるかも)
・フィールド上にちらばる蜘蛛を踏み続けて、足が糸に絡まって動けなくなり、巨大蜘蛛に喰われる
など。
誰か知ってる人いないかな?
追記
あの日からずっとゲーセンで格ゲーを遊んだ。ゲーム批評で「格闘ゲームあきねぇか?」と書かれても、負け犬の遠吠えにしか感じなかった。格闘ゲームはおわったとなんどもなんどもいわれて、世紀を超えて、それでも終わった終わった、初心者がいないといわれ続けても、遊び続けた。
そして、先月。突然やめた。KOF14の対戦で負けた後だった。
対人対戦に疲れ果てた。つくづく疲れ果てた。
先ほどまでの全身を駆け巡った興奮はすっかり冷めていた。いや、もう、格闘ゲームに興奮しなくなっていた。勝ったり負けたり。勝ち続けもしないが、負け続けもしない。それくらいのゲームセンターだった。急に熱が冷め、店内が暗くなったように思えた。息ができないくらいにひどい空気だけだった。
私が席を立つと、すぐに青年がコインを入れた。たぶん、私がコインをいれることはないだろう。
はやく呼吸を楽にしたいため、足早にゲーセンを出た。もう夕方だった。雨あがりの夕方だった。秋の雨のせいだろう、なにもかもが冷めて見えた。
対人対戦をやりつづけた。本当に楽しかった。そして、疲れ果てた。私はもう、本当に、疲れ果てたんだ。
Aさんは、とある芸能人に似ているので、その芸能人の名前を付けていた。
その芸能人は性別がAさんとは異なるので、本人が知ったらあまり嬉しいあだ名ではないはずだ。
もちろん、Aさんは反応しない。
慌ててAさんの名前で呼び直したのだが、これが失敗だった。
Aさんには気付かれなかったが、自分の隣りにいた人にはばっちり聞かれていたはずだ。
ただの言い間違いだと思ってくれればいいのだが・・・。
世の中ではポジティブシンキングが推奨されているが、次の時代に推奨される思考はネガティブシンキングだと思っている。洋服にブームがあるように、思考にも移り変わりがあると思う。そしてそれを何十年も前から実行している自分は時代を先取りし過ぎていた。これからやっと時代が追いついてくる。ネガティブシンキングはリスクを予見すると言う意味で優れた思考だ。
傷が付くことにビクビクしながら生きるなんて絶対ストレスだと思います!
なのでわたしは買った直後のiPhone Xをアスファルトに叩きつけます!
もちろんカバーも付けません!
傷付いた方がなんかレトロでかっこいい!
やはりそうですよね…
仮にUI/UXに関する論文執筆経験がある,としたらそれは果たして「突出したもの」といえるのだろうか…
僕の仕事はアホみたいだ。みんな仕事が好きなのか、義務に囚われているのか? 同僚なんか今日も出勤してるぞ。
僕はアテもなく街へ出かけた。この糞田舎から車で2時間だ。ボロボロの高速をオンボロの軽で追い越し車線を飛ばして、街へ向かう。イライラしてアクセルを踏む、ガソリンが減る。緑の風景はは少しずつコンクリートへ変わってく。正直何回か死にかけた。
街へついたら、ラーメンを食った。二郎系だ、全マシで身体を傷めつけた。吐き気を催すほど麺とモヤシをかき込んで、逃げるように店を後にした。食ったらちょっぴり落ち着いた。
そのまま車を走らせ、コメダコーヒーへ向かった。どうしても片付けたい仕事にとりかかった。イライラしてシロノアールを一気食いした。吐きそうになりながら、仕事を完成させた。会社なんてなくなればいい。みんな消えてしまえばいい。そんなふうに思いながらも少しだけ心が楽になっていることに気づいた。
オレンジからブルーへと変わっていく夕焼け空を見ながら、高速を飛ばして家路に向かった。こんどは、追い越しもしないで落ち着いて帰った。街の明かりがだんだんと暗闇に代わり、糞田舎へ戻ってきた。
海のむこう、水平線の近くにに月が見えた。満月だった。家について、エンジンをとめた。バンッ、という扉の閉まる音のあとおおよそ文明の欠片も感じられぬ静けさと秋の夜の冷たい風がが全身を包んだ。
阿呆みたいな仕事に、日常にイライラして逃げ出したかった。だけれども、あの月をみたら、自分を取り巻くものなど些細に思え、どうでも良くなった。
酒を呑みながら、この日記を書いている。
そのせいで好きだったアニメを見るのが辛くなった。
ゲームなんかも同様で、心身が弱っていると
聞く必要がある娯楽が辛くなってた。
などの、受動的で、動きもなくて、使うのは目だけで
すぐ読むの止められるってお手軽な娯楽にシフトしてる
サファテ