2015年11月30日の日記

2015-11-30

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そもそもまず上がってきてないと思うんですが

いたずらで放つ曼荼羅ふにゅーのコピペ大好き

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人を呪わば穴二つ と言いますし、

女衒を恨んで死んでいった人間が そのまま天国に行くような気はしないですが。。。

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あれ?自転車通行可能な歩道デフォルトで対面通行可だから逆走はないんじゃないの?歩道警察さーん!

って呼びかけようと思ったけど歩道警察って要するに普通交通課か

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同じコミケ袋でも、女性向けだとエロ云々は勿論そもそもキャラ絵が描いてある紙袋は恥ずかしいから

絵の入ってない服屋の袋みたいなデザイン用意する所も多いのにね

何で男オタクってあんなに社会性無いのか謎

電車エロ本読むオッサンだって今時絶滅危惧種だろうに

それより遥かにでかい紙袋エロ絵ドカーンって持ってていたたまれなくないんだろうか

そりゃ嫌がってる人もいるんだろうけど、それより喜ぶ人の方が多いからこそやり続けてるんだよね…

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怖いけれど、それが真実だと思うよ。

バトル映画見てる人に、無料ロケットランチャ試射体験チケットを配ったら喜ばれるのが現実

サスペンス映画ミステリー映画見てる人は、犯人になりたいか、探偵になりたいか、あるいは被害者になりたいか、ただの傍観者でいたいかのどれかだと思うが、現実にそういう事態が起きたら必ず興奮するはずだ。

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俺の中では、エロキャラ紙袋

○着衣のエロゲキャラ

×はだかのエロゲキャラ

だなぁ。

素っ裸のキャラクタが描かれた袋はどうかとおもうが、服着てたらふつう可愛いと思うし問題ない。

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勝手に反対すれば?

誰もあんたが反対することを止めやしないよ。

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まともに暮らせない程度の収入があっても生活保護はもらえますよ。

ただ、収入の分だけ支給額が減るだけです。

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コミケで配布される露骨エロキャラ紙袋問題になるけど、

ここの反応を見るに、あれを持って外を練り歩くオタクエロ萌え区別がついてないのかもしれない。

萌えキャラたんの何が悪いんだ!オタク差別ブヒィィィ!」

本気でこう思ってるのかもしれない。

地獄の鬼を仮にそう言ってるのでは?

比喩で、地獄の「鬼」(いる前提になるけど)を

皮肉で「女」がと言ってるのかも

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差別反対

レディースセットやプリクラコーナーの男性入場禁止差別にも抗議してください。

水木しげるタッチをパクって稼いでる漫画家noteで見かけたんだが

あれ、なんとかできないのかな

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感性の鈍い非オタ萌えエロ区別できる目を持っていないから仕方ない、という話なら分かる。

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同性愛者のくくりでみると消滅はしないが

同性愛者の個体は、子孫が残せないから淘汰されるという意味

個々の人間は、同性愛者に限らず各種のバグを持つ存在だけれど

その中で差別的優位性のあるもの進化の先端に存在する

同性愛者は進化の優位性の末端にいるので

常人間とは思わないまでも、進化におけるバグ的なものとして考えられてもおかしくないのでは?

とかそんな感じ

良田胡蝶さんが普段の作業着姿を披露している今回のポスターよりも「ゴムをつけた時のたまごです」というキャッチコピーのほうがよほどエロいことは自明であって要するに批判者はエロくもないものエロさを見出して興奮している変態

自転車人間を壊す麻薬

そうでなければ歩道を逆走して歩行者悪態をついて回るはずがない

最近文章を書く能力の低下が著しい。

読む量は増えたが書く量が減ったことに起因するのではないかと思ったが、英語に関して言えば読むどころか聞く量すら激減していることに気づく。これで翻訳生業にする夢を諦めきれていないというのだから驚きである高校大学と授業や試験英語を扱ったときも「自分中学英語の知識だけで問題を解いているなあ」と思っていたふしがあるが、まさかここに至るまでその意識を捨てきれていないというのはいかがなものか。むしろ劣化しているとさえ感じる。

この現状を打破するためにも積極的英語に触れていこうと思うまではよいのだが、いざ自由時間ができたところで訳しかけの『緋色研究』に手を付けた試しがない。翻訳趣味と言っていた自分は何だったのか。ただの就活用のアピール項目に過ぎなかったのか。お前の情熱とはその程度のものなのか。社会人になったら新聞投書欄投稿したいと言っていたのではなかったか

と、ここまで考えたところで、なぜここまで翻訳業に固執するのかと思い直したところ、「自分のしたことが目に見えて分かる」ことに喜びを感じる自分というものに気づく。大企業にいるとそのようなことはそう起こるものではないし、それゆえに半ば業務に対する情熱を(半年も携わっていないのに!)失いかけているのだろう。さらに欲を丸出しにしてしまえば褒められたいのだろう。贅沢である。褒められなくとも自分が何かを創りだし、それに満足のいくことのできるような仕事がしたい、というのが恐らく本音だ。だがそのような職に就ける人間果たしてどれほどいるというのか、と夢物語一言で片付けてしまえばそれでお終いであるのに、いかんせん身近にそういう人がいるものからどうにも未練がましくなってしまっているらしい。

なんだお前は、つまるところ物を書いて飯を食う人間になりたかったのか。

likeとcanは動詞助動詞レイヤすら違う話なのに。昔から文章にすることでストレスを発散してきたというだけで、どうしてそこまで思い上がれるのだろう。少しばかり英語の成績がよいというだけの、ただのいち理系学生だった自分が、中学生から抱く翻訳作家という夢を未だ捨てきれず、性懲りもなくくすぶらせ続けている。なんと往生際の悪い。だが文字通り今が往生際になるとすれば、きっとそのことを後悔するのだろうと思うと苦笑せざるを得ない。

我が家インターネットという近代通信網が導入されてからしばらく経ち、国語の授業で作文をするというとき、どうにもネットスラングを入れてしまいそうになる自分にふと気が付き「ああ自分はこんな文章しか書けなくなってしまったのだな」とショックを受けたことを思い出す。恐らくそれ以来、自分なりに人一倍言葉遣いに用心するようになったのだと記憶するが、それも言うなれば自己満足しかなく、「言葉遣いが正しい」ことは「いい文章である」ことの十分条件ではないのである

もっと言えば「いい文章である」かどうかは読み手判断するものであり、いくら自分で「いい文章が書けた」と思ってもそれが万人にそう思わせるものであるとは限らない。「いい文章だ」と感じる読者がなるべく増えるようにするためにできる最低限の努力なのだ。そんな自己満足世界生計を立てられるほどの能力などあるはずもないのに、こうして毎日夢を見ているのは、まだ「お前には到底無理だ」という現実をはっきりと突き付けられていないからであり、それはある意味幸福ことなのかもしれない。

そんなしあわせな夢を、帰路の電車に揺られながら、手にした本の世界から誘われながら、また今日も見るのである

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そうだよ

から国民に浸透してる負のイメージを払拭するべきだよね

オウム真理教追放」とか看板立ててる市町村講義しようよ

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今時職場エロポスター貼ってる企業があったら、

女性社員がそれに一切不満を持たない企業」とは思わないよなあ。

女性社員がそれに文句をつけるのは許されない空気がある、女性差別が酷いブラック企業」だと思うよなあ。

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