先日、某まとめエントリを見て学生時代の友人を思い出したので書く。
給料の多寡も忙しさも関係ない、安い給料でも最高のパフォーマンスを見せてこそプロだ、奴はそう言った。
その2年後に奴は体を壊してバイトを止めた。
プロとして働けないのが何よりも悔しいとチェーンの居酒屋で声をあげて泣いていた。
だが俺は体を壊してまで働くのがプロだとはとても思えなかった。
それから10年以上たったが、奴とは今でも連絡を取り合っている。
年に何回か会うといつも疲れた顔をしている。
社会人になってからずっと、いや違う、学生のころからずっとだ。
誇らしげな顔で奴はいうが、残業代も出ない会社で10年以上も働くのは正気の沙汰ではないだろう。
そう言うと、お前にはプロ意識がないからだめなんだ、と諭され、話はいつもそこで終わってしまう。
先日、腐った組織の内情をツイッターで暴露しまくったすえに退職した新入社員をまとめサイトで見た。
その新入社員と一緒に働きたいとは思わないが、奴よりもずっとプロ意識があるのではないか。
新入社員本人は根性無しかもしれないが、内情を暴露された会社が組織を改善する可能性はあるのではないか。
奴はプロなら弱音を吐くなというが、弱音を吐かなかったら誰も助けてくれないのではないか。
俺も奴ももう若くない。
奴は俺と違って手に職があるが、この年で体を壊したら再就職先はほとんど選べないだろう。
俺もそろそろ定年が見えてきたがプロ意識とは何か未だに分からない。
だが無給で体を壊してまで働くことだとはとても思えないとだけはいっておく。
30過ぎて朝起ちなんかしたことねーな。
まさに、これは俺だな
俺もまだ同じ状況だから答えは無い
文章で多分違うと思うところだけ、書いとく。
コミュニケーション能力が絶望的に低いことを気付かせ、
気づいてるでしょ、会話していて理解できないのを相手のせいにできるなら
多分そうじゃないでしょ
なぜ、そう回答したのか。理由は知りたくないのか?
本当にそれだけでいいなら、そういってもらえれば答えだけ返すよ。
その後に理由を聞かれても、上手く答えられないと思うけど。
ODでテレッテレになって
病院に行ったと予想。
OD防止策でしょそれ。どうしても気に入らないなら他の医者かかればいいわけで。
んで、具体的な問題点は「ODを疑われた」「薬の値段が食い違った」「予約のキャンセルの本人確認を執拗にやられた」
つーか、それらは精神科なら普通やってることであってですね。診療キャンセルは身内が勝手にやってる場合も多いから
んで、おまえODやっただろ。正直に言ってみろ。
じぶんもYメンタル通ってたけど、特にそこまでひどい対応ではなかったよ。
引っかかったのでメモ
http://brew.sh/ の指示に従う
/usr/local/Cellar/ruby 内にインストールされるはず
なお、バージョン名は/usr/local/Celler/ruby 内のものに従う
catch .bash_profile
vi .bash_profile
中身は
export PATH
以上
「朝日新聞の社員だって自分の入社前の問題をいちいち叩かれてたらいい加減にしろって言いたくなるだろ。
ってネトウヨが言ってたけど、
あれは比喩表現っつーんだよ…。
「ガラポンTV四号機」の記事を見てから、ガラポンTVというものが気になりだしたんだけど、話題の番組を後から知っても見ることが出来るなど、全録とコミュニティサイトとの連動で、テレビを楽しく見ることが出来るようで非常に気になっているのだが、ワンセグ録画ということで、画質がかなり悪いという評判と、価格の高さから懸念している
調べてみると、バッファローから「ゼン録」というものが出ていた。こちらは、フルセグで8チャンネルを8日間分録画出来る
ガラポンよりも少々高いが、HDD容量が、ガラポン500GBに対して、ゼン録は、2TB。と、スペック的には遥かにいい
レビューなどによると、ガラポンのワンセグは、スマホなどのワンセグよりも画質が悪いという話しだし、フルセグを画質落として録画した方がある程度画質を維持できると思うし、その上でネットで番組情報を共有するというのがいいんじゃないかなと思う
まあ、そういうわけで、ガラポンはバッファローと共同で全録レコーダーを企画したらいいんじゃないかな
でも、ぶっちゃけた話、民放テレビ局が、全ての番組を最大2週間分をネットにアップロードして自由に見れるようにして、残しておきたい番組は有料で保存できるみたいなサービスやればそれでいいんだけどね。
マスメディアにのっかるとやっぱイメージを広めるって側面もあるから無理じゃないかな。
隣のご家庭の役割分担がどうだろうとそれはどうでもいいだろうけどさ。
古い話だけど、「ぼく食べる人」「わたし作る人」という CM が猛烈な批判を浴びて放送中止に追い込まれたことを思い出した。
子供心に、個別の事例なのになに一般化して怒ってるんだろうと思っていた。
とある一瞬を切り取れば、作る人と食べる人がいるのは普通なわけで(一緒に作って一緒に食べるというパターンもあるが一般的とは思えない)、「ぼく食べる人、だけど明日は作る人」「わたし作る人、だけど明日は食べる人」みたいな言い訳じみた台詞だったり、「ぼく作る人」「わたし食べる人」ならクレームこないかもしれないけど、馬鹿でしかない。
同じことは人工知能学会の掃除ロボットにもいえて、たまたま女性型なだけと考えられないのだろうか。この手の被差別意識は眼の前の一瞬がすべてだと思っているように感じる。