きちがいとかめくらとかバンバン言うお嬢さんだな。私はそういう言葉を使うのに実はあまり賛同しない。
彼女の言うように「話者の悪意が問題なのであって、言葉に罪はない」というのはあまりにもナイーブすぎやしないか。
僕は中学一年生、まだ12歳だった。いいことばかりではなかったはずだが、今振り返ってみると、毎日笑ってばかりいたことだけが思い出される。部活に熱中し、友達にも恵まれ、告白なんてできなかったけれど、小さな恋もしていた。楽しい日々だった。未来のことなんて考えもしなかったけれど、ただ明日も、その次の日も、今日のように、昨日のように、笑って生きていくのだと思っていた。
夏休みに入る前の週くらいに、小学校一年生の従姉妹がやってきて、夏の間中、うちに滞在することになった。
小さな従妹ははにかみ屋で、しばらくはもじもじしていたけれど、すぐにうちにも馴染んで、僕のことを「お兄ちゃん」と呼んで、まとわりつくようになった。僕の両親も、姉も、従妹を可愛がり、相手をしてやったが、そういう点では一番邪険な僕に特になついていたのが不思議だった。僕もそう意地悪な少年ではなかったと思うけれど、少年は少年なりに忙しかった。部活もあれば男同士の付き合いもあり、そうそう従妹の相手をしているわけにはいかなかった。
夏のある日、ふと空いた一日に、だらだらと寝転がってテレビでも見ていたら、暇ならば従妹を映画につれていけと母が僕に命じた。従妹は最近、公開されたばかりのアニメ映画「となりのトトロ」を見に行きたいのだという。たまたま僕以外の人の手がふさがっていて、まあ僕としても、いつもいつも愛想よく従妹に付き合っていたわけではないから、罪滅ぼしの気持ちもあって、従妹と二人、映画館に出かけた。
まだ、ジブリ映画が国民的な動員力を獲得する前のことだ。映画館はわりあい空いていて、お菓子を食べながら僕と従妹はトトロを見た。
ラピュタは好きだったが、トトロは子供向けだなあとその時の僕は思った。その一年か二年前に、休日の父をせかせて、ラピュタを見に行った僕だったのに、もうそろそろアニメの魔法を心からは信じないようになっていた。従妹の表情はスクリーンの変化に合わせてめまぐるしく変わり、どちらかというとそちらを見ていた方が面白かった。
トトロを見終わって、僕は従妹に聞いた。
「もう一本あるんだって。えーと、ひたれるの墓?暗そうな映画だなあ。どうする?もう帰る?」
「ううん、みたい。みていっていいでしょ?」
それは僕くらいの年齢の男の子と従妹くらいの年齢の女の子の話だった。作画が公開に間に合わなかったらしく、一部が描線のまま映し出されていた。普通に考えればジブリの黒歴史と言うか、前代未聞の汚点(なにしろ未完成品を映画館にかけておかねをとったのだから)と言ってもいいと思うのだが、そんなことは気にならないくらいに僕はその映画に引きずり込まれていた。
誰が想像するだろう。トトロの次に上映される映画が、あんな作品だなんて。
今この歳になって考える。なぜジブリはあの時、あの作品を作ったのだろうかと。ああいうテイストの作品はその後はジブリは作っていない。安心安全のジブリブランドだ。他のジブリの映画の好き嫌いを僕は即座に言える。一番好きなのはラピュタだ。でも火垂るの墓は。好きなのか嫌いなのか分からない。二度と見たいとは思わない。でも、場面の細部まで、あの夏のあの映画館のように、今でも頭の中で上映できる。
とにかく、火垂るの墓を見終わった後、僕たちは疲れ切っていた。そのまま映画館の座席にうずくまっていたかったけれど、そうもいかなかったので、僕は従妹をおぶって、またバスに乗って家に帰った。帰ってすぐに、飯も食べずに僕は寝た。
8月も終わるころに、従妹の父、つまり叔父が死んだ。末期のガンだった。叔母が看病に専念するため、従妹をうちに預けていたことをその時になって僕は初めて知ったが(叔父が入院していたのは知っていたがそんなに悪いとは聞いていなかった)、従妹は知っていたのだろうか。
葬儀の際中、従妹は僕を隣に置き、ずっと手を握っていた。たったふたりきりで生きようと思ったあの少年と女の子のように。
先日、三十路のその従妹がようやく結婚した。もう結婚しないのかと思っていたが、どこからか朴訥な年下の青年を見つけてきて、あれよというまに披露宴を開いていた。花嫁衣裳を盗み見に行った時、何を思ったか、僕の手を握って、従妹が言った。
「ねえ、お兄ちゃん、あの時、手を握ってくれていてありがとう」
あの時ってどの時?と僕は疑問に思ったが、野暮なことは言わずにうなづいていた。分かったふりをするのがいいことは人生にはいくらでもある。もちろん僕は彼女に幸せになって欲しいと思ったけれども、先のことはわからない。けれども生きていればとにかく人生は続いてゆく。それはどうであれ、おしまいになるよりはいいことなんだろう。
記憶はただ頭の中にだけあるのではない。夏のにおい。まぶたに焼付くような熱い色。いつか彼女は、夏の日に夕焼けを見ると、彼女をおぶったあの夏の僕の背中を思い出すと言った。体温や匂い。いろいろを。その中に彼女は、小さな女の子だった時の、あの日々の思い出を縫い付けている。笑ったり、泣いたり、どうしようもなくてたちすくんで、ただそばの人の手を握ったりしたあの日々のことを。
読者を舐めているとしかいいようがない
http://anond.hatelabo.jp/20110521164451
を見てふたばに興味を持ったんだけどどうにもログがどこかわからず検索
別に隠してるわけじゃないみたいだ
http://tsumanne.net/si/%E6%A2%85%E3%83%A9%E3%83%9C
http://www.nijibox2.com/futalog/
ここにもログをあげるみたい
塩辛って所にファイルもあげてる
これから見ようと思う
でもどう見ても著作権侵害なのになあ
萌え絵の教科書という本を買った。pixivで見たrefeiaさんの肌塗り講座を真似たところ、上手く描けたのでゲームラボなど読んだことなかったが、買ってみた。なかなか良い本と思ったので、ゆっくり読みつつ感想を。とても字や画像が大きく、読みやすい。しわの描き方や線画についての記述もなるほどと思った。作例がほとんどの場合えろい。講座本ではあるが、エロ本の感覚で読めるので、嫌になって閉じることがない。ステキ。まえがき・あとがきともに、やる気が出る文章が書いてある。少しずつ上達していくんだと思わせてくれる。萌え絵に特化してはいるが、いろいろ応用が効くので、表紙絵がいいなと思った人は買ってみてはいかが。
http://anond.hatelabo.jp/20110520195901
と
http://anond.hatelabo.jp/20110521154616
これを見て思い出したのですが、数年前から主に2chで見かけるある荒らしが気になっているのでまとめてみました
1. 昔々、あるところに
「マルチポストは悪」
と思ってやまない敏感な人たちと、掲示板を荒らしたい人たちがいました
2. ある日、掲示板で質問やニュースのような話題が投稿されました
3. 掲示板を荒らしたい人が質問やニュースを勝手にマルチポストしまくりました
4. マルチポストは悪という認識がある敏感な利用者が「マルチポストだから無視しろ」と指摘したり、実際に無視、もしくは無視しない人間を叩いたりし質問や話題自体がうやむやにされネットのログに流れていきました
さてここですでに荒らしの思う壺なのですが、ここまでの流れがよく起こるようになるとさらに荒れる方向に発展していきます
実は話題提供者の立場で何度か荒らされこの仕組みに気付きました。
スレーや無視はやられた方が嫌な思いをするくらいなのでいいのですが、そのパターンを利用して荒れるようにもって行かれるとしばらくは掲示板が機能しなくなります
また、今よりも「原因はマルチポストをした人間、マルチポストは悪」という認識が住民に深まり、悪循環になります。もし認識が深まらなくても「「マルチポストは悪」と考えている人がいる」という前提で荒らすことができるようになるため、荒らしたい人は焦る必要がありません。
マルチポストに無反応だったり極端な拒絶をする人たちのように、荒らしコピペや「工作員」に反応する人たち、「工作員は存在しない」と思ってる人たち、パターン化している人たちは知らない間に荒らしに利用されているのではないでしょうか。
追記
この増田の書き込みを見て「これだから2chはダメなんだ。2chはオワコン。時代はTwitterやFacebook。」とブコメしようとした人は利用されやすい、反応しやすい人かもしれないので注意しましょう。
荒れる一週間ぐらい前から、「不自然にキメこなスレが立ちすぎている」という報告があったし(週1ペースぐらいだったのが日に3回とか)
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:3kEB1Z7FdYgJ:dec.2chan.net/b/res/6579624.htm
この5/17のキャッシュ見ると、この時点ではキメこなスレ住人には梅ラボの作品は叩かれてないし、むしろ受け入れられてるような
事情にあまり詳しくない野次馬(自分含む)が結構流入してるので
誰が何に怒ってるかは正確に見極める必要があると思う
もう何年も彼氏いないし顔をネタに笑いをとれるレベルの容姿だけど
可愛いと思う服を着てると「いつも綺麗にしてるよね」と褒められる。
女の人に言ってもらうことは前から結構あったけど、
自分のセンスを認められてるみたいで。
他に褒めるとこがないのかもしれないけど。