2011年04月30日の日記

2011-04-30

昨日、学食に行った。

眠れないのはそのせいかもしれない。

昨日、生まれて初めて男の子と二人で食事した

ゼミが同じの男子とけっこう話すようになって

男「学食行ったことある?俺ないんだよねー」

私「あ、ありますよ。けっこう安いですよ」

男「ほんと?でも、どういうシステムになってるかよくわからなくて。初めて行くお店って戸惑わない?スターバックスとかw」

私「ド、ドトールしか行ったことないです学食は食券買うだけです

男「一緒に行こうよ。一人とか嫌だしw」

ただ普通に御飯食べて授業のことやバイトのことを

しただけだけどやっぱりこれってデートかな?

「それ、美味しそうだね」って言われたとき

シェアしましょうか?」って言えばよかった・・・。

「そ、そうですか」としか言えなくて気まずい雰囲気が少し流れた。

http://anond.hatelabo.jp/20110430010441

ああ、すごくよく分かるよ。


さいこから無敵だった。勉強もよくできたし、いじめっ子だった。

コミュ力の低い奴なんて、何人いじめ倒してひきこもりしたか覚えてない。

初体験は14歳。それから大学に入るまでに10人くらいの処女をいただいた。

大学に入ってからはその倍くらいの処女をいただいた。

ああ、入った大学はもちろん、あれですよ、東大



でもね、そういうあれでも、挫折ってあるんです

遊びすぎてサラ金で金を借りて、どう見てもクズのような取立人に土下座したり。

ホストバイトで稼いで返したけど、一番稼がせてくれた客が3人ともソープに行って自殺したり。

そんな一人から就職活動中に「あたし、死んじゃうから」と電話が来たとき日比谷公園のベンチで泣きました

そんな大学在学中に母親が死んだ。その知らせをラブホで聞いて父親から

「お前何度も連絡取れなかったけどどこに行ってたんだ!」と怒鳴られた。

結婚しようかと思っていた彼女はなぜか若年性の癌で死んじゃうし。



なんかね、不幸な人生なんです

そういう経験をすると、小説とか読んで泣いちゃうんです

自分のあのときの苦しみなんてどうでもいいくらいの不幸が書いてあって、想像できちゃうんです

10代の頃は薄っぺらいな、と思って読んでいた小説が、なぜか20代になって読んだら滂沱の涙。

人の痛みが分かるって、こういうことなんだな、と思います。

さて、世間でエリートって言われるためには、そういう人の痛みを分かった上で踏みにじることが必要なんだけどな。

いま、俺はエリートです。たくさん泣いて、それ以上に、たくさん踏みにじったから。

千葉県東方沖深度30Kmマグニチュード7.5

地震で目が覚め、震源とマグニチュードを確認してまた寝る。

これが311以降の現実

理解者に恵まれない事がどれ程つらいか

学生時代、無視や嫌がらせ日常茶飯事。

家庭内でも馬鹿にされ、怒号を受け、脳を洗脳される。

日常的なハラスメント妄想助長し、いつも同じ後悔の念ばかり考えている。

そのせいで学業でいい成績になれる訳もないし、這い上がれる術は奪われたも同然。

周囲のはけ口にされるのはもうごめんだ。

無職のまま実家に引きこもって、最後は家庭で親類を殺害してしまう人がたまニュースになるが、心底同情する。

彼らには見方がいなかったのだろう。悲しみしか抱けない。

http://anond.hatelabo.jp/20110428203332

 で、貴方のもっとも大切なものは何ですか?

http://anond.hatelabo.jp/20110429203313

責任」が発生する根拠は、

(1)受益者であること

(2)決定権があること

の2つの視点で考えてみればよいと思う。

この視点で、「末端の従業員」について考えてみると、

(1)について

かにステークホルダーといえる。

事業の一部とはい原発を運営して儲けた金の一部を確かに給料としてもらっているわけであるから

ところが、金は天下のまわりものであるし、あれだけ大きな会社である

東電ビジネスで取引関係にある企業は五万とあり、それらの企業ステークホルダーであることには変わりない。

そこでは社員給料よりケタ違いの大きな金が動くこともある。数字の上で考えると、最大のステークホルダー社員はないのだ。

さまざまなステークホルダーを受益額順に並べてみて、その中での末端従業員が占めるポジションから評価するのが客観的評価というものではなかろうか。

(2)について

決定権があったかというと、ほとんどなかったと思われる。

会社というのは株主に対しては民主主義であるが、従業員に対しては民主主義はない。

会社の代表は従業員投票で選ばれるわけではない。

しかも、原発事故が起きる前、原発推進は国策でもあったし、国民の大多数の認識も不十分であったことは間違いない。震災前に今回のような事故を防げたとしたら、とてつもない政治力が必要だったはずである

末端従業員にも、責任はあるにはある。

ただしそれは一般の国民自然界で生活する中でされされる責任の総量と比べやや高めというレベルでことさら言い立てるには値しない。

http://anond.hatelabo.jp/20110430004728

・死ぬ

・現状の仕事に適性を合わせていく

仕事を変える

仕事に対する価値観を変える

 

青い鳥なんていないよ

男だから泣いちゃいけないなんて、誰が決めた

男は涙を見せない。男だから泣いちゃいけない。

よく言われることだ。



から数年前のこと。僕には婚約者がいた。


その婚約者とは、学生の時から付き合っていた、同い年の彼女だ。大学卒業してお互い就職した就職して2年が経ったときプロポーズした

結婚しよう。」

はい。」

4年も付き合って、お互いそれ相応の歳なので、こういう流れになるのは当たり前といえば当たり前だ。

ありきたりではあるが、ごく普通幸せに向けて歩き始めていた。


プロポーズから数ヵ月後、ご両親にご挨拶するため、彼女実家へ伺った。

ものすごく緊張したが、地元手土産を渡した後、仕事の話や自分の親の話など、こういう場において適当と思われる話題でごく無難に会話をすすめていった。

そんな中、彼女の父親がこんなことを言い出した


結婚には反対しないが、まだ少し早いと思っている。」


その後、彼女のご両親との会食の機会を何度か設けて頂いた。自分という人間を知ってもらうために、そして、結婚を認めてもらうために、一生懸命いろんな話をした

そんな状況が1年間続いたが、状況はよくなっていくどころか悪化していく。

結婚はまだ早い」だったのが、いつのまにか「結婚には反対だ」に変わっていた。


どうしてこうなったのか、全く分からない。

自分で言うのもなんだが、一流大学を出て、誰もが名前を知ってるような大企業にも就職した。とりたてて容姿が悪いわけでもない。高学歴だとか大企業で勤めてるのが偉いなんて全く思わないが、一般的にみて親が結婚を反対するようなスペックはないことは確かだと思う。

最後まで、反対の理由は分からなかった。


結局、彼女とは別れた。

もう疲れた、というのが正直な気持ちだった。

それに、もしこの先なんとか結婚にこぎつけたとしても、その後の生活で彼女のご両親とうまくやっていけるとは思えない。うまくやっていく自信がない。

そんなの、お互いにとって幸せはいえない。

幸せになるためにする結婚なのに。


別れてよかったとは頭ではわかってる。でも、頭でわかってるからといってすんなり受け入れられるほど人の心は強くない。

嫌いになったわけでもない彼女と、理由もよくわからない理不尽な親の都合で別れるのは辛かった。

別れた日、一日中泣いた。次の日も、その次の日も泣き続けた。

涙が枯れるほど、という表現がまさにぴったりだ。実際、泣いているのに涙が枯れて出なくなっていた。

涙は枯れるものなのか、とはじめて知った。


1週間くらいたつと一日中泣き続けるということはなくなったが、だんだんと心が病んできた。心療内科にも通った。もともとポジティブ性格で、うつ病になんてかかるわけないと思っていたが、「うつ病は誰でもかかる」というのを、自らの身を持って実感した。1年ぐらい経つ頃には精神的にもだいぶ安定してきた。もともとポジティブ性格が幸いしているのかもしれない。

同じような経験をしている人、もっと辛い経験をしている人がいっぱいいるというのもわかっている。ただ、間違いなく自分のこれまでの人生の中ではダントツで最も辛い経験だった。この先、こんな辛い経験はしないだろうししたくない、と思っているが、人生なんてどうなるかわからない、というのも分かっている。




そんな経験を経た後、映画をみても、小説を読んでも、ちょっとしたことで泣くようになった。

ロッテ(当時)の清水直行投手の奥さんが若くして亡くなったというニュースを聞いたときは、涙こそ流さなかったが悲しい気持ちで胸がいっぱいになった。

自分の辛い経験を通して、それがどのくらい辛いことなのか、どのくらい悲しいことなのか、想像できるようになった。


人は、心の許容量を超えたときに涙を流す。嬉しい時に。そして、悲しい時に。

涙を流すことは、悪いことではない。涙を流さなければ、いつか心の許容量を超え、破裂してしまう。

男だから泣いちゃいけないなんて、誰が決めた。

どんなときでも涙を流さない人というのは、今までに涙を流すほど辛い経験をしてこなかったんじゃないだろうか。人の心の痛みがわからないんじゃないだろうか。


「年をとると涙もろくなる」というのは、年を重ねる中でいろいろと辛い経験をし、人の心の痛みがわかるようになるということなのかもしれない。


本音を聞かせて下さい

匿名でないと、本音を話してくれないので、匿名で本音を聞かせてください。

仕事をできない人間をどう思いますか?

http://q.hatena.ne.jp/1304068808

中身が良ければ売れるんだ。中身が伴ってない物は、一時期は売れてもそのうち見向きもされなくなっていく


…と普段から力説してる奴がiPadかに夢中になってる件

http://anond.hatelabo.jp/20110417194312

ただ、個人的には代替エネルギー原子力が相互排他的であると考えるのはおかしいと思います。早い話、太陽光発電は昼間にしか発電できない以上、出力調整ができない原子力よりも、ピーク時に稼働される火力・水力を代替する方がよほど技術的にも本筋です

代替エネルギー太陽光ではないし、風力・地熱・高温岩帯・潮汐など夜間も発電可能代替エネルギーのほうが多いです。また、エンド寄りで充放電してピークシフトする技術研究されています。

原発に対するリスク評価・費用便益比評価は、3.11以前と現在はまるで変わってしまいました。そのことは原子力研究者たち自身も反省の弁を述べ、他国の原子力施策が相次いで大きな転換を迎えつつあることにも表れています。そうした現状を無視して「原子力は出力調整ができないから現状維持、火力・水力は代替エネルギーに置換」と主張するのは、技術的にもSTS的にも的外れソリューションです

また、 id:koseki は、代替エネルギー原子力技術的あるいは運用的に「相互排他」だと指摘しているわけではありません。原子力発電は、エマージェンシーの際には被災地での直接人命救助に割けるリソースを廻してでも最優先で事態悪化を食い止めなければならないほどのリスクがあること、そのリスクモジュール化による低減が困難なほど大規模な系にならざるを得ず、現に全体の統御をしあぐねていること、(そして私から見れば、現時点での想定賠償金だけで日本最大級の「優良企業」が消し飛びかねないほどの潜在的コストを孕んでいたこと)…などの現実を前に、「長期的観点での原子力からの脱却・転換が必要」だと認識したうえで、それを置き換える存在として代替エネルギーの話をしているだけです

地元の同意がなければ立地できないというのがまず一点。あとそういうことを言い出せば病院工場を街中に建てるのも許されないということになってしまいます。何事も程度問題でしょう。

今となっては、原子力発電には「想定外の事態が起きたときには、周辺地域の住民がその土地での生活を永遠に放棄しなければならないほどの危険性もある」というリスクが内在したことがわかっているわけですが、当時福島原発周囲の地域住民は、そうしたリスクを含めた適正なアセスメント情報を開示されたうえで受け入れに同意してはいないでしょう。不完全な情報提供に基づく判断について自己責任を負えというのは、特にこうしたビッグサイエンスが絡む(≒専門家集団と一般市民あいだにおける情報リテラシーの非対称性が著しい)問題においては、あまりに一方的な話です

また、地元での調整の結果病院工場の街中への建設が許されないというケースは当然ありましょう。ただし病院工場費用と便益は(法令による環境アセスメントがなされている限り)基本的にローカルスケールに収まるものですしかし、原発はそうではない。現状でも国家〜超国家規模のコストを生み出している。4号機の使用済燃料プールが水素爆発により「注水」されるという偶然がなければ、さらに大きな被害を生んでいたことでしょう。

程度問題の「程度」がまさに問題なのです

この人が最後の人であってほしい、と思える相手とセックスしたことありますか。

たくさんのセックスしたい対象の中の1人として、セックスしてますか。

「悪いことをすると幸せはなれない」

ということになっていれば、社会と善良な人々には都合がよいけど

実際はそんなことないですね。

「そんなのは本当に幸せじゃない」とか呟いて抵抗してみせても

悪いことをして幸せになっている人がいる現実には勝てない。

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