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2010-08-31

トカイとイナカとジャスコ

ずっと「トカイ」にいかなければと思っていた。

育った町は関東に位置している田舎だ。電車に乗れば東京まで一時間半か二時間程度の場所だが、それでも十分田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならない。隣駅は無人駅で、最寄駅は7時にならないと自動券売機切符が買えない。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バス時間も早く、夕方差し迫ってくれば、乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。

電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜ける夜も、夏になると井戸からくみ上げた水が滔々と流れる用水路も、稲穂の上を渡る金色光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、なにもかもが呪わしかった。どこへ行くにも車がなければ不便で、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかない。それで、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。

みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンも、なにもかも厭わしかった。私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。

高校卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住みかを確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日時間もかけて都会へと通った。

私は住みかを確保できた幸運な一人だ。山の手のかたすみにある、静かな住宅地最初下宿はあった。学生用の木造二階建ての、半分傾いたアパートだ。四畳半風呂がなく、トイレ玄関は共同だ。同じ値段を出せば、田舎では1DKが借りられる。しかしそんな場所でも、私にとってそこは「トカイ」だった。

トカイでは駅までの道に田畑はなく、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈が一定の間隔で並んで夜を追い払ってくれる。月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心が都会にはあった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。

都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。

あるいは、田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているように見えるが、どこかに必ず境目があるのだった。境界付近では二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。

山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、そんな些細なことを田舎だと称するけれど、田舎はそうじゃない。

田舎は不便だが、時に便利だ。車で移動することが前提だから、どこか一箇所にいけばだいたいのことを取り繕うことはできる。都会のように一つの場所に店が集まっていないせいで、あちこち足を運ばなければいけない不便性が田舎にはない。確かに近くに店はない。駅も遠い。でもそんなことは本当に全然大したことじゃないのだ。

大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎邪魔になればすぐに切ってしまうから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎のやりかただ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。その光景あなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか町を広げていくことのできない田舎を、あなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしない。それが田舎なのだあなたたちはそれを知らない。

盆や正月田舎に戻ると結局ショッピングモールに集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかいから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野秋葉原新宿池袋渋谷原宿東京丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。

ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら、私は思う。下町を中心としたチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を、田舎の人は都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。

ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方サービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせち材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売る。あの店はどちらかというと揚げ物やしょうゆのおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。田舎ではショッピングモールの商品棚のなかにプラスチックくるまれた商品があるだけだ。そうするほうが「トカイ」的で便利でコミュニケーションがいちいち必要いから、田舎人間はそれを喜ぶのだ。

そして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。

どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想しかないということを、私は長い都会生活の中で理解したのだった。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイのものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。

「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想しかない。幻想しかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ


私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。




補記:母は東京イオンがないという

記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。

父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から10軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんど、という中で父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない。日本によくある限界集落の一つだ。

引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルド本屋ミスタードーナツもある。旧市街地門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。

バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置しているが、新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに言った。

父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人がたくさんいた。でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかった。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分都心に探しに行くしかない。服屋はあるけれど、高いブランド物か流行遅れのものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきていた。都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。教育をするにしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙時間的距離は苦痛だったのだろう。

子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。

そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。

祖父母にとって東京得体のしれないところだった。東京駅に降り立った彼らは人込みの歩き方がわからず、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。

たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京イオンがない、と真顔で言う。私が笑って、近くにイオン系列ショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。彼らはそう言う。

あんなに都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウン生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。

私の住む東京千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内はいっても下町からここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎志向するかもしれない。一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。

それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張する。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。

成田に育った:http://anond.hatelabo.jp/20080929192856

2010-06-18

携帯再興なるか

日経の記事、面白く読ませてもらいました。

http://tinyurl.com/28n7ct3

今更また海外に出ていこうなんて・・・

携帯電話なんてのは、かつて日本が最も進んでた分野だったのに。

結局製品に問題があるんじゃなくって、企画と売り方が悪かったんですよ。

液晶集積回路技術なんて、ここまで主要部品コモディティ化されてしまったら意味ないじゃないですか

そんな変なプライドは捨ててしまいましょう、スペック至上主義の時代はもう終わりました。

そんなものより、デザインソフトウェア重要です。

たとえ液晶の色味が汚かろうと、CPUが遅かろうと、容量が微妙だろうと、iPhone買ってるのがいるわけです。

あと、富士通のIT技術は殆ど全部糞ですので、持ち寄る必要ないと思われ。

昔は凄かったんですけどね。

日本人が喜ぶもの=世界が喜ぶものではないです。

特に海外来て衝撃的だったのは、携帯電話ステイタスであり宝飾品みたいなものであったということです。

彼らはメールもろくに打てないのに喜んでiPhoneを使っています。

ただかっこいい、自慢が出来るからiPhoneなんです。

海外市場なんて利益率の悪い低価格機だけしか売れない、中国を筆頭に韓国台湾と値段の叩き合いになるから出ていくの止めよう。

そんな小賢しい負け犬根性が、今日体たらくを招いたのです。

私はタイで働いていますが、低価格機はタイ人馬鹿にして使う人は減少傾向です。

所得が低くても、彼らは月賦で高級機を買います。

給料の3カ月分でも買います。

発展途上国購買力をなめてはいけません。

そして北米に至っては、デザインが良くて便利ならばちゃんと市場が評価して売れます。

しばらくヒットに恵まれなかったモトローラだってDroidを気合い入れて作ったらしっかり売れました。

彼らは非常に賢い消費者です。

ある意味日本人なんかよりよっぽど。

失敗をまとめてみると、

1に、調査不足。

海外リサーチをしなかったのは大失敗です。

アメ公ってどんなの興味あるんだろう、みたいのを何で調べなかったのか。

ノキアシェア高いんだすげえ!」とか、そんなの調べただけで調査した気になって馬鹿かと。

タイなんて最初タイ語対応してた携帯ノキアしかなかったんですよ。

だから今日ノキアがある。

それより、ノキアの幾らの機種が売れてて、なんで現地人がそれを買っているのかとか調べればよかったんです。

そして、恥を忍んでパクればよかったんですよ、サムスンみたいに。

2に、宣伝不足。

海外宣伝を打たなかったのは愚かでした。

損を覚悟で名前を売って、有名人に使わせれば彼らは同じものが欲しくなります。

オバマBlackBerryしかり。

海外だとこの手のミーハーっぷりは日本人が思うよりもっと強烈に存在します。

3に、企画力不足。

ブームを自分たちで起こそうくらいに考えないと世界を取れない。

結局、日本工業デザイナーにろくなのがいない。

グッドデザイン賞とか、海外から見たらレベル低すぎです。

もうデザイン部門はヨーロッパにでも別会社作って、美術系や工業系の大学生を青田買いしてスタッフ集めてはどうでしょう

彼らに簡単なテーマを与えてデザインさせる。

その方がよっぽどエッジの効いたものが出てくるでしょう。

今更iPhone真似たってどうしようもないじゃないですか

そんな事より、セパレート携帯とかクネクネ折れる携帯とかをもっとプッシュして、流行らせてやろうと思わないと。

サムスンなんて、数打ちゃ当たる戦略で、とにかくいろんなのパクって出してます。

今からでも遅くないから、まずはさっさと国内向けの機種を海外CM流して売り出せばいいんですよ。

開発コストだった、すでに日本向けに作ったやつのファームウェア言語リソース変えるのに何億もかかるわけじゃないでしょう?

アンドロイド使えばその辺更に簡単なんですし。

円高だから海外に出ていきにくいとか醜い言い訳はもうやめて、さっさとSIMロック外した携帯を鞄いっぱいに詰めて、ニューヨークでもワシントンでも北京でも上海でもどこでもいいんで行商に行くべきなのです。

売れなかったら、なんで買ってくれないのか現地の人に聞けば、理由はすぐにわかるでしょう。

そんな簡単な事すら、ここ数年どこの会社もしなかっただけです。

2009-12-14

http://anond.hatelabo.jp/20091214211252

へぇ、初めて知った。

それが本当なら確かにヤクルト規制しないとねぇ。

ただ、基本的には動きたくないんだよな。

本当は行商弁当屋も規制したくはないんだよ。

で、数ある違法行為の中でどうしてもという声が大きい弁当屋だけ仕方なく規制を始めた、ということなんだろうね。

ヤクルトも取り締まれという声が大きくなってくれば取り締まるだろうぜ。

中央区行商違法なら、ヤクルト違法なんですケド

http://d.hatena.ne.jp/itarumurayama/19690213

2009年 8月 6日(木)19時46分1秒の投稿より。

【以下引用

オフィスビルの各テナントに、

ヤクルトおばちゃんが巡回して、ヤクルトを売っている。

販売の形態としては、

「定期契約した人に、ヤクルトを毎日届ける」というケースもあるようだが、

少なくとも小生は「飲みたい日には飲むし、飲みたくない日は飲まない」。

で、出入りのヤクルトも、当日に飲みたい人にだけ売っている。

しかし、このヤクルトの行為は、他の区はいざ知らず、

新宿区保健所管内では「違法行為」に該当するらしい。

というのは、新宿保健所解釈では、

食品衛生法東京都食品製造業取締条例」により、

ヤクルト等の販売行為をするには「食料品等販売業」の許可申請が必要になり、

「手洗い器や陳列棚の設置が必要になる」のである。

ワゴンで動き回っているヤクルトおばちゃんに、手洗い器などあろうハズがない。

因みに、他の区(中央区港区)では、「行商」としてヤクルト販売に許可を

出している可能性はあるが、「新宿区行商許可を一切出しません」ということらしい。

というより、

新宿保健所に出入りしているヤクルトは、予約販売形式なので、

 他のビル内でも予約販売していると思っていた。

 もし現地販売しているのなら、それは違法」なんだそうだ。

なお、「予約販売」の場合は、「出前」「仕出弁当」と同じ扱いになって許可要件が変わるので、

手洗い器が無くてもOKになる。

・・・もっとも、

「確かにヤクルト違法なんですが~~う~ん、今更取締りをすることもないし・・・」と

奥歯にモノが挟まった受け答えを保健所窓口氏は行っているので、

どうも「ヤクルトの行為は黙認」することになりそうだ。

引用終了】

今回、中央区は従前の「行商容認」から「行商禁止」に舵を切ったので、

移動弁当屋も当然禁止になるのだが、と同時に「ヤクルトも禁止」にしないと、

整合性が取れない。

行商問題 中央区の本音

中央区が「行商」の移動弁当店を「排除」する方針、という記事が注目を集めている。

はてブコメントの中には

「既設飲食店に行けないのは、値段の問題じゃなく、キャパの問題。

 (昼休み行列してしまう)

 昼食難民を無視した措置には納得できない」というコメントが多かった。

この件で、以前中央区担当者ヒアリングに行ったことがあるのだが、

区の担当者の基本認識

「昼食難民が発生するほどのオフィス昼間人口を創出しながら、

 それに見合った飲食店弁当店をビル内に誘致しなかった大手デベロッパーが、諸悪の根源

と、(デベロッパー社員である)自分に対して、面と向かって言われてしまった。

2009-09-26

http://anond.hatelabo.jp/20090925231001

  • 交通
    1. 年に何度もダイヤは乱れませんので時間通り電車はくるはずですよ?
    2. 終電は夜10時台ですがなにか?
    3. 1日4本ですがなにか?
    4. 駅員さえ居ないのに必要ないでしょう?
    5. 車内だけだと思っているんですか?
    6. 乗り降りる人がいないのに開くのは無駄じゃないですか?
    7. バスの様に電車でも途中で降りれると便利なんですけどね。
    8. 運転手さえいれば電車は走りますよ?
    9. 編成ってなんですか?団体さんですか?
    10. 車内に人がいたのですか?ああ、運転手ですか。
    11. と言うか電気で走ってませんよね?
  • 地理
    1. 家は山の影に隠れているだけですよ。
    2. 精米機なら結構あります。
    3. 行商のおじさんが来ます。
    4. え?虫の声がうるさくないですか?
    5. ああ。安い所に買いにいきます。車で。
    6. 国道が近いから大丈夫
    7. というか漫画に出てくるようなオタクっているんですか?
    8. 鹿や猪に注意。轢いたら車が逝きますよ。
  • 言われて驚いたこと
    1. 水道水飲んでるんですね」これ井戸水ですが。
    2. 「え?野菜作ってるんですか?」米も作ってますが。
    3. 「そんなに学校遠いの?」二つ隣の町ですがなにか?

2009-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20090310123449

「こんなステキなヤツ」は馬であるところのマキバオーなんだけど。「人」って表現している箇所があるから勘違いさせちゃったかな。

もしかしたら人生でもう一度ダービー馬に出会えるかもしれないけれど「マキバオーのような存在」には二度と出会えないだろう。同じく、ロレンス行商を続けていれば、いつかまた自分の店を持つチャンスに巡り合えるかもしれないが、ホロは逃してしまえば二度と巡り合えないだろう。

後で例に挙げた2つがファンタジー要素の強い作品なっちゃってて、紛らわしくなってるのは申し訳ない。

単に、スクラン最終巻での播磨拳児塚本天満への想いのくだりを読んで「自分は誰かとの出会いを大切にしているのか?」という自問を書きたかっただけだ。ああいう熱い感情があったのは、本当に高校生くらいまでだね。あとは惰性だ。

2008-10-10

http://anond.hatelabo.jp/20081009235300

行商品の普通の一口タイプゼリーでは凍らせて食べるのは一般的な食べ方だよねえ。

そうなのか?

私には「一般的な食べ方」とは思えない... というか、

「そういう食べ方もある」という認知はしているけれど、

ふつうの食べ方は、どう?」と聞かれれは、「冷蔵庫で冷やす」が、第1答なのだが。

2008-10-09

こんにゃくゼリーは改良が必要な商品はてなーは修正の必要

こんにゃくゼリーを凍らせて子供に食べさせて死なせてしまった祖母が罵声が浴びせられているが

行商品の普通の一口タイプゼリーでは凍らせて食べるのは一般的な食べ方だよねえ。

とっても賢くて情報通でカッコイイはてなーと違って情報弱者にはあの程度の注意書きでは

死の危険性を認識するのには不十分なのではないかな?

タバコや洗剤の注意書きはもっと大きかったり警戒色だったりするでしょ。あれも無くしたいのかな。)

マンナンナイフがいくらゼリーでないと言っているから構わない言っている人は下の業者の言い分を認めるオメデタイ人なのか。

敷金礼金ゼロ」は「居住権もゼロ」?? トラブル続発

http://www.j-cast.com/tv/2008/10/09028290.html

ポイントは、賃貸契約時に書かされる「『施設付鍵利用契約』に関する合意書」。

>つまり部屋を貸すのではなく、部屋のカギを貸す「鍵利用権」。

記事の賃貸業者と違ってマンナンライフが悪質だとは思えず同情は禁じえないけど

生産の一時中止はありうる選択肢だとも思う。

おまけ

「俺の蒟蒻ゼリー理論の方が論理的に正しい」

http://d.hatena.ne.jp/Lobotomy/20081009/p1

>もっと人が死にやすい蒟蒻ゼリーを作れば良いのである。

あなたの考えにはついていけません。

世に発言する際には良識というものが必要なのですよ。

良識なんて偽善的だとか、風紀委員みたいだとか、2ちゃんねらーみたいな発想は捨てて

良識の意味をよく考えましょう。

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