はてなキーワード: ステイタスとは
たいていの人は異性に興味持つ年ごろというのがあり、大体は身近な人に恋をする。
誰かにときめき、ドキドキしたりワクワクしたり、もう少し相手に近づきたいと自然に思い、うまく仲良くなれれば手を繋ぎたいからキスしたいと夢見るようになり、次第に一人の異性が自分にとってとても大事な人になっていくだろう。
でも、好きになった人とすべての人が結婚できるわけはない。
恋愛が結婚に変わっていくのには、その時々の様々な条件がうまく双方合致して合意に達さないとできない。
独身の頃はあっさりと結婚していく友人たちを眺めては、どうやったら結婚にこぎつけるのだろうと、あれやこれや妄想してた。
そして結婚して一時は幸せそうでも笑顔を忘れていく友人や、壊れていく夫婦関係をこれまた眺めては、どうやったら幸せな結婚ができるのだろうかといろいろ考えてみたりもした。
どれだけ妄想しても、幸せな結婚を手に入れられるべくどれだけ条件を整えても(容姿・教養・センス・仕事等々)、そんなのは現実の生活の中ではたいして役に立たないのだと最終的に知った。
世間体という概念により自分の為の結婚から軸がずれ、親の為の結婚に微妙にすり替わっていく感もある。
そして何より女には結婚適齢期というより妊娠適齢期というのがある。
だいたい卵巣にそれぞれ200個づつくらいの卵子の種があり、女性が生涯に妊娠できる可能性は400回くらいとして約33年と3か月、中学生くらいまでに初潮を迎えれば40代半ばには卵が終わってしまう。
35歳を過ぎれば卵は劣化していくし、子宮内膜もやわらかく心地よく胎児を育めるだけのやわらかさや強さは衰えていく。
子どもが欲しいと思わなければ結婚は考えなかったかもだが、この事実に気付いてからはすごく結婚をしたいと強く望むようになった。
当時月収100万以上のキャリアを捨て、子どもを産むために家庭に入った。
子どもを産み育てるにはまず安全な巣が必要で、そして生活していくにはお金もかかる。
仕事辞める必要なんてないじゃないかと思う人もいるかも知れないが、妊娠出産育児の期間中は母親としてこの腕に抱いて育てたかったのと、何より流早産の危険性から妊娠期間中のほとんどを病院で過ごしてた。
飲み代や服代、そして結婚前に主人が作った借金の精算に主人の収入が消えていく現実に気付いたときは、マジで身動きが取れなくなってた。
子どもが生まれるまでは、自分が我慢できるところは我慢しよう、生まれれば子どもには父親も必要だと思う気持ちもあり、それがずるずると7年という歳月になった。
イケメンで憧れのカタカナ職業で年収1000万弱の社長で…と条件だけ書けば何をそんなもったいないと誰からも言われたけれど、ステイタスではおなか一杯にもなれず、心が満たされることもなかった。
おしゃれな会話や趣味の会話でコミニュケーションはそれなりに楽しかったが、ハートで触れあえることはなかった。
何のために結婚するの?
誰のために結婚するの?
主人を愛しているのかどうか、私のとっても一番大切と思うその部分が、いつも泣いてた。
息子には無条件の愛がハートからいつでも溢れてくるのに、主人に向き合うとひび割れてざらりとしている感じがつきまとい、次第に同じ空間で暮らすことが苦痛になっていた。
愛って何?
愛してるって感じたい。
それがお金よりなにより大切だと思う年齢になっていった。
あんたが頑張ればいいだけの話なんじゃないの?
どうして結婚したい人に何かを要求するの?
相手がどうあれ、一生をともにしたいと思った相手、じゃなくて、あなたのアクセサリーとして適切かどうかって事?
心がきれいとかなんかぼやいてるけど、他人から見たら汚いところもあるだろう。
そんなのひっくるめて一生一緒にいたい相手を親に紹介するのになんの躊躇があるのか分からない。
このアクセサリーこの面はきれいなんだけど、ここがねー、あと産地がねー、それとデザイナーが名の知れた人じゃないんだよねーとかいって買うのをやめる感覚なのね。
だったらやめといたほうがいい。彼のためにも。
中世の頃の欧米では、スポーツ観戦なる娯楽は、まだ発明されてなかった。
だから音楽は娯楽として大きな位置をしめていた。
ここの音楽は崇拝されるものではなく、聞き手を遊ばせるためのものだ。
また欧米の音楽家には、ルックスや精神的に障害を追っている者も多い。
聞き手は、こいつには音楽しかできないかも、という哀れみの感情から音楽家を支援したりすることもある。
一方、いわゆるパトロン、つまり社交界の人間のステイタスは、屋敷で、盛大な舞踏会を開くことだった。
ここでは、豪華なものが受ける。いわばパトロンに対する偶像崇拝。
荘厳で圧倒的な音で人々を勇気付け、神をたたえればいいんだ。
ここで、欧米ではウンチな音楽に対しての批評やブーイングは激しいので、音楽もその分早く進化する。
だからそれぞれの分野でパワーのある音楽が生まれる。
それに対し、日本人は娯楽に対して批判的ではなくブーイングも少ないので、音楽の進化ははるかに遅い。
芸者・芸人。ショーパブ・ジャニーズ文化はあるわけだが、所詮ピンナップガールやピンナップボーイのオマケの音楽は、批判の対象にすらならず、
その音楽家が哀れみの対象にもなることも、ほとんどない。
総評:25点。記述の矛盾点などは最低限クリアしましょう。あとは、相手の男性像をもう少しふくらませるとリアリティがでてきますよ!
今更また海外に出ていこうなんて・・・
携帯電話なんてのは、かつて日本が最も進んでた分野だったのに。
結局製品に問題があるんじゃなくって、企画と売り方が悪かったんですよ。
液晶や集積回路の技術なんて、ここまで主要部品がコモディティ化されてしまったら意味ないじゃないですか。
そんな変なプライドは捨ててしまいましょう、スペック至上主義の時代はもう終わりました。
たとえ液晶の色味が汚かろうと、CPUが遅かろうと、容量が微妙だろうと、iPhone買ってるのがいるわけです。
あと、富士通のIT技術は殆ど全部糞ですので、持ち寄る必要ないと思われ。
昔は凄かったんですけどね。
特に海外来て衝撃的だったのは、携帯電話はステイタスであり宝飾品みたいなものであったということです。
彼らはメールもろくに打てないのに喜んでiPhoneを使っています。
ただかっこいい、自慢が出来るからiPhoneなんです。
海外市場なんて利益率の悪い低価格機だけしか売れない、中国を筆頭に韓国・台湾と値段の叩き合いになるから出ていくの止めよう。
私はタイで働いていますが、低価格機はタイ人も馬鹿にして使う人は減少傾向です。
所得が低くても、彼らは月賦で高級機を買います。
給料の3カ月分でも買います。
そして北米に至っては、デザインが良くて便利ならばちゃんと市場が評価して売れます。
しばらくヒットに恵まれなかったモトローラだってDroidを気合い入れて作ったらしっかり売れました。
彼らは非常に賢い消費者です。
失敗をまとめてみると、
1に、調査不足。
アメ公ってどんなの興味あるんだろう、みたいのを何で調べなかったのか。
「ノキアのシェア高いんだすげえ!」とか、そんなの調べただけで調査した気になって馬鹿かと。
タイなんて最初タイ語に対応してた携帯がノキアしかなかったんですよ。
それより、ノキアの幾らの機種が売れてて、なんで現地人がそれを買っているのかとか調べればよかったんです。
そして、恥を忍んでパクればよかったんですよ、サムスンみたいに。
2に、宣伝不足。
損を覚悟で名前を売って、有名人に使わせれば彼らは同じものが欲しくなります。
オバマのBlackBerryしかり。
海外だとこの手のミーハーっぷりは日本人が思うよりもっと強烈に存在します。
3に、企画力不足。
ブームを自分たちで起こそうくらいに考えないと世界を取れない。
もうデザイン部門はヨーロッパにでも別会社作って、美術系や工業系の大学生を青田買いしてスタッフ集めてはどうでしょう。
その方がよっぽどエッジの効いたものが出てくるでしょう。
そんな事より、セパレート携帯とかクネクネ折れる携帯とかをもっとプッシュして、流行らせてやろうと思わないと。
サムスンなんて、数打ちゃ当たる戦略で、とにかくいろんなのパクって出してます。
今からでも遅くないから、まずはさっさと国内向けの機種を海外でCM流して売り出せばいいんですよ。
開発コストだった、すでに日本向けに作ったやつのファームウェアの言語リソース変えるのに何億もかかるわけじゃないでしょう?
アンドロイド使えばその辺更に簡単なんですし。
円高だから海外に出ていきにくいとか醜い言い訳はもうやめて、さっさとSIMロック外した携帯を鞄いっぱいに詰めて、ニューヨークでもワシントンでも北京でも上海でもどこでもいいんで行商に行くべきなのです。
売れなかったら、なんで買ってくれないのか現地の人に聞けば、理由はすぐにわかるでしょう。
そんな簡単な事すら、ここ数年どこの会社もしなかっただけです。
たとえヤリチンDQNであっても、女友達からうらやましがられるようなステイタスの持ち主がチヤホヤ持ち上げて口説けばころっと落ちる。そういうのを専門に食ってる男も結構いる。
落とすには周囲のオタコミュニティに埋もれちゃだめだ。別コミュニティに属する高級な男を装わないと。一旦オタ友達になったら「人間以下」のまま這いあがれないのは確定してる。
なんか誤解を招く書き方したけど、
鬼も非情も私は褒め言葉で書いてる。あれじゃん、匠みたいな感覚で○○の鬼とか言うじゃん。
内心よく思ってない人とだらだら関係を続けるほうがろくでもないと思う。
実は馬鹿にしてるとか批判したいとかも一切ない。その子とはとても仲良いし一緒にいて楽しいからね。
付き合うことにステイタスを感じる男の人がいるっていうのも当然理解しているけど、
それを理解した上で実際どれだけ引っ張れるか、って考えるとやっぱり腹の据わり方が違うなと感じる。
(あと、その子の場合、彼氏昇格=縁切り5秒前、という感じなのがまた徹底しててすごいと思う)
別に男の人から物をもらう女性を批判するつもりで書いてるんじゃない。感心してんだよ、ほんとに。
http://www.yoshi-kuni.jp/index.php?id=09100001
このコメントしてるやつらなんなの?すげー気持ち悪い。何をそんなに批判する事があるのか全くわからん。
こいつら余りにも無責任な発言しすぎじゃないか?
今の下北のあの汚いごちゃごちゃなままで、どこまで存在させるつもりなんだろ。
人も多いのにあのままじゃヤバいのは誰でも解るだろ。駅とか道とかすげー狭いし。
建物も老朽化するんだってのはわかってんだろうか?
つうか正直ね、下北ラブ下北最高下北ステイタスみたいな貧乏人がめちゃくちゃ大嫌い。
そんなに古くさい汚い街に住みたいならもっと田舎行って暮らせよ。金無いくせにばからしい。
汚いままで何が文化だ。下北の貧乏人文化なんてたかが知れてるだろうよ。今更何をそんなに残すつもりなんだ?
あのごちゃごちゃな町並みか?演劇やってる変人か?酔っぱらいの自称アーティストか?駅前でコールドプレイのViva la Vidaアコギで歌ってる兄ちゃんか?
下北に勝手に変な価値観つけてる奴らはいったいなんなんだ。駅が変わろうと道が変わろうとお前らに不都合なんて何一つ起きないだろうに。どうせ上京な奴らばっかりなんだろ?
こいつらとか守ろう運動やってる奴らとか、マジで排他的過ぎて気持ち悪い。
結局、この今の下北の良さが解らない奴らはくるなって言いたい訳だよな。
お前らだけの街なんかよ。あほらし。
上京して10年になるが、実家に帰るたびに田舎者は嫌だなあと思う。
田舎者は無知だ。いや、無知なだけなら良いのだ。人間は皆、生まれた時は無知だ。しかし田舎者は、自分が無知であることを認めようとせず、故に学ぼうという向上心もない。実につまらない人間ばかりだ。
まず、奴らはパチンコが好きだ。パチンコをしない人は、大抵野球かサッカーが好きだ。なぜなら他に娯楽がないからだ。
それから、奴らはゴルフが好きだ。雪が積もってゴルフができない冬の間はスキーが好きだ。なぜなら周りに山しかないからだ。
更に、彼らは車が好きだ。なぜなら車がなければどこにも行けないからだ。電車もバスもろくにない辺境に住んでいるから、事故が多くて環境にも悪い、車なんて前時代的な乗り物を使わなければいけない。正直、哀れみすら感じる。
もちろん例外もいる。アスリートとして本気でゴルフをやってる人もいるし、駅から至近距離に住みながら趣味でクラシックカーを所有している人もいる。しかし、多くの田舎者は「それしかないから」それを選んでいるのに、自分の意志で選んだかのように勘違いし、実際は田舎者のシンボルでしかない趣味をステイタスであるかのように思いこんでいる。本当に見ていて恥ずかしい。
俺の友人が、どこかの県の奥地から来た田舎者に「社会人なのに車も持ってないんですか?」とバカにされたそうだ。ちなみにその友人は代官山駅から徒歩3分以内のところに住んでいる。本当に無知って怖い。田舎者のまま大人にならなくて良かったと心底思う。
おた中学生~大学生、時にはおたママさん等と関わったりしているんですが、皆本当に素直で前向きで、何より元気で向上心が高く、友達想いの子が多い。
確かに "いい部分"を見ようとしてしまいがちですが、ダメなところもある。例えば、無愛想の子や、自己チューでKY(空気読めない)な子もいるし、マナーを知らない子もいます。
ただ、何万人というおたくと接してきた私からみると、それは少数ですね。
格好や顔でごまかされがちですが、彼(女)達の大部分は、色んなことを考えています。生きることにネガティブですし、人間関係にも気を配ります。 だからなのか、「経済効果100億」をもたらすといわれるニートもいたり、ブログアクセス1日200万PVを超えるような注目の人物が出てくるのだと思います。しかし、少数派の行動がどうしても目立ってしまい、おたく全体のイメージをよくないものにしているのでしょう。
「怖そう」
「悪いことしてそう」
「何も考えて無さそう」
聞こえてくるのはそうした声・・・。果たして、おたくたちは自分たちのことをよく思っていない人たちに対して、どう思っているのか?
集まった意見で上位に入ったのは下記のようなものでした。
「見た目や話方で悪口を言われたり、勝手な判断している人には解ってもらえなくて結構です!!」
「嫌いならシカトして下さって構いません!」
「別に気にしていません」
おたくの子たちの生活や交友関係には、強いテリトリーがあります。
当然ですが、「おたくを認めていない」人たちや、おたくから見て信頼出来ない人たちは彼(女)達の世界には絶対入れず、「招待されたモノ」のみ"おた世界"に入る事が出来ます。
例えていうなら、一見さんお断りのバーや、紹介者がいないと入れない"mixi"の様な世界です。
ただ、ひとたび足を踏み入れると、初めて会った子同士でも認めあい、すぐに仲良くなれます。「社交辞令」みたいなものが一切無い、「身内」同然の関係ですね。
おたくたちは決して友達の数を競っていません。「誰かに自慢したくなるようないい仲間」がどれだけいるかが彼(女)達のステイタスだといえるでしょう。よって、仲間意識や情報共有力などが強まり、ひとつの強力な「ネットワーク」が完成するのです。
そう簡単には理解いただけないとは思いますが、彼(女)達自体はそうしたことを一切、気にしていません。ある意味、不器用でまっすぐなんですよね。
ばばばばば馬鹿じゃないのか!?
い、いや、痴漢やレイプの被害に遭った事も、遭いそうになった事もないと、
そんな妄想が生まれるのか!?
勿論、ストーカーの果てにされたなら違うが。
単にしやすかったから、だ。
どっちが痴漢に遭いやすいか、実態をよく見てみ?
綺麗な子は、自分に自信を持ってる可能性が高い=痴漢だって叫ばれる可能性が高いから、
おとなしめ&ブサイクな子を選ぶ。
ミニスカートよりも、性的な魅力を半減させるロングスカートの痴漢が多いのは、
相手の魅力もどうでもいい。
女性としての体さえあれば、それでいい。
けど、痴漢やレイプ被害に女である事のステイタスを感じる元増田が
男に生まれたら、何で「男性である事のステイタス」を得られるの?
同じじゃん?
なんで、他人にいえない趣味を作るんだ?
なんで、他人にいえないんだ?
格好悪いからか?オタクだからか?
格好悪い趣味なんか最初から作らなきゃいいだろうに。
アニメ、マンガ、エロゲ…そんな格好悪いモンにいつまでもハマり続けてる連中が理解できん。
車、サーフィン、フットサル…何でもいいけど、格好いいなーって思って趣味始めるんちゃうんか?
だから、オタはキモいて言われるんよ?自分で格好よくなる努力とか、
他人からどう見られるか?とか全然配慮してないだろ?
自分一人で生きてるんじゃなくて、周囲との兼ね合いだろ?周囲からどう見られるか?てのは大切。
オシャレするのだってさ。自己満足だけど、他人に見られて恥ずかしくない格好をするって配慮じゃねーの。
オタのこういう性分に、時々イライラする。挙句、非モテとか言い出すと、恥ずかしくねーの?て。
自分、昔、エロ化する前のコンプティークとか買ってただけに、余計ね。AD&Dとかやってたし。
脱オタなんて簡単だし、そうすることで世界が広がった。別にオタに固執してもいいけどさ。
もうちょっと、外との兼ね合いってヤツを考えようぜ?
牛歩サークルの意味がイマイチ分からない、晴海サークル参加経験のある増田だが。
サークルが売りたいと思うのは勝手、売る努力をするのも勝手。儲け主義でサークルやるのも自由だ。
ただ、もともとは各自がアマチュアっていう場でやりたいことをするために始まった場所なわけで、
売れるのも売れないのも、サークルの自由だよ。
コミケ参加者はサークルも一般も平等といわれていながら、会場の費用を負担するのはサークル側なわけでさ。
サークルの自由はある程度認められるべきだ。
で、おそらく混雑するサークルが牛歩なんだろうとは思うが(列ができるのをステイタスだと思ってるタイプ?)
それは運営側が何とかすべき問題だよ。
運営も1参加者ではあるけど、それなら牛歩サークルは落とせばいいだけ。
別にイベントはコミケだけじゃない、書店もあればネット通販もある、
そんな今の時代でアマチュアが運営するイベントでそういうリスクを取る意味が分からん。
サークルの当落は無作為といわれていながらも、大手は落ちないだのいろんな暗黙の了解があるよな。
(まあ定期刊行してるわけだから、極小サークルより受かりやすいのは分かるが)
そういう1つとして、主催側が「迷惑行為を行うサークルは落とす」と規約を変え、サークル側に対応してもらえばいいだけ。
広告が激減してるんですよ。販売売上だけではいかんともし難いんです。
タウン誌というニッチなビジネスモデルが出来て30年。今や雑誌メディアは広告ありきみたいな流れになってますが(雑誌だけではなくメディア全体がそうなってますね)、タウン誌というのは長年編集記事が主体で制作してきたところが多いんです。大げさに言うなら『編集は聖域』という、新聞社的な考え方というか。
いくらクライアントといえど、編集方針に合わなければ記事として取り上げない。みたいな。まぁ、そこをどう突っ込むかが担当営業の腕の見せ所だったりもするんですが(記事で取り上げてもらうために、担当営業が特集に合わせて、お店に新しいメニューやサービスを提案したりだとか)。例えば、100万出すから巻頭特集に見開きで記事載せてくれ。みたいなオファーを担当営業が涙をのんで断る…。バブル期には、そんなこともあったと聞きます。
『編集方針』という、目先の利益に左右されないモノをしっかり守ってきたからこそ、「あの本に記事が載った」ということが、お店にとってある意味ステイタスになり、「あの本には、お金を払ってでも載せたい」という広告出広を呼び込んでいたんです。
広告と記事。読者にとっては、どちらもタウン誌から得られる情報です。でも、広告と記事は、「区別すべきもの」でした。それでも良かったんです。地方の個店オーナーが、広告効果と掲載によって得られるステイタスを同列に考えていた頃までは。
つづく
なのでつきあっていた人も、基本、学歴とか会社名とか年収で選んでいました。自分が、進学や就職で失敗した分を、男性のステイタスで補完しようとしていたんでしょう。彼氏の説明は学校名や会社名からはじまるし、無駄に高いレストランが好きだったし、外車も好きでした。国産の高級車で迎えにきてくれた人の車にケチつけて、激怒されたこともありました。
というのが、1年くらい前のこと。
1年の間に私の価値観はがらりとかわって、男性の職業にはこだわらず、ニートじゃなければまあいいか、くらいのスタンスで、趣味は散歩とかジョギングとか、読書とか、はてブみたりとか。
そんな私に、以前、付き合ってた人から連絡がきて、まあ、やり直そうみたいな話だったんだけど、くどき文句が給与明細の発表。それ聞いてて、私のお金に対する執着って、ものすごかったんだなあ、というのがよくわかりました。