はてなキーワード: コミュニストとは
2年前の衆院選において、吉良よし子日本共産党常任幹部会員が述べた表現規制発言について「共産党の良く分からん奴」、「こんな女性議員のちょっとした発言」などとして共産党全体の問題とはしない擁護が見られた(https://anond.hatelabo.jp/20231126202929)
だが、共産党員が外部に対して意見を表明する場合、党の意に反した発言をすることができない。これを民主集中制という。(https://anond.hatelabo.jp/20230212205420)
はてなにおいてもとある共産党員のブロガーが除名に追い込まれたことで、一部で話題になった。(https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/2023/09/07/015416)
では、民主集中制が具体的にどういうものなのか、志位委員長はそれにどう向き合ってきたのかを、志位委員長が書いた論文「変節者のあわれな末路」を例に見ていこうと思う。
本当は除名問題が盛り上がっているときに書きたかったが、古本で一万円もして手が出なかった(https://www.amazon.co.jp/%E6%8A%95%E9%99%8D%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E3%81%AE%E8%A6%B3%E5%BF%B5%E8%AB%96%E5%8F%B2%E8%A6%B3-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A/dp/B00KSRE60K)。なかなか国会図書館に行く機会がなかったので今となった。
論文「変節者のあわれな末路」は、分派活動を行ったとして除名された伊里一智氏(当時大学院生)を全面的に批判した論文となっている。
伊里一智事件とは、党員が宮本顕治(議長。当時の日本共産党のトップ)の辞任を求めた事件で、分派活動とされ、最終的には党から除名されている。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%87%8C%E4%B8%80%E6%99%BA)
この伊里一智氏を徹底的に批判したのが、当時党青年学生対策委員だった志位和夫氏であり、また、ここでの大批判は志位和夫氏の党内での出世のきっかけになったとも言われている。
当時党中央委員会青年学生対策委員だった志位和夫は宮本顕治の直接の指示を受け、党の規律に背いて他の代議員に対し働きかけた分派活動と断定した。
(前掲Wikipediaより)
赤旗に掲載され、論文集「投降主義者の観念論史観」(日本共産党中央委員会出版局)にも収録されているこの論文は、志位委員長の、そして共産党の体質が色濃く出ていると思うので分析していきたい。
ちなみに、論文集「投降主義者の観念論史観」は伊里一智氏批判のための書物であり、端書と目次を紹介する。有力幹部でもない単なる一党員にここまでするのかとも思う。
(はしがき)
本書で批判の対象となっている東大大学院生「伊里一智」なる人物は、1970年代なかば以来展開された反共反動攻勢のもとで、日本共産党の路線に確信を失って、不まじめで小ずるい、しかもピエロ的な反党分派活動にのりだし、日本共産党から規約にもとづいて除名された人間である(後略)
(目次)
◯変節者のあわれな末路(志位和夫)
◯敗北の「哲学」(長久理嗣)
本来であれば伊里一智事件の経緯と合わせてみていった方がいいのだろうが、それをすると異常に長いものとなってしまうので志位委員長の考え方が出ているであろう部分を抜粋し、コメントを付していきたい。
なお、双方共産主義者であり、どちらがいかに正しく共産主義を理解しているのかという議論もしているが、そこには踏み込まない。正直意味わからんし。
以下、引用は全て志位委員長の論文「変節者のあわれな末路」より抜粋したもの。
結社の自由にもとづいて自発的な意思で政党に加入した者はだれであれ、出版、言論の自由をふくむ自らの基本的人権をその政党の目的実現にむけて行使すべきである
いきなり凄いのが出てきた。仮に自民党総裁が、「自民党員はその基本的人権を自民党の目的実現のために行使すべき」とか言ったらどんな反応があるだろうか。
いくら政党等の団体に所属していたとしても、基本的人権は各種団体よりも優先されるものであり個々人が自由に行使できるものと認識しているが、日本共産党においてはそうではなさそうだ。
わが党は、「伊里」が、彼の反党文書のなかで、「理論派閥の容認」「党外出版物での批判の容認」「横の交流拡大」などの、民主集中制を完全に否定する主張をおこなっていることを、彼の解党主義、分派主義のあらわれとしてきびしく批判した
やはり、志位委員長も党内に派閥ができることや党の外での共産党批判はNGと認識しているようだ。
あと、注目すべきは「横の交流」も民主集中制的にはNGと考えていることだろう。
党の末端はあくまで中央から指導されるものであり、末端同士で連携することは考えていないようだ。分派活動になるからだろうか。
「科学的社会主義は一つしかないわけではなく」などというのは、科学的社会主義の客観的な真理性を否定する相対的な見地にほかならない
すなわち共産党は客観的な真理性を体現していると言うことだろう。
坂本中央委員からつぎのような指導を受けたことをみずから明らかにしている。
「議案提出の主体は、…代議員有志など複数であってはならない」「党会議の事前に文書を配布することはできない」「事前に他の代議員と討論したり、自分の提案に対する支持を、…求めてはならない」
坂本同志の発言は、「伊里」によってところどころゆがめられているが、こうした「伊里」の"証言"によっても、彼のおこなったような分派活動が規約で禁じられたものであることを、坂本同志がはっきりと指摘していたことは明らかであろう。
まず目につくのは複数名(連名)の提案は認められないところだ。複数名での提案は、党内に派閥を作ろうとしている(分派活動)だと言うのだろうが流石に無理がないだろうか。
ちなみに伊里一智事件においては伊里一智氏ともう一名による連名だったそうだが・・・
次に、事前の議論や多数派形成を認めていない部分だ。会議をやった経験のある方ならわかると思うが、これでは何も提案するなと言っているに等しい。いきなり重大案件を突きつけられて判断できる人はそうそういない。
結局、常日頃から末端を「指導」できる中央の意見しか通らないと言うことだろう。
◯「伊里」の本が、いかに低劣な内容
◯三文反共雑文を書き送る売文家たちと同じ地点まで、「伊里」が転落してしまっている
◯「伊里」が本のなかでおこなっている弁明は、卑劣を通りこして、こっけい
やたらと大仰な言葉遣いする割に、漢字で問題ないところまであえて平仮名で書くのは共産党の文化なのかな(「もとづいて」「不まじめ」「ふくむ」「おこなった」「ゆがめ」「だれ」など)。書き写しにくくて仕方なかった。
やたらと「分派活動」という用語が出てくるがそもそも日常的な用語じゃなさそうなので、辞書を引いておこう。
共産党の場合は党を分裂させようとする行為、という認識で問題ないと思う。
(デジタル大辞泉より)
2 主となる勢力から分かれて別に一派をなすこと。また、その一派。「—を立てる」
一つの団体内部で、信条・利益などの相違から派閥をつくって、主導権を握ろうと争ったり、団体の基本方針とは別の行動をとったりすること。
『投降主義者の観念論史観』と,伊里一智の著作『気分はコミュニスト』がネットにアップされてたhttps://sites.google.com/view/sokokutogakumonnotameni/%E9%A6%96%E9%A1%B5 後者は増田が言及してる宮本批判そのもので、不破にも触れられてる
誹謗中傷で訴えられても知らないよ
訴えられちゃうのか怖いなぁ
多様性を「認める」って承認じゃなくて認識するって意味だと思うんですよね。
そもそも誰の承認を得ようが得まいが世の中は事実として多様なんで。
生き甲斐が家庭だろうが趣味だろうが何もなかろうが、ネオリベだろうがコミュニストだろうが、そのどれを選ぼうが勝手。
ブスも美形もチビもハゲもいるし、整形するも異性装をするも勝手。ヘテロもそうでないのもいる。
自由である「べき」なんでなく事実として自由だし、だから多様な状況が発生する。
色んなのがいればまあ衝突もおきるだろうから、その辺上手くやっていこうねって話の大前提である多様性を認識しましょうって話だと思ってる。
別に気に入らない属性の人間がいるのは当たり前だけど、世の中の人間は多様であるという事実を捻じ曲げて「劣った個人」に責任を押し込むのは違うよねって。
と昨日ホッテントリに入ってた生産性に関するブログを読んで思った。
竹中平蔵は新自由主義の権化みたいに言われてるが、実際に彼がやったことは
「社会全体の生産性を下げ、労働者一人ひとりの取り分は減ってもより多くの人が職にありつける社会」
だと思う。
そのため雇用の流動性は生まれず、かわりに業務の効率化より非効率でも安い労働力=非正規雇用を使ったほうが業績が上がる仕組みになった。
その結果、効率化で居場所がなくなるはずの低スキル労働者の雇用が守られるようになった。
更に年金引き上げて60以上も働かせるが、その老人が若者の職を奪うほど出しゃばらないようにするために、残業して働きすぎると給料が減るシステムを導入し安い給料になるよう強制し、それなりの仕事をさせるように仕向けた。
これにより、低スキル労働者も若者も高齢者も職にありつける仕組みが樹立された。
これを新自由主義と呼べるだろうか?
低スキル業務の自動化/効率化による生産性向上より、労働者をたくさん雇用して業務を進めたくなるように企業を誘導し、日本の生産性向上はみるみる落ちているが、失業率は世界と比べ低く誰もが非効率だが働けている社会になっている。
ただ、彼が彼の望む新自由主義を推し進める上で譲歩してしまった「正規雇用の廃止」と、年金不足対策で高齢者雇用を促進させたものの、「老人は老人なりの仕事をさせ、能力を発揮させない」という若者が有利になる条件により、
彼の新自由主義施策は生産性向上による弱者(低スキル労働者や若者)の切り捨てではなく、低スキル労働者=非正規雇用者や経験のない若者という労働者階級の職の確保とその人たちが死ぬまで働ける社会を担保する共産主義政策に変容した。
これがかなり近いTweet
ttps://twitter.com/charinko_fumi/status/1178697622787260417
”真面目な話、大阪で共産党にネオリベ的な改革を期待していた人が、選挙の際に『反自民』のマインドで維新に投票した人も多かったというのもよく聞きます。”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/372187950/comment/memoryalpha ”世の中には志位委員長をネトウヨ呼ばわりする面白い人も居るから困るよw”
ttps://twitter.com/orthodoxygkc/status/922806463273230337 ”勝手な試算を流布してブルジョワへの課税強化を邪魔する赤旗のネオリベ化が嘆かわしい”
〇 ttps://twitter.com/orthodoxygkc/status/857378841378947074 ”ネオリベと共産党の親和性が高いこと、それを多数の有権者が支持しているということを知らしめた功績はあるかもしれません”
ttps://twitter.com/orthodoxygkc/status/904871189436174336 ”共産党社会党とネオリベがつるんで小さな政府を追求してきたのが日本の戦後”
ttps://twitter.com/sunafukin99/status/1242662640993763328 ”「税金の無駄遣いをやめて効率的に使え」論って、要するに「俺の気に入った使い道に回せ」という話にすぎないからなあ。たとえば共産党などは昔から「軍事費削って福祉に!」と叫んでたけどそれも同じ発想”
ttps://twitter.com/onigumoobasan/status/1213710614066909184 ”共産党までもが消費税減税とか廃止を主張していることに、暗澹たる気持ちになる。彼らは「小さな政府=自己責任の社会」を目指しているとしか思えない。”
ttps://twitter.com/lautream/status/1200036696080801793 ”日本共産党もネオリベなのかい”
ttps://twitter.com/BarberSeidan/status/1178662366818422785 ”日本の共産党も隠れネオリベみたいなとこありますからね 大きな政府や公共投資に対する不信感とか”
ttps://twitter.com/charinko_fumi/status/1019369443665670144 ”未だに、市民オンブズマンが共産党系とか共産党よりとか思っているtweetには、少々辟易するな。寧ろネオリベやぞ。”
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/b598fe0e3a9b22bc3f0839ef40d86c9c930889fc ”若者は共産党が「保守」だと思っている…最近の日本における「保守」「リベラル」って何?”
ttps://kojitaken.hatenablog.com/entry/2020/06/20/113931 ”MMTerにもネオリベにもコミュニストにも「無税国家論」の俗信が一定存在すると共産党大和高田市議・向川まさひで氏が指摘”
これは中国共産党
ttps://twitter.com/kaikaji/status/1260839714384306178 ”コロナで大きな影響を受けた主要国の経済対策の中で、中国のそれが最も供給面重視かつ財政支出に消極的、すなわちネオリベ的である、ということはもっと広く知られるべき事実”