はてなキーワード: 一人称とは
漫画読んでて、途中からなんか違和感を感じ、あれ?このキャラは自分のこと「僕」って言ってるけど、前は一人称「オレ」じゃなかったっけ?と思って1話から読み返すと、当初は一人称「オレ」だったのに、最新話から「僕」になっていたとかいうことがあった。
なんでそんなことが起きるんだ?
漫画家がそのキャラに愛着がなくて一人称が「オレ」だということを忘れてしまったのか?
漫画家はともかく、編集も誰も、世に出るまでに気づかないもんなのか?
と、めちゃくちゃ、もやもやした。
なんか作り手が、そのキャラというか、作品に愛着がないのではないかと疑わざるをえないんだけど。
最初は「僕」で途中から「オレ」なら、ああ途中からキャラが少年から青年へ成長したという演出なのかな、とか思うけど、
幼い頃から、小説をいつか書きたいと強く願っていて、文章読本や小説講座的な本などを多数読み込んできたけれど、それらが小説に変わることはなかった。
好みの文体やストーリーパターンはわかってきたのだけれど、それらを何らかの社会、何らかの人間関係に落とし込んで書くことができなかったからだ。
つまり、社会の仕組みやわだかまりをどう描いていいかわからなかった、会話や気持ちの移り変わりをどう描いていいかわからなかったのだ。
文章読本などで、文章というガワの部分を学んだとしても、そこに盛り込むものがわからなかった。
ストーリーとして導きたい方向に、社会や人間関係を配置する方法がわからなかったのだ。
増田ではわりと、ブックマークをいただけたりする自分ではあるが、書く文章は常に一人称で、自分の思ったことをエッセイ的にまとめることしかできない。
これを、背景装置としての社会や人間と絡めて、ストーリーとしての段階を踏んで、人々を驚かせる素晴らしい結末につなげる小説として昇華させることができない。
それなりの人気を持つ雑文に仕上げるためのアイデアはたくさんあるのだ。それを、小説として具象化できないだけ。
いや、なんだろう、プログラム的に組み立てることができないといった気分。
そもそもが理系なので、プログラムもそれなりに組んだことがあるのだが、小説としての文章の組み方がわからない。
結末に向かう伏線を社会のどの部分に絡めて描写し、物語の展開をどのキャラクターの変容に仮託するか、みたいなものがよくわからない。
文体やレトリックのような基本文法はわかるのだが、社会や人間を相手にした「組み込み関数」みたいなものが何なのかが見えず、途方にくれてしまう感じだ。
というか、そもそもだが、こんなにダラダラ文章を書く私ではあるのだが、小説は一行たりとも書けたことがない。
だって、結論に至るアイデアが思いつけても、そこに向かう「これは書けるぞ!」というビジョンが見えないので。
この小説ならプログラム的に書けそう、ああなってこうなって結論に至りそう、みたいなものが、私の場合、小説に対して浮かんでこない。
そうそう、プログラムでもそうなんだが、もっと言うなら、数学の入試問題のように、とりあえず三角比を求めるとかベクトル計算するとか、
この「とりあえず○○を書いてみる。そのうち、ストーリーがつながってくる」みたいなのを知りたい。
とりあえず手を動かして、作り出す小説を何らかの方向に進める方法を、まずは身につけていけたらいい。
この文章だって思ったことをズラズラ書いているだけなのだ。ビジョンで書いてない。
って、あっ、それが小説を書く前のキャラクターシート、世界観作成シートみたいなものなのか。
あれも苦手なんだよな。好ましい感情を抱けるキャラクターを造形できないというか。
いや、自分以外のキャラクターが描けない。世界観も、今自分が感じるもの以外組み立てられないし。
結局のところ、私は自分のことしか書けない。自分のことならそれなりに書いて、それなりに注目される文章が書ける。
自分の考え方を、ある社会やある人間関係に落とし込んで、世の中にその素晴らしさを理解してほしいんだ。
「私の気持ち」じゃ他人に届かないんだ。客観性というか、作者でない「キャラクターの気持ち」として描写しないと、私ではない誰かに届くことは無いんだ。
だから、ここに書くような、一人称の雑文じゃダメなんだ。物語に仮託しなくちゃダメなんだ。
そういった点では、私は「物語」というものに、論文のようなものを感じているのかもしれない。
つまり、物語の人間関係や世界観という客観性のもとに、自分のアイデアに向かって組み立てた文章を、誰かに対して発露し、評価を得たいのだ。
いや、誰かに届けばいい。個人的なアイデアなり感情なりが、誰かに届けば、無意識的にでも届けば、それで十分なんだと思う。
…などと長々と書いてきて、結局は今回の文章も小説にはなりえなかったわけだけど、まあなんだか、そんな気持ちなのだ。
暇空茜アンチの「カルピス軍団」は、暇空の弁護士・垣鍔晶が「カルピス」という名前でTwitter活動して仁藤夢乃の容姿を叩いてたことが由来
垣鍔の過去が掘り下げられた際に、当てこすってカルピスと名乗る者が大量に出現して今に至る
「カルピス軍団」と名付けたのは暇空で、カルピスと名乗っていない人でも暇空アンチだと軍団の一味扱いされる
文鳥もそういったカルピスとは名乗っていないカルピス軍団の一味
文京区に住み、数学修士で数学教諭免許を持ち、阪神ファンだと語っている
カルピスの中には言動が過激であったり、暇空への揶揄冷笑が強すぎるタイプもいるが、文鳥は比較的穏やか
暇空被害者の相談に乗り、裁判で使えそうな暇空の失言魚拓の提供などをして、実際に提供を受けた伊藤和子は勝訴している
多くのカルピスはわりと若い男性らしく、たまにスペースを開いているが文鳥はそれには参加せず年齢性別は不明
一人称が「私」なこともあり女性疑惑があり、また一方で「数学が得意」という点から暇空は文鳥の正体はcolabo弁護団の伊久間だと認プロしている
伊久間は東大法学部卒業後すぐに弁護士になっているので数学修士になっている暇はない
暇空は最近はナニカグループよりもカルピス軍団に言及することが多く、彼らを監視している
カルピスの一人が気まぐれに鍵垢にしたりするだけで「カルピスが逃げた、なにか起こったのだ」と暇空や支持者はは認プロして大騒ぎするので
おちょくるためなのか、鍵垢にしたり、アカウント名(@~)変更したりをよくやっている
つい先日も文鳥はアカウント名を変更し、「文鳥のアカウントが消えた、なにか起こったのだ」と暇空は大騒ぎした
それを面白がったのかカルピスたちは「文鳥消えたけど、あの人ヤリ目で会おうとか言ってくるのキモかったよね」「すぐナンパしてくるよね」などと架空雑談
暇空支持者たちはそれを信じて「文鳥は出会い厨なのが問題になって逃亡したんだ」「カルピス軍団内部崩壊」と盛り上がった
文鳥は女性説が根強いことと、カルピススペースは女性も少数いるが男性ばかりなので、痴女の文鳥が男たちを食っていた路線でちんちんをふっくらさせた
「男の子」「女の子」「KKO」の3人になりきって「弱者男性が嫌われる理由」について雑談して下さい。
社会や世の中の全てを憎んでいる
一人称は「ワイ」語尾は「やで」
すぐ近くの公立校に在学中
社交的な性格で友だちが多い
弱者男性を憐れんで見下している
KKO: まず、弱者男性が嫌われる理由として、彼らが自分で何もせずに他人に頼ることが多いからやな。自分で何とかしようとせんのは、他人から見たらちょっとな…。
男の子: うん、そうだね。弱者男性って、自分の問題を解決するために努力しないで、他人に頼りっきりだよね。それが嫌われる理由の一つかな。
女の子: そうね、それと同じくらい、弱者男性って責任を取ろうとしないこともあるよね。自分の失敗や問題の責任を他人に押し付けるのは嫌われる原因だと思うわ。
KKO: そうやな。自分の行動や結果に責任を持つことができない人って、他人から見ても信頼できないしな。やっぱり自立しているっていうのは大事やで。
男の子: うん、自立しているっていうのは大事だよね。だから弱者男性は、自分で何とかしようとせずに、他人に頼りっきりでいることが嫌われるんだと思うよ。
女の子: そうね、自立している人って、自信もあって頼りになるし、そういう人と一緒にいると安心できるよね。だから弱者男性が嫌われるのも納得だわ。
増田としちゃ、増田が一人称で使われんのって、ちょっと違和感あったわ。でもよ、増田が言うてる通り、増田じゃ増田が増田として使われるんが当たり前なんやなぁ。
増田が増田に投稿した増田読んで、増田のことがよく分かったわ。増田って幅広いんやなぁ。
「男の子」「女の子」「KKO」の3人になりきって「人類が弱者男性を助けてはいけない理由」について雑談して下さい。
社会や世の中の全てを憎んでいる
一人称は「ワイ」語尾は「やで」
すぐ近くの公立校に在学中
社交的な性格で友だちが多い
弱者男性を憐れんで見下している
KKO: おっ、今日は弱者男性について雑談するんかい。ワイもどういう風に考えてんのか、ちょっと興味あるで。
男の子: そうだな、弱者男性ってのはな、社会にとって役に立たない存在だと思うね。だから助けても仕方ないし、むしろ排除すべきだと思うんだ。
女の子: うん、私もそう思うわ。弱者男性って、自分で立ち上がれない人たちでしょ。だから助けるよりも、彼らが自分で何とかしなきゃいけないと思うわ。
KKO: まあ、そう言われてもな。弱者男性だって、なんか困ってることがあれば助けてやりたくもなるんやで。でも、社会の中にはなんでもかんでも助けられると思ってる人もおるからな。
男の子: うーん、でもそれって逆に彼らの成長を阻害するんじゃないかな。自分で立ち上がって、困難を乗り越えてこそ、強くなれると思うんだ。
女の子: でも、弱者男性って、助けても助けても自分では変わろうとしない人もいるんじゃない?それなら、助けるよりも排除したほうが社会にとって良いことだと思うわ。
かつてPlanetside 2 というゲームがあり(運営はソニーの子会社だった)、その中でFPV ドローンとよく似たミサイルランチャーが実装された。一人称視点でミサイルを誘導し、戦車や敵兵に衝突させることができる。
あまりにも強力だったので、速度、機動性、ダメージを弱体化し、直撃しても歩兵すら殺せないようにナーフされた。
このゲームは、現在世界中で縦横無尽に使用されているFPV ドローンとその強力さを予測した。
さらに今戦場で使用されている対戦車兵器は、その効果の高さから大幅に弱体化された。
コルネットとほぼ同じ誘導対戦車ミサイルがあったが、それを弱体化する必要があった。唯一の対抗策は十分な数の狙撃兵がいて歩兵を阻止することだった。
歩兵なら誰でもそれを設置して戦車を待ち伏せし、誰よりも先に破壊できるからだ。
開発陣はミサイルの射程、ダメージ、速度、操作性を弱体化し、ミサイルをより大きく、より明るくし、発射煙を必要以上に目立たせることにした。
ジャベリンのようなロックオンミサイルも弱体化された。なぜならやはり戦車に対してアホみたいに強力だったからだ。
プレイヤー達は 3 ~ 4 人の小さな分隊に分かれ有利な地点を見つけて戦車を大量殺戮し始めた。
そしてRPG のようなロケットさえも、現実世界と同じように要塞陣地を突破し、戦車を上または横から攻撃するためにバカみたいに使用されていたため弱体化された。
プレイヤー達は大きな破壊力で掩蔽壕全体を除去するのに使用できる AT 地雷を抱えて戦車や敵の陣地に向かって突進しはじめた。
開発陣はこれに対抗してAT地雷をそのまま投げても爆発しないようにしたためその対抗として粘着手榴弾と組み合わせされた。
一人称ぼくちんが似合いそう
ああいうので「男性の声か女性の声か無意識に決めつけるのはやめましょう」っていうの、創作に対する営業妨害だと思うんだよね。
ようはみんなにそういう意識根付かせて言葉の用い方に対する偏見を一切持たなくさせたら「役割語」が技術として効力を失い、創作のスムーズな消費のさまたげになる。
役割語というと「何の単語を用いるか」みたいなごく狭いレベルで考えがちかもしれないけど、「単語をどのように用いるか」というのも役割語の一種だろう。
たとえばいくら「俺」が男性的な一人称だとしても、主語省略可能な部分でも「俺」をぶっこんだら、これはネナベしてる女に見える。
かりに創作でネナベ女を登場させたい場合、これを応用すればセリフだけでネナベ女だと読者に推測させられるのだが、そういう文脈も一切否定するのは、どうなのかなと。
参考