見終わったら隣の席から緑のクマ(ぬいぐるみ)が出てきて「なお、この映画はベクデルテストをパスしない」って言ってた・・・
冒頭に掲げられた「INSPIRED BY TRUE STORY」がdisclaimerとして機能しているように、しょうがないんだけど、スカッとしないんだよね。
いや、わかるのよ。わかる。悪の凡庸さ、罪の矮小さを通じて人間を描こうとしている。あるいは描かれている。
自律的に暴走していく欲望に躓き、尻つぼみにみじめな終局を迎えるキャラクターたち。
だけれども、私がみたいのはガガ姉さんが悪のカリスマを演じるピカレスクロマンなのですよ。
フィクションであればもっと吹っ切れた魅力を表現できた可能性がある筈なのに、そうはならない。
(緑のクマ氏であれば、男性キャラクターと女性キャラクターの違いが作劇にどう影響しているか歴史的文脈を踏まえて考察してくれるかもしれない)
ジャレッド・レト(ジョーカー@スーサイドスクワッド、エイズ患者@ダラスバイヤーズクラブ、クラブメンバーのエンジェル@ファイトクラブ)演じるパオロにあてがう「記号としてのダサファッションセンス」を作り上げた美術は絶妙。
日本のドラマは視聴者を信用していないから大げさに説明しすぎるっていう批判を時々見かけるけど、父グッチ(ロドルフォ)ジェレミー・アイアンズの”病人風メイク”はやりすぎの「コントかな?」って思った。
自動車で移動するか電車で移動するか考えた時、高速代やガソリン代も考えると電車の方が安いな、という話をしたら「4人で割ったら自動車の方が安いです」と言われました。
ディズニー+のプレミアムアクセスの料金2980円(税込3278円)高いなーと思いつつも払いましたが、「カップルで見ることを想定している値付けでしょう」と言われました。アッハイ。
https://www.cinemacafe.net/article/2021/06/21/73463.html
https://virtualgorillaplus.com/movie/black-widow-review/
あたりを読んでいただければと思うのですが
5、6年前まではハリウッドのセックスシンボルと言われていたスカーレット・ヨハンソンがセクシーだから売れたと言われたくないのはよくわかるし、事実ただの大根役者なのにセクシーだからという理由だけで人気があるのだとも思わない。でもブラックウィドウのスカーレット・ヨハンソンの撮られ方。
やけに尻Assが強調されている。
頭やうなじや肩は写らず、下半身の背中側・ひかがみ側・ふくらはぎ側だけ写ってるカット(去り行くシーンなど)が多いのよ。
え?女性監督だったよね?? 女性監督が女性の尻を美しいと思って強調して撮影してても全然おかしくないけど。
出身「組織」によって自分の子宮が摘出されていることはアベンジャーズでハルク相手にブラックウィドウは告白していました。
本作では、同組織に育てられた妹分のキャラクター(ミッドサマー)と二人で、内性器(子宮の他、卵巣、卵管)が摘出されたことを父親に話すシーンもあります。
「組織」にはブラックウィドウの分身ともいうべき、「幼いころに組織に拉致されて組織に洗脳されて組織に訓練されて殺人マシーンに仕立てられた女性」が沢山いる。彼女らを解放する≒女性解放の映画というわけです。
なんで尻の話を書いたかというと、
女性ホルモンを分泌する臓器がないのにあんなに(スカーレットヨハンソンレベルで)女性のセクシーさを顕現する人体が育つのか
て疑問が・・・
・調達屋
・敵の親玉
父から引き継いだバラ園を経営し、かつては優秀なバラ育種家としてフランス全土に名をはせていたエヴだが、いまや愛するバラ園は倒産寸前。今年も新種の白バラを携え、世界最高峰のバガテル新品種国際バラ・コンクールに挑むものの惨敗に終わる。
そんな彼女の前に現れたのは、経費削減のために職業訓練所を介して雇われたド素人の3人の男女だった。前科者のフレッドに、定職に就くことしか頭にないサミール、そして自信のなさゆえに声が小さく、コミュニケーションもままならないナデージュ。バラのことなど何も知らない3人は、助けになるどころか足を引っ張る失敗ばかり…。
https://eiga.com/movie/94392/special/
自己中心的な/パワハラ体質のいけ好かない中年女性主人公と、元犯罪者のナイーブな青年の二人のそれぞれの変化(成長)がお約束通りの映画。それを期待するなら見て損はない。
主人公が一発逆転を狙って、新種作成の交配用に、敵が独占している希少なバラを盗もうと警戒厳重な温室に侵入するシークエンスがありまして。
どう考えてもオチは新種作成に成功してコンクールに勝利する展開なはずなわけですよ。コンテストに負けて人生の苦さをかみしめる・・・って映画じゃないのは明らか。
で、これコメディだと(コメディ系なんです)、ハラハラドキドキしてドタバタがあって結局は盗みには失敗する、というのがお約束だと思うんですが、盗みに成功しちゃうんですよ。「え?マジで?」
「アレみたいだけどアレじゃない新作を{見たい|見せろ|作れ}」という声は観客からもスポンサーからも上がるものです。
ある程度以上たくさん作られると”西部劇”「ジャンル」になり、数が少なくて類似度が高いと「パクリ」と言われたり。
ジョーズ然り、スターウォーズ然り。ゴジラ然り。PUBG然り。ドラクエ然り。
吸血鬼を狩るアニメも鬼滅のヒットを受けてきっと企画が走っているでしょう。
で、本作は「ワンスアポンアタイムインハリウッド」ものと言えます。実際はそれよりずっと前からの企画だったようですが。
(「ヘイル・シーザー!」「プロデューサーズ」という作品もありました)
1974年のハリウッドを舞台にした、人間の屑映画プロデューサーが主人公の、映画作りを舞台にしたコメディ。
主たる劇中劇がマッチョな映画の代表ともいえる西部劇作品なんですけど、女性が監督に立候補する。え?西部劇だよ?無理無理、って反対する主人公(プロデューサー)らがちょっと間抜けに描かれます。逆にマッチョの体現者(ジョンウェインを思わせる)老俳優がその女性監督を抜擢させます。
映画の内容も、ざっくり言うとインディアン(アメリカンネイティブ)を敵として生きてきた主人公が老人となって最後にインディアン(アメリカンネイティブ)の味方になるというもの。これもステレオタイプではない、「新しい」西部劇っぽいですよね。
BLM時代を反映する黒人差別ギャグもあります。メインキャラクターの一人、モーガン・フリーマンは映画オタクで部下のチンピラを引き連れて主人公の映画製作の邪魔をしたりする悪役なんですけど美味しい役どころ。
部下も当然黒人。
親分が「ここで○○(作品名)がShotされたんだ」って言うと
撮影のことをShootっていうのが掛け言葉になってるんですね。(ツーショット写真のShotと散弾銃ショットガンのShot)
でも最後には「これからは黒人主演の黒人のための映画を作るぜ」ってなっちゃう。(タランティーノも好きな「ブラックエクスプロイテーション」ってやつを反映してるんだと思う)
これは字幕で訳出されていないんですけど、新進気鋭の女性監督はリアルを追及して地味な色調のまま画を撮ろうとする。インディアンの服も、橋も、建物もみんな茶色。
頭が古そうなベテランスタッフは「カラーが足りない…」とボヤく。
で、撮影中に上記の黒人ヤクザの子分が派手な服装で現れたのを見てそのスタッフが一言
これ、服の色だけじゃなく、Colored People =有色人種 というネタですね。
英辞郎でいうと”1.色のついた、色付きの、着色[彩色]された、有色の、色づいた
2.有色人種の ◆特に「黒人の」という意味で用いられた時期もあったが、今日ではblackを用いるのが一般的。”
また、若き日の俳優は黒人女性と愛し合っており、結婚したかったのですが、キャリアのためにそれを断念したー断念させられたという過去が明かされます。ここも現代風ですね。
現代社会視点の盛沢山の中に、最後にLGBネタまでもぶち込んでくるのはサービスしすぎかな?
多幸感に満ちた、「これぞ大団円」って感じで終わるので、多少のツッコミどころはありますが、おおらかな気持ちで楽しめる、良い作品でした。
エンドロールが始まってから、冒頭の屑プロデューサーの作ったクソ映画の嘘予告編が流れて、これもタランティーノを連想する要素でした。
かつて「病気の中でも精神の病気は別格だ。他の病気なら、手足が動かなくなっても、内臓を摘出されても、自分は自分のままだが、精神の病では、自分が自分でなくなってしまう」
また、主人公の「自分が自分でなくなってしまう」という変容の恐怖を描いたホラー小説もあります。(朝松健には統合失調症の症状をモデルにしたと思しき小説が複数あります)
時計を盗まれた、と主張し、盗まれていなかったことが客観的に証明されたのに、誤った考えを訂正させるのが不可能である、というシークエンスのように、明らかに妄想であるとわかる客観的描写があり、身近に老年性の認知症の人がいる人にとっては「あるある」な描写も多く、本作は真面目なーいわゆる社会派のー映画です。
しかし、メインは認知症の患者の主観を中心に描いているので自分が狂ってしまう恐怖を味わうことができる、ホラー映画の側面も持っています。