はてなキーワード: ジャレッド・レトとは
今日、近所の喫茶店で「Lux Aeterna」が流れてて、どんな陰鬱な曲流すねん草と思って
レクイエム・フォー・ドリームのwiki見てたら、主演がジャレッド・レトって書いてあって
えっ!?そうだっけ!?ってなって調べてみたら顔がツルツルの若々しいレト君がいて
このとき何歳くらいだ?と思ってジャレッド・レトのwiki見てみると今が51歳(!?)なので
当時は28歳とのこと、それにしてはだいぶ若く見えるな。
出演作をちょろちょろ見てるとあの「ファイトクラブ」にも出演していた。全く記憶にない。
と思って調べてみると白髪で出てて、あー、おったおったってなった。
ジャレッド・レト とかが描いてると似合いそうだけど
見終わったら隣の席から緑のクマ(ぬいぐるみ)が出てきて「なお、この映画はベクデルテストをパスしない」って言ってた・・・
冒頭に掲げられた「INSPIRED BY TRUE STORY」がdisclaimerとして機能しているように、しょうがないんだけど、スカッとしないんだよね。
いや、わかるのよ。わかる。悪の凡庸さ、罪の矮小さを通じて人間を描こうとしている。あるいは描かれている。
自律的に暴走していく欲望に躓き、尻つぼみにみじめな終局を迎えるキャラクターたち。
だけれども、私がみたいのはガガ姉さんが悪のカリスマを演じるピカレスクロマンなのですよ。
フィクションであればもっと吹っ切れた魅力を表現できた可能性がある筈なのに、そうはならない。
(緑のクマ氏であれば、男性キャラクターと女性キャラクターの違いが作劇にどう影響しているか歴史的文脈を踏まえて考察してくれるかもしれない)
ジャレッド・レト(ジョーカー@スーサイドスクワッド、エイズ患者@ダラスバイヤーズクラブ、クラブメンバーのエンジェル@ファイトクラブ)演じるパオロにあてがう「記号としてのダサファッションセンス」を作り上げた美術は絶妙。
日本のドラマは視聴者を信用していないから大げさに説明しすぎるっていう批判を時々見かけるけど、父グッチ(ロドルフォ)ジェレミー・アイアンズの”病人風メイク”はやりすぎの「コントかな?」って思った。
本人はいわゆる憑依型俳優で、ものすごく役作りしたみたいだけど、
登場場面がカットされまくりで10分くらいしか出てこなかった。
どうも当時のワーナーは「DC映画は暗くて長い」というイメージをひっくり返すのに必死だったようで。
スースクの一つ前のBvSもストーリーが意味不明になるくらいカットされまくりだったし。
あるいは事前に公開されたジョーカーの姿がこれまでとはかけはなれていて評判が悪かったのも一因かもしれないし、
スースクではジョーカーはメインのヴィランではなかったのでカットしやすかったというのもありそう。
ともかくスースクでのジョーカーは評価がどうこう言う以前にまったく出番がなかったわけだ。
さらに公開後には、BvSとスースクとジャスティスリーグの不調でDCEUの計画そのものが大きく変わって、
ジャレッド・レト主演のジョーカー単独映画の予定がなくなったり、
ジャレッド・レトの続投もどうなるかよくわかんねえな…っていう感じなんだ。
マット・ボマーはマット・ボマーとジャレッド・レトは見分けがつかないと主張している。しかしちょっと待って欲しい。マット・ボマーとジャレッド・レトは見分けがつかないと主張するには早計に過ぎないか。
例えばジャレッド・レトからはマット・ボマーとジャレッド・レトは同一人物ではないと主張するような声もある。
このような声にマット・ボマーは謙虚に耳を傾けるべきではないか▲
思い出してほしい、過去にも何度もマット・ボマーはジャレッド・レトの叫びを無視している。
マット・ボマーはジャレッド・レトのマット・ボマーとジャレッド・レトは同一人物ではないという主張を間違いであるかのような発言をして、批判を浴びた。
確かにジャレッド・レトには顔が似ているという問題もある。だが、心配のしすぎではないか▲
しかし、だからといって本当にマット・ボマーはマット・ボマーとジャレッド・レトは見分けがつかないと主張できるのであろうか?
事の本質はそうではではない。その前にすべきことがあるのではないか。
マット・ボマーは、未来を担う一員として責任があることを忘れてはならない。
マット・ボマーの主張には危険なにおいがする。各方面の声に耳を傾けてほしい。▲
マット・ボマーに疑問を抱くのは私達だけだろうか。
マット・ボマーとジャレッド・レトは見分けがつかないと主張したことに対してはジャレッド・レトの反発が予想される。マット・ボマーとジャレッド・レトは同一人物ではないという主張を支持する声も聞かれなくもない▲
マット・ボマーもそれは望んでいないはず。しかしマット・ボマーは同一人物ではないという主張に固執しすぎである。
マット・ボマーとジャレッド・レトは見分けがつかないと主張する事はあまりに乱暴だ。マット・ボマーは再考すべきだろう。
繰り返すがマット・ボマーは同一人物ではないという主張に固執しすぎである▲
マット・ボマーのマット・ボマーとジャレッド・レトは見分けがつかないと主張したことは波紋を広げそうだ。今こそ冷静な議論が求められる。