はてなキーワード: ドカベンとは
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何が気になったかというと、ルール上は違反していない(私はルールにそれほど詳しくないので、
コメント等を見た限りの話)が、本来のプレイとしてどうなのかというやり方に、賛辞とも
言えるようなコメントが見当たることです。
腑に落ちないところがあります。
勝つためにあの手この手と考えて攻めたのだから、良いのでしょうか?
・ファウルを何度もやって、投手の球数を増やさせて、疲れたところを滅多打ち。
・見えないところでサインを盗み見て、周りからは分からないようにバッターに通知。
・投手である場合には頭部には当たらないような偶然を装ってビンボール。
・出塁したならクロスプレイに見せかけたぶつかりで怪我をさせる。
最後のは関係ないですが、何だかドカベンとかで見たことがあるような状況ですね。
そんな激しいラフプレイを誉めてなんていないと言われそうですけど、
何が言いたいかというと、ルール違反ではないけど本来のプレイスタイルとして
正統ではないことに対して賛辞を送ってしまうと、じゃあ俺も俺も、と勝つために
違反じゃないけど正統ではないプレイが横行しかねないのではないかということです。
かといって上記のプレイを一律ルール違反としてしまうとおそらく面白くなくなる
(高校野球をプレイしている側の目線ではなく、見ている側の目線なので面白い、
面白くないなんておこがましいですが)。
じゃあ一定を越えたら違反で、越えなければ違反ではないとする。
そうなるとその一定を越えないようにスレスレのプレイをするように進化する。
それはそれで面白い(失礼)のかもしれませんが、どうなんでしょう。
デッドボールに当たっていないのに、さも当たったかのようなアピールプレイを行って
塁に出る人が溢れる試合を皆さんは見たいのでしょうか。まあ、プレイする側としては
それで勝てるならやるのかもしれませんが、あるべき姿なのでしょうか。
一人ぐらいいたっていいでしょうけど。
正統正統って、お前の中にある正統で物を語るなとも言われそうですけど、
少なくとも上記プレイを野球において正統とは一般的に言えないと思います。
正統ではないプレイに対して批判を展開するのはあまり良いとも思いません。
花巻の選手も叩かれたら可哀想ですし。健全性ばかり求めて勝利を欲することを
周囲としては賛辞はせず、特に取り上げないか、眉をひそめているだけで
何でもそうでしょうけど、黙認はするけど認めている訳じゃないぞ、としておかないと
いったいどうなっているのか
いったい、どうなっているのでしょう。
とても理解できません。
10年ほど社会部にいたので随分事件取材もやらされました。
その後もそんな事件ばかり取材しました。
その点では、大変わかりやすいのです。
ビデオテープで埋まった宮崎勤の部屋の映像を覚えている方も多いと思います。
実は、事件後あの部屋に初めて入ったのは私です。
なんと、まだ警察官も来ていなくて、
3-4人の他社の記者が彼の両親を取り囲んで話していました。
そのうち、だれかが彼の部屋を見せてほしい、と言ったところ、
彼の父親はどうぞ、どうぞ。
母屋から彼の部屋には幅30センチほどの板が通路代わりに渡されていました。
幅が狭いので一人ずつ渡ることになり、
で、私が一番になった、というわけです。
部屋に一歩入ったときのことは忘れられません。
窓がなくて薄暗く、
そんな部屋は見たことありません。
まさに「理解不能」でした。
おそらく、あの部屋の映像を覚えておられる方は、
あのビデオはみんな、アダルトとか盗撮とかロリータとかそんな類のものだと思っているのではないでしょうか。
実は違うのです。
その中に、おぞましい映像が入ったビデオも含まれていたのですが、
少なくともそれはごく一部だったのです。
については理由があります。
部屋の隅には、数十冊の雑誌の山がありました。
その中に「若奥様の生下着」という漫画が1冊ありました。
それで、あの雑誌の山が全部、さらにビデオもほとんどがそういう類のものだという、
ま、犯した犯罪からすれば、そのくらいは誤解されても仕方がないかもしれませんが、
そんなことを思い出しました。
これを思い出した。すぐ消されたけどな
実名が晒されたというのは、実は個人が晒されたことには直接ならない。たとえばある人の実名が「鈴木一郎」だったとしても、それではどの鈴木一郎さんかはわからないからだ。
これを読んで思い出した。
学校の校長先生か教頭先生が、当時銀行の振込用紙の見本でよくあった「山田太郎」という名前だった。
先生は始業式や終業式のたぐいか、あるいは学年集会などで必ず、
「銀行で用紙に記入して窓口に出すと、『お客様、そこはご自身のお名前をご記入ください。
見本の名前ではなく』と、必ず言われる」という、一種の笑い話をしたものだった。
そして、当時はやっていたマンガ『ドカベン』の主人公を引き合いに出し、
「私はあんなに体格がよくはありませんが、名前だけ先に伝えておいて人と会うと、
『ずいぶんやせていらっしゃるんですね』と驚かれる」という話もしていた。
実際には先生は、中肉中背だったように記憶している。さして「やせている」わけではなかった。
「記号」というものを教えてくれたのは、実は、この山田太郎先生だったのかもしれない。
山田先生は、振り込みなどをする際には、窓口で毎度毎度運転免許証などを提示しないと、
本名であると納得してもらえなかったそうだ。
でも、実は同じくらい誰でもありえても「山田太郎」ほど平凡ではない名前、
振り込み程度のことで、銀行でいちいち免許証を提示する必要はなかっただろう。
不思議なことだと思う。
そういえば、「ベン・ジョンソン」という陸上選手が活躍していたときに、
どうしても黒人で筋骨隆々としたスプリンターのイメージとかぶって困った、
という話も聞いたことがある。
しかし、陸上選手はBen Johnson、英文学はBen Jonsonなのだ。
それにしても「ベン・ジョンソン」さんはいっぱいいる。