はてなキーワード: コンプティークとは
コンプティーク情報だと、空母の運を活かすシステムを追加するとか?
誰か言ってたけど、これって多分、満を持してエンタープライズを実装するための布石?
彼女は運の強さこそ「どこのヒーローだ」ってくらいの強運だったけど、規模・性能は蒼龍型以上翔鶴型未満レベル。
だから強さを際立たせるには史実における運の強さか、ダメコンの優秀さを活用しないといけないのはそのとおりだと思う。
でもそうなると、既存空母だと瑞鳳と鳳翔が輝くのはいいとして、飛龍・瑞鶴・サラトガが強くなりすぎてバランスブレイカーになる悪寒がしてならない。
結局ここの運営も、凡百のネトゲ運営同様に浅ましいアップデートしまくるのは既に分かっているので、またせっかくの素材の良さが殺されるのかーと思ってしまう。
あとあれだね、このアップデートで信濃はますます実装が遠のいたね。
低速の装甲空母でしかも運が最低レベルなんて、使い所に困るだけだし。
これも本当にいただけない。
「内輪のリプレイ」じゃなくて「月刊コンプティークで連載されていたリプレイ(イラスト:出渕裕)」だよね
「一人でしこしこ書いたなろう系小説」との比較でどちらがイタタタタかどうかは
ラノベかそうでないかもラノベの定義自体に曖昧なところがあるっていう過去散々あった議論が踏まえられてないから
どうでもいいといえばどうでもいいんだけど
次の2つくらいの議論は思い出した。
だとすると、ロードスは角川スニーカー文庫なのでラノベになる。
ちょっとだけややこしいのは、1,2巻まではスニーカー文庫ってレーベル自体がなくて初期は「角川文庫」だったことくらい
ブコメにもある「まだラノベという定義がない」はこのあたりともちょっとだけ関係してる
本格的な世界観を持ったファンタジーを「ハイ・ファンタジー」と呼んで
それに対するちょっと雑なファンタジー世界観を「ロー・ファンタジー」という呼び方もあったと思う
ロードスが前者に相当するという考え方の人もいた。
他の視点でもロードスや一部の作品をラノベに分類するか否か、という議論はなされると思うけど
個人的には(ラノベを下に見る気が無いので)ラノベに本格的な世界観のものがあってもいいんじゃない?
あとグループSNEを内輪で遊ぶだけの素人集団と見るかどうかだけど
TRPG自体が日本で十分認知される(今も十分ではないだろうけど)前の時期に
がっつり遊んでいた集団で、雑誌にも連載をもてるような連中なのだから
当事の専門的知見を持った集団としてとらえるべきじゃないのかな
いい加減な記憶の部分もあるかもしれないけどね
内海某とか友達の奥さんも放射脳なもんだからよくfacebookでいいねとか愛撫させてくださいとかいって記事まわってたんだけど
最近のおかしなのみても目覚めないんだろうか。気が付いたら死ぬ病なんだろうか。おかしいとこはおかしいって認識しつつ
これはこれそれはそれなのかがわからないが、今日も差別と偏見を垂れ流してる。
別の友達は確かにありえると「新幹線自殺は自殺ではない仕込まれたという陰謀論」をfacebookで愛撫している。
もう40にもなるのに大丈夫だろうか。なんだってーってやるのかと思ったらマジギメSEXくらいマジだった。
かと思えばよく知らないけど、よく知ってる人たちの共通の知人で無碍にも出来ない知人の知人が
ネトウヨっぽいことを垂れ流してる。仕事みつかってないんだから職探ししろよ。
俺の倍くらい給料もらってるデザイナーは、誰かを差別したり馬鹿にする人を差別したり馬鹿にし続けて
一日中そんなのをRTしたりコメントしたりしてツイッターでつぶやいてる。
みんなどうしたんだろう。家庭内でなんか話せばいいだけの話なんじゃないのかな。
もうダメだ。
自制心ないから、垢取ったら寝食を忘れてプレイしてしまうだろう。
pixivやニコニコ静画、こんなサイト( http://kancolle.orlab.jp/ )やTOSPYで艦これ画像見て「プレイした気分」を味わったりして。
「これはビジネス」と自分に言い聞かせて、艦これ特集号のコンプティークと週アス買って読んでオクに流したりもした。
だけど、そろそろ限界だ。
もともとあんまり忍耐強い方じゃない。
深夜の間食、オナ禁挫折なんてしょっちゅう。この手がイケないんだ!(不浄の手を叩く)
「ちょっとだけ……」と思ってエッチな画像見てると、ムクムク元気になってきちゃって「また妻に怒られる……と思いながらもやっちゃう。
今もAmazonのほしいものリストに窓(艦)タブが入っていてポチりそう。
あ、ああああああ!!(昇天)
「アニメイトがアニメ店長と東方を絡めたミニPVやりまーす」というだけでTwitterのTLがあちこちでザワザワザワ。まとめサイトでザワザワザワ、
まとめサイトの閲覧者がこの件と無関係のアニメPVにコメント乱入してガチャガチャ。以前に「アルティメットトゥルースを使った手書き動画」のコメントでアニメ化するべきしないべきと騒がしかったし、「夢想夏郷」でも一騒ぎあったよねえ。「アニメ化幻想」って結構根深いのかねぇ。神主のツイッター垢に質問凸多かったし
「公式」は二次と違うと言っても、ミュージックガンガンって音ゲーで「東方音銃夢」って東方アレンジが普通にプレイでき、現在も2本の連載漫画が「フェブリ」と「コンプエース」で掲載されているわけですよ。9月30日には小説「香霖堂」の単行本が出るのよ(amazonでも情報が掲載されたのよ)
で、特に漫画はれっきとしたZUN原作でありオフィシャルなんだが話題にしてる人少ない…「東方茨歌仙」の載ってるフェブリの2号は今日25日の
発売というのに話題がネット上にあんまり無いと来る。それだけじゃなく結構前からやってる「東方三月精」の方もだ。あれも感想書いてる人あんまりいないんでガッカリです。自分も最近感想書き出したばっかなので偉そうには言えんのだが。三月精を題材にした「妖怪大戦争」の紹介動画でも三月精を知らんコメが結構あってビックリやで。あとな「東方儚月抄」。本編もアレやったのもあるけどあまりにも話題に出来る場所が少なかった(したらばの東方板か、ふたばの東方板くらい)んで蟲毒状態や。みんなが「ねーよwww」とか「モブの月兎ハァハァ」とかブログとかそこらでやっていれば毒化する事もなかったんや。「公式村の村人かっつーの」ってくらい公式言うくらいならフェブリとかコンプエースとか買って読んでくだしあ。あぁコンプエースの三月精は隔月連載になので気をつけろ。あと月刊コンプティーク連載中の神主の酒コラム「博麗神主のゲームが先かお酒が先か」。これは東方関係ないが「神主の酒呑みマップ」となってるので神主ストークしたい人必見
なんで、他人にいえない趣味を作るんだ?
なんで、他人にいえないんだ?
格好悪いからか?オタクだからか?
格好悪い趣味なんか最初から作らなきゃいいだろうに。
アニメ、マンガ、エロゲ…そんな格好悪いモンにいつまでもハマり続けてる連中が理解できん。
車、サーフィン、フットサル…何でもいいけど、格好いいなーって思って趣味始めるんちゃうんか?
だから、オタはキモいて言われるんよ?自分で格好よくなる努力とか、
他人からどう見られるか?とか全然配慮してないだろ?
自分一人で生きてるんじゃなくて、周囲との兼ね合いだろ?周囲からどう見られるか?てのは大切。
オシャレするのだってさ。自己満足だけど、他人に見られて恥ずかしくない格好をするって配慮じゃねーの。
オタのこういう性分に、時々イライラする。挙句、非モテとか言い出すと、恥ずかしくねーの?て。
自分、昔、エロ化する前のコンプティークとか買ってただけに、余計ね。AD&Dとかやってたし。
脱オタなんて簡単だし、そうすることで世界が広がった。別にオタに固執してもいいけどさ。
もうちょっと、外との兼ね合いってヤツを考えようぜ?
「SF映画批評するのに古典SF小説全部読んでる必要がある、と言ってるのと同じ」っていうはてブのコメントを見て、全然SF知らんのにガチ評論の必要性があるならどうすっかなーということをちょっと考えてたらなんとなく面白かったので、とりとめもなく書く。
SF映画のガチ評論をしてみようって考えたら、まずはSF好きな奴に話ききにいくかなあ。おうよ、ちょっとSFについて教えてちょー。誰読めばいいの? そもそもSFってなんぞ? どこで流行ってんの? なんかわかりやすいSF論のお勧めある?
んで大体SFの概要をつかんだあとは、どうするかな。1、2冊はお勧めされた奴を実際に読んでみると思う。(誰に質問したとしても、必ず「夏への扉」を読む羽目になるのだろう)そんでああこういう感じかーって思ったあと、次はもう個別撃破じゃなくて全体像の把握に行くかな。SF小説批評の材料として使うには、作品のあらすじとメインアイディアと作者の略歴把握してSF史ではどういう位置づけをされてるかを把握しときゃー十分かな。それは古典SF小説そのものを読まなくても、SF評論家の人の書いた文献を読むだけで把握できる。はず。そういうのある? ってこれは図書館で司書にきくかな。あるって言われる。貸してちょいいよー。SFガイドとかSFベスト100とか、そういったSF評論をまとめた本ってどのくらいあるんだろ。100冊くらい? 一日2冊で2か月弱。これはもう全部読めそう。んじゃそれを図書館行ってもりもりSF論を読みつつ、メモって、どうも大物っぽい奴の名前は検索かけたらSFマガジンって雑誌でよく特集組まれてるし、んじゃこれ専門誌っぽいからバックナンバーぱら見しよーかーとか。あとなんか有名っぽい賞があるな。受賞作品の傾向とスポンサーも調べとくか。
こんな感じで毎日SFを考えた生活を送れば、1年後には的は外さぬガチ評論ができそうって思えた。最初に興味がなかったとしても、やってる間にSF好きになって、そしたら加速するかなと。
なんか懐かしくなってきた。青春時代にネットもなく彼女もおらず運動音痴で音痴で無趣味でぶさいくで友達いない俺は、一日中海外SFとファンタジーの有名作品を黙々と読んでいた。それと並行して毎月ドラマガとウォーロックとSFマガジンとログインとニュータイプも読んでた。そういった雑誌に掲載されてる書評は次に読むべき1冊を探すための貴重な道しるべだった。そんな暇あるならサッカーでもすればよかったのにと思わんでもないけれど、サッカーしてたら絶対あのクソクソ超絶面白い「蜘蛛女のキス」をホモじゃん! って切り捨てて読んでないからまあいいや。大丈夫よバレンティン、これは、全部、夢の中のお話なんだから。ちょっとエッチな福袋じゃなくて、喜多嶋隆の海外SF紹介コーナー目当てで読んでるんだ!って己に言い訳しつつ購入したコンプティーク。「殺人プログラミング」がドエロいという評論を読んですみやかに購入し、まあ衝撃的にドエロかったんだけど(町中の人間をたった一言で催眠状態に陥れることができるって設定は今思い返しても天才ちゃうか。しかもド田舎なのに全米ナンバーワンレベルの美人ばっかり住んでるの)、そこからモダンホラー御三家を知った。黙々とエロいクーンツをこなし、キングを読んで読んで読んですぐにマキャモン。そうこうしてるあいだにあの超怖い「リング」が発刊されてモダンのホラーの言ってる場合じゃねえよ! 怖いよ! 超怖い! 日本人すげえの? じゃあ和製ホラーもっと読まないと! って小池真理子読んで鳩が豆鉄砲食らったような顔になってうろうろした。でもあのころのがつがつした焦燥感に駆られた「ジャンル内の有名作品は全部目を通すぜ」読書ってやけに楽しかった。
ところで映画評論家の人が映画批評のために参考文献としてSF評論読むかーって思ったときに、SF界が想像以上にてきとーな業界でまともな評論が一本もなかった場合、映画評論家はどうするんだろうなあ。しゃーねえなあ、じゃあ古典SF全部読むべか! ってもりもりSF読んでどんどん造詣深くなっていって、そのうち肩書が「映画評論家・SF評論家」ってなるのかね。5年後とかに。知り合いの教授はいろいろやっててふと気がついたらアベック評論家って肩書きになってうろたえてた。
おいおい。。。
もともとパソコンゲームは多ジャンルだったのが、徐々にコンシューマ移行、縮小化していっていまの状態になってるんだよ。
国会図書館にでも行って20年前のコンプティークでも見てみればわかると思う。コンプで扱ったジャンルの歴史はほぼ「日本」の「商業」パソコンゲーム「業界」の歴史、つまりはショップの歴史と対応してる。
歴史的に見た場合、「業界」としてエロゲの次が見えないのが不安かもしれない。しかし、国内または商業というくびきをはずせば、PCゲームはまだまだ衰退してるとはいいがたい。いやむしろ「業界」のそとでは、ゲームの制作可能性は逆に増えているのではないだろうか。開発環境や素材作成、情報交流はここ数年でかなりダウンサイジングされているわけだから。
くだけて言うと「らき☆すたアンチ」だが、この種の人間はとにかく
「らき☆すたが楽しまれている事」を苦々しく思っている。なぜだろうか。
自分がつまらないだけなら見なければいいし、他人が楽しんでいるのを否定するなんて論外。
そもそもにして「つまらないから見ない」という行動がなぜできないのか。
自分が楽しめないのに見て、楽しんでいる人間を否定する。……なんだろう、これ。
この手のアンチ思考は別にらき☆すたに限った話ではないのだが、とにかくらき☆アンチにはそれが謙虚である。なぜか。
思うに、それは「らき☆すた」が特殊な作品だからである。
別のアニメ・マンガの作品(ハルヒ、フルメタ、ケロロ軍曹等)を、らき☆すたの世界に存在する物として扱い、
作中のキャラクターがその作品を語り合う。
らき☆すたの世界が現実に近しい物として描かれている特殊なマンガなのである。
ここで注意すべきは、これが京都アニメーションがアニメ化した時に付け加えられた要素でないこと。
らき☆すたの原作コミックの時点で「ゲーマーズ」だの「アニメイト」だの、実名を出し、
コンプティークやニュータイプ、はては携帯雑誌等、複数の雑誌でコミック「らき☆すた」が展開し、
このあたりはコミックスにもクレジットされているのでコミックスを読んだ人ならすぐに分かる些細な事である。
だが、アニメから入って原作コミックを読んでいない層はこれが分からない。
そう、アニメ「らき☆すた」を見て文句を言っていても、原作には手を出していないという証明になる。
「らき☆すた」を語るにおいての一つの無知、そのまま批判してしまっているのである。
もう一つ。
そう言った「特殊な作品」を、京都アニメーションという原作を忠実に再現しつつ、大きく膨らませる実力を持った
制作会社によってアニメ化され、アニメとしても実に斬新なアニメになってしまったが故に
TVアニメはこうでなくてはならない、という固定概念に囚われたアニメヲタクには理解できないのである。
自分の培ってきた「アニメを見る時における常識」が通用しないアニメの存在。それが世間で評価されている現実。
それこそが許せないんじゃないだろうか。
これがもし、世間でまったく盛り上がってもいなく、評価もされていないアニメでやっている事であったら
「らき☆すたアンチ」はこんなにもネットで「らき☆すたはつまらない」と声高々に主張して
溜飲を下げたりはしなかったのではないだろうか?
なんで?ダメじゃないよ
だって良作なの?
もちろん良作だよ
違うよ。全然違うよ。
でも、原作あるんでしょ?
全然違うよ。全く関係ないよ。
へー、じゃあ、京アニとGONZOの違いは何なの?
じゃあ、簡単に説明してあげるよ。まず、GONZOは原作クラッシャーです。
お金だけの配当システムで商品がダメダメな出来か、紙切れ一枚、途中でプロジェクトが消えたりすんだ。
そのようなものを、スポンサーを集めてファンを泣かせるところから原作クラッシャーと言う名前がついたんだ。
これはGONZO。絶望しちゃいます。
多分俺、世代的には「第三世代」とか言われる萌えオタクなんだと思うんだけど、オーガスト以降のコンプティークで表紙を飾るようなギャルゲーとか、本編終了後の『ハルヒ』のメディア展開とか、『まなびストレート』とかに嫌悪感しか覚えなくなってしまった。最近。
特に『まなび』はダメ。幼女みたいなキャラデザインで高校生とか、「僕たちこんなに一生懸命アニメ作ってます!」的な丁寧さとか、「ほーら実況スレの住人はここで騒いでねー」みたいなシーンとか、作品にかこつけて「頑張ることの楽しさ」みたいなことをブログで熱弁しているファンとか、全部無理。受け入れられない。
これは多分作品が悪いんじゃないんだろうな。俺が悪いの。きっともう、今を生きるオタクじゃなくなっちゃったんだな俺。昔、心底嫌っていた、旧作のDVDボックスを毎週金曜夕方の石丸電気で会社帰りに買い漁るような、そんなオタクになっちまったんだな。嫌だなあ。嫌だなあ。こんな疎外感は味わいたくなかったなあ。