はてなキーワード: まなびストレートとは
おれは元増田と同じく演劇かじってたから思うけど、これは医者がドクターXをみても楽しめないという問題と同根であって、フィクションのレベル(あるいは少年漫画のレベル)での語りで解消される問題ではないと思うな
演劇のバイブルみたいに言われてるガラスの仮面もかなり無理なプロセスが書かれてるし(もちろんそれとフィクションとしての面白さ、凄みというのは別だよ)
演劇というのって意外と身近で題材にされやすいけどあんまりそのプロトコルについて真面目に観察されて描かれることって少ないから、経験者からみるとそれはやっちゃダメ〜とかそうならんやろ〜というのが多い気がするんだな
おれがそういうの一切感じなくて感心したのはまなびストレートくらい
でもレビュー見たら☆1が沢山ついてたし見なくて正解だった。
俺がラブライブ好きならきっと物凄く面白いんだろうけど別に好きじゃないし。
タダで見れるし正月暇だから見るかってだけの気分で見ても面白くないだろうな。
面白かったのは1期だけだしその1期もアイマスとまなびストレート!とシスタープリンセス足して割っただけの代物だしさ。
まあ売上は凄いよ。
でもそれって何年もかけて宣伝してきた結果じゃん。
劇場版の売上も凄いけどそれって今までの総まとめってだけの話じゃん。
それに特典もついてたしさ。
うんまあラブライブの劇場版なんて別に見る価値なかったんだよ。
もしも映画が作られたのが1期終わった直後なら面白いかもしれないけど2期の後なんだから面白いはずないじゃん。
うん見なくて正解だった。
見るの忘れてたのもそういう気持ちがあったせいなんだろうね。
<分類>
(a) アニメを長く見ていて、アニメの見方の作法を確立している人たち=オタクエリート
(b) 好きだ!という理由だけで作品を楽しむめる人=非オタクエリート/一般オタク層/ライトオタク
(c) みんなが誉めた作品が良い作品だと思っているだけで自分の意見で好き/嫌いを判断しない、もしくはその勇気がない人=ミーハー?
(d) アニメには興味がない。ネットでみんなが褒めているのにその良さがわらないため、否定する人=ネットが好きなだけの人
私は、(a)と(b)の間に、"ある種の層"が存在し、増殖しているのではないかと感じています。
つまり、オタクエリートに成り損ねた非オタクエリートという人たちです。
成り損ねた、などと乱暴に書くと「貴様はオタクエリートの方が非オタクエリートより偉いと思っているのか!」
と叱られてしまいそうですが、どちらが上か下かという気持ちはなくて、
非オタクエリート>オタクエリートという通常であれば歩むラインから外れたはいいもののどこにもたどり着けない隘路に落ち込んじゃった、という意味です。
ぶっちゃけ、私は、彼ら特有の言説はオタクエリートにとっても非オタクエリートにとっても有害
(あるいはアニメという表現媒体そのものにとってさえ有害)な存在だと思っており、
その危険性をしっかりと指摘しておきたいなぁ……というのがここ一連の作文に至った動機であります。
一昨日、昨日の前置きがないといささか乱暴になってしまうと思いこれまであえて「オタクエリート」という言葉に"ある種の層"を仮託してきましたが、
前置きが完了したのではっきりと書いてしまおうと思います。
「なんちゃってオタクエリート」が、オタクエリートだと勘違いされている状況が多いのではありませんか?
コメントやトラックバックで「君はオタクエリートという言葉を勘違いして使っているのではないか?」という指摘を頂戴し、
我が意を得たりと思いました。
■個人の好悪表明が評論と勘違いされる事の危険性
なんちゃってオタクエリートは基本的には(b)に属しています。つまり、「好きだ/嫌いだ」という気持ちが言論の主体にある人たちということです。
前回、前々回の指摘の繰り返しになりますが
http://anond.hatelabo.jp/20070326142734
http://anond.hatelabo.jp/20070327135230
彼らにはまず「まなびが嫌いだ」という気持ちがあって、それが発言の主体となっている。
「好きだ/嫌いだ」を表明することは大いに結構、キュートで好ましい、それが私のスタンスです(前回書いたとおりです)。
ただ、私は、彼らがその「好きだ/嫌いだ」をそのまま表明したがらないところに――
分析モドキや事実の捏造を含めて見解を正当化・権威化しようという試みがなされているところに歪みと危険性を感じます。
まず、非オタクエリートが、なんちゃってオタクエリートの見解を「権威」だと誤認し、それに流されてしまう危険性を挙げておきます。
「2chで絶賛されていたから面白いんだろう/糞と言われていたからつまらないんだろう」といった発言は、
"嘘を嘘と見抜ける人でないと2chでは有益な情報を得ることができない"というコモンセンスの敷衍によって淘汰されつつあります
(実は淘汰されていないんですけど、まあ、表面上は淘汰されたということにしときましょう。少なくとも、口にしたら恥をかくしね)。
しかし、前述のコモンセンスは"嘘を嘘と見抜ける人でないと『ネットでは』有益な情報を得ることができない"という形にまでは一般化していない。
顕著なのがwikipediaですね。「2chに書いてあったから」と口にするのを恥と感じる人が、「wikiに書いてあったから」と言うことを愚かな行為と思わない。
これはwikipediaがまとう"権威のかほり"が大きいのではないかと私は考えます。
「wikipediaってなんかアカデミックなかんじがするよね!」「なんかエリートなかんじがするよね!」ってことですな。
非エリートはそれを真実かどうか見極めるだけの経験や知識がないがゆえに、権威風のものに幻惑されやすいわけです。
さて。
なんちゃってオタクエリートの感想文は、分析に見えるものやそれっぽい言葉が多用されているので"権威のかほり"だけはまとっています。
そのせいか、実際は一個人の好悪の表明であるにもかかわらず、非オタクエリートにはそれが一般性をもった評論に見えてしまう。幻惑される。
http://anond.hatelabo.jp/20070326142734 この程度の明らかな事実誤認(捏造)さえもが
http://hibizaren.blog93.fc2.com/blog-entry-130.html こうしたニュースサイトなどを経て伝播し、
「ふーん、まなびストレートって結果としてアニオタの大部分に失笑を買ったまま終わる事になったんだ。糞なんだね」
というように非オタクエリートを洗脳してしまうのではないか、という危惧を抱く次第であります。
実際に見たら人生を変えるほどの傑作なのかもしれないのに、見て、自分で判断する機会自体を奪っているのではないかと。
ひいてはモノを自分で判断する思考実験の場を奪い、自分なりのアニメ鑑賞作法を確立する機会を奪っているのではないかと。
こうした「なんちゃってオタクエリートが非オタクエリートをなんちゃってオタクエリートへと導く構図」にもあるように思います。
作法さえ確立してしまえば、ぶっちゃけアニメの出来とは無関係にアニメは楽しめるものです(笑)。
自分ひとりで深く深く井戸を掘り下げてそこに水脈を見出すことができる。あるいは掘り下げる作業自体が楽しみとなる。
それができないとアニメに飽きちゃうわけです。
どんな美人だって三日すれば飽きるそうなので、10年も20年もアニメを見続けていればそりゃ刺激は落ちますわな。
アニメは愛している。
でも勃起できない。
愛しているからアニメと絶縁するわけにもいかない。
自然、「昔はよかった」「今のアニメは」という愚痴ばかりが出てくる。付随して「業界の体質が」「最近のアニオタは」という批判をおっぱじめる。
そんなオッサンをネットの辺境で見かけたことがありませんか?
私はそれをとても不幸なことだと思います。
さて。
これとは別に、「オタクエリートの真に価値ある評論がなんちゃって評論の叛乱によって埋没するのではないか」、という危惧も抱きます。
人間というものは、わかりやすかったり乱暴だったりダークな言説にぴょんと飛びつくものです。悪貨が良貨を駆逐するのではないかと。