はてなキーワード: 昭和生まれとは
中には2024年の今でも男子小学生の間でアニメの影響でスカートめくりが大流行していると思い込んで
「やめさせよう」と必死にありもしないアニメや居もしない男の子を叩いて滅ぼそうとする人がいるからそんな風に揶揄されるんじゃない?
あとはスカートめくりだけじゃなくて例えば昭和の時代に教師からボコボコにされたことを恨みに思って
その憂さ晴らしをするために今教員をやっている20代の穏やかな性格の先生に難癖をつけて「教師は殴り返されて当然だ」っていう態度を取るとかね
昭和のアニメや漫画、テレビ番組をソースにそのジャンル全体を下げ続けるのも
改善が見られないから叩いてるんじゃなくてよくよく聞いてみたら昭和の終盤を最後にそのジャンルに全然触れてなくて平成の間にアップデートされたことをまったく知らないとかもよくあるし
昭和生まれの人にとっては昭和はつい昨日のことのように思い出せるんだろうけど
送別される人の分をみんなで持ってあげるからちょっと高めになった、と。
送別される人の分込みで、高くても5,000円に抑えてくれよ。
うーん、5,000円でも高いけど。俺なら行かないかな。
(一応補足しておくと、特別に金回りの良いような業界や企業ではない。あと首都圏や大都市でもない)
まぁ百歩譲って、見栄とか、送別される人のために、良い店を選んだのかもしれない。
それでも俺が幹事だったら、20代前半のやつから6,000円は取らない。
年齢で傾斜つけた会費にする。
…まさか傾斜つけた結果、20代前半の会費が6,000円なのか?
だとしたら店選び間違ってるよ
こういうことやってるからさ、若い人が飲み会に来なくなるんだよなーと思った。
俺はギリ昭和生まれで、
会社で飲み会をやりたい上の世代の気持ちも、そんなの参加したくない下の世代の気持ちも、どちらもわかる気がしてる。
幹事をやることも多い。
幹事は奥が深い。
飲み会の名目や参加するメンバーによって、適切な店の雰囲気や費用感ってものがある。
参加するメンバーの属性(年齢、地位、所属、金銭感覚)が近ければ近いほど店選びは簡単だが、
人数が増えるなどでバラけてくると、どんなに店を厳選しても、ヒットしない人がどうしても出てきてしまう。
それでも、そういう人たちにもなんとか気持ちよく参加してもらって、楽しく帰ってもらうのが幹事の腕の見せ所なわけで。
今回のケースだと、送別会は送別される人が主役だから、店選びがそちらに寄ってしまうのは仕方ない。
仮に主役が中堅~ベテランだとしたら、「飲み放題付3,000円(生ビールなし)」みたいな、大学生がどんちゃん騒ぎするような店は使えないだろう。
だとしても。
会社の部署に若手もいて、みんなで送別しようっていう会なのであれば、その若手も参加しやすい費用感や雰囲気の店にするのが、俺はあるべき姿だと思う。
もし高級店でやりたいのであれば、それは上の年目の人たちだけを集めて、別にしっぽりやればいい。
「若手の負担減らしてあげたいんで」ってストレートに言って、多めに出してもらう。
ふつう上の人は出すだろうし、万が一渋い顔するなら、それも店選び間違ってるってことだ。
あるいは部署や会社から接待費みたいなものを出してもらうとかさ。イマドキそんなのあるのか知らんけど。
見たので感想を書く。
まあまあ面白かった。
けど売れなそう。地味で暗くてエンタメ性がそんなに高くないし、アニメーションとしての凄さ、新しさは特になかったから。
奇しくも昭和生まれの特大IPゴジラと、同じく昭和生まれの長寿IP鬼太郎がほぼ同時期にどちらもプリクエル的な作品を公開したということで、せっかくなので比較して語りたいと思う。
映画としてのエンタメ性や、興行収入、話題性、邦画史におけるインパクトなどはゴジラー1.0の圧勝だった。これは両作品を見た人ならだれも異論はないと思う。
でも、本当の「昭和」を描けていたのは鬼太郎だったと主張したい。
(ゴジラが1947年の話なのに対して、鬼太郎は1956年の話と10年程の開きはあるんだけど、まあそこは置いといて。)
ゴジラの戦中戦後の描写、登場人物の行動原理ってほぼパラレルワールドの昭和だったと思うんだよね。
色んな人が散々指摘してると思うので細かくは書かないけど。
一方で、鬼太郎の昭和はよく知ってる昭和だった。あのタバコまみれの空間や明日を信じて疑わぬ企業戦士たち、犬神家のような農村、狡賢い狸おやじたちに支配された社会。
先にゴジラを見ていたからこそ、あーこれが本当の昭和だよね、となった。
鬼太郎はちゃんとこれまでの「昭和」(それは実際のリアルの昭和だけでなく映画や小説で描かれてきたフィクションの昭和を含むものだけど)のイメージを踏襲して紡がれたストーリーであり演出だった。
中学生くらいになると、自分は実は男なのかも知れないと思うようになった。当時読んだレベルEというマンガで、一見女性に見えても実は男性というケースがありうると知ったからだ。
当時はたまに自称が「俺」になることがあった程度には倒錯していた。
高校生くらいになると俺呼びは収まり、それ以降の人生は普通に私呼びで過ごすことになる。
大学はほぼ男子校と言える理系単科大学に進学した。人生初の彼氏もできた。この辺りで、私は普通に女だな、という結論が見えた。
ただし、ネット上ではネナベをやっていた。けれど昔のインターネットは男のふりをしないと普通に話ができない空間だったから、それは自分の中ではノーカンだ。
しかし、大学を卒業してから不景気だったのもあり女ばかりの職場でパートをすることになったが、そこでも先輩方から「あなたは考え方が男だ」と言われ続けた。
だが、最終的に男性と結婚して子どもも産み、兼業主婦をやっている。
ここに落ち着いたからこそ断言できるが、今の時代に思春期をやらずに済んで、本当に良かったと思っている。昭和生まれでよかった。
もし今中学生だったら、きっと自分はトランスセクシャルだと思い込んでいただろう。場合によっては、周囲に「あの子はトランスセクシャルだ」などというラベルをつけられていたかも知れない。
実際は思春期の気の迷いであり、俺呼びもただ痛い俺女だったという黒歴史であるだけだ。
でも、当時はそんなことなど絶対に分からないのだから、きっと自分は本当は男なのだと思い、場合によってはホルモン治療などにも手を出したかも知れない。
そうなったら、一体どんな人生を歩んでいただろうか。
楽天的な私のことだから、それでも結構幸せな人生を歩んだかも知れない。
実際、今の世の中はトランスに寛容であろうとし始めている。理論的には、きっとその方がいい時代だ。
けれども、私たちは気をつけなければならない。思春期に揺れる子どもの性自認をあくまで見守るように。
父から40万円の振込があった。ほとんど、私が1か月に稼ぐ額だ。
父から振込があったという言い方になるが、祖父母が亡くなった時に、孫として相続した分で名義は私のお金である。使い道もなく管理を任せているものだ。
新制度に移行する前に、今年の積立NISAに充填するようにということだった。よくわからないが、証券口座に入金したあと、何を買うべきかはまた教えてくれるらしい。
人が死んだことによる不労所得。
それを、運用してくれようとしている誠実な親。
けれど、この、身に余る待遇にたまに、ゾッとしてしまう。けれど、それをほうって捨てられるほど強くはない。
きっと私はこの後、住む家も買ってもらうだろうし、今後の積立NISAも指南を受けつつ、やると思う。働かなくてもギリギリ暮らせるけど、一応アリバイ証明のために働いている。
先日、専業主婦は骨から美しい、というのが話題になったが、ちょっと分かる。自分でいうのもおこがましいが、私は骨が艶やかなバターでコーティングされている、昭和生まれの甘くてリッチな焼き菓子みたいなものなのである。クリームがない分、見た目だけちょっと堅実めいていて、でも、アーモンドプードルとバターで出来ている、全く堅実でないお菓子。
親ガチャに成功した、才能がない子供ってのも、なかなか辛いもんである。これが自虐系自慢って思う人もいるとは思うんだけど、でもまぁ、実際のところ、なかなか立つ瀬はないのである。
と、インターネットの海に投げてみる。
うちの職場にはプライベートで一緒に旅行に行くほど仲のいいアラフォー独身女、アラフォー既婚子無し男、アラフォーバツイチ子無し男の3人組が職場にいる。
頻繁に3人でスポーツしたり、職場の若者を引き連れて飲みに行っている。職場の他のアラフォーの人は家庭を持って子育てをしているため、青春を楽しむ子供のように見えてしまう。
仲良しなのは結構なことだが困ったことに仲良しさを仕事に持ち出している。必要な業務上の情報共有はしないし、仕事中にチャットで業務外の話をしている。さらに困ったことに上司達はそういった行動を指摘せずに見逃している。仲良し3人組は仕事ができるため、上司は何も言えないのだと思う。自分が平成生まれの20代のため昭和生まれの考えや文化の理解ができていないだけかもしれないが、出会った時からものすごく痛いおじさんおばさんだと思ってしまっている。
仕事でなにかあっても自分が責任を負う立場ではないため、これまで通り好きにしててもいいとは思うが仲良し3人組が自分の上司になるのは絶対に嫌だ。そうなる前に転職しようと思っているが、どこの職場でも拗らせてしまった大人ってみんなこんな感じになってしまうのだろうか。老後のことを考えて結婚したり子供を作ったりしないのが不思議でたまらない。
アイドリッシュセブン(アイナナ)を知って今日でちょうど100日経った。
我ながらもの凄いハマりようなので、心が荒んだおっさんにこそアイナナを薦めたい。
アイナナは女の子向けのコンテンツとして男が疎外してしまうのは、非常にもったいない。
だから、主にこの文章はおっさん、そして特に子持ちのおっさんに向けて書くものになる。
何を書けばよいのか全然まとまらないうちに書きはじめたし、そこそこ酔っていることもあり収拾が付かない可能性が高い。先に謝っておく。
まずは簡単に自己紹介をしておこう。私は30代の2男1女の子どもを持つマネージャー(アイナナファンの通称)だ。
アイナナの存在を知り、メインストーリを6部まですべて読んだ後、アニメを3期(53話)最後までみて、ムビナナ(先日千秋楽を迎えたアイナナの映画『劇場版アイドリッシュセブン LIVE 4bit BEYOND THE PERiOD』)に8回通った。アイナナを知ってから全部一ヵ月以内のことである。
もちろん仕事はフルタイムだし、土日は家族サービスDayである。なにか狂気的なもの感じるかもしれないが気のせいだ。大したことはない。ムビナナに関してはもっと行っておくべきだったと反省すらしている。
仕事関係者も見ているTwitter一ヵ月アイナナのことしかツイートしないなど大事故を起こしたのも懐かしい。(今はアカウントわけたよ)
そんな私がなぜアイナナになぜハマったのかを説明する前に、何故アイナナを知ったのか。まずはそこから説明させていただきたい。
今まで私は重課金されるようなゲームを触ったこともなく、重課金税の気持ちがわからないでいた。いわゆる落とし切りのゲームしか知らなかったのである。
このままだとなんだかビジネス的にもエンタメ的にも機会損失しているような気がしていたので、何かしらやってみたいとは前々から思っていた。
「ウマ娘は競馬のことよくわらかんし、とりあえずアイマスは聞いたことがあるからアイマスやってみるか」とアイマスをAppStoreで調べはしたが、アプリが複数出てき、そこで挫折した。まさにおっさん。
若いころはOSのアップデートなんて嬉々としてやっていたが、年を取った今、OSのアップデートなんて恐怖の対象になってしまうようなお年頃なのだから仕方がない。
身近にアイマスのことを聞けば教えてくれる知人は数人思いつくものの、そこまでする必要はないと思い続けてきたからこそ、今まで手を付けられなかったともいえる。
ちょうどそのタイミングで知人同士(この先輩マネの存在がものすごく大きかった)がアイナナの話で盛り上がっていた。「じゃあアイナナにしてみるか」とアイナナを調べたらアプリが一つしか出てこなかった。
さあこれで第一の難関である「インストール」をクリアしたわけだ。
インストールしたはよい。何をやればよいのか。やたらとメニューがあるぞ!これは冷静に考えれば当たり前で、当時は知らなかったがアイナナは8年前にリリースされたアプリだ。
そこで先輩マネージャ達が「とりあえずストーリーをやれ。ただし〇部の前にこのサイドストーリを読め」と初心者が陥りがちな罠をあらかじめ封じてくださったのである。(アイナナはストーリー+音ゲーで構成されているゲーム)
もうここまでお膳立てされたなら走るしかない、見つけ出したチャンス絶対逃せない!
ゲームシステムの解説だったり、各種グッズ関連(代行注文してもらったり映画の半券を譲ってもらったり)、過去イベントの解説をしてもらったり、過去の8年間と今をつなぐようなフォローをいまだにして頂いている。
つまり、よき先輩マネがいたことがとても大きかった。これは私の最大の奇跡だったといってよいかもしれない。その二人の存在がなければ私はアイナナを知ることすらなかったし、知っていたとしても挫折していたに違いない。
ストーリーは無料で最後までフルボイスで読めるので、ぜひお時間がある人には読んで頂きたい。最悪、相性が悪くても溶けるのは自分の時間だけである。推し活につながるかもしれない期待値に比べればたかが知れている。
掻い摘んで言ってしまうと、16人のアイドルが自分の過去を乗り越えたり、芸能界の荒波に揉まれながら成長し輝いてく物語である。
ストーリが完璧にできているかというと必ずしもそうとは言えないのだが、16人のアイドルが個性的で実に良いのである。
「16人?多すぎじゃね」と思ったそこのあなた。そう、最初は多く感じる。私もそうだった。名前すら覚えられなかった。しかし、それを乗り越えるための仕掛けが名前や音楽記号(キャラクター毎に音楽記号が割り当てられている)等にちりばめられている。しかも声優の仕事が良いことも相まって自然と覚えることができる。おっさんでも覚えられる。心配しなくてよい。ポケモンに比べれば全然少ない。昭和生まれのおっさんでも151匹程度は覚えただろ?
1/10だ。
メインとなる16人のアイドルは年齢で言えば高校生~20代前半というのも良い。数年後の自分の息子達と重ねてしまうし、新卒で入社してくる子たちと大差ない。
つまりストーリーを読むということは子どもたちや新卒の子たちのプライベートを見守るのと同義で、荒波に揉まれ、過去の自分と対峙している姿をみれば「頑張れ!」と応援してしまうのは必然なのだ。
そして、彼らには我々おっさんが仕事で目にする人間の汚さというものが全くない。清いのである。清すぎて尊いと言っても良い。メンバー同士で喧嘩していても名言が出てきてしまうくらいに相思相愛な彼らだ。自分の子どもにもこんなに思いあえる仲間ができてほしいと思ってしまうくらいだ。
そうなると、もう彼らは自分の子どもと見分けがつかないくらいに愛おしく感じてしまうのは時間の問題で、かくして私には新しく16人の息子ができたのである。きっとあなたにもできる16人の息子。
さぁ、そんな各アイドルのキャラクターも良いのだが、極めつけがムビナナだ。先日千秋楽を迎えたが、まだ上映している劇場はあるらしい。
あの映画の完成度はおかしい。狂気と言ってよい。千秋楽を迎えた後の今いうべきことではないかもしれないが、絶対に大画面で見るべきだし、欲を言えばドルビーシネマで見てほしい。
映画といってもストーリーなんてほとんどない。16人が歌って踊って合間にちょっとMCをはさみながら、ひたすらライブとして彼らがアイドルをしている姿を観る映画だ。後述するが20~30回程度見てからが本番であとは観れば観るほど寿命が延びるようなシステムだ。
子持ちのおっさんなら子どもの授業参観というイベントには参加したことがあるだろう。こんな友達とこんな環境で勉強をしているのかと色々な発見があって楽しいイベントだ。
では、もし自分の子どもが仕事をはじめたとして、仕事参観ができるとしたら?本当にしっかり仕事できてるの?お前の能力は発揮できてる?授業参観とは比にならないくらい色々と見てしまうはずだ。いろいろと思うところもあるだろう。でも現実的ではないんだよなぁ。
しかし!!!それを実現しているのがムビナナだ。おわかりか。子どもたちが目の前で仕事をしているんだよ。それも、とてつもなく素晴らしい仕事を。凄い演出と音楽と舞台とで。そうなると自分の子どもを引き立ててくれるすべての関係者に感謝を覚えるようになり、それが生きとし生けるものすべてに感謝できるだけでなく、それが存在するこの宇宙に感謝。そして、それらを育んできた過去の全ての出来事に感謝できるようになる。つまりムビナナを見るということはアルファからオメガまで感謝できるようになるということだ。
故に全てのストレスから解放される。だから寿命が延びる。ムビナナおよびアイナナは決して沼なんかではなく名湯であるとここに明記しておこう。
話を戻す。
ムビナナは狂気と言った。どこまでこだわればこんな作品ができるのかいまだに理解できない。
「個性的な16人」と前述したが、立ち絵のストーリしか見てないのに、ダンスの動きを見るだけで誰のダンスか見分けることができるほどの個性であることをあなたはまだ知らない。
意味が分からないかもしれない。だがストーリーを読み切った人に「ダンスで一番動きが大きそうなキャラは?」と聞くと多くの人は三月と答えるだろうし「ステージから客席に手を振るときに両手で振ってるのは?」と聞けば環と答えるだろう。
ストーリーにダンスの描写なんてほとんどないにもかかわらず各キャラクターの「らしさ」がストーリーにはふんだんに埋め込まれている。それをとことん回収していくのがムビナナなのである。モーションつくったソリッドキューブの仕事がマジ凄い。
それを16人やってのけている。驚異的なことだ。あなたは思ったかもしれない「だったら16回見れば良いの?」と。全然違う。違うんだよ。素人は黙っとれ。
私のムビナナの初回の感想は「目が足りない」だった。アイナナだけでも独立する眼球が最低でも7つはないと全く追うことができないなと。
彼ら自身も十分に魅力的ではあるのだが、同時に彼らの「関係性」もまた美しく尊いのだ。
つまりムビナナを楽しむためには人類を超越した何かにならないとならない。
しかしそれは叶わない。何かをササゲても叶わない。だから数をこなすしかないのである。
故に20回くらいは普通に超えてしまうものなのである。むしろ20回を超えたあたりから、ようやく2つの眼球で見るスタート地点に立ったといってもよく、そこからが本来のムビナナを楽しめるといっても差し支えない。そこ、脳筋とかいうな。
ムビナナに通っていると、自分の精神状態を大きく二つに分類することができるようになる。「ムビナナを見ている自分」と「ムビナナを見ていない自分」だ。
ムビナナを見ている自分は大体「尊い」の感情に支配されている。そして見ていないときは「ムビナナが見たい」という思いに支配されている。
それに気が付いた私は思った。「あ、自分って単純」と。そう思えると、今の自分の悩みなんて大したことはないんだと、ムビナナのおかげで気が付けるようになる。
だが、寿命が延びるなら治療する必要はあるまい。むしろ大いに歓迎されるべきではないか。公衆衛生の観点から言えば、ムビナナ鑑賞券は国民皆保険制度の適応対象とすべきだろう。厚生労働省は仕事しろ。
言いはぐっていたが、実はアイナナは音楽もよい。すごくよい。ランティスだ。何十回だって、何万回だって聞ける。
楽曲提供は小室哲哉やヒャダインもいるし、先月の新曲はANCHOR、今月は浅倉大介だった。つまりマネージャがお金を落とすサイクルを確立しているコンテンツなので、楽曲にも力が入れられる強者の運用をできるのがアイナナだ。
故にストーリーなしで曲だけ聞いても楽しめる。全方向からのアプローチを受け止めらるアイナナ凄い。あやかりたい。
このように楽曲にも恵まれ、8年という時間も相まって100曲以上の楽曲をリリースしてきたという実績がアイナナなのである。
書きたいことの5%も書いてないし、終始取り留めない文章になってしまったが、時間も時間なのでこのあたりで勘弁してやる。いえ、勘弁してください。
何か思うところがあったらアイドリッシュセブンをぜひインストールしていただきたい。掴み取れば明日は何色にも変わることをおっさん達に知ってほしい。
昭和生まれだから私の母親だってムチャクチャだった。長女だから、子育てはザ・マイルール。暴言・暴力は日常茶飯事。結構、理不尽な思いもした。
確かに自己評価の低い子に育ったし、バリバリの「いい子症候群」なのは自覚がある。
でも考えてみれば、普通の女性が初めての子育てに孤軍奮闘していたわけで。そんなに完璧な親でいられる訳がない。
それでも彼女なりに一生懸命だったのは確かだし、こうやって還暦過ぎても、子ども達に頼らずに生きていられるのは、やっぱり、あの母親のお陰だ。
短大を出れば十分だった時代に、大学に進学させて、手に職をつけさせてくれたのは、他ならぬ母親だからだ。先見の明があった。
本当の意味での「毒親」は、社会的にも問題だし虐待や育児放棄の問題は放置してはいけないが、昨今は何でも「毒親」にし過ぎだ。
自分のワガママが通らないだけで「毒親」呼ばわりしていないか?
親として100点満点だと胸を張れる人がどれだけいるというのか。
不完全な人間が、不完全ななりに、一生懸命子育てするのでは駄目なのか?
だとしたら、人格的にも経済的にも完璧な人しか親になれない。それも若い年代のうちにだよ。
そんな事は無いと思わないか