はてなキーワード: 政権党とは
少し前のニュースだが
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0403L_U4A400C1CC1000/
最高裁が、この1年間に裁判員を経験した人にアンケートを実施した、というニュースなんだが、
そこに書いてある回収率を見て、ビックらこいた。
「回収率98.7%」
ヲイヲイ、今時、独裁国家の選挙でも、なかなか政権党への投票率は98.7%まで達しないぞ・・・
この手の世論調査、アンケートを実施したことある人ならわかるだろうが、
一般的に、世論調査やアンケートの回収率は、せいぜい50~70%である。
ナイーブな内容(例:男女交際の有無など)だと、回収率が10%未満、なんていう悲惨なケースもある。
(そういう調査は、もはや信憑性を持ちえない)
統計法で国民に回答義務があるような国実施調査でも、実際の回収率は70%切ったりしている。
例えば国民健康・栄養調査も、回収率は70%未満。
自分は、不摂生な人ほど国民健康栄養調査に協力拒否してしまうから、「国民健康栄養調査」データより、
実際の国民の健康状況は、不健康な方に傾いていると推測している。
・・・のような各種調査と比べると、この最高裁アンケートの回収率は、実に「優秀」である。
ここで「優秀」というのは、「独裁国家の選挙で、投票率や与党支持率が圧倒的」なのと同様の「優秀さ」、ということで、
ここまで異常な回収率を達成した、ということは、
1.最高裁が、回収に向けて対象者へプレッシャーを掛けまくった
2.もともと、従順な人、「お上には逆らわない」という人ばかりが、母集団になってしまった。
の2つのうち、どちらかだろう。(というか、両方だろう)
仮に最高裁が、アンケート回収のために、対象者(裁判員経験者)に「圧力」を掛けまくっているのであれば、
そのアンケートにおける回答内容も、「圧力」の影響があると考えていいだろう。
例えば「裁判員を経験して、良かったですか?」という設問に対して、
「やりたくなかった、後悔している」とは「言い出しにくい雰囲気・プレッシャー」があったのではないか?
実際のアンケート結果も、「経験して良かった」というお利口さん・優等生な回答が多数派になっているのだが、
そのような「圧力」があったとすれば、それをストレートに解釈すべきじゃないと思う。
そして、「お上に逆らわない、従順な人ばかり裁判員になっているのでは?」という仮説も、
というのも、裁判員呼び出しを欠席すれば「過料が取られる」とされているのだが、
(過料を取られた、というツイッターを見たことがあるが、下野新聞などは「これまで過料を課した実例はない」と報道)
⇒過料規定をストレートに受け取って、「お上に従わなきゃ」というマジメな人が、裁判員呼び出しに出席して、
「どうせ過料規定なんて、単なるおどしだろ?実際には過料を課したことないんだろ?」という不真面目な人が、裁判員呼び出しをすっぽかす、
そういう状況になっている。
まあ、法廷に「不真面目な市民」が紛れ込んでしまうのも考えものではあるが、
そもそもの裁判員制度の「理念」は、「できるだけ平均的市民の意見を反映した裁判の実現」を目標としている。
つまり、「不真面目な市民も含めた、平均的市民」の参加が「望ましい」のだが、現実は「マジメな市民、マジメ過ぎる市民」のみの法廷に化している。
なので、「アンケート回収率98.7%」という驚異の数値になっている。
「マジメな市民に偏っても、いいのでは?」という意見もあるが、覚醒剤案件で無罪判決が続出しているのは、
「参加する市民が、マジメ過ぎる」ということも影響していると思う。
人を疑うことを知らない市民ばかりが裁判員になってしまっていて、被告人の供述をそのまま解釈してしまうのだ。
いずれにしても、この「98.7%」という数字を、「高すぎて、逆にオカシイ」と感じる皮膚感覚が、マスコミには重要だと思うのだが・・・
親が共産党員で自分も共産党支持だから、共産党関係の人は子どもの頃から何人か知っている。
・純粋な人、長期的な日本の未来について考えている人、理想主義、原理主義的な人が多い。
・とはいえ、支持者の中でも、人によって考え方も属性もさまざま。
この部分は「ああ、たしかにそうだよねえ」って思う。母親の友人(共産支持)とか本当に普通のおばちゃんたち。近所の保守的なおばちゃんや公明支持のおばちゃんたちと全然見分けが付かない。でも、活動を支えている人たちは地味に理想主義っぽいところがある印象。
自民党のケースは経験がないから分からないけど、地道な理想主義者もいるのじゃないかなあ。
自民党の支持者に「短期的な自分の利益を重視する人が多い」などということだけれど、仮にそうだとして、それは政権党と万年野党という立場の違いによるスクリーニング効果じゃないかなあと思う。
そもそも、共産党の選挙事務所に主体的に関わるぐらいのことは損得勘定抜きでしかやれないというか。得する方向がみじんも見えない。
これは別に共産党が左派だからということじゃなくて、たぶん民族主義右翼とかの政治運動でも、街宣などの商売を除く純粋な部分はそうだと思う。自分の持ち出しで運動を支えるタイプの人たちね。
http://anond.hatelabo.jp/20120619092231
http://anond.hatelabo.jp/20120620163842
ラガルドIMF専務理事がギリシャ人は脱税ばかりしていると批判した時、日本のウェブでの反応は、ほとんど「その通りじゃないか、ギリシャ人はいい加減だ」というものばかりでした。英語圏のニュースサイトでは、もちろんギリシャを罵倒するコメントもあったのですが、それよりもずっと多かったのはギリシャを国際金融の犠牲者と見なし、短絡的なラガルドを批判する、いわゆる反ウォール街・反グローバリズムの視点からのIMF批判でした。返し刀で、IMF専務理事の特権を活用してラガルドが税金をほとんど収めていないことがスクープとして明らかになり、海外のニュースサイトでは大きく取り上げられたのですが、これなども、反ウォール街の文脈があればこそ、そういうネタを発掘する力学が働いたものと思われます。
こういうのを見ていると、日本は良くも悪くも「国民国家」なのだなあと感じます。海外では「国境」が流動化し、その分だけ、「階級」がより鮮明な存在感を持ちつつあるようです。日本も本当はそうなのかもしれません。多くの人が気づいていないだけで。
ギリシャ危機も始まってから結構長く時間がたっています。私も最初は、ギリシャ政府の行為、ギリシャの国民性が問題だと考えていました。そこに問題があるのではないと思うようになったのは、この危機の様相が次第次第に変化していったからです。
ギリシャ政府の負債比率の虚偽報告があり、それが明るみになって、信用不安から流動性の不足が生じました。この時点では因果関係は単線的で、ギリシャに原因があるのは明らかでした。
しかし、事態は波及していきました。イタリアのようにプライマリーバランスが黒字で、なおかつ流動性が不足するのは異常な事態です。債務比率も決して高くはない国々も流動性の危機に直面し、対症療法として緊縮財政をとっていますが、それだけではどうにもならず産業競争力、つまり貿易収支を改善しなければならないという話になっています。
この危機が、単に一時的な事件を契機とした信用不安、流動性の不足が原因でないことはもはや明らかです。
それは通貨ユーロと、財政の不統一というEUの構造的な問題に由来していることはだれの目にもはっきりとしてきました。
ギリシャには多々、問題があるのは確かです。確かですが、それが危機の原因ではないのです。もちろん、ギリシャがドイツのような、尋常ならざる財政均衡への執念を持ち合わせていれば、この危機でギリシャがターゲットにされることはなかったかも知れません。しかし仮に、プライマリーバランスの黒字を維持していたとしてもイタリアやスペインのように、危機に陥ったかも知れません。
構造的な原因としては、バブル化した資本のサプライサイドの問題があり、こうした事態が発生した時に機能的に動けないユーロゾーンの問題があります。
ギリシャが悪い、ドイツが悪いと他人事のように言っていますが、忘れてはならないのは日本は世界最大の債権国だということです。米国債ばかりを買っているわけではありません。80年代バブルを引き起こしたのとまったく同じ資本が、円キャリートレードでゼロ年代に世界的なバブルを引き起こした可能性が強いと私は見ています。
日本の機関投資家や金融機関がサブプライムローンのような質の悪い債権や、ギリシャ債のような信用力の劣る債権を保有している度合いはごく小さいのですが、そう言われて、リーマンショックの時に、比較的被害が少ないだろうと予想されていながらもっとも手ひどく日本が損失を被ったことを忘れてはなりません。
金融セクターは投資をしないと生きていけないのです。この簡単な事実を思い起こす必要があり、そして日本は世界最大の債権国なのです。さまざまなルートを通して、日本資本は世界市場に供給されています。ドイツの銀行が、フランスの銀行が、ギリシャをそそのかした、アメリカの証券会社がギリシャに不正を行わせた、けしからんと言いながら、その資本の出どころは元をたどれば日本である可能性が高いのですよ。
ギリシャ人は先の選挙で、より穏健な路線を選択してくれました。危機はこれで終わりではありませんが、とりあえず、私たち日本人は彼らに感謝すべきだと思います。
今回の選択がギリシャ人にとってどれほど苦渋に満ちたものだったか、想像してみるべきでしょう。
国家会計の不正を行ったのはNDです。PASOKはそれを暴いたのですが、やり方が拙すぎて危機を発生させてしまいました。ギリシャ人が「政治家が悪い」と言う時、具体的に念頭にあるのはNDとPASOKの旧二大政党です。不正を行ったと目される政治家がのうのうと今なお議席を維持しています。怒り、憎悪が満ち満ちて当然ですが、それでも穏健路線のために、ぐっとこらえてギリシャ国民の多数は敢えて、NDを再び政権党につけました。彼らなりの正義の感覚を曲げてでも、国際協調路線を選択したのです。
これは大きな譲歩であると言うべきです。
オーストラリアは医療関係者をオーストラリアに移住させるべく大規模な勧誘を行っています。もう半年以上も給与が支払われていない状況では、さらに半年、ふみとどまれる医療関係者は少ないでしょう。ご存知のとおり、医者ひとり、看護士ひとり、薬剤師ひとりを養成するためには莫大な投資が必要になります。ギリシャがこれまで行ってきた投資の成果を、労せずしてオーストラリアは手に入れるでしょう。個人の移動の自由といえば聞こえはいいですがこれは形を変えた収奪です。社会資本のごく基本である医療の崩壊は目前に迫っています。
ギリシャがプライマリーバランスの黒字を達成するまで、どこまでの収縮がこの先必要になるのでしょうか。
この先、ギリシャのみならず、南欧、ひょっとしたらフランスでも、社会資本の劇的な崩壊に至るかも知れません。メルケルが態度を変えない限りいずれはそうなるでしょうし、そうなれば、EU市民権を持つ彼らはドイツに流入するでしょう。その時になってやっと、ドイツ国民も譲歩を真剣に考慮するのかも知れません。
皆さん、入社おめでとう。
長期不況、就職難のこの時期に、世界最大の部数と、高度の評論・報道を誇る読売新聞に入社試験を突破して今日入社できた諸君は、きわめて優秀な知性、体力の持ち主だと信じる。
「ネット時代に新聞は生き残れない」との扇情的な言論が見られるが、生き残る力のない新聞とは何らかの経営者の失敗、紙面の偏向、一般社員の能力の低下、愛社心の欠如等によるものであって、それらは読売新聞には当てはまらない。
私が誇りに思うのは、読売新聞の論調が公正であり建設的であること、報道が迅速、正確で、今日の国家、社会、国際関係等からみて、いささかの偏向もないことである。
今はやりのネットの世界では、責任不明の発信者による無責任な言論、他人の名誉に対する棄損行為、流言飛語、わい雑で反社会的な情報の流布、思想体系のない断片的言説のツイッター等が氾濫しており、青少年の教育を害するポルノや出会い系サイトのようなものを規制することもできずにいる。
私は、新聞も本も読まず、ネットの世界にのみ侵入している若者は、将来日本を支える指導力、知性、生産力、倫理観等を身につけることができず、国民の文化や民度の劣化を招くものと心配している。
欧米の新聞と違い、日本の新聞は個別配達制という日本特有の販売、配達網があり、販売収入が安定している。それに比べ、欧米はもとより、新興国、途上国では個別配達網がないか、あっても脆弱なものであって、その収入の七、八割を広告収入に依存しているため、その経営力は不況に恐ろしく弱い。欧米の著名な新聞が次々に倒産しているのは、収入源の七、八割が広告収入であり、不況時には企業の広告出稿が大幅に減るためだ。
日本の新聞は、独自の個別配達網を維持し、正確性、公正性、一覧性、ニュースの重要度による多様な情報の有用な整理力による総覧性、可搬性、利便性、教養性等を維持する限り、衰亡することはない。むしろ、乱立し、無謀な競争をし、無責任な情報を発信するネット業界の将来の経営の方が危ぶまれる。
だが、読売新聞も、新しいメディアの世界を傍観しているのではない。YOLや「あらたにす」等を通じ、必要で有用な情報の発信手段は広げている。問題はそれが十分な利益をもたらすかどうかであって、本社の強力なメディア戦略局が日夜、研究、開発し、効率よく利益を得るような事業を展開している。しかし、我々にとってはあくまで新聞が主軸であり、ネットサービスは副業だ。
読売グループには、姉妹社に日本テレビ、子会社に巨人軍、中央公論新社等があり、この不況の中で、黒字経営を維持している。
今政界は指導力が低下し、与野党とも諸勢力が四分五裂している。その結果、経済不況に伴う失業や要介護者等に対するセーフティネットが構築されていない。政権党は大衆迎合のマニフェスト原理主義で、財源がなく投資乗数効果も低い、子ども手当のようなバラマキに没頭している。そのため予算の歳入は赤字国債が税収を上回り、国家財政は世界最悪の状態だ。
ただし、米国や南欧の財政危機と異なり、日本国債の九三%は日本国民が持っている。しかし、国債発行も限度を越えれば価格の暴落、金利の上昇、そして不況の一層の深刻化につながる。
私はその解決策を持っているが、部分的には社論でも報じ、時を見て全面的計画を発表する。
日本政治の劣化、それによる不況の深刻化を防ぐためには、新聞、特に読売新聞の論評、解説、報道により、政治そのものの質の向上、活性化を図るしかない。
読売はこれまでにも、憲法改正案、行革案、戦争責任の検証、社会保障と税制改革などについて、次々に建設的提案をしてきた。今は不況脱出のための財政、金融、産業政策についての提案に力を入れている。
最後に、読売新聞の将来について極めて重要な計画を申し上げる。
今朝の朝刊にも出ているように、新社屋の建設である。この大手町の本社は一九七一年に建てられ、築後約四十年となる。
その建設当時は、古い経営者の頭の固さもあって、一極集中印刷が最も効率的であると誤信し、しかも鉛と手拾いの活字による輪転機、印刷とその発送のための長方形と三方道路の立地にこだわり、九五台の輪転機を地下五階層にわたって並べることを理想としていた。
私や内山グループ本社社長は、印刷の電子化、発送、輸送の合理化、全国分散印刷体制を主張したが、まだ若かった我々の主張は頭の古い硬直化した経営者に押しきられてしまった。中でも内山社長は長文の全国分散印刷体制論を当時の社長以下に提出したが、却下されてしまった。
私は三年ほど前から、ひそかに大手町から輪転機を完全に移動し、IT時代にふさわしいシステムの配線やコンピューターの設置に適した新社屋の建設を検討してきた。
その結果、この大手町の社屋を壊し、その跡に、三○階建ての最新機能を備えた新ビルを建設することを決断し、一昨日の東京本社役員会で正式決定した。再建期間中、三年から四年は、銀座の新橋演舞場に面した旧日産本社ビルに借家する。この借家は、この本社より外見、内装とも立派だ。皆さんもいずれ新社屋が建設されれば、日本における情報・金融機関の中心である大手町を睥睨する新本社で、執務することになるだろう。
思い起こせば、大正末期以来、読売新聞社屋は受難の歴史だった。一九二三年、銀座三丁目に建設した新社屋は、披露パーティーを前にして関東大震災で完全に崩壊し、一九四五年には空襲で跡形もなく全焼した。
その間、朝日、毎日は大阪に本社を置いていたため、関東大震災の被害を受けなかったが、一七紙あった東京紙はほとんどなくなってしまった。大空襲でも朝日、毎日は戦火を免れた。
このような二度にわたる社屋崩壊にもかかわらず、新社屋の建設を続け、不死鳥のごとくよみがえり、一九七七年、務台社長のもとで発行部数が日本一となり、翌七八年には世界最大発行部数としてギネスブックに登録された。九一年に私が社長になり、それから間もなくの九四年、一○○○万部の世界最大部数を達成した。この時巨人軍も、日本一に輝いた。
創刊以来の苦難の中で、百三十年余にわたる先人たちの苦労の上、今や不滅の読売を象徴する超高層新社屋をこの大手町に建設することは、私の生涯の最後の使命である。このデフレによる営業収入減の中で無謀ではないか、との批判も出るかもしれないが、わが社の資産力、経営力からしてもいささかの不安もない。
もちろん、この大事業は私一人の力でできるわけではない。全役員及び社員諸君も、日常的な経費節減及び販売、広告収入の増強に向けて、全力をあげて協力していただきたいと思う。新聞窮乏化論のなかで、読売新聞の未来は限りなく輝かしいものだと確信する。