はてなキーワード: イソジンとは
大学の頃、付き合っていた彼女から「増田ってカフェイン抜きのコーヒーだよね」と言われた事があった。
そのときは要領を得ず、僕はカフェイン抜きコーヒーが好きなわけでもなければ、彼女の前で飲んだことがあるようにも思えなかった。
ただ優柔不断なことは自負しており、単純にそのことなのだろうなと僕は高層レストランの窓をうっすらと見ながらそう考えていた。
その後社会人となって関係を持ったのは同僚の女の子で、彼女からも「増田さんは、カフェイン抜きのコーヒーみたいですよね」と言われた。
彼女は快活な子で、嫌味を口にするような女の子ではなかったから驚いた。
だからそういうものなのかと思い直すことにしたものの、やはり違和感は拭えなかった。
今にして思えば、どういった意味なのか直接的に問うべきだったのかもしれない。
そして先月のこと。
お金を払って一緒に寝た相手から「あなたって、カフェイン抜きコーヒーよね」と言われたのだ。
なるほど、と僕は服を着ながら思った。彼女は最後、僕に抱きついてキスをする。
でも僕はカフェイン抜きらしい。
どうやら僕は、そういう人間らしい。
「俺の女は事前事後のイソジンうがいも用意してくれるぞ!」
金曜日の夜、ひとりで酒を飲んでなんとなくシティヘブンネットを開く。プロフィールや写メ日記の胸やくびれを見て、それを直接見て触りたいという感情が湧き上がる。
「これも何かに生きる経験になる」と自分に言い聞かせてお店に電話をかけた。家に到着するまでの間に近所のコンビニへ現金を下ろしに行く。ファミマのATMは楽天銀行に対応していないので、少し遠いセブンまで歩く。インターホンが鳴ってカメラ越しに顔が見える瞬間は興奮する。不思議と直接姿を見るより、インターホンの映像越しに見る方がなぜか気持ちが高まる。
シャワーのためにお互い作業的に服を脱ぐ時間の気まずさと、イソジンでうがいをすることの業務感でだんだんと気持ちが落ち込んでくる。狭いシャワールームで、あれだけ望んでいた身体がそこにあるのになぜかひどく冷静な気持ち。表面的な内容の雑談の無意味さにもだんだんと疲れてくる。
ベッドで熱心に仕事をしてくれている様子を見ると、なんだか自分が介護を受けているような気がしてくる。お金を払って身体のケアをしてもらうという点で、実際大差はないのかもしれない。果てる前から完全に冷静になってしまっているので、果てた後も賢者タイムになっても気持ちの落差がほぼない。
自宅に一人取り残されたあと、自分が欲しいのは行為そのものではなく心の繋がりなのだと再認識をしてマッチングアプリを開く。一覧表示されたユーザーの横で光っているオンラインアイコンと、シティヘブンネットの待機中アイコンはいったい何が違うんだろうか。オンライン順の並び替え機能と即ヒメで絞りこめる機能の区別も、自分にはすでにできなくなっていた。