お前優しいな。最近のフェミトレンドは妻からのセックスの要求に答えないのは暴力ってやつ。夫の暴力によって女が不倫に追いやられてると展開する。そんな奴らの意見に何を期待してるのか。
はっきりと見た目からヤバい子がいた。小学生くらいで大柄でこぶとり、目が吊り上がり、落ち着きなく待合室の中をあちらこちらへ移動していた。周りの人たちは、はっきり出さないまでも少し警戒している。
しばらくすると明らかに年齢差があり、ふつうの小学生なら視野にも入れないであろううちの娘の隣へ来て、べったりくっついて絵本を覗き込んできた。ああこれどうしようかなぁ、と思ったら診察に呼ばれたので逃げられたけれど。
立ち上がりながら、保護者なにやってんだ、と待合室を見渡すと、それらしき方がいた。落ち着いた服装でおそらく30代くらいで、ぐったりとソファの背もたれに寄りかかってものすごく疲れた顔をして、でも自分の子どもをしっかりと見ていた。目が合ったので会釈すると、会釈が返ってきた。
ああそうか、このお母さんは精一杯やっているのか。たぶん目を離さないようにするのでやっとなんだ。子どもの対応で疲れ果てているけどそれでも義務はきちんと果たさないといけない。ほんとうはきちんと声をかけるべきところ、癇癪を起こされないことのほうが優先されるということだと思われる。
なんてつらいんだろう。
おなかの中にやってくる子どもはおおよそ親の気質を受け継ぐ。よく寝る子、寝ない子、おっとりした子、神経質な子、静かな子、うるさい子。そのなかには、いろんな精神的疾患(これで呼び名合ってるかはわからない、間違っていたらごめん)を持って産まれてくる子がいる。これは気質と似て非なるもので、療育や投薬でうまくつきあっていくものではあるけれど、治るものではない。
このあたりのことは難しい。
療育がうまくいけばいい、でもうまくいかなかったら?ただのモンスターだ。ひどい言い方かもしれないけど、意思の疎通ができず、欲望のおさえがきかない人間を四六時中みていなければいけないとなったら、それは愛だけでなんとかなるものではない。
ほんと、どうしたらいいんだろね。
多少話がずれるのを承知で。
ちょっと前に海外の治安について書いてた人がいたようなと思って探して見つけたけど
https://anond.hatelabo.jp/20180424214950
「海外は治安が悪い」と言うけど、海外の犯罪の多くがそういう犯罪組織に近い人たちの間で行われてるんだよね。
なのでそういう界隈とは関わらなければ意外と安全だったりする。
最近海外に住む日本人を取材する番組が流行ってるようで時々見るけど、
海外のスラムに平気で住んでる日本人(女性も多い)がよく出て来る(彼らはその地域に長年住んで無事なわけで)のはそう言う事なんだろうと思う。
東京や京都や大阪のほうが、ドイツで最も治安が悪い都市よりも、街を歩いていて怖いと思うことが圧倒的に多い。
肩で風を切って、周囲を威嚇しながら歩くヤカラみたいな連中はそこらじゅうにいるし、老若男女、すぐに舌打ちする。コンビニやレストランで意味不明な理由で店員にキレて恫喝まがいのことをする連中も珍しくない。これらのどれも、ドイツで暮らしていて一度も見たことがない。
この増田は男性っぽいけど、女性だとそれに加えて「女と見ると危害を加えようとする男」から被害も食らうわけで。
勿論ドイツでもそういう人がいないとは限らないんだろうけど。
1人で飲みに出るのが好きである。
通りがかった知らないバーに入って店員や他の客など初対面の人と話しながら飲むのが好きである。
僕を全く知らない人が僕を知ろうと話題を探ってくる。
僕も全く知らない人の身につけているものや話口調などから人柄を探って話を振る。
飲んでいるのもあって話すうちに互いの気が緩み話も盛り上がり、大体は楽しく時間が過ぎる。気がつきゃ朝だったことが何度もある。
ごちそうさまでしたと店を後にする時、あーあ、さみしいなと心細くなる。
1人で酒を飲みたくなった時は決まってさみしい時だ。
飲みに行けば誰かしら話し相手になってくれる。一緒に酒を飲んで笑って話をしてくれる。今日の出会いに乾杯なんて、嬉しいことを言ってくれる人がいる。
飲みに出れば寂しさが紛れる。
だから帰らなければならないのが辛くて、紛れたはずの、埋められたはずの心細さがまたやってくるのがしんどくてたまらない。
帰ってもさみしい。
さみしいところが僕の家。
家からさみしさを持ち出して、そしてさみしさを持って帰ってくる。
僕はさみしい。
こっちは読売新聞が誤報したiPS研究捏造事件の詳細を確認したくて、「iPS 捏造」のキーワードでググってみたのだが(捏造した当事者の名前はど忘れしてしまってたから)、出てきた検索結果は去年発覚した山中先生のお膝元の京大iPS論文捏造事件の記事ばかりだった。いや検索結果は時代で変わって当然だけど、改めて去年のことはそれほど重大な捏造事件だったんだなぁと感じた。そりゃ山中先生も責任取るわ。
俺も抜きたい
今までピンとこなかったけど、この前、その言葉の意味がわかった出来事があった。
私は、その日披露宴の余興で、かわいい衣装で踊る友達たちの最後に被り物的なやつで登場する余興のオチ的役割だった。
単純においしい役だとも思ったし、美人じゃないし、女は愛嬌を地で行く私だ。
友達や会場の人がコミカルな衣装で笑ってくれて会場が盛り上がったらそれでいいやと思って快くその役を引き受けて、当日全力でその役を全うした。
会場は有り難いことに大いに盛り上がって、ほっとした。
その日の二次会の話だ。
友達の旦那の友達連中と飲んでて、トイレに行く時に席を立ったときに、たまたまある男の人に声をかけられて立ち話をした。名前は覚えてなかったけど、旦那の友達連中の中の一人で、仲間の人達から『こいつは本当優しい良い奴!だから仲間うちの中で一番結婚早かった!』て言われてた人だった。
その人と、話の流れでその日の余興の話になった。
すごい会場盛り上がったねと言われて、有難いですねぇと私が答えたあとに彼が一言笑顔で、
『でも、君ももう少し自分を大切にしなよ?女の子でしょ?』と言った。
優しい柔らかな口調だった。
よく覚えてないけど、私は、そうですね、とか笑いながら言って席に戻った。
けど、それを言われた後から、私そんな自尊心を貶めるような恥ずかしいことさせられたのかな?
私あのときそんな可哀想な馬鹿なやつだったのかな?お笑い芸人さんが言う、笑わせるんじゃなくてただただ笑われてるだけの哀れな痛い奴だったのかな?て気持ちになって飲んだお酒の味もわからなかった。
彼も悪気があって言ったわけじゃないし、たぶん女性に対しての気遣いだったのかなぁと思うけど、そんな言葉は別に求めてなかったんだよ。
ただあの瞬間、場を盛り上げるという目的で、与えられた役をただ演じてるだけだったのに『自分を大切にしてない』って思われてなぜか勝手に同情されたことが、すごく悲しくて情けなくて年甲斐もなく傷付いてしまった。
『私こんなに大変なの』って直接相手に言われたとき以外の、相手へ勝手に抱く同情は、遠回しな否定なんじゃないのかな。
本当の優しさって『すごかったね、頑張ってたね』って相手の行動を認めて労わったり、『あの時のあなた素敵たったよ』って肯定するものであってほしいな。