海外旅行で急病なんかで医者にかかると(日本人の感覚では)莫大な医療費請求されるから旅行保険入っとけと言われるのはその為。
日本で3割負担なのが10割負担になるなら3倍ちょっとだろ、なんてレベルじゃない医療費になるから。
(日本だと基本的にどこでも医療費は変わらないが、海外だとレベル低い医療しか受けられない安い病院と高度医療が受けられる高級病院が分かれてる国が多い)
山登りは進めば確実に山頂に近づいていることがわかるけど、人生は進んでいるようで実は別の方向に向かってることもあるし目標が瞬間移動することもあるし確かに人生と山登りは違う
その声をアンプのように増大させているのが正義マン・いい子ちゃんだ
個々人それぞれ意見を持っていていい
彼らをどう黙らせるかが今後100年の課題になる気がする
人種(黒人)、ジェンダー(女性)、ポルノ、暴力、政治、子ども、お年寄り、動物愛護 あたりだ
ハゲがコンプレックスの人もいればスキンヘッドに自信持ってる人もいる
身体的特徴はあくまでただの特徴であり、そこにポジティブな評価もネガティブな評価も周囲が下す必要はない
目をひく自分の特徴を生かして仕事に結びつけるのは、モデルやスポーツ選手もそうだし、ハゲ芸人やブサイク芸人もそう
それはそれで、本人の特徴として認めるべきことと思う
世間が褒め称えるモデル体型も、本人からすれば長身や小顔、手足が長いことがコンプレックスであることもある
冨永愛も、宇宙人と言われてよくいじめられた、とか話していたことがある
当たり前のことなんだけど、
ブサイクにブサイクですね、と言うのは褒め言葉にも傷つける言葉にもなる
モデル体型に足長いですね、と言うのは褒め言葉にも傷つける言葉にもなる
今のネットの議論の流れからすると、ブサイクにブサイクいじりはしちゃダメだけど、モデルの体型は褒めてもいい、みたいな変な方向にいきそうでちょっと危機感を持っている
一番大事なのは本人の主観で、本人が傷つくならしない、本人が嬉しいなら言う、でいいと思う
ただ、相手が本心でどう思うのかなんてわからないし、センシティブなことは無難に触れない、というのが多くの大人のたしなみではあるよね
そして、テレビや広告の場合、言われる本人は嬉しくとも、見る人が不快に思うなら、ちょっと微妙、というのが今の流れなのだと思う
やめるべきとは言わないけど、なるべく好き好んで探さないと目にしない媒体でしかすべきでない、というのがベターなのでしょうかね
映像化されたコンテンツでの出来事を語るには、作者の死ではないけど、本人の気持ちはもはや関係ないところにいってしまうから
これはもう、正しい間違っているではなく、表現の当事者以外は、リスクマネジメントとして受け入れるべき時代な気がするよ
文学なんか、かなり過激で奇人変人多いし差別も多い表現があるけど、文学は芸術であり意図があり、さらには映像ではないのでマイルドで、見たくない人が見てしまうという件数が圧倒的に少ないのが問題にならないポイントなのかな、とも思ったり
「俺にここまで絡んでくるってことは福島人に違いない」
これを「俺にここまで絡んでくる」ことを根拠に「福島人に違いない」と言ってるわけではない、と主張するのが低能先生の話法です
お前って言葉は首都圏で嫌われてるのも関西圏で市民権があるのも理解してるんだけど、
標準語でお前って言われたらムカつくし、関西弁でてめえって言われたらもっとムカつく。
相互理解できないのかと思う
そしてわたしもきえよう えいえんに!
というか、具体的にどういう雑誌だそれ。
ファッション誌だとオサレブランドとかばっかりだし、ゴシップ週刊誌?
GizmodoのApple関連記事はとにかく気持ち悪い。特に 小暮ひさのり とかいうライターの記事ね。
最近だとこれ。
https://www.gizmodo.jp/2018/01/apple-battery-discount-program.html
>我が家には歴代のiPhoneがずらっ〜と眠っていたので困らなかったけど…。
>こういう家はたぶん稀。
はぁ??これ言いたいだけだろ。
何故急に自分語りしちゃうの?「たぶん希。(ドヤっ」にしか見えない。ドヤっだなんて久々に使ったわ。
Gizmodoの記事は役に立つときもあるのでたまに読むんだけど、こういうの見るたびに寒気がする。
もう少し読んでて寒くならない記事を書いて欲しい。
そんなに重大視しなければいいのだな
1ヶ月半後に辞めることとなったけど今すぐ辞めたーい