左を向かないのは全部ネトウヨだよ
吐き出す。
朝の通勤時、ホームから通路に降りるエレベーターに乗った。自分一人だった。
ドアがもう閉まりきるかという時に、ベビーカーを押した女性が来たのに気づいた。
あっ、と思って慌てて開くボタンを押すと、ドアはゆっくり開いた。よかった間に合った、と思った。
女性が乗ってくる。
…あれ?「すみません」の一言が、ない。若いからかな、急いで乗ったからだろうか。
なにかモヤッとしつつも、勘違いかもしれない、必要以上に悪く捉えてもいけない、などと考える。
開くボタンを押して、女性とベビーカーに乗ったお子さんが降りるのを待つ。
…やっぱり、挨拶がない。「すみません」も「ありがとうございます」も。
なにか予想外過ぎて驚くほどイラついた。
頭の中で飲み込めず、イライラしつつも歩く。
子どもが歩く側で立ち止まっているのを見て若いお母さんがぶっきらぼうに言う、「危ないだろー!こっち寄ってなって!」。
言葉は乱暴だけど、何かほっとする。周囲への気遣いも子どもに対しても、ごくまっとうな対応で。
エレベーター内では女性と娘さんは少しお喋りしてた。話せないということではない。日本語だし、日本人に見える。
”いや、でも。やっぱりあの人は日本語の上手な外国人だったのかも”
”日本人と結婚して、日本語は上手だし、子どもも日本語を喋るけど、文化の面はちょっとニュアンスが分からない外国人なんでは”
だって変だ。あんな人見たことない。何あれ。何なんだあの態度。
歳を取ったせいか、「世の中にはこんな理不尽な事が!これは酷い!」といった騒ぎに対して、「それにも色々事情とかあるんじゃねえの」と引いて見てしまう自分がいる。
というのは入門した先の師匠がつける。
最初の一字を師匠の名前の頭一文字からもらい、その次の字は、本人の個性、師匠の思い入れ、入門時のいきさつやその場の思いつき、その他もろもろの事情で決まることが多い。
弟子の実家の稼業から、「サドル」(自転車屋)、「パーマ」(美容院)と名付けられた弟子もいる。
松之助に「さんま」という名をもらったのが明石家さんまで、実家は水産加工業を営んでいたとか。
なかなか弟子をとらないことで有名だが、現在唯一の弟子の名前は「たま」。実家はビリヤード店を営んでいたとか。
と書き連ねながら今更ながら気づいたが、こういう名付けをするのは笑福亭だ。
同性の友人間でも、遊びのプランとか立てるの上手い奴と下手な奴がいて、だいたい上手い奴が引っ張ってくれるから、デートでも得意な方がやればいいと思う
でも得意な奴にとっても負担がゼロなわけじゃないので、たまーに「いつも任せて悪いから今日は自分が頑張る」とかやってイチャイチャすりゃいいと思う
一回の失敗で虐められたりハブられたりして
というような観念がトラウマのように染み付いてしまったんじゃなかろうか
そういう人はコミュ障たる根本的な原因は当人にあるという論調だと何も通じないよ
人間としての価値がないから、無能だからと卑屈に思い込んでいる人に
とにかくやってみようと思わないお前が悪いなんていったら
自分が駄目なことはわかっている、わかっているからひっそりしているんだけど何か間違っているのか?
と反発心を引き起こすだけなんだろう
⇒天気の話でもしとけ。
いきなり難易度高いっすよ。先輩。
コミュ障は天気の話だけで、何分も話せないんですよ。。^^;
コミュ障「もう暖かくなりましたねぇ」
コミュ障「....」(ほかに何話せばいいの...( ノД`)シクシク… )
言葉で表すと、初対面の人への不安が友人のも増田のも同じものみたいになっちゃうけど、実際は感じてる感覚が全然違うんじゃないかな
犬怖くない人が吠えられた時と、犬怖い人が吠えられた時みたいにさ
だって男が女をエスコートしなけりゃならんて、それ反ジェンダーフリーやん
一見フェミニンなようで巡り巡って男社会への回帰を肯定していると思う
…まあ女に主導を求め過ぎるのもそれはそれで反ジェンダーフリーか…まあいいや
ともかくジェンダーフリーを推し進めて行ったらエスコートとか馬鹿馬鹿しく感じる男は増えていくと思うんですが、いかがですかね
自分が何で生まれてきたのかみたいなのはとっくの昔に乗り越えて気楽に幸せに生きてるのに、今更思春期の苦しみとかに向き合いたくないよなーとしみじみ思った。
こんなこと書くのもどうかと思いつつ、
友人には言えないから書く。
障害者にも嫌なやつっているよな?
いや、もちろんいるよな、そりゃ。
性格良し悪しというか、
単に相性合う合わないの問題だったりするし。
そういうのと少し違ってさ、
明らかに嫌なやつでも、
嫌なやつって思う自分が悪いんじゃないかと
思ったりしちゃうんだよな。
優しくしなければいけないなーとか。
営業に向いてるっていわれるし、営業やってる。コミュ障では絶対ないと思う。
⇒天気の話でもしとけ。ニコニコしてればたいていの人は喋ってくれるじゃん。
コミュ障の主張:声のトーンを抑えられなくて、急にでかい声だしちゃう
⇒いやいや、しょっちゅう普通の人もやるから。やらない人いないから。
コミュ障の主張:人と喋るの怖い
⇒確かに初見はちょっと怖いけど、誰だって同じじゃん。他の人だって誰かを貶めようとして喋ってないし。
…と、ここまで喋って気付いたけど、一部コミュ障の人って多分失敗が怖い人なんだろうな。
絶対失敗しちゃだめだ、とか思うから気負ってしまうだけで。プライドも高いんだろうな。
いいじゃん、噛んでもめちゃくちゃでも、楽しく話せばいいじゃん。そういうやつって良いキャラって言われておいしいじゃん。
相手と自分のこと考えれば、克服できるんじゃないかなぁと、思ったり思わなかったり。
「でも無理」
あ、はい、そうですか。
私も、あなたの親と同じでバイク乗るんだ。ツーリング行く人なんだけどさ。
諦めたんじゃなくて、育てようってて決めただけなんだと思うよ。
片方の親がツーリング行ったりする時間をあげるってことも出来るんじゃないかな。
たとえ両方の親が同時にツーリング行くのは無理でも、片方ならきっとなんとかなると思う。ならない感じならごめん。
ずっと育てるためにツーリング行けてなくて、行きたいって言うだけで終わらせてたあなたの親を本当に尊敬する。
でも、気に病まないで。毎日ツーリング行って、それが人生で一番大好きな趣味の私でも、例え障害持った子供が産まれて行けなくなったとしたら迷わずバイク降りるよ。
でもたまに行けたら、ほんと嬉しいと思うから、あなたが笑顔でいってらっしゃいって、父親か母親かどっちかはわからないけど言ってあげてほしい。
でもね、本当はそれすら必要ないかも。どうしても何かしたいっていうなら今のが個人的にはいいと思うんだけどさ。
最初はちょびちょび毎月1.3万円ずつ返してた。
返済の恐ろしさを甘く見て適当にしてた。
今思うと最初こそ頑張ってまとまった額を払うべきだった。
これで毎月の返済額を上げるというのはしたくても無理な状況。
そこで初めて、奨学金を完済しなければと思うようになった。
今まではダラダラ毎月払ってればいいやーと思っていたが、
結婚となると、例えば子供ができて働けなくなったら相手の金で払うことになってしまう。
結局私の奨学金の返し方は、稼いだ金を全部奨学金にぶちこんだ。
奨学金の返済が数百万あるというのを打ち明けるのもだいぶ恥ずかしかった。
これがま〜〜〜〜大変だった。胃炎になりながらも給料は良かった。新入社員なのにボーナスも50万出た。
生活費などは全部彼の稼ぎでやりくりし、私の給料は全部繰上げ返済。
そして半年で完済。仕事を辞めて晴れて子作り解禁、今はめでたく母親です。
結局結婚した彼のおかげで完済できたけど、
てか学生時代借りすぎだった。