http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nicovideo.jp/watch/sm20050783
(`・ω´・ c)っ≡つ ババババ(`・ω´・ c)っ≡つ ババババ(`・ω´・ c)っ≡つ ババババ(`・ω´・ c)っ≡つ ババババ(`・ω´・ c)っ≡つ ババババ
男子グループでも、新参者のまとめて取りに行くはときどき見かけるけど
いちいち遠慮してるんじゃないか?
なんて勘ぐらない気がする
彼らは「怒ることと叱ることは違う」と言いやしないだろうか?
パソコン遠隔操作事件の犯人が逮捕された。歳は30歳。事件のイメージとは
違いパッとしない男性だったが、ネットの世界において偉そうに振る舞ったり、
生きる事に意味や理由を求めるのは幸福から遠ざかるので愚かな事です。
それが"自然"です。
哲学に没頭すれば生の意味などの回答が得られる場合もありますが、だからといって幸福になれる訳ではありませんし、過程で周囲を困惑させたり迷惑をかけたりします。
以前、「学生時代にやってきた研究内容は、後輩へも受け継がれてるよ」と、指導教員から教えていただいた。
それは嬉しいなあと思い、後輩たちの卒論や修論を見たのだが、僕の論文に対しての引用内容が若干ずれていたり、文献の書き方(タイトルとかページとか)が正しくなかったりしたので少し泣けた。
僕はもう就職したし、業務内容も学生時代の研究とは関係なくなってしまったのだが、それでも正しく書かれていないのは悲しくなる。
自分の出身研究室は「先輩が面倒を見る」形式であったため、おそらく先輩(M1)がしっかり見れてないことが原因なのだろう。
以下は、「もしも、僕の出身研究室と同じように、M1がB4を指導するというスタイルのところがあったなら」という仮定で。
就職活動で忙しいのは凄く良く分かるけど、他人の論文を読んで、しっかり悪いところを指摘するのは大事な仕事であることを分かって欲しいな。
他人の未完成な論文を客観的な目で見て、指摘を入れること自体、就職活動で必要な履歴書やエントリーシート、小論文の執筆のヒントになるかもしれないのに。
少なくとも、他人の文を読むことで、一度自分の書いたものから離れることで気分転換にはなると思うんだよね。
指導教員に見てもらえばいいやとか先輩に見てもらえばいいやとか思わずに、しっかり責任持って書いてください。
誰でも分かるようなミスは勘弁して下さい。
幼いころ喘息を患っていた。息苦しくて眠れない夜が続くこともよくあった。呼吸の不調は胸を凹ませ背筋を曲げ、手足をこわばらせて頭を地につけさせる。寝床に張り付く一匹の団子虫のような姿勢にならざるおえなくなる。
発作が軽いときは本にしがみつくようにして児童文学の本を読むこともできたが、本当に酷いときは何もできず弦楽器のような自分の奇妙な呼吸を聴くことしかできなくなる。
そんなときには時折、目覚めながらにして夢を見ることもある。
私の意識は身体から地面へと染み出して、地中へと徐々に降りてゆく。身体は変形して一匹の鯨となり鳴き声を挙げる。息苦しさは夜空の雲に頭痛は星の瞬きに変わる。宙空にはこれまでに読んだ本の主人公が馬を駆って旅をするのがみえる。そうしてゆくうちに私の意識は地中奥深くの地下水脈のようなものにつきあたり、徐々に五感が遠のいていく。
そうなるともう安らかな眠りにつけるようになる。
ぜんそくに悩まされることがなくなって随分経つが、その夢は未だにおぼえている。
こういう人が、なんとなく「普通」とされる生活を送りつつ「自問自答」して、
「悶々に耐えきれずにやがて考えるのをやめる」以外の結果になった実例があるなら是非見てみたい。
SNS系は退会して、絵かいたりしたいならTumblrとか別ツールでって事か。
ツールが変わるだけでまた面倒くさいと思ってしまいそうだが、気晴らしにやってみるべきかな…。
でもそれ、一度聞いてみたかったんだが、そのVIP系のサービスでも読者から反応が何かしらあったりするわけだろ?
それって、反応が有るとか無いとか、他人と比較してどうこうとか、疲れないか?
これを書きながらわかったんだが、俺はどうも他人の反応が気になって仕方ないらしい。
で、結局それに疲れると…。
例えば何か作品を公開して、他人の反応なんか関係ねぇ、勝手に描くからお前ら好きに評価しろや。みたいな庵野タイプの人だったらこんな事考えねぇのかなぁ…という疑問
http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/4396983.html
読んで思い出したこと
大学生になりたてで女子グループっぽいもの(5-6人くらい)ができたてのとき、そのグループで学食に行った。
学食のお茶はセルフサービスで、一人の子が「私お茶とって来るね」と言う(以後、茶子とする)。
私は食中にはお茶をいっさいのまず食後に熱いお茶を飲むのが好きだったので断った。
「いいよ」「遠慮しないで」が2回くらい繰り返された。
あきらめてじゃ、お願いします、というと茶子はお茶をとりにいった。
と私に言って、はじめて、ああそういうものなのか、と思った。
新しいグループ内に居て、気が張ってるんじゃないかと、はじめて茶子の心情に思い至った。
親しい友人間でもカラオケなどでまとめてとってきてもらうことはあるが
まとめてとりにいくほうが、なんとなく緊張感のある場面なイメージがある。
あと、そのときぬるくなったお茶を飲む気が起きず飲まずにお盆ごとさげちゃったのが
なんとなく悪いことしちゃったなーってずっと心にひっかかってたので
ごめんなさいしとく
幸せがどうとかって、我慢してればある日突然幸運が降ってくる日をひたすら待ってそうなロクでもないババアがよく口にする言葉だよね
http://anond.hatelabo.jp/20110702112922
アンチのほうがファンよりも詳しいという典型例
彼女がそんな状態なのは、年齢のせいというよりも男を見る目がなかった、さらには人生に対して無計画すぎる(若さと美しさゆえ考える必要がなかったため)と思う。
その友人の不幸をみたいだけなのかな?私なら増田みたいな考えを持ってる時点で、もう友人とは言えないな。
だからその友人に深入りする必要もないし、そばにいる意味もないような気がする。
彼女は彼女なりの生き方をしてきたんだから、放っておけばいいと思う。それより増田は自分の人生を考えた方がいい。
他人のことよりも。
オタク文化やオタクという人種には、できるだけ関わらないようにするのが処世術であると思う。
はじめにそう感じたのは、電車男の頃に、秋葉原で路上喫煙をしていた男が写真を晒されていたのを見たこと
で、
オタクの縄張りを荒らすとリンチに遭う可能性があると意識した。
オタクの興味の範疇は狭いが、その内で事を起こすといつまでも粘着される。
戸松遥ライブでの照明器具落下が、もしアニソン歌手以外のコンサートで起こったら、ここまで騒がれただろうか。
オタクに興味をもたれると本当にロクなことにならない。
一度アニソンを歌うと、その歌手は一生、オタクからアニソン歌手というレッテルを貼られたままだ。
十年くらい前に亡くなった、フルーツバスケット?のアニメの歌手の話題には確実にオタクの反応がある。
それは彼女の音楽が素晴らしかったからというより、アニソンという身内の文化に関わったからだ。
オタクという人種に関わりを持つのならば、一生関わり続ける覚悟が必要だ。
ビジネスとして関わるにしろ、オタク関連の仕事でなにか間違いがあると、
一般社会で考えられる以上のバッシングを覚悟しなければならない。
不可触な存在と思ったほうが身のためだ。
私も、同じ30代子持ちです。
人は幸せになるために生きているそうです。
なぜ生きているのか?そんなことを考えても幸せにはなりません。
といいながら、私もこのままで良いのかと自問自答していますが・・。