はてなキーワード: ルッキズムとは
同じ芸術分野でも画家と比べて容姿の悪い人間がわざわざ顔を出すことを自重しない率は高いよ
寧ろadoみたいな年齢と性別から推測するにマシだろう人間が顔ファンとかプライバシーを恐れて顔を隠すみたいなことやってる
あいみょんとか米津玄師みたいなのを実力派(笑)みたいに持ち上げてる連中って逆ルッキズムで悦になるか同類しかおらんってことでいいか?
いいルッキズム→美人にたいして顔だけの評価で全体の評価まで良くしてしまうこと
自虐やYoutuberの炎上商法みたいな差別の煽りの方が問題
美人を美人といって問題になるのはセクハラというあくまで言葉通りに捉えない間接的なものであってブサイクの方はどっちかが嫌な思い必ずするあたりよくないと思うんだが
普段ルッキズムに否定的な人たちは若者のルッキズムこそ批判するべきだと思うんだけど、なぜかあの人たち、
若者は正しくて老人は間違ってる、そして私は若者だから(?!)正しい
って思ってる節があるんだよな
だから若者が(普段の自分たちの主張に対して)間違ったことしてても口を出すことができない
かといって自分たちの主張が間違いだと認めることもできない
父ちゃんが非モテのセックス下手くそだったに始まり景気も悪くてルッキズム全盛、オタクが一般化でキモくてもいいと勘違いさせられ取り返しのつかないとこまで来てしまった俺は完全なる被害者
容姿は磨けば磨くだけなんとかなってくって理解が浸透してて、磨くのサボってきた奴はサボってる奴という事も分かる、それに開き直る態度、むしろそれを誇って容姿磨きにうつつを抜かす奴は他にやるべきことがあるくせに~みたいな事言ってる奴に何も支持するところはないという感じに変化してきてる面はあると思うねぇ、ルッキズム社会。
Bing copilotに3行で要約してもらった
若い世代でもルッキズムが広まっており、外見至上主義の考え方が強固に根付いている。
オタク系の同人イベント参加者でも美人であるべきという思想が広まっており、容姿に対する批判が増えている。
マイナージャンル仲間のタイムラインでは若い子たちが容姿を重視し、自分を磨く努力を怠らないことが当たり前で、デブスのおばさんは存在自体が迷惑だと感じているようです。
同人イベントに参加するようなオタク系の子ですら「神絵師・神字書きは漫画に登場する綾城さんのように誰もが憧れるクールな美人なのだろう/そうであるべき、そうであろうとするべき」みたいな思想が強固にあってそんな自分が社会的に正しい(だから正義棒を振り回して容姿レベルの低い人を批判する正当な権利がある)と信じ込んでいると思うと恐ろしいよ
私は30代だけどハマってるマイナージャンルのフォロワーはあなたと同じくらいの年齢が多い
顔や服装がほぼ全部見えてる自撮りを平気で上げたりメイクが上手く決まったなんて言いながら眉毛のアップを載せたり
オフ会後は「○○さんは可愛すぎていい匂いがして~××さんは凄く細くて綺麗で~」と出会った全員の容姿に言及するレポ漫画を上げる人もいる
同年代や年上の多いジャンルのタイムラインではそういうことをする人がいないから10歳も違うと価値観が全然違うなと思ってたけど
やっぱり若い子にとってはただ漫画や小説やゲームを楽しむだけでも容姿の良さを求めたり見た目を磨く努力を怠らないのは当たり前でデブスのおばさんは存在自体がとても迷惑で話しかけられたら困るものなんだね
貴重なマイナージャンル仲間だしイベントのたびに相互の増田ですけどと名乗ろうかどうしようか迷ってたけど今後も話しかけないことに決めました
(追記)
tiktokで昭和~平成中期の歌謡曲のリバイバルブームが起きてるって言うけどそんな感じで
大手出版社の漫画アプリがきっかけで再評価された古い青年漫画です
同人やってる人もほんとに少ないので上に挙げたのも数人の話です
あんスタやアイナナだろうってブコメがあるけどそんなに規模の大きいところだったら色んな人がいるだろうからこんな風に悩まなくて済んだと思う
奥さんのためという美談で、ウィル・スミスの暴行を肯定し、「世界の方が遅れてる!(キリッ」
女性への言葉の暴力だけ許さんとか喚きながら、男性差別のあらゆる暴言は大好きブーメラン。
もちろん、いろんなMetooやフェミ炎上でも、常にフェミ側に味方し、またまた都合よく「日本は遅れてるー!」
もちろん毎回、「女キャラ脱がせるなー! 性的まなざしがー!」という要求を忘れることはない。
これ言いたいために叩いてるだけで、実際の性犯罪は、むしろ増えた方が良いと思って助長させようと狙う。
「チー牛陰キャは女に話しかけるなー! セクハラー!」と言ってるのも、単に彼女作らせずに性犯罪犯させたいためだ。
犯させれば、また男叩きする口実になるから。
男オタや美少女動物園を叩きまくるくせに、腐女子やイケメン動物園がが叩かれると発狂。
自分らチー牛ブス腐女子が叩かれる時だけ、都合よくルッキズムがー!
おい、文章なげーんだよチー牛!と言われる前にポイントを書く。
・曖昧な概念で社会的弱者を生み出し、強者が弱者を叩く弱いものイジメの構図が平然とまかり通っていること
・ルッキズムに基づいた弱者のイメージは商業主義において利用されやすく、チー牛顔に限らず今後も資本家による弱者イメージの流布・それを利用したビジネスが展開され経済的搾取を招きやすい
チー牛に限らず、大衆にとって"叩いて良い対象"となったものは相手が人間だろうと平然と"リンチ"のような誹謗中傷が行われてきた。
しかしチー牛はそれらとは大きく異なる。チー牛男性というあの一枚絵に象徴されただけの曖昧な概念であり、一個人や団体ではない。
では概念を叩いているのか?それは違う。叩きたい人がチー牛男性という概念を引用し、社会的弱者として扱い叩く。ここにチー牛叩きの問題の本質がある。
真の問題はチー牛という概念でも、ルッキズム至上主義でもなく、社会的弱者を誰でも簡単に作り出すことができ、レッテル貼りによるリンチが平然と横行している点だ。
そしてもはやチー牛という概念を使ったリンチはネットに留まらず、現実の社会においても表出しつつある。
やがては子供、学校社会にも影響するだろう。子供はコミュニケーション能力が成熟していないし、キャッチーなワードに引かれやすいのでチー牛が合言葉のようにイジメのキーワードになっても何ら不思議ではない。
ここまで書けばもう理解していただけるだろう。「なぜイジメがダメなのか」を一から説明しなくとも、曖昧な概念によるレッテル貼りで誰かを叩くというのは誰でも被害者になり得るし、加害者が許されて良い理屈はないことは自明である。芸能人叩きでも、学校、会社のイジメでも自殺という最悪な結末によって事が収まる事があるように、チー牛叩きから人が死ぬこともあり得るのだ。
全く別の観点での問題がある。ルッキズムに基いた社会的イメージというものは「簡単に作り出せてしまう」ということである。
ファッションが分かりやすいだろう、「今年のトレンドは〇〇」のように多くのメディア、企業によって簡単にイメージというのは作り出せてしまう。
恐らく直近数年以内に、「脱チー牛」を促すための邪悪な広告がメンズサロンか、美容院か、美容外科か、出てくるだろう。
ではその流れが終わったらどうなるか?
チー牛効果で商売が繁盛すると分かれば次の弱者のイメージを作り出し、それをネタにまたビジネスをすれば良い。美容系でなくとも、一時期バリバリ財布がネタにされたように何かを貶す風潮さえできればそれがお金になるのだ。そうして企業による不安を食い物にした経済的搾取を受けるのは一般人である。
どちらの問題もチー牛男性叩きに限った話ではなく、過去似たような社会潮流はあるだろう。
この文章で伝えたいのは「強者側に回りたい人間の私利私欲に加担してはならない」ということだ。あなたが安易に加担してしまうことで被害を受ける人が生まれるし、あなたが被害を受けない保証はない。ちょっと叩きたい、馬鹿にしたい人がいたとしても、その小さな悪意の集合体が呼び起こす邪悪について、今一度立ち止まって考えて欲しいものだ。