・ツールはこれを使え(と言ってCDを)
馬鹿じゃねーのか。
だいたい、作業所はネットに繋がってないし、記憶媒体持ち込み禁止だっただろうが。
逆に教えて欲しいわ。
あと、得体の知れないツールを、自宅マシンにインストしろってのもすげえ腹立つ。
うちにはWinが2台とMacが2台、iPodTouchとiPadMiniがあるから計6台についてチェックシート提出しろだって。
私は、クリスマス最後の30分で声を大にして言いたいことをTwitterで発見してしまった。
https://twitter.com/kanfuruya/status/415852181439270913
目を疑った。
ふざけるな。
長澤まさみバージョンのセーラー服と機関銃もあまり容認出来ないが、なんだこれは。
被写体が「かわいい」だけで撮らていて、セーラー服と機関銃への尊敬の念が感じられない。
そもそも写真の雰囲気もこの写真家の雰囲気に乗せられていて、まったくセーラー服と機関銃のパロディにすらなっていない。
どっかの社主が
「どこに活動の場を移せばいいのだろうか。10年前なら同じことを書いても受け入れられただろうが、最近は「不謹慎」と批判されることも増えてきた。BPOとスポンサーに悩まされることのない、表現の自由さが何よりネットの魅力だと思ったのだが。」
とか言っていた。
うむ。
べつにレトリックとしての「昨日と同じ今日はやってこない」というわけではない。
あまり昔を思いかえす機会というのはないけれど、年末だし、ちょっと思いだしてみる。
お題はどこで音楽を買っていたか、だ。まあ、オチは透けて見えるが。
10年前はたしか近くの本屋か、気合をいれたらタワレコまでわざわざ足を運んで買っていた。
それに欲しい音楽、聞きたい音楽というのもラジオとかテレビで流れているものが情報源だった。
5年前だと主にアマゾンなんかで買っていたように思う。
欲しい音楽はインターネットのラジオ放送(SHOUTcast)とかyoutubeとか、そういうところに変わった気がする。ニッチなほうに――言いかえれば、みんなが好きなものから自分の好きなものにシフトしていった結果、重箱の隅をつつくみたいな探し方をしはじめている。このへんで引っ越しとかがあってテレビを買えず、そのまま見なくなった。
欲しいものは5年前と同じで、インターネットの情報が主だ。ときどきコンビニとかで流れているの気になるのがあれば買ったりもするけれど。しかし、5年前と最近とでの決定的な違いは、自主制作もの? というかアマチュアものというのか。動画サイトなんかで話題をあつめた音楽が、iTunesなんかを通して売られていて、少なからずそういうのを買っているところだろう。
ふり返ってみれば、10年前といまとではぜんぜん違う。タワレコなんてこの数年いっていないし、ラジオも聞いていない。テレビも見ていない。そうであれば趣味もだいぶ変わったんだろうな、と思ったりする。
10年前に twitterはなかったし、スマホはなくて携帯電話でインターネットなんてできなかったし、そもそもインターネットの存在感はぼくにとって薄かった。それがみんなにとってそうだったのかは分からないけれど、最近とはぜんぜん違う位置づけだろうと思う。
ニュースはテレビで見ていた。いまはyahooのヘッドラインで確認していた。友達でインターネットを使ったことがないひとは多かった。いまはSKYPEで近況を話すつながりのひとがいる。
こんなに違うのに10年前と同じことをして、同じ結果が返ってくる・・・んだろうか?
そして、同じ結果が返らないことは嘆かないといけないことなんだろうか。
まあ、インターネットがむかしのようなフロンティア的な無法地帯ではなくなってきて、さて、無法者はどこに次のフロンティアを求めればいいんだって話であれば、分からなくもない。Facebook的な実名かそれと同等の実生活(友達とtwitterとかでつながるとか)と密接してくるインターネットは、無法地帯の終わりなんだろう。
リスクが発生すれば無責任ではいられず、そうするとそこにはどこまで言っていいのか、みたいな探りあいがでてくるわけで、周りの目を気にしだしてしまう。そうなれば、そこは公共の場だ。マナーとモラルと同調圧力とに押しつぶされる窮屈な場所だ。
10年前のインターネットの無法さがをもう一度求めるなら、なんかもう月とか宇宙にコロニーつくって、いままでの社会から断絶した文化でも作るとかしないといけないかもしれない。
というニュースを聞いて、おっちゃんは若い頃に好きだった子の事を思い出した。
おっちゃんが免許を取り立ての頃。実家に帰った時に母ちゃんの車を借りて悪友とドライブにでかける事になった。
そこで浮かれて悪ノリしたおっちゃんと悪友は、おっちゃんが中学生の頃から好きだった地元の同級生の子をドライブに誘うことになった。
あまり乗り気でない女の子を勢いで説き伏せ、なんとか車に乗せる事に成功。そのままカラオケに行く事になった。
久しぶりに会う女の子は相変わらず可愛くておっちゃんはもの凄くドキドキしていた。
そして店に入り、おっちゃんと悪友が場を温める歌を歌って女の子の番。
おっちゃんは女の子がどんな歌を歌うのか凄く期待していた。やっぱり女の子だから可愛くモー娘。かな?それとも大好きだって言ってたB'zかな?でもたぶん可愛い歌なんだろうなあ、と思っていた。
すると、女の子の選曲は、「会いたい」という歌だった。おっちゃんは良く知らないけれどとりあえずタンバリン叩いていた。
サビに入ると女の子は高らかに「あなたーなんちゃらなんちゃら、死んでしまったーの~♪」と歌い上げる。声はすんげードスい。
おっちゃんはドン引きした。イメージと違いすぎた。その後も女の子は海がどうとか映画がどうとか会いたいとかさんざん歌っていた。
その雰囲気や歌詞は、まるで拉致された自分の境遇を嘆くようにも聞こえて、おっちゃんはモー娘。とのギャップやら罪悪感やらに苛まれて居た堪れない気持ちになった。
そしてテンションダダ下がりのおっちゃんは、紳士的に女の子を送り届けてドライブは終了した。
そんな「会いたい」を歌っていた高橋真梨子の事を思い出して何十年ぶりかにググってみた。
今日一緒にご飯を食べる予定の人からドタキャンされてしまった。
意外とショックが大きく、自分の人生、価値とは何かまで考えてしまう始末。
たいしたことじゃないのにね。
こんなことにやっきになってないで、自分の趣味に時間とお金を費やしたい。
ドタキャンされたぐらいで転職とかを考えてしまうこのメンタルの弱さよ・・・
人にはすごく優しくするようにしてるけど、自分の精神の守り方ってよくわからないや。
しかも眠れない
まだ少し先の話だけど、中高一貫で6年間同じ学校に通ってたことからすると受験勉強してすごす残りの2ヶ月がひどく虚しいものに思えてくる。
大学入るとみんなバラバラになるし、仲良い友だちとは連絡もとりあうだろうし会うこともよくあるだろう(あってほしい)。
でももうこの学校、この学年のみんなとバカやったり騒いだりできないって考えただけで心に穴が空いた気分で勉強にも身が入らない。
この学校で過ごした楽しかったことも苦しかったこともいい思い出だって声に出していいたくなる。
アニメとかで見てきた卒業シーンで泣いてたキャラクターの気持ちが痛いほど分かる。
6年間男クラだったせいで異性との思い出なんてあんまりないし、部活も中途半端だったなぁ…
ラブライブEDの「きっと青春が聞こえる」を聴きながら感傷にひたる自分がいる。
ついこの間までは1年組と同じ目線で
2年生だったのは昨日のことのよう
気付けば高3の冬なんだよ
あ〜、穂乃果ちゃんは可愛いし、時間は何もしなくても経っていくし
先人たちはどうやってこんな思いをやり過ごしてきたんだろ
考えてもツラいだけだし、とりあえず、にこニーして寝ますわ
横だけど
自分を律し、自分自身の支配者になった者にしかその話はしてはいけないんだ!こんなところで言うんじゃない!言葉ジリを都合のいいように解釈した無法者が世に溢れてしまうだろ!ということでしょうか?
増田の言いたいことは理解出来てると思うし、そこに書いてあることは直接的に「危険」な思想ではないことは分かる。
ただ、こういう感じで「楽に生きよう」って出来るのって、実は最も難しいことじゃない?
というか、究極的には皆、そう生きたいものでしょう。
そして、書いてあることもその通りだし、その通りできれば良いだろう、ということは多い。
だけど、皆それが出来ない。
そんな中で、こういうのを見てしまうとどうなるか?
結局のところ「楽に」と言う部分だけを見て、逃げるだけ、ただただ自分を上げる努力を止める、ということにしか働かない場合が多い。
増田はその辺りを理解して、色々考えた挙句結局辿り着く答えだ、ということを言ってるが、
何も考えずにこういうのを見ると、もう、ただただ楽をすればいい、としか考えられないのが通常。
宗教も同じだけど、結局、そこに入るのは、楽になる、ということではなく、今まで追い求めてた幸せをすべて放棄するだけの話になる。
幸せを放棄して得る幸せとは何なのか、きちんと理解できない状況で「楽になる」ということを見せるのは良いことでは無いと思う。
いや、別に賛同してるわけでわないよ。自己啓発の一種っていうかそういう奴でしょ。
元増田の記事を見て見に行った結果、昔ながらっていうかそういうデザインで怪しく見えるなーって思っただけ。
「宗教だ」とか「恐ろしい」って思ってしまうのは貴方の問題ではないか?
「へぇ~」とか「ふ~ん」とかで流せばいいような話だろ。
元増田なんだけど。
正しいかどうかは問題じゃない。
これほどまとまっていろいろな問題を網羅してて、ある程度普通に考えればある程度論理的に出てくる答えばかりが載っている。
普通の人が普通に直面して普通に出てくるものを、かなり網羅している。
そういうものは、あまりないから、とりあえずこれを使っている。
それだけなんだけど、理解できないかな。
なんか賛同トラバが付いてるんだけど、何、皆同一人物?そのサイトの宣伝者?やばくない?
そこに書いてあること、当たり前のこと、教科書通り、って書いてあるけど、それは上司が本当に駄目な人の場合。
99.9999999%、増田で文句言ってるような奴は自分が悪い。
自分が出来ない、きちんと伝えられてないことを棚に上げ、相手のせいにしている。
この状態でそのサイトにあるような「教科書通り」のことをしたらどうなるか?
「力をつける」なんてことが出来るわけがない。そもそも根本的に間違った方向へ行ってるだけ、もしくは全く何もしてないんだから。
そこのATMは、ゆうちょ銀と地銀の2つが同居していて、中がとても広い。ATM室の中で行列するタイプだ。
いつもは、中で並ぶので、外で待っている人はATM利用者を待っている人がほとんどだ。
入り口の自動ドアのところに微妙な位置に待っているおばちゃんがいた。念のため、そのおばちゃんに並んでいるのか聞いてみたら、並んでいるそうだ。
寒いけど仕方がないので、そのおばちゃんの後ろに並んだ。
ゆうちょ銀のATMを使っているおねえちゃんは、オクの送金をしているのか、スマホを使いながら、何件も送金していた。
3分くらい時間が流れ、地銀のほうが空いた。前のおばちゃんは動かない。
「寒いので中でならびませんか」と声をかけてみたが、おばちゃんは無言だった。
変わったマイルールを持っていると思った。
これ以上、かかわるのも面倒なので、おとなしく並ぶことにした。
この判断は、予期せぬ事態を引き起こした。
繰り返し必死にATMを操作していたおねいちゃんがATMを出ようとしたときに間髪入れずして、別のおばちゃんが割り込んできた。
「あーあ」と心の叫びが声に出そうになった。
おねいちゃんが出るまで待っていたおばちゃんが、「私並んでいたんですけどと」とATMの前に陣取った割り込んだおばちゃんをけん制した。
並んでいたと気がつかなかった割り込んだ形になったおばちゃんもバツが悪そうに「並んでいないと思ったの」と必死にアピールしていた。
間が悪いのだが、分かりにくい並び方でマイルールを貫いたおばちゃんの後ろに並んでいたおいらも微妙な気持ちになりながらも、知らずに割り込んできたおばちゃんの後にATMを使った。
それだけ。無駄に神経使った。なんだか後味が悪い。
エヴァのアスカ来襲の回の冒頭で、アスカのスカートがめくれる→その後パンツを見た二人にビンタってシーンは、
アスカがどんな性格なのかが一瞬で分かるというエピソードなので「ストーリー上必要なパンチラ」の範囲内かな。
(…厳密に言うとアスカのパンツは視聴者には見えてないからパンチラとは言えないけどさ)
ただ、こういうのを何度もやられると、二度目以降は必要のないパンチラに感じる。
「ただの立ち絵で何故かパンツが見えてる構図(他のキャラには見えてなさそう、見えてるのは読者や視聴者だけ)」とか
「毎回すっ転んでパンツを見せるキャラがいる」とかはストーリー上必要のないパンチラだと思う。
でももし「毎回すっ転んでパンツを見せることで超常能力を発揮するキャラ」が上手く生かされている作品だったら、それはストーリー上必要なパンチラだと思うかも?
ここ1~2週間くらい、会社に猫がいついている。
もちろん建物の中には入っていない。
(朝や昼には見かけない。どこにいるのか)
今日なんか、数秒猫の前で足を止めてじっと猫を見たら
猫が「にゃ~ん」と鳴いた。
リンク先の内容は非常にまともだね。
盲信しても、少なくとも仕事面では、問題なさそうに思える。
作中のパンチラの数
=外を歩いてる時に突然進路を塞がれて「お願いしまーす」と要らないチラシを渡される数
って感じ。
不快というか、ウザイ。何度も何度もやられると鬱陶しい。興味ないのにしつこい。要らん。
余計な要素を入れないでストーリーに集中させろや!みたいな感じ。
「世の中つまんねーなあ、テレビもネットも飽きたわ、ゲームも飽きた」
当たり前なんですがw
①運動中にアニメや落語や音楽などを聞くなり見るなりすると予想以上に楽しめる、笑の沸点が下がる。(多分アドレナリンがでるから?肉体がいじめられて、で、快楽をむさぼりたくなって、目の前のしょぼいテレビアニメでも楽しめる)
②運動すると寝つきがいい(運動してだいたい3時間くらいで気持ちよく眠れる。朝練した学生が午前中の授業寝ちゃうシステム)
③寝てる時に成長ホルモンがたくさん出るので寝る事での疲労回復しやすい(断裂した筋肉を補うために成長ホルモンがでる。大人でも普通にでる。子供の時のような気持ちよさがある)
怪しいサイトに思えるかもしれないが、俺はこれを信じてもいいと思っている。
たとえば、「嫌な上司がいる」という場合、いろいろ思い悩むでしょう。
『嫌な上司がいる』http://nayami.shiawasehp.net/shigoto/iyanajoushi.html
で、調べれば出てくるわけです。
大切なのは、「教科書のように答えが出ている」ということです。
つまり、考えても答えが出ない問題に、「一応の模範解答」があるわけで、いったん、「答えはこれに書いてあるからこれ」と思い込めるわけです。
で、それに従っていれば、まあ大過はないし、仮に失敗しても、『教科書通りやったから別にいいや』という安心感があります。
その人は、まあ直截的な言葉でガンガン人間性や人格をバカにして。
で、確かにまあ俺も悪いところはあるのかなあと思いましたが非常に傷つきました。
でも、
『悪口・かげ口に悩む』
http://nayami.shiawasehp.net/ningen/trouble/waruguchi.html
結論として、「まともに相手をしない」ということが書かれています。
自分としては、自分の悪い点を改めたいと思って相手の話をそれまで聞いてましたが、
これを見てから、相手にしないようにしました(それまでも、あまり相手のことを考えずに聞いてましたが、さらにどーでもよいと放置しました)
自分で考えて決めたのと、教科書に書いてあったからやるんだ というのでは後者のほうが圧倒的に楽です。
とある、苦しい目標に向かって努力しているときに、くじけそうでしたが。
目標がなかなか達成できない http://nayami.shiawasehp.net/mokuhyou/mokuhyou.html