2013-12-25

どっかの社主

「どこに活動の場を移せばいいのだろうか。10年前なら同じことを書いても受け入れられただろうが、最近は「不謹慎」と批判されることも増えてきた。BPOスポンサーに悩まされることのない、表現の自由さが何よりネットの魅力だと思ったのだが。」

とか言っていた。

うむ。

昨日と同じ今日はやってこないのだから、嘆いても仕方がない。

べつにレトリックとしての「昨日と同じ今日はやってこない」というわけではない。

まり昔を思いかえす機会というのはないけれど、年末だし、ちょっと思いだしてみる。

お題はどこで音楽を買っていたか、だ。まあ、オチは透けて見えるが。

10年前はたしか近くの本屋か、気合をいれたらタワレコまでわざわざ足を運んで買っていた。

それに欲しい音楽、聞きたい音楽というのもラジオとかテレビで流れているもの情報源だった。

5年前だと主にアマゾンなんかで買っていたように思う。

欲しい音楽インターネットラジオ放送SHOUTcast)とかyoutubeとか、そういうところに変わった気がする。ニッチなほうに――言いかえれば、みんなが好きなものから自分の好きなものシフトしていった結果、重箱の隅をつつくみたいな探し方をしはじめている。このへんで引っ越しとかがあってテレビを買えず、そのまま見なくなった。

最近だと、iTunesで買うことが多い。

欲しいものは5年前と同じで、インターネット情報が主だ。ときどきコンビニとかで流れているの気になるのがあれば買ったりもするけれど。しかし、5年前と最近とでの決定的な違いは、自主制作もの? というかアマチュアものというのか。動画サイトなんかで話題をあつめた音楽が、iTunesなんかを通して売られていて、少なからずそういうのを買っているところだろう。


ふり返ってみれば、10年前といまとではぜんぜん違う。タワレコなんてこの数年いっていないし、ラジオも聞いていない。テレビも見ていない。そうであれば趣味もだいぶ変わったんだろうな、と思ったりする。

10年前に twitterはなかったし、スマホはなくて携帯電話インターネットなんてできなかったし、そもそもインターネット存在感はぼくにとって薄かった。それがみんなにとってそうだったのかは分からないけれど、最近とはぜんぜん違う位置づけだろうと思う。

ニューステレビで見ていた。いまはyahooヘッドラインで確認していた。友達インターネットを使ったことがないひとは多かった。いまはSKYPEで近況を話すつながりのひとがいる。

こんなに違うのに10年前と同じことをして、同じ結果が返ってくる・・・んだろうか?

そして、同じ結果が返らないことは嘆かないといけないことなんだろうか。


まあ、インターネットがむかしのようなフロンティア的な無法地帯ではなくなってきて、さて、無法者はどこに次のフロンティアを求めればいいんだって話であれば、分からなくもない。Facebook的な実名かそれと同等の実生活友達twitterとかでつながるとか)と密接してくるインターネットは、無法地帯の終わりなんだろう。

リスクが発生すれば無責任はいられず、そうするとそこにはどこまで言っていいのか、みたいな探りあいがでてくるわけで、周りの目を気にしだしてしまう。そうなれば、そこは公共の場だ。マナーモラル同調圧力とに押しつぶされる窮屈な場所だ。

10年前のインターネットの無法さがをもう一度求めるなら、なんかもう月とか宇宙コロニーつくって、いままでの社会から断絶した文化でも作るとかしないといけないかもしれない。

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