はてなキーワード: ツバルとは
閉音節が無いらしいので仮名で書きやすいかもしれないと思って書いてみた。テキストはその言語で書かれた国歌を使用。
メンダ・ンダウ・ンドカ・カ・ヴィナカタ・ナ・ヴァヌア
エ・ラ・サ・ンダウ・チコ・キナ・ナ・サヴァサヴァ
ラワ・トゥ・ナ・ガウナ・ニ・サウトゥ・ナ・ヴェイロマニ
ンビウ・ナ・イ・トヴォ・タワ・サヴァサヴァ
メ・ブラ・ガ・コ・ヴィチ
カ・メ・トロ・ガ・キ・リウ
メ・ラ・トゥラガ・ヴィナカ・コ・イラ・ナ・イ・リウリウ
メ・ラ・リウタキ・ナ・タマタ
エ・ナ・ヴェイカ・ヴィナカ
メ・オチ・キナ・ナ・イ・トヴォ・ザ
メンダ・ンダウ・ンドカ・カ・ヴィナカタ・ナ・ヴァヌア
エ・ラ・サ・ンダウ・チコ・キナ・ナ・サヴァサヴァ
ラワ・トゥ・ナ・ガウナ・ニ・サウトゥ・ナ・ヴェイロマニ
メ・サ・ンビウ・ナ・イ・トヴォ・タワ・ヤガ
バレ・ガ・ヴェイ・ケムニ・ナ・ザウラヴォウ・エ・ヴィチ
ニ・ヤヴァラ・メ・サヴァサヴァ・ナ・ヴァヌア
ニ・カクア・ニ・ヴォソタ・ナ・ンドゥカンドゥカリ
カ・メ・ダ・サ・ンガイ・ンビウタ・ヴァカンドゥア
ッエ・ッオトゥア・マーフィマフィ
コ・ホマウ・ッエイキ・コエ
コ・コエ・コ・エ・ファララッアンガ
モ・エ・ッオファ・キ・トンガ。
ッアフィオ・ヒフォ・ッエマウ・ロトゥ
ッアイア・ッオク・マウ・ファイ・ニ
モ・ケ・タリ・ホマウ・ロト
ッオ・マルッイ・ッア・トゥポウ。
コ・エ・イキ・ヘ・ラギ
クア・ファカアロファ・マイ
キ・ニウエ・ネイ、キ・ニウエ・ネイ
クア・プレ・トトヌ
エ・パトゥイキ・コアトゥ
クア・プレ・オコオコ・キ・ニウエ・ネイ
キ・ニウエ・ネイ、キ・ニウエ・ネイ
キ・ニウエ・ネイ、キ・ニウエ・ネイ
キ・ニウエ・ネイ、キ・ニウエ・ネイ
キ・ニウエ・ネイ
クア・プレ・オコオコ・キ・ニウエ・ネイ
クア・プレ・キ・ニウエ・ネイ
サモア、トゥラッイ・マ・シシ・イア・ラウ・フッア、ロウ・パレ・レア!
サモア、トゥラッイ・マ・シシ・イア・ラウ・フッア、ロウ・パレ・レア!
ヴァアイ・ッイ・ナ・フェトゥ・オ・ロッウ・ア・アギアギア・アイ:
レ・ファアイロガ・レア・オ・イエス、ナ・マリウ・アイ・モ・サモア。
オイ、サモア・エ、ウッウ・マウ・ラウ・プレ・イア・ファアヴァヴァウ。
ッアウア・エ・テ・フェフェ; オ・レ・アトゥア・ロ・タ・ファッアヴァエ、オ・ロタ・サッオロトガ。
サモア、トゥラッイ: ッウア・アギアギア・ラウ・フッア、ロウ・パレ・レア!
「トゥヴァル・モ・テ・アトゥア」 / コ・テ・ファカヴァエ・シリ、
コ・テ・アル・フォキ・テナ、/ オ・テ・マヌイア・カトア;
ロト・ラシ・オ・ファイ、 / トウ・マロ・サオロト;
フゥシ・アケ・カトア / キ・テ・ロト・アロファ;
カエ・アモ・ファカタシ / アテ・アトゥ・フェヌア.
「トゥヴァル・モ・テ・アトゥア」 / キ・テ・セ・ガタ・マイ!
トゥク・アトゥ・タウ・プレガ / キ・テ・プレ・マイ・ルガ、
キロ・トヌ・キ・オウ・ムア / メ・コ・イア・エ・タウタイ。
「プレ・タシ・モ・イア」 / キ・テ・セ・ガタ・マイ、
コ・テナ・マナ / コ・トウ・マロシ・テナ。
パティ・リマ・カエ・カラガ / ウルフォヌ・キ・テ・トゥプ。
「トゥヴァル・コ・トゥ・サオロト」 / キ・テ・セ・ガタ・マイ。
ハワイッイ・ポノッイー / ナーナー・イ・コウ、モーッイー
カラニ・アリッイ / ケ・アリッイ
マクア・ラニ・エー / カメハメハ・エー
ナー・カウア・エ・パレ / メ・カ・イヘ
ハワイッイ・ポノッイー / ナーナー・イ・ナー・アリッイ
ナー・プア・ムリ・コウ / ナー・ポーキッイ
ハワイッイ・ポノッイー / エ・カ・ラーフイ・エ
ッオ・カーウ・ハナ・ヌイ / エ・ウッイ・エ
ッウア・ラフ・テ・アトゥア・イ・トーッウ・ッアーイッア
ホノ・ノッアノッア・オ・テ・モトゥ・ラウ
ヘイヘイ・イ・テ・プア・リッイ・アウ・エー
エ・フィリ・ナペ・モーロヒ・ッオレ
ッオ・ターッウ・イーア・エ・ファッアテニテニ・ネイ
テー・トゥーオロ・ネイ・テ・レオ・ヘレ
オ・テ・フイア
ッア・ヒッイ・イ・トー・アロハ
ッイア・オラ・ッオ・タヒティ・ヌイ・エー
テ・アトゥア・モウ・エー / コ・コエ・ラーイ・テ・プー / オ・テ・パー・ッエヌア・エー
ッアカロンゴ・マイ / イ・トー・マートウ・ネイ・レオ / テー・カーピキ・アトゥ・ネイ
パールル・マイ / イ・ア・マートウ・ネイ / ッオマイ・テ・コロナ・モウ
キア・ンガーテイテイ / キア・ヴァイ・ラーイ・テ・アロッア / オ・テ・パー・ッエヌア・エー
エ・イホワー・アトゥア、/ オ・ンガー・イウィ・マートウ・ラー
アータ・ファカランゴナ; / メ・アロハ・ノア
キア・フア・コ・テ・パイ; / キア・タウ・トー・アタファイ;
マナアキティア・マイ / アオテアロア
オナ・マノ・ターンガタ / キリ・フェロ、キリ・マー
イウィ・マーオリ、パーケハー / ルーペケ・カトア
ネイ・カ・トノ・コ・ンガー・ヘー / マーウ・エ・ファカアフ・ケー
キア・オラ・マーリレ / アオテアロア
トーナ・マナ・キア・トゥー! / トーナ・カハ・キア・ウー;
トーナ・ロンゴ・ヘイ・パクー / キ・テ・アオ・カトア
アウア・ラワ・ンガー・ファファイ / ンガー・トゥトゥー・エ・タタ・マイ;
キア・トゥプ・ヌイ・アイ / アオテアロア
ワイホ・トナ・タキワー / コ・テ・アオ・マーラマ;
キア・フィティ・トーナ・ラー / タイアーフィオ・ノア。
コ・テ・ハエ・メ・テ・ンガンガウ / メインガ・キア・コレ・カウ;
ワイホ・イ・テ・ロンゴ・マウ / アオテアロア
トーナ・パイ・メ・トイトゥー / ティカ・ラワ、ポノ・プー;
トーナ・ノホ、ターナ・トゥー; / イウィ・ノー・イホワー。
カウア・モーナ・ファカマー; / キア・ハウ・テ・インゴア;
キア・トゥー・ヘイ・タウイラ; / アオテアロア
作品が悪いとは言わないが、私の好みに合わなかった。絶望的に合わなかった。
姫様を巡って二人の(自称)騎士が争う話と二人の騎士が自分を巡って争うのを姫様がやめさせる話というのは自分の中ではだいぶ違う。
もっといえば、スレインという一人の人間が狂っていく様をみんなで止めるという話になってしまった。
2期も、二人が争い、そしてザーツバルムを始末する展開までは良かった。競り合ってる感じがした。
優秀なイナホに対して、スレインがコウモリ呼ばわりされ、どこにも居場所がなく、もあがき苦しみ一気に駆け上がっていく様はとても見応えがあった。
ついには二人が同じ場に対等な立場で立ち、旧世代のザーツバルムを始末する様をみて、いよいよ本番が始まったと思った。
その後は二人が争うことがなく、スレインの独走をただぼんやり眺めているだけの展開だった。
スレインは姫様の方だけ向いて行動しており、イナホを意識している様子があまり見られなかった。
1期においてはスレインがザコでイナホの方がエースであったために見向きもされなかったことの対比なのかもしれないが
直接対戦してお互いの脅威ぶりを確認した後にしてはあまりにも不自然だった。
ただ騎士を順番に逐次投入していくという、戦略としてクソみたいなことを繰り返していた。
機体とか能力とか格好いいのに戦略が糞なので戦闘には全く見応えがなかった。はいはいテンプレテンプレ展開。
イナホ側はイナホ側で問題があって、姫様を取り戻すべくいろいろ行動していたし、騎士たちと戦っていたが、
相並び立つ存在として受け止めるにはあまりにも二人の間のバランスが悪すぎる。
スレインがぐいぐい目的に向けて駆け上がっているのに対して、イナホはあまりにも歩みがゆっくりとしていた。
チートな能力を持っていたのはイナホ側であり、スレインは機体こそ強いものの普通の人間である。
イナホも、戦闘ではなく別の戦い方で本気を出すべきだったのではないのか。
その結果として、二人の重要度がまるでつり合わなくなっているのである。
終盤において二人が対峙するという本来一番大事なはずのシーンが訪れるが、
これがどうにも偶然の産物であり、必然性がないように感じられる。
ここをいかにドラマチックに、避けがたい運命のようなものとして描写するかが大事だったのではないのか。
また、この対峙が全体の局面からしても重要度が低いというような描かれ方、位置づけになってしまっている。
スレインの立場では、一兵卒にすぎないイナホとの対決よりも重要な事があるという状況になっており、
引き合いに出す例が古くてなんだが、アムロとシャアの対決のような盛り上がりを期待できなかった。
一番大事なシーンであまりにもひどい盛り下がりぶりである。やってらんねー。
更に情けないのが、二人の対決は、アセイラム姫の決断によって、さらに重要度の低いものへと貶められる。
「騎士の誇りをかけた戦い」が、姫様からすると「あほなことやってないでさっさと帰ってらっしゃい」という感じで
カーチャンの叱責によってあっさり収められてしまうようなガキ同士の幼稚な戦いレベルまで落ちているのだ。
結局この物語は最初から最後までアセイラム姫の意思が重要であり、
二人の戦いは、そのアセイラム姫の意思が発揮されない間だけ成り立つような、くだらない思い込みでしかない。
こうして二人の物語は途中まで寝ていた姫様によってあっけなく簒奪され、回収され、放棄される。
姫様が宣言をした時点で、もはや二人はこの物語には不要な存在となっている。
だから、ラストシーンでスレインが生き残ろうが死のうが、改心しようがしまいがもはやたいして重要ではない。
スレインは姫様の意思によって生かされ、飼い殺しのまま死ぬ。イナホもただ姫様への思いを抱えたまま一兵卒として死ぬ。
姫様だけが、いっときの恋を過去のものとして自分の物語を自分の意思で歩んでいく。なんてひどい話だ。
殺さないまでも、私は、姫様が最後まで目覚めない物語こそを見たかった。
それでも、姫様が助かって、この物語が姫様のものになったことを二人は喜んでいるのだろう。
そのくらい強くその人の幸せを願える存在に出会えたということは、そしてその人が幸せになることは二人の幸せなのだろう。
視聴者である私は二人の感情にまったく共感できないものの、この物語はそういう形で終りを迎える。
でも私はこういう物語ではなく、もっと凄惨な殺し合い、周りを巻き込んで破滅させつつも己の目的を達成していくわがままな戦いが見たかった。
1/3ならともかく、非英語圏ブロック最有力の中国ですら1/6程度のマーケットにしかならない。これが6割の英語圏に対して独立した地位を保てるかどうか・・・自分は否定的ということ。まして日本語圏なんて・・・という話。
マーケットの大きさを比べる意味がわからん。一企業が全消費者相手にしないといけないわけでもなく実際はニッチを狙って一部の消費者だけ相手にするのが普通なのに。ガラパゴスを批判する人はレッドオーシャンブルーオーシャンがどうのこうのとかいう話についてはどう思ってるのか気になる。
あと独立した地位とか言うのも具体的に何を指してるんだろうか。なんらかの基準で判断するとグレナダ・ジャマイカ・ベリーズ・リベリア・シエラレオネ・ジンバブエ・ツバル・トンガ・ナウルやらが独立した地位で中国・ロシア・フランス・ドイツ・日本とかそうでないってことになったりするんだろうか。
愚民ごときに両方やると言うのは
そうムズかしいことじゃないな。
覚悟はいいか? オレはできてる。
- イチーロ・オザワティ -
と書いてしまうほどミギでもヒダリでもなく中道というよりノンポリシーなわけで、そういう自分よりも政治家は多少は「覚悟はできてる」んじゃないかと思っている。
民意を遂行しようと行動した上で、多少民意を犠牲にしても国益を守るというのが政治家の覚悟じゃないのかなと思ったりする。
そう考えた時、分からないのが「外国人参政権」で。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091116/stt0911161933006-n1.htm
ま、一つの記事で全体を判断するのは危険ではあるけれど、
▽
民主党の小沢一郎幹事長は16日の記者会見で、永住外国人への地方参政権(選挙権)付与法案について「韓国政府サイド、在日の方々からも要求が非常に高まってきている」と述べ、法案推進の理由に韓国側の要請があることを認めた。
△
と小沢幹事長が認めていることを根拠にする分には問題ないような気がする。
この記事だけだと「韓国人の民意は遂行する。韓国の国益も守る」という感じがしてならない。
今回の選挙ではまだ「外国人参政権」はないわけだから、ミンスを選んだのは日本人なわけで「日本人の民意は遂行する。韓国の国益も守る」となるんじゃないかと。
どちらも文章だけ読む限りは文法的に間違っちゃいないと思うけれど、日本の政治家としてはなんだか無茶苦茶だ。
選んだ日本人も「韓国の国益を守る」ことはあまり考えていないんじゃないかと思う。
いや、「日本の国益より韓国の国益を守るためにミンスに投票した」というのであれば、上記はまったく正しいわけだけど。
誰がどう望んで、どういう益があるのかがさっぱり分からない。
国益というと大きすぎるから投票した人の損得くらいにして、「ミンスに投票してくれた日本人の民意は遂行する。その人たちに損させないくらいの益は守る」くらいに考えたとして、「外国人参政権」が成立して、何か損しないくらいの益ってあるのかなぁ。
「将来日本人が少なくなるから、補充のために」なんて話も聞くけど、それだったら、沈没しそうなツバルの人たち全員を日本に呼び寄せて参政権を与えた方がいいような気がする。
殿堂 日本w(年金・医療制度破綻、経済植民地化、自殺者餓死者世界最多、地球の癌)
SS チベット・東トルキスタン 台湾(中国による民族浄化完了)
S UAE カタール バーレーン サウジアラビア ブルネイ イラン(全て石油枯渇のため衰退)
―――――消滅国家の壁―――――
AAA シエラレオネ(平均寿命世界最低) コンゴ リベリア ソマリア(無政府状態、リアル北斗の拳)
AA スーダン(虐殺) パレスチナ イラク ハイチ 西サハラ
BBB コロンビア(ゲリラと政府軍に怯える日々) ジンバブエ トルクメニスタン(独裁、年金給付停止)
B ボリビア ラオス インドネシア(イスラム過激派) モルドバ 北ソマリア リビア
―――――政情不安の壁―――――
CCC ペルー エクアドル パラグアイ キューバ(貧しいけど、マターリ) フィリピン カンボジア
CC ベネズエラ モンゴル ベラルーシ エジプト チュニジア
C ウルグアイ アルゼンチン コスタリカ(中米の優等生) ポルトガル
―――――準先進国の壁―――――
―――――先進国の壁―――――
E+ カナダ オーストラリア スイス インド(GDP世界第二位、IT強国)
E- 北欧諸国 ルクセンブルク モーリシャス 中国(GDP世界第一位) モナコ
―――――楽園の壁―――――
増加しているのは確かだが微増にすぎない。
地球の平均気温というくくりに否定的。
だがこの主張は二酸化炭素の毒性を言うのと同レベルで二酸化炭素の特性の話しでしかない。
相関がみとめられる。
二酸化炭素もそうだが煤煙、粉塵を大量に大気中に放出していることをくれぐれもお忘れなく。
フロンから生物まで、あらゆるものを地球上に巻き散らかしている。
劇的には大げさ。まだ疑念の余地はあるが、人類の活動は二酸化炭素の増加の要因のひとつにはあると思う。
これはノー。この程度の増加では二酸化炭素濃度の増加は主たる原因にはなりえない。
詳しくは知らないがおそらくYes
初耳。
モルディブ聞かなくなったと思ったらそういうことだったの?
ノー。10℃以下での気温の上昇と氷の融解は関連性は認め難い。
”気温”の上昇と陸地の氷河の融解に相関性は認めがたい。
しかしながら氷河が溶ける原因が人間かもしれないのは存分にありえる。
二酸化炭素と同時に放出された煤が極地まで届けば氷は太陽光で溶けうる。
陸上の氷河が融けたら海面が上昇するのはYes。
そういう意味で人類の活動が海面上昇に寄与している可能性は十分にありえる。
(とくに北半球の高度を飛び回る飛行機)
ノー。
ただ、気温が上昇した結果二酸化炭素濃度が上昇している可能性はある。
二酸化炭素削減は効率的にエネルギーの使用をできているかという重用な指標になりうる。
エネルギーは環境資源であるのでその効率化は税金を投じてでもおこなっていくべきである。
京都議定書のようなかたちで世界的に環境基準として強いるのならNOxのようなものでやるべきだ。
日本が主張しているような二酸化炭素を放出しているから地球が暖かくなるという論法はナンセンスだ。
人類があらゆる経済活動をした結果地球の環境に負荷がかかっているというのなら判る。
環境負荷のひとつの結果として、地球規模で気象変動をもたらしている可能性は十分にある。
地球規模で気象が変動しつつあることに異存はない。
昨今の気象変動については主には海流の変化だと考えている。
なにが原因で海流が変化したかはわからない。
季節風の上を飛行機が飛び回りすぎて影響がでたのかもしれないし、
今年の太陽の活動が活発だったのかもしれないし、
溶けた氷の量がおおすぎてかわったのかもしれないし、
もっといろいろひっくるめて全部かもしれない。
だが世界的に気象が変化しつつある様は、様々な報告から知ることができる。
http://anond.hatelabo.jp/20071009201945
これって問題が色々と絡み合ってなかなかわかり辛いですよね。
でも「地球温暖化の原因は二酸化炭素である」と言うならば、その説明責任もあると思いますよ。
対して、「二酸化炭素が原因ではないかもしれない」という立場の人には説明責任はないです。
もちろん「二酸化炭素が原因ではない」という人には説明責任がありますが。
で、この問題はまだ科学で決着がついていませんが、政治的には2つのスタンスがあり得ます:
しかし、一つ確実なことは、誤った理解では誤った方向にしか進まないということです。
政治的・経済的な利害関係を抜きにして、現在知られている事実と、予想を分かり易く区別していきませんか。
知られている事実と予想を挙げていってもらえると嬉しいです。
注意してほしいのは、これだけでは「地球温暖化」の原因が二酸化炭素であると結論できないという事。また
という事実もある。ここから予想:
これはほぼ明らかだろうか?→劇的に、は大げさ?『増加の要因のひとつではある。』
これが証明/反証しなければならないことなんですが。
気象は複雑系であるために、わずかな変化が甚大な被害をもたらしかねない。触らぬ神にたたりなし、これ以上の異常な二酸化炭素濃度増加は抑えるべきだ。
ただし、日本が排出している二酸化炭素の量は世界全体のそれと比べてスズメの涙であるため、国内でのそのような取り組みよりも、国際的に二酸化炭素濃度の増加をやめさせる活動を行うのが理にかなっている。
もちろん、「我が国が範を示す」ことにやぶさかではないけれど、まあとにかく我々が国内で頑張ってもスズメの涙程度であることは認識しておくべき
http://anond.hatelabo.jp/20071015005635 大気汚染をはじめとした二酸化炭素以外の要因を重要視している。気象変動に関するお話も面白い
さっきもテレビで温暖化のCo2削減の番組やってたけどつっこみどころ満載だったぞ。
もちろん減らすのは結構なことだが、普通の家庭生活を壊すほど過度にするのはどうかなぁ。
電気消してろうそくでパーティやるのとかも(1回くらいはいいだろうけど、いつもやると)どうか。
まず「テレビを見なくなる」というのをテレビでやるという面も自己矛盾している。
こういうのを見ていると、自然な流れでやるんならいいけど、世の人たちは
簡単に動かされてしまうんだなぁと思った。
ツバルの問題、またツバル以外にも厳しいところはあるんだろうけど、
島は海抜で沈んだり戻ったりいろいろあるのは普通のこと。
問題はまずは陸地がなくなることなんだから、誰か強靭な高層陸地を作ればいいんじゃないのかしら。
人がいなくなって自浄されていくのが流れだろうと思う。
もちろん身内や人は大事だけど、へらすことは政治的には達成できるかもしれないが、
遅くできるだけで、根本的には解決しないよ、今の方法だと。
地下水の枯渇はずいぶん昔しから言われている話し。これは一応聞いたことがある。
でも、元すれの人とは危機感の方向が違うきがする。
だけどそれはハイエンドの投資の話しで庶民が使う水資源が枯渇するという話題ではない。
美味しい水がいまみたいな値段で飲めなくなるというだけの話。
そもそも地下水が真水だと考えるのがどうなのだろう。
真水、真水いってるけどさ、外国で真水が飲める地域なんかすくないよ。
普通石灰フィルターとかで飲む前にあれこれしないとのめないんだよ。
だいたい豊富な真水がないと人間が生活できないんだったら地下水も川もないツバル国とかに住む人はどうやって生きてるのさ。
マングローブ遺伝子でも稲に組み込んで東京湾の佃島あたりで稲作するといいよ。
パームツリーに西瓜でもなるようにしておけば生活飲料には困らないとおもうよ。
冗談だけどね。
IPCCが削減しろといっているのは-50% -6%も達成できない人類にはどちらにしろ難局がまっているのだよ。