はてなキーワード: 恋するフォーチュンクッキーとは
NGT48が新潟に誕生するが、この件ではNGTよりもむしろNegiccoのほうが話題にされているのではないだろうか。
Negicco VS NGT48の対立構図が様々なメディアによって懸念されている。
NGTと競合することでNegiccoはどうなってしまうのか?と。
結果的には、Negiccoの庇護がこれまでより厚くなるのではないかと思う。
既に、地場産の野菜や工芸品と同じような注目のされ方をしている気がする。
Negiccoについて言えば、そもそもそこまで地元で活動していない。
県内企業のCMに何本か出演しているが、新潟のローカルCMはタレントが出演している方がよっぽど珍しい。
AKBほどの力があれば、隙間を縫って、現在活躍するタレントの仕事を奪うことなく地元に定着することができると思う。
CM・テレビ・ラジオ・イベントどれをとっても、まだまだ隙間はあるように思える。
http://anond.hatelabo.jp/touch/20140710201624
前回の続き。
病気になって体力も落ちてお金もなくて家族もいるのかいないのか分からなくて、
それでも私は生きていたいだろうか、を、この土日にずっと考えていた。
検査を受けたり、友達とあって何もなかったかのように振舞って、夜だけ1人で不安になって泣いたりして過ごした、
恋だってセックスだって、生きてるうちしかできないのだから、精々楽しんだり苦しんだりしろって思った。
珍しく優しい気持ちになれた。
山手線に乗って目黒に降りた時に、駅のホームで号泣してる女の子がいた。
自販機で水を買って「干からびるからこれ飲めよ」ってペットボトルを押し付けて、
改札に向かった。彼女の人生に何があったのか知らないけど、泣いた分はいいことがあるといいねって思った。
もうすぐいなくなるかもしれない、と思ったら、セブンイレブンのエロ本すら美しく見えた。
オナニーだって生きているうちにしかできないのだから、握りしめすぎたり、
足ピン癖にしないようにして、いつか来るかもしれない誰かとのセッションのことも
鬱になったりせずに楽しめばいいと思った。
マンションのエレベーターに乗って9階を押して、唐突に1ヶ月ぐらい前に、
山手線の中で火が付いたように泣き出した赤ん坊を、数人がかりで笑わせようと
スーツのオネーチャンと定年退職した感じのオッサンと、30代のチャラスーツと
なんでだろうと思った。
風呂場で頭を洗ってる時に気がついた。
私は人の世をだいぶ気に入ってる。語彙が足りなくてこうとしか表現できない。
人生のこんな大事なところで恋するフォーチュンクッキーかよと自分でも思うけど、
「人生 そんな悪くないよ」って思ってる。
生きてるうちしかできないことや、がんばって日々を生きている人たちの間にいて、
あらゆる人の営みに、喜んだり悲しんだりしてるこの世のことを、美しいと思ってる。
でも寿命までは、この人の営みの中で、それを美しいと思って、
自分から諦めたりせずに、この世で生きている人たちを見ていたいと思ってることに気がついて、風呂場でひとしきり泣いた。
ごめんなさい、まだこの美しいところに居たい。
というわけで、ガンだったら一所懸命治すし、そうじゃなかったら泣いて喜ぼうと思う。
こんなはなしは誰にもできないので、ここに。
AKBに切り込んだ(リアルな意味で)人がでて、おおと思ったら、本当に切りつけていた。
(が、どうでもよい)ちゃんと切り込めよ。
#言葉で、切り込んでもどーせ気づかねーんだし、寧ろこれぐらいしねーと
#こいつら気づかねんじゃねーの(鼻ほじ)、恋するフォーチュンクッキーはいい曲ね
正直、AKBのファンと呼ばれている人にはいい人も多かろうが、
大半はカモられている馬鹿だ。
日本人の草食性や、自分で決めたり、ものを解釈して判断してという
ブラック企業に楯突くこともなく、言われるがままに、あるがままに。
一つの文化として見た時に、確かに特殊で、独特の文化圏だと言える。
俺は滅茶苦茶一時期嫌いだったが、今やどうでも良すぎ。
※ゴールデンボンバーやその文化をうまく破壊しながらよいものを作成している
アメリカでもone directionはティーンのものであって、大人が食いついている
と馬鹿にされる。そういった、子供文化を馬鹿にする、という目線が無い。
例えばライムスターの宇多丸が下記のyoutubeで語っていたように
(舶来のものだからよいのではなく、良いものはよい)GREEEENのアホ馬鹿映画
#邦画ということであれば直近、桃井かおりに馬鹿にされていたが、
#ようやくそれぐらいになって気づく。
悪いものをクリティサイズできないということは、良い物を良いと言えないことと同義だ。
普段からそういう目で見てないのかな。
でも、どっちかというと作品単体ではなく、作者込みで評価するほうがマニアの考え方だよね。
たとえば、AKBの恋するフォーチュンクッキー。
ヒットして、youtubeにいろんなバージョンの動画がアップされたりしたけど、作曲者は誰か、一般の人は知ってるか?
たぶん知ってるのは、マニアだけだ。
楽しい曲だから、誰が作ろうが好きな曲は好き。楽しい曲は楽しい。カラオケで歌う。踊る。CDを買う。
そういう楽しみ方が本来の音楽の楽しみ方だと思うのだが。
俺、AKBは興味ないけど、あの曲だけは好きだ。CD買った。PVつきのやつ。楽しくて、とても好きだ。
でも、そこに作曲した人間を持ち出してきて、たとえば「この曲を作ったとき作者は両親をちょうと亡くしたときで…」とか
「ちょうど離婚したときで…」とか「どんぞこの気分だったにもかかわらずこんなメロディーを…」とか考察するのはマニアだ。
一般人はそんなことどうでもいいし、それに作曲者もプロならプライベートがどうあれ関係なく、注文通りの素晴らしい曲を作るべきだし。
耳が聞こえない作者、という今回のケースは特殊だったけど、それでもやはり音楽は音楽として楽しむのが一般的だと思うのだけど。
ボカロ曲がないのと、アイドルでワンツーフィニッシュというのは個人的にいかがなものか(笑)
http://posse.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/2013-9e9a.html
【選外】Proletariat(PRIMAL)
【7位】Dance My Generation(ゴールデンボンバー)
【6位】休もう、ONCE MORE(NONA REEVES)
【5位】三文銭(MOROHA)
【4位】キリギリス人(ノースリーブス)
【3位】Money Money Money(Andymori)
【2位】恋するフォーチュンクッキー(AKB48)