はてなキーワード: 嘘吐きとは
言及している増田が消えるということで話題になっている北村紗衣さんであるが、過去草津町の冤罪事件について言及したポストについては、明確に黒岩町長に対して謝罪していると言えるだろう。
これはフィクションを現実に当てはめたことへの謝罪であって黒岩町長への謝罪ではないと言う声もあるが、
https://x.com/Cristoforou/status/1593099059908464640
このポストでは明確に「町長の名誉を傷つけた」と認識しているのでその非難は不当だろう。
ただし、イプセン『民衆の敵』で悪として描かれているのは、劇中で不正を隠蔽しようとした市長個人だけではない。
それは他ならぬ北村紗衣さんによる『民衆の敵』の批評を見ればよく分かるだろう。
https://saebou.hatenablog.com/entry/2018/12/17/004054
正しいことしか言わないトマスが、地元の観光客を減らしたくない市長と誠実な報道を行わないマスコミ、それに同調する人々の群集心理により民衆の敵認定される話は非常に恐ろしいし、これは明らかに民主的に見える社会の腐敗と堕落を批判する作品だ。
このように、市長だけではなく市民の群集心理や社会の腐敗と堕落を批判するものとして捉えられている。
つまり、『民衆の敵』で批判的に描かれた構図を現実の草津町に当てはめるのは、町民は群集心理で(完全な嘘吐きであった)新井祥子を糾弾しているものたちで、「腐敗と堕落」が草津町全体にある、と論評する事になりうる。
前述の通り北村紗衣さんは草津町長に対しては謝罪したが、草津町民および草津町全体については、一体今どのように思っているんでしょうかね?
https://www.bengo4.com/c_1009/n_17638/
そういう町長を選んだ町民が悪いという話になった。草津町そのものがレイプされる町みたいに言われるのはしのびがたい話でした。やっぱり草津町が馬鹿にされたり家族がつらい思いをしたりするのは嫌じゃないですか。
ワタミ「途中で止めるから無理になるんです。途中で止めなければ無理じゃ無くなります」
村上「いやいやいや、順序としては『無理だから→途中で止めてしまう』んですよね?」
村上「?」
ワタミ「止めさせないんです。鼻血を出そうがブッ倒れようが、とにかく一週間全力でやらせる」
村上「一週間」
ワタミ「そうすればその人はもう無理とは口が裂けても言えないでしょう」
ワタミ「無理じゃなかったって事です。実際に一週間もやったのだから。『無理』という言葉は嘘だった」
村上「いや、一週間やったんじゃなくやらせたって事でしょ。鼻血が出ても倒れても」
ワタミ「しかし現実としてやったのですから無理じゃなかった。その後はもう『無理』なんて言葉は言わせません」
村上「それこそ僕には無理だなあ」
脱コルが女性を弱者の性たらしめている要素(カギカッコつきの「女性」性)を脱ぎ捨てるのに対して
男らしさから降りるは男性を強者たらしめている要素から降りることになるからまず方向性からして正反対
権力を得る運動 vs. 権力を捨てる(あるいは捨てさせる)運動なのだから。
とはいうもののいわゆる大部分の「男らしさから降りる」はすでに持っている「強者性」を手放すのではないという皮肉があるのでもはや比較すべきものでもないかもしれない。
すなわち大半の「男らしさから降りる」と言っている人間はその実男らしさなるもの=強者性を手にもしていないのに、
というか手に入らないのが分かっているのにそれを認められなくて「自分は男らしさから降りたのだ、強者性なんて最初からいらなかったのだ」
と思い込んで感情を慰撫するための嘘吐きの言葉なことが多いので現象と意味があまり1対1対応してない点にも注意が必要だ。
本来権力というものは他の人間の不幸や他の集団からの搾取といったことを前提としているのは言うまでも無いが
それでも生存本能(≠実際の生存可能性)に従って無意識に死守してしまう類のものなので
女の脱コルは生存可能性と結びつくかは怪しいものの確かに権力を強固にするために邪魔な要素の排除を求めていくものであり生存本能に従った行動といえるが