はてなキーワード: せやなとは
とんでもない間違いだぁ…こんなの零点だ零点
【また追記】
すべてのコメントや言及エントリにお返事はできないけれど、少し追記したいです。
同じように結婚後の姓に馴染めない、みたいな既婚者先輩の声も多数聞けて、私だけじゃないんだー、と思えてよかった(小並感)。
n年経っても慣れない、みたいなのを読んで、逆に覚悟が決まったのかむしろ気が楽になりました。ありがとうございます。
あとこれは是非言いたいんだけど、ちらほら夫を責めるというか、夫が悪いみたいなコメントが見えましたが、それは違います。やめていただきたい。
現状は女性側が姓を改めるのが「一般的」とされていて、よって私がエントリで書いたような有形無形の負担を女性が負うってケースのほうが件数としては多いのだろう。でも、いざ男性側が姓を変えるってなった時には、(有形の負担は大差ないと思うけど)無形の負担は女性の比じゃないんじゃないかと思う。「なんで?」って話になる機会も断然多そうだし。そりゃ特別な主張がなければ夫側の姓にしますって。
妻側が姓を変えて負担を負いがちっていうのの裏側には、夫側が姓を変えた場合の、馬鹿にならない負担の大きさがあると思うんですよ。だとすればこれは女性差別だ!男が悪い!っていう話ではないですよね。
【追記ここまで】
少し前に結婚した。どちらの姓を名乗るか決めるにあたって、ごく普通に、夫の姓を名乗ることに決まった。
私は夫婦別姓制度については、まあ別姓にしたい人は別姓を名乗れるようになればいいんじゃない?そのうち制度ができればいいよね、くらいの考えで、言ってみれば「他人事」として考えていた。自分がもしも結婚したら、「普通に」夫の姓を名乗ると思ってた。そこまで生まれたときの姓に執着がある訳じゃないし。
むしろ、夫婦別姓のために事実婚とし、子どもが生まれる時だけ入籍、その後離婚する、みたいなスタイルを取っている夫婦の話をテレビで知ったときには、すごく率直に言って引くというか、白けたような気持ちになったりもした。
ラディカルに夫婦別姓を主張する勢に対しての評価は5ch(2ch)なんかでは私が観測する限りではまあ辛辣で、「姓が変わるとか別にノーダメ、名前変わるくらいでそんなに影響があるとか大げさすぎる、旧姓にそこまでこだわるとか頭おかしい」みたいな意見が多勢に思えた。私はそんな論調のスレを見るたびに、「でも別姓も選べたっていいじゃん?」と思うと同時に、自分に関しては「まあ普通に相手の姓でいいけど」と思っていた。すごく率直に言えば、「姓が変わるとか別にノーダメ、名前変わるくらいでそんなに影響があるとか大げさすぎる、旧姓にそこまでこだわるとか頭おかしい」と、うっすらと思っていた。
そんで時は流れ、結婚するということになり、じゃあ苗字どっちにする?という話になった。
(現)夫は、「俺はどっちでもいいけど」と前置きした上で、夫の姓を名乗ろう、と提案した。養子でもないのに妻の姓を名乗るということになると、夫側に何か名前を変えたいような疚しい背景があるのではとかあれやこれや勘繰られるからと。
私もせやな、と至極納得して、我々夫婦は夫の姓でやっていくことに決まった。
私は夫の姓でやっていくことに決まった。
言っておくと、私は元の姓と夫の姓どっちがいいか比べた時に、純粋に夫の姓の方がいいなと思った。まあまあよくある私の元の姓に対し、夫の姓はちょっと珍しい姓であった。なんなら「レア苗字ゲットだぜ」くらいに思っていた。もっと言うと今でもたまに「かっこいい苗字やん…」としみじみしたりする。
という訳で私は姓が変わることが決定し、あと結婚もまず間違いなく決まったと判断し、会社に結婚の予定を報告した。「名前は某に変わりますが、業務上では引き続き増田でお願いします」と伝えた。
私は一介のしがない事務員だが、いくつか特定の取引先を担当していたので、取引先それぞれに「結婚しましたので名前変わりました☆」と言って回るのがめんどくさかったのだ。
ずっと前になるが、今の会社ではなく、新卒で一番最初に入った会社の先輩社員で離婚された女性がいた。同じ頃に別の女性社員が結婚して「名前が某になりました」と通達があったので、私はおそるおそるその離婚した先輩社員に「名前どうなるんですか…?」と聞いた。先輩社員は「いや、苗字は変えない」と答えた(離婚してもそれまでの姓を名乗れる制度があるのはその少し後に知った)。
大して親しくしていていただいた訳でもないのに、今考えるとなかなか不躾な質問に、わりとさっぱりした表情で飄々と答えてくれた先輩の、その後に小さく「最悪だよね…」と呟いたその声を、上司に結婚を報告しながらなぜだか思い出していた。
パスポートを変更し、銀行を4行回り、思ったよりも時間がかかって携帯電話の名義変更はその日はできなかった。
何枚も書類を書いて、慣れてないので(あと私が大変粗忽者なので)名前の欄を旧姓/新姓で書き損じまくり、最初の何枚かは窓口のお姉さんも私も新婚に免じてって感じで「あらあらうふふ☆」ってノリだったのがいい加減私の表情も死んだ。
家に帰って夫に一日の苦労を愚痴ったら、「でも俺が苗字変えたらなんか疚しいことあるのかって思われちゃうからね」と姓を決定した時の理由を繰り返した。
まあ確かにな、と私も思い、とはいえ一日で(仕事休まなきゃ行けない所は)ひとまず手続き済ませられた訳だし、これでおおよそ済んだ訳だし、と、それ以上愚痴を言い募るのはやめた。携帯の名義変更は済んでいない。
ここまでですでに長いが、私が本当に言いたいことはまだ書けてない。
こんなに書いて本題に入れてないのに自分でもびっくりしているが、私が言いたいのは、「思ったより生まれ育ってきた苗字にアイデンティティー持ってました」ということなのだ。
結婚後もそのまま何も変わらず仕事をしていて、業務上は名前変えません宣言をしているので、私は平日の昼間という日常のほとんどを「増田さん」として過ごしている。新姓を使うのは、クレジットカードの署名(名義変更してるから)と宅配便の受領の署名(クレジットカードの名義変更したから通販のアカウント変更したから)くらいだ。
で、それ以外のふとしたタイミングで名前を使う機会があると、いまだに逡巡する。逡巡した結果、旧姓を使ったりもする。飲食店の順番待ちで名前書くときとか。
新姓を使ったっていいはずなんだけど、「クレカや身分証と紐付く場面でもなし、新姓使う必要ある?」と思うと旧姓を書いてしまうのだ。もっと言うと瞬間的に「私増田だもん!!」と思っているのに気づく。
きっと会社で旧姓使ってるから慣れてないんだ、と思う。私はわりと転職してきた人間なので、きっと今の会社もずっとはいない。転職活動の暁には新姓で履歴書を書いて、新しい会社では新姓で活動する。
でもそう考えると、なんか、胸が締め付けられるのだ。
という事実に、怖じ気づいている。
姓が変わるのは自分が自分でなくなる感じ、という言い方は、かつて私が引いていたラディカルな夫婦別姓論者さんたちの言い分ではなかったか。
結婚すると名前が変わるってのは「普通」のこととして広く受け入れられてきている訳だけど、しかしよくよく考えてみれば、名前にアイデンティティー抱くってのもごくごく普通ではないですか?
自分が当事者になってやっと分かったというのも至極トロい話で恥ずかしいけど、このアイデンティティー抱いてる対象が変わるっていう衝撃が「普通」の名のもと受け入れられてきたってのはちょっとすごいと思う。
名前変わるなんて別になんてことない。って言ってる人たちは、一度本当に変わってみて欲しい。って正直ちょっと思うけどこういう論法は反発を感じるよね。分かる。私もそうだし。っていうか私だって当事者にならなきゃわからない気持ちだったし。
まとまらないけど疲れてしまったため急だけどそろそろ終わりにします。姓を変えるってのは、有形(手続きの煩雑さ)無形(アイデンティティーの揺らぎ(こう言うと大袈裟に聞こえるけどそうとしか端的に表現できない))の負担があるんです、っていうのを吐き出したかった。
せやなじゃだめです何ですか?