はてなキーワード: かめはめ波とは
重い甲羅を担いで修行すればかめはめ波くらい撃てるんじゃないかと、心のどこかで信じている自分が居る。子供の頃抱いていた全能感は、少しずつ時間をかけて削り取られてしまい、もうだいぶすり減ってきたけれど、それでもなお澱として残っている。自分が想像している自分と、実際の自分はだいぶずれている。特に自分が努力したことのない分野においてその乖離が激しい。自分は絵を描いたことはないけど、練習すればそれなりの絵を描けるような気がする。楽器でも同じで、練習すればそれなりに弾けるようになるんじゃないかと思う。スポーツでも、バスケは無理だけど野球はできそうな気がしている。バスケは昔やったことあるけど、野球はしたことないので。そして練習することはきっとないだろう。だから挫折することもない。そうしてちっぽけな全能感を守っている。
ここでは「バフ」を「一時的に攻撃力、俊敏性、防御力、魔法の威力などを他人の力によって一時的に向上させること」と定義する。
この場合、全力で体動かしたあとの筋肉痛しかり、界王拳3倍かめはめ波を撃った悟空しかり、ドーピングコンソメスープが切れたあとのシェフしかり、バフが切れたあとに何らかの反動が来て叱るべきかと思う。
だが、他人の力によって与えられたバフにおいて、反動もなしに能力が向上する描写はご都合主義的なものを感じるし、仮にそれが許容するとしても、今度はリアリティ的な面において引っかかる。これがゲームのRPGであれば、下手なリアリティはゲーム体験のうちの快適性を損なうので許容できるように思われる。しかし、それをそのまま漫画やアニメの世界に引っ張ってくると、体験する際にフォーカスする部分が異なるためなのか、引っかかってしまい没入感が損なわれるのである。
今はどうかわからないし、一部にしか当てはまらないとも思うけど、主体性だと思った
占いを信じてラッキーカラーを身に付けたりおまじないを実行したりの行動は指示されるまま、というのが多い。信じるし疑わないし、踏み込まない。そのうち飽きる。
オカルト知識を活かそうとする。万一妖怪出てきた時のために攻撃手段として九字覚えたり。
幅広く色んなオカルトを試してみる。気が向いたら踏み込んで調べる。ムーとか読む。そのうち飽きる。
飽きる前に、踏み込んでるか、疑ってるか、それに妥当性がないことを薄々気づけているかという差が出てくる。
いわば免疫みたいなもので、中二病経由の男子のほうがオカルトとかスピリチュアルなものや偽科学にハマりにくくなっていそう。
逆に、そういう精神安定剤的なものがないからおっさんで苦労してる人も多いが。
ムーとワンダーライフとMMRとか読んでてそれこそ中学生の頃は半分信じてた。
ほどなくして自分に霊感とかないことで絶望する。現実を見てしまった。ここ何年もかめはめ波が撃てるか試してない。どどん波ぐらいならワンチャンとはひそかに思っているが。
20歳超えてから、まだ可能性を捨てきれず、第二次オカルトブーム的なのが到来して、風水とタロットと数秘術を学んだ。
学んだといっても図書館にある本だいたい読んで、アマゾンで数千円する書籍を5冊ぐらい買って読んだだけだけど。
色んなジャンルの占い本を読んでみると、おお、根拠がねーと気づく。
同時期量子力学に興味を持ち始めた。
科学的側面から、オカルト力を発揮する道筋がないものかと検討してみた。脳量子波みたいなのがあればワンチャン。
哲学の読み物とか読んだりしてると、決定論的なのと非決定論的なので悩む。世界はどちらか。
自分(増田)は全部薄く浅くしか知識がないが、科学を突き詰めていくと宗教的な考えに至る(高名な学者のエピソードをちらほら聞いたことあるのだけど実例は一個も出てこない。)のもなんとなく理解できる気がする。
それは真理の追究を放棄したわけでもなく、古来の教えやどこかの教祖の言うことをそのまま信じるのでもなく、なんとなく非科学的なもの(今はまだ科学とされていないもの)がぼんやりと遠くに霞んでいるのを感じたような。