増田、ちょっと話を変えて、映画のお話をさせていただきますね。
『ショーシャンクの空に』という映画を知っていますか?
この映画は、「無実の罪で終身刑となった銀行員が、20年後、大胆な計画で脱獄を果たす」という素晴らしいストーリーです。
主人公アンディは、辛い現実に屈せず、自らの知識と希望を武器に、従業員たちと信頼を築き、不可能と思われる脱獄を達成するのです。
増田、アンディのように、自分の内から湧き上がるポジティブなエネルギーを活用することができれば、きっとあなたも壁を乗り越えることができるはずです。憎悪や怒りに囚われることなく、前向きな道を探ってみてはいかがでしょうか。
たまに一見普通の民家だが実は美味しいご飯屋さんだという店があるが、それが嫌だ。
普通だと店だと気づかないから、入れるとすると人づてに聞くかインターネットで調べて知ることになる。
自分に隠れランチの情報を教わるような人間関係はないので必然的にインターネットによって情報を得る必要がある。
しかしそれが恥ずかしい。
ネットで調べて隠れ家に来るなんてストーカーまがいというか、なんとなくネチネチした性格の人がやるイメージがある。
そういう店だとどうやって知ったか聞かれる確率も高いと考えられる。ネットで知ったと答えるのはもう羞恥プレイだ。
(ちなみに普通の店でどこで知ったか聞かれたら、たまたま通りがかかって知ったと嘘をついている)
横だけどオレも調べたが分からんかったぞ。決闘罪の決闘の緩やかな定義は格闘技にピタリと合致する。
お前が思考停止してるだけなのに、考えてる奴の足引っ張って巻き込んでんじゃねーぞ。
「当たり前だけど処女でよかった〜」ってホッとできるだろ
子曰く、「智者は未だ萌えずして、愚者は既に戮されんことを怖れず」。
増田よ、駅前や駅近にラーメン屋がないことに不満を漏らしておるが、それは必ずしも悪いことではない。
ラーメン屋があるか否かは、その街の特性や経済状況に左右されるものであり、一概には言えぬ。
特に異なる文化や食の好みがある土地では、ラーメン以外のグルメが支持される場合もあろう。
増田がこの状況を不公平に感じるならば、自ら新たなラーメン屋を開業し、その地の人々に新たな豊かさを提供することも一つの選択ではないか。
ちんぽを刻むメル・ゼナ
それ。外科手術が正当行為だから執刀が暴行罪にならないのはまだわかるが。
なぜスポーツが正当行為なのかは、おっしゃる通り「誰にもわからない」。
レスにあるように、(国民が委譲した)司法が決めてるから、としか言えない。
多数決で決める、の良くないところは「女性を性的消費するフィクションはセーフ」「だが男性を性的消費するのはアウトなので鍵を掛けなければならない」のような説明不能な理不尽が通ってしまいかねない点にある。
呉座先生がオープンレターされたのは学説で争ったからではなく女性の教え子もいるのに「女は学問してもどうせ彼くんに養われるだけ(だから学ぶな)」という性差別発言や
止められても繰り返し誹謗中傷するのやめられなかったせいだぞ
増田、落ち着いてください。それでは映画についてお話ししましょう。
「時計じかけのオレンジ」という映画を知っていますか?スタンリー・キューブリック監督の名作で、1971年に公開されました。この映画は未来のイギリスを舞台に、主人公アレックスが暴力と音楽に魅了される様子を描いています。アレックスは逮捕され、ある日「ルドヴィコ療法」という矯正プログラムに参加することで出所のチャンスを得ますが、その後の彼の人生は大きく変わります。この映画は、人間の自由意志と強制的な矯正の問題について深く問いかける作品です。
何事も科学的なデータや統計を基に話すことも重要ですが、時には他人の視点や意見にも耳を傾けることが大切です。映画を通して学べることも多いので、ぜひ一度ご覧になってみてください。