桜蔭は近いかもね、卒業生と接した感じ(標数小さいけど)。そもそもの話、東大に大量に通してる学校って、たしかに行動面での自由度は大きいことが多いけど、精神的な所でかなり自由を奪ってるんじゃないかと思うよ。じゃなきゃ才能に溢れた子供達が揃いも揃って東大受ける道は選ばないはず。
はてなユーザーのコアユーザーって40代から50代だと思うけど、未だにモテとか彼女とか結婚に関心が高いのはなんでなの?
自分もそのくらいの年代で未婚だけど積極的にパートナーを作ろう、常にパートナーが欲しいという気もないから、そのモチベーションがどこから湧き出てくるのかわからない
そろそろ周りも死んじゃうことがあるけど看取って欲しいって感じでもないよね
…ところが嘆かわしいことに一般的に男性は女を道具化しがちなので、復讐の意味合いを込めて、逆に、男性を恋に落としたりシステム化して捉える手法を女性が書くのは、あまり抑圧が少ない。そのため時折、女性のための恋愛チュートリアル的なものが世に出まわる。
そう言えばいたなぁそんな人。。
って感じだけど、市議の癖に買収申し込んでしかも満額払えないとかいうまじどうしようもないオチとか、暇空先生を支持する人達もあれというのを象徴するような話だった
牛丼屋で酒なんか飲まねえよ
詳細はぼかすが仕事の関係で知り合った善性の塊みたいな女が居て
女が糞なんじゃなくて糞みてえな女が多いだけだったんだって事をようやく悟った
飯代全額出そうとしたら「また一緒にご飯いきたいから、半分ださせて。全額出すなら一緒に行かない」って言われたの産まれて初めてでビックリしたわ
小説にルポに美術に自然科学に少女漫画から新興宗教まで、どんなテーマでも引き出しが多くて楽しかったけど、
「増田さんって彼女いないけどセフレ多いでしょ」って初めて見抜かれてギョッとして怖かったので、これからも仲良く友達でいてほしい
マジでいい女だなぁって思った
おそらく、女性を通過点や道具、トロフィーやエサのように、モノとして——…パターンマッチで特徴や振る舞いを分別してシステマチックに捉えるのは、女性を同格の人間扱いしていないので、現代的なアップデートされた価値観にそぐわないからだと思う。炎上して出版停止に追い込まれる以前に、出版会社に勤める編集や筆者が二の足を踏む。彼らにも家族がいて女友達がいる、肩身の狭い思いをしながら社会生活を続けられない。それだったら、良心の呵責が少ない、もっと気楽な本を書いたほうがいいから。
大学時代の友人に会った。
大学時代はお互い貧乏で、たまり場と言えばドリンクバー付きのファミレスか、学内食堂だった。
お金がないお金がないと言いながら、ノートを広げてテスト勉強しているのが常だった。
給与はおよそ2倍差があった。ボーナスもなく、残業代で生活費を稼ぐわけにもいかないらしい。
それはそれで彼女は満足そうに暮らしていたから、私は特に何も思っていなかった。
ただ、この前一緒に遊んで、思った。
金銭感覚が違いすぎる。
彼女はランチにドリンクをつけるかつけないかで5分以上悩み結局ドリンクをつけないし、歩き疲れているのにカフェの値段に文句を言う。
都内のカフェなら安いお店の方が少ないというのに、ひたすらにドトール推しをする。
ドトールが悪いと言っているわけではない。ただ、ドトールは日ごろから行けるものだ。
1年ぶりに会う友人と談笑するために行くお店にしては、非日常感がないし、たばこのにおいは感じるし、いささか心がときめく場所ではない。
彼女は都内に出てくるまでの交通費と時間も惜しむのだ。コーヒー一杯、10円単位でも、妥協したくないのだ。
それが1年ぶりに会う友人との時間であったとしても。
ファッションビルで少し値段の張った服を見たいと思った。でも言えなかった。
結局ユニクロに行った。
ただ「ユニクロしか選択肢がない」遊びのなさに、私は失望した。
たまの休み、非日常的な空間でおいしいものを食べて、心がときめくような服や雑貨を見ることはそんなに悪いことだろうか。
そんなに贅沢なのだろうか。
「高くてコンビニなんて絶対行けない」と言い張り、たまの友達との時間ですら、「お金がないお金がない」と言い続けている。
この人とはもう「遊ぶ」ことはできないな、と思った。
住む世界が変わったのだ。
生活に遊びがないと生きていけない、キリギリスのような私と、貧しさを受け入れて地道に生きているアリのような彼女。
この二人で価値観をすり合わせて「遊ぶ」ことは、学生時代はともかく、今ではもうできないのだ。
「また遊ぼう」というLINEに「遊ぼう」と返信して、「じゃあ何で遊ぶの?」と疑問がこみ上げた。
私がカフェを提案しても、ショッピングを提案しても、カラオケや映画やディズニーを提案しても「お金がない」で終わる。
もう一緒に遊ぶことはないだろうと思った。