J-POPをボロクソ叩いてたの、アニソンやボカロ好きのオタクばかりだったよ。
流行りの感動映画を叩いてたのも、流行りのケータイ小説を叩いてたのも、ジャニーズタレントが出るドラマを叩いてたのも芸能人が声優やるアニメを叩いてたのも、ぜーんぶオタク。
ぜーんぶ「やめろ」と要求してた。
ジャニーズ問題、所属タレントの起用を取りやめたりするジャニーズパージが広がっている。
当然、今までこの問題に対し隠蔽し無視し圧力をかけたジャニーズ事務所に対する制裁として正当なもので、取引を続ける企業があるとすれば道義を弁えない企業だと思われるのも当然だ。
ジャニーズ所属タレントの仕事が激減することに対して「見て見ぬふりをしたタレントもまた共犯だから制裁されるべきだ」と言われているのは少々辛い物がある。
事務所で良い地位に行く打算があったとするのは、性加害とグルーミングで自由意志が奪われた彼らに対してそう言えるのか?
それは「レイプされたくなければ抵抗したはずだ抵抗しなければ同意があった」とするセカンドレイプと同じ理論ではないか?
自分が受けた虐待を心の安寧のために「いいことだ。」正当化するしかこともある。
事務所が壊されると、「せっかく虐待から生き残ったのに自分の人生は何だったのか」という気持ちに耐えられず、逆に事務所を擁護することもある。
これが洗脳の恐ろしさだ。
そのためにはファンと他の事務所が新たな居場所を作るべきなんだろうが、ファンはファンで事務所というブランドに執着してて、加害を否定及び加害を肯定する勢力を執拗にバッシングしていて、間接的な加害は今も続いている。
かるさりかんに
自分は普段は死刑に対してすごく慎重な立場で、少なくとも容疑者が無実を主張している間は死刑を執行すべきではないと考えている。
実際、裁判で争っているうちに寿命で亡くなる死刑囚が多い日本の現状は良いと思っている。
それで、京アニ放火犯の話だが、裁判の報道によると、本人は放火の事実は争わず、語る動機は意味不明な妄想に基づく逆恨みという。
後は責任能力さえ認められれば死刑判決は確実であろう。弁護士が責任能力を争って無罪を狙うのは仕事なので文句を言うつもりは無い。
犯人がこの支離滅裂な主張をして、それが報道されたことは自分にとっては救いになった。これはもう生かしてはおけないとしか言いようが無い。
もし、犯人が「俺はやってない。たまたま近くにいて巻き込まれて火傷しただけだ」などと主張していたら、現場の状況からして見え見えの嘘、ほぼあり得ない可能性だとしても、死刑執行後に「もしかしたら冤罪だったのでは……? 無実の人を死刑にしてしまったのでは?」と自分は罪悪感を覚えたかも知れない。
死刑執行のハンコを押すのは法務大臣で、手を下すのは刑務官だとしても、自分を含む国民が死刑制度の存続を願っていることで死刑囚は殺されるのだから。もし無実の人を殺したら一億人分の一でも自分には責任がある。
「害獣を駆除しただけだ」という、犯罪者が死刑になったり犯行現場で警官に射殺されたりしたことの露悪的な表現があるが、自分にとって京アニ放火犯は何らかの本能・習性に基づいて人を襲う獣とすら思えない。人間にとって意味不明な基準でターゲットを決めて爆発する爆弾のような物に思える。
今回はたまたま京アニに小説を投稿して落選したことで「京アニが俺の作品をパクった」というスイッチが入ったが、もし自分や家族の勤務先の商品を見て「あの会社が俺のアイデアをパクった」というスイッチが入っていたら放火されて死んでいたのは自分や家族だったかもしれない。
もしかすると単に近所に住んでいただけで「お前はディープステートの工作員で俺の思考を電波で盗聴している」と本人は闇の権力からの自衛のつもりでこちらの家に放火されていたかもしれない。
そう考えると、彼が死刑判決を下されて死刑が執行されたと聞いても自分は罪悪感を覚えず、危険な爆弾が一つ処理されたと安心して眠るだろう。